« 小説葛野記:2008/07/24(木)授業はなくなったのだが | トップページ | 小説木幡記:2008/07/27(日)蝉とひぐらし »

2008年7月26日 (土)

祇園の一夜:初夏の助勤会(2008/07/25)

承前:初夏の助勤会・2005/07/14

 金曜の夜、祇園で一席設けることができ、気分的に、これで2008年の前期が終わったと、安心しました。上記「承前」記事が2005年であることで分かるように、葛野図書倶楽部2001という小さな組織であっても、年次によっては通常行事ができないこともあるのです。かつかつ毎年度末に、伏見港界隈で「新誠会」という送別会を欠かさず執り行ってきたのが奇跡のように思えるわけです。

 「助勤」というのは倶楽部の最上級生が授業支援をするわけですが、毎年順調なわけでもなく、倶楽部状況によっては維持が難しいこともあるのです。2006年次は事情によって後期助勤制度を中止しました。痛みが残っています。市中見回りのない新選組のようで、なんとも寂しいことでした。昨年2007年次は、助勤制度は復活しましたが、前年のことを思い憚(はば)かり、助勤会(懇親会)を発議しなかったわけです。

 時がすぎて、ようやく本年は「祇園の一夜」を持つことができました。わずかに3時間ほどの簡便な祝祭行事ですが、4月以来の四名の助勤全員がにこやかに参加し、お互いの慰労をもてたわけです。

祇園のぽっぽ亭
Mupoppo2
 助勤全員が、秋田、千葉、静岡、富山と遠隔地出身なので、「祇園らしい~」席を考えました。祇園といっても広くて、一力(茶屋)の南とか、今回選んだ北側にあたる辰巳橋界隈が、如何にも祇園情緒あふれる所です。
 
 そういうわけで、学生が出入りしても贅沢ではない(笑)場所をいくつか候補にあげて、選んでもらいました。「祇園ぽっぽ亭」というのは、インターネットでは「祇園 京都祇園の隠れ家 おいしんぼ ぽっぽ亭(町家 和食京料理 宴会)」と、やたらに長い名辞なのでおぼえられず、困りました。ここは局長が一位、副長が二位に選んだ食事処だったのです。

 懇親慰労会ですので、ややこしい話もなく、助勤の皆さんもひたすら「食」に没頭しておりました。二大巨頭の一人、第八代局長は正常時の二人分までは復帰しませんでしたが、1.5人分はめされていました。もう一人の有名人・書記局長殿は、ゆうに3人分まで行っておりました。「ビフカツの恨み」という神話がありまして、その恨みを晴らすかのごとき怒濤の快進撃でしたなぁ。

 よくしたもので、副長殿はいつものように0.5人分、経理局長どのはシメサバに若干の不満はあったようですが、アジとか、あるいは田楽、生麩に喉をならしておりました。で、私めはいつもと変わらず0.3人分ほどで胸一杯。まことに調和の取れた祇園の一夜だったのです。

 話題は、局・書記両名はいつものごとくドラゴンボール世界に埋没し、のこる二人は穏やかな日常話題に徹しておりました。時々、やれ中性脂肪の、肝臓がいかれているの、胃下垂のと、どこのオジキ達の話題かと、耳を疑う事もありましたが、副長の言では「みんな、食事が偏っているからなのです」と裁定があり、各員納得しておりました。私はと言えば、喉から「鉄道図書館が」とか「倶楽部の将来は」とか、飛び出しそうになるのを必死で堪えて、水を飲んでおりました。

 席は二階の桟敷でした。
 ちょっと変わった風情がたのしかったです。暑さを随分気にしたのですが、不思議なほどに涼やかな夜風があって、これは幸いでした。

 そうそう、皆に人気のあったものとして、ハモの炭火焙りと、鴨の石板焼きがありました。もちろん量は五人がかりなので、一切れずつと少量ですが、残りは卒業してからぁ~ということで、納得しておりました。聞き分けのよい助勤たちでした。(ハモ・カモの恨みにはならないでしょう)

辰巳橋界隈
Mutatumibasi

 皆さん微醺(びくん)をおびて白川・辰巳橋界隈を散策しました。昼の暑さもおさまり、気持のよい祇園風情を楽しみました。経理局長殿は高校の修学旅行で、この近所の宿に泊まったとのこと、懐かしげに写真を撮っておりました。
 私も日頃は木幡と葛野を往復するだけで、夜の巷(ちまた)にでることは年に一度か二度、歩いていても「京都やなぁ」と、まるで他人事(ひとごと)のように楽しみました。そう言えば随分の昔、お隣さん大学の人達とこの界隈を彷徨ったこともありました。あるいは祇園一力の近くで共同演習の打ち上げをしたこともありました。ここ数年そういう記憶がないのは、なにかしら私も日常責務に追われることが強いのでしょう。

喫茶:ソワレ
Musoware_2

 二次会は「ソワレ」にしました。ここは古民(家)カフェと言うのでしょうか、老舗の茶房です。二階の奥に8人ほど座れる席があって、みなさんほっと落ち着いた様子でした。昨今の青年男女はカフェといえば、セルフサービスのお店を想像するようですが、京都にはまだ幾つか古典的な店がのこっております。このソワレは以前にも記しましたが、黄昏時をおもわせる独特の色調で、私が大学浪人中に通った店の一つでした。

 ただしかし、男性が一人で入る雰囲気ではなく、多分女性達が行く店だったのでしょう。往時の私は雰囲気的に性別不明(爆)だったこともあり、何の気にもせずにバイクを店頭に置いて通った記憶があります。もう一軒は南にあるフランソワでしたが。

 ここで出色の写真が撮れたので世界に公開いたします。
 一つは、壁に飾ってある謎の壺のことです。「写真を一枚いただきます」と言ったとたんに、四人の手がそのツボに吸い寄せられたのです。もしかしたら、この壺は「誓いの壺」とか、そういう霊力のある、噂の壺だったのかもしれません。こうして、壺を介して姉妹の誓いをした四名が、十年後、二十年後、どんな人生を歩むのか、想像するだに興味津々ですね。私は、その結末をみることもないでしょう。

 もう一つは、何と申しましょうか、いまさら酔いが回ったわけでもないのでしょうが、ムンクかピカソ・ゲルニカかは想像に任せますが、お一人が苦悶ポーズをとり、お一人が真剣な顔をして芸術写真を撮っている。それをまた、私が記録している。実に多層的な芸術的営為と申しましょうか、なるほど「葛野変人倶楽部」と噂されるだけのことはありますねぇ。

 というわけで、この様子をみて私は「もう、ついていけない」と思い定め、早々と店をでて京阪特急に乗りました。
 四人の助勤のその夜の消息は知りません。
 かくして、祇園の一夜も無事おわり、ここちよい安堵感もて一文記した次第です。
 また来年の一月、後期助勤会が行われますよう、「ソワレの壺の誓い」にかけて、日々祈念することが続くでしょうね

|

« 小説葛野記:2008/07/24(木)授業はなくなったのだが | トップページ | 小説木幡記:2008/07/27(日)蝉とひぐらし »

葛野図書倶楽部2001」カテゴリの記事

コメント

祇園ということで高いお値段を想定してしまいましたが、
ぽっぽ亭というのは、メニューを見ると、かなり
リーズナブルのようですね。

私も今度、何かの時に利用してみたくなりました。

二次会はまた昭和の趣きのあるレトロな喫茶ですねぇ。

投稿: 伽羅 | 2008年7月26日 (土) 04時44分

 祇園と言っても広いですし、本当言うとどこをさすのかよく分からないのです。一応、四条通り(東に八坂神社、西に南座・四条京阪駅)を挟んで、北と南に別れています。

 北は辰巳明神の白川辰巳橋あたりが、なんとなくそれらしい雰囲気です。南は一力あたりから、建仁寺のあたりまで、世界中の人が「ここが祇園でっかぁ~」と頷くような風景です。

 我ら庶民の出入りできるお店は、ここ20年間、ものすごく増えてきています。店替わりも多いのですが、大抵チェーン店が町屋、昔の著名な店を買い取って改造しています。そういう所は、出入りしやすいし、お値段も手軽だし、味もそこそこですね。

 それをもって「祇園」と言えるのかどうかは識者によるでしょう。私は万物が流転するの立場ですから、今の世代の祇園だと味わっています。

 レトロ・古式喫茶店「ソワレ」ですが、「趣」勝負ですね。私は郷愁もあるのですが、若い世代はもともと喫茶店に行くなら、飲み屋で一気のみが多いですから、こういった喫茶店は、特殊なものだと思います。ただ、これまで幾世代もレトロな店に案内してきましたが、それなりに「ほぉ」という声が聞こえました。

投稿: Mu→伽羅 | 2008年7月27日 (日) 07時16分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 祇園の一夜:初夏の助勤会(2008/07/25):

« 小説葛野記:2008/07/24(木)授業はなくなったのだが | トップページ | 小説木幡記:2008/07/27(日)蝉とひぐらし »