NHK篤姫(28)死の重連:斉彬と家定の死
家定はそれとなく自らの死を悟っていたのか、大老井伊直弼(いい・なおすけ)に篤姫を次期将軍(家茂)の後見人として立てよと命じました。しかし徳川譜代の井伊ははかばかしい表情を浮かべなかったのです。ついで家定は老中堀田にも同じことを伝えますが、後日堀田は井伊大老からあっけなく老中職を解任されます。
朝廷の、勅許をまたずに井伊大老はハリスと通商条約を結びます。それを難詰した一橋慶喜は、ただ「恐れ入ります」と繰り返す井伊に底知れぬふてぶてしさを知り、事態の変化をはっきり知ることとなります。慶喜は、父の斉昭に面談し、「徳川に対する朝廷の不信感を避けたかった」と言いますが、斉昭はタイミングがずれたことを慶喜に諭します。
井伊大老は絶大な権力をもって、次々と慶喜派を追放していきます。将軍不在の中、合議制ですから大老の権力は使い方によっては将軍に匹敵するのです。ただし、そのやり方の過激さが、後の桜田門の変を引き起こしました。
他方薩摩では、馬上の斉彬(なりあきら)が体調に異変をおぼえます。場面を見る限り熱射病の感じがしましたが、「その夜から、腹痛」とのことでした。弟の久光の手をとって、後を久光の息子にまかせ、久光には後見人を依頼します。
その死は、すぐに江戸城の篤姫に伝えられます。篤姫の悲しみがこたえました。封を切らなかった元気な頃の斉彬の手紙には、「いつか、徳川と薩摩とは争うことになる。その時は篤姫が自分でどうするかを決めればよい」という文言に、姫は泣きました。
さらに江戸城大奥では。なにかしら篤姫の人徳に惹かれた滝山が老中とともにおとずれ、口外無用で「家定公の薨去(こうきょ)」を伝えます。しかも、その死は一ヶ月前とのこと。篤姫は、制止をふりきり、家定の棺が置かれた部屋に走り行きます。
家定(堺雅人)の死にいたる映像は美しく悲しみにあふれていました。篤姫から贈られた白い碁石を握りしめて、目尻に涙を浮かべ、薨去されました。
篤姫は若くして、嫁いでまだ2年もたっていないのに、家定の死と後ろ盾の父・島津斉彬の死を経験しました。それはどれほど辛いことだったでしょう。深い悲しみだけでなく、一挙に孤立無援となったのです。
追伸
1.井伊大老の姿がとても憎々しげでしたね()。来週あたりは、未亡人篤姫の待遇について、横やりをいれそうですね。彦根の人達はこの描き方にどんな思いをされたことでしょう。ドラマとして、後の「桜田門の変」のための伏線でしょう。
2.薨去(こうきょ)
皇族、三位以上の死を意味します。ちなみに「卒」は少し身分の低い人。さらに平民(笑)は「死」というようです。
もちろん、歴代の__天皇陛下は「崩御(ほうぎょ)」です。
十三代徳川家定は「征夷大将軍」ですが、これとは別に「内大臣正二位右近衛大将」という官位があって、薨去によって、(死後の)贈太政大臣正一位を朝廷から叙任されています。ですからその死に対しての言葉も人臣としては最高の待遇をうけたわけです。
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