NHK篤姫(27)篤姫の自律
篤姫が自律しました。
父、島津斉彬(なりあきら)から授かった使命をすてて、徳川宗家の嫁になったのです。
形式上ではなく、精神的に、真の嫁になったことが、篤姫の自律とする考えは、現代にそぐわないかも知れません。
こんな風に考えたのです。父を家定、母を篤姫、子を将軍家ととらえてみたのです。すると、父の遺伝子と母の遺伝子とが一緒になったとき、新たな徳川将軍「家」が生まれたのだと思いました。新たな将軍家は、父でもない、母でもない、父母なのでしょう。篤姫は父母として自律したのだと思います。
それぞれが卵子や精子のまま、うろうろしていても、それぞれの卵子や精子は自律してはいないわけです。
今夜は精神的な受胎があったのだと、解釈したのです。
家定は、篤姫を守ること、つまり家族を守ることが務めの第一と姫に言いました。
政治的に列公(有力大名)合議制を目指したのが、越前福井の松平春嶽、島津斉彬、そして水戸斉昭でした。井伊直弼(なおすけ)は、歴代将軍を中心とする、徳川宗家を譜代・親藩がもりたてる従来の強力な将軍職を望みました。当時も、そして今となっても、どちらが良かったのかは分かりません。その中で、家定は井伊を大老とし、紀州の
慶福(よしとみ)の将軍継嗣を決めました。真の徳川家御台所となった篤姫は、それに同意したわけです。
将軍家を守ることと、国を護ることと、どちらが大切なのだ! と斉彬も現代の我々も考えることでしょう。しかし現代人のその考えはいわば後智慧というべきものです。当時は、理は五分五分でした。井伊の考えでは、将軍家を守ることが、家族や国を護ることだったのでしょう。
篤姫が象徴的なのは、中立を家定と幾島に語ったことです。篤姫の聡明な頭には、大奥の紀州派と、父斉彬の一橋派とは、相互に五分の理だと、見えたのでしょう。
そして、自律した篤姫は、家定と一心同体になり、今夜のドラマでその結果がでたわけです。
追伸
たしかに、後日一橋慶喜が次の次の将軍になったとき、徳川はあっけなく滅びました。
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