NHK篤姫(29)落飾した篤姫:天璋院
将軍家定の薨去後、篤姫は髪をおろして(落飾:らくしょく)身を調えます。女性が髪をおろして仏門に入ることは、瀬戸内寂聴さんが以前、源氏物語世界の中で話しておられました。有り体に申せば、女性であれ男性であれ、「性」を断つことを意味し、ものすごい覚悟がいることなのです。将軍御台所のような立場なら慣習もあって、そうせざるを得ないわけですが、この場合は篤姫さま、まだ二十代。花の盛りに身を俗世から断つ意思表示をするのですから、弱い気持ちでは難しいことです。家定さんの菩提を弔う立場を生涯守ることになるわけです。
人間が造った組織ですから、かならず「人を棄てる」役目があるわけです。それをみてまわりの人達は、胸をなで下ろし、身代わりになって精進する立場の人を大切にするわけです。歴史上の齋宮も、そういう観点からみると立場の特殊性がよくわかりますね。
今夜の見どころは薩摩では、後継者争いでした。島津斉興(なりおき)の爺さんがまたまた頑張り出しました。われらが小松帯刀(たてわき)さんは、これも覚悟の上で久光さんの側近になります。久光さんは島津家を継いだわけではなく、息子の後見人の立場なのですが、すべてにおいて今後薩摩藩の舵取りをすることになりますね。
大奥での井伊大老と篤姫との駆け引きは、あらかじめ想定していたので、実によく理解できました。篤姫は、先の将軍御台所として、家茂将軍の後見人たる立場を主張し、井伊大老は老獪きわまる経験者として、小娘・篤姫の考えなど国政に反映するつもりもないし、まして自分がたてた紀州出の家茂を遠隔操作なんかさせてたまるか、という気持が濃厚ですね。井伊には井伊の言い分があります。井伊家は徳川宗家の根っこからの「仲間内」でもあったのですから。関ヶ原で権現様家康にたてついた島津の縁者など、眼中になかったことでしょう。
そしてその憎々しさ、ふてぶてしさが「安政の大獄」(1858~59)を苛烈にし、ついには「桜田門外の変」(1860年3月)を引き起こすのでした。
篤姫が今後、どのように江戸城でふるまっていくのかに興味がわきます。先の御台所としての待遇と、篤姫自身の駆け引きとで、1868年の明治維新まであと10年間、どうなるのでしょう? 今夜は篤姫が23歳というてました。十年後には33歳、まだまだ若い頃のことだったんですね。
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コメント
篤姫人気だそうで
テレビで篤姫が若い女性諸君に受け入れられているそうですよ。視聴率も随分といいそうです。
しばらく、海外でメデイアからは2週間疎遠でしたが、帰国後土曜日に再放送を観ました。
過酷な環境に遭遇している若い姫様は可哀そうで、あまり観る気持ちにはなりません。
太王四神記は百済との戦の場面で面白いですよ。当時の高句麗、5世紀ですね、広開土王の時代の陣営ではモンゴルと同じ天幕を張っていましたね。
やはり、朝鮮半島の扶余族は遊牧民なんですね。南部にいた東シナ海沿岸から山東半島沿岸、そして朝鮮半島南部沿岸、九州沿岸に生息していた土着の倭族は南下する百済を始め扶余族に追い込まれたのでしょうか。
すみません、篤姫でしたね。あの鼻が天井向いた役者さん可愛いけど、写真でみる天璋院さんは怖い顔してますね。そのギャップが又、面白いのかも。
投稿: jo | 2008年7月21日 (月) 14時42分
Joさん
今度盆におあいしたとき、おたずねしますが、篤姫がお嫌いなのですか?
で、「太王四神記」は、とても気に入っていますが、あらたなTVを見ることはまれだし、睡眠時間帯とか種々問題があって、見ておりません。DVDになったら手にしたいですね。時代背景にとても興味があります。
で、盆はどこへご案内いたしましょう。
一つは難波、もう一つは琵琶湖の北部、継体天皇の足跡をもとめて、でしょうか。
食事が先ですね。
投稿: Mu→Jo | 2008年7月22日 (火) 09時43分