« 源氏物語・大沢本のこと | トップページ | 祇園の一夜:初夏の助勤会(2008/07/25) »

2008年7月24日 (木)

小説葛野記:2008/07/24(木)授業はなくなったのだが

 授業はないのに相変わらず葛野着午前7:10。木幡研で成し遂げたいことも一杯あるのだが、〆切の多い責務が山積みの葛野へ、ふらふらと足が向いてしまう。

 だいたいどころか、大いに引きこもりなのだ。それが目立たないのは、葛野研がほぼ木幡研の分室というか、別荘研究室化しておるからだろう。葛野研に朝のはよからおそくまでいても、引きこもりには違いない。だれも気づかぬだけじゃ、うははは。

 症例判定自己診断としては、どうにもちかごろのMuBlogがぱっとしない。相変わらずアクセスはいただいておるが、なんだか申し訳ない。休んでばかりおる。たしかに一日一記事を中断すると、疲労回復はぐんと速い。というより、夜間は電気を消したとたんに朝になる日々なので、MubLogを書いたかどうかもさだかではない。

 近頃はメル返が数日かかっている。余は原則、読了とともに即時返答しているので、数日かかるというのは、感覚的には一年前の返答をしているような気分だな。返事を書くというのは軽重はあるが、一種の決断をともなう。それがどうにもできない。ふむふむ。デプレッションの兆候があらわじゃ。

 なんとなく倶楽部幹部たちへも八つ当たりしている兆候がある。メル指示するたびに、「この馬鹿娘ら!」と表示はしないが、筆致がそうなってしまう(笑)。重症かなぁ。

 できるだけ同僚とも顔を合わさないようにしている。会議で出会っても、「ええ、暑いですね」と、誤魔化している。
 攻撃性デプレッションの兆候や。隠さないとね。

 というわけで、日常、授業が終わってもまったく落ち着いた時間がとれない。テキスト調整もすでに一週間手を付けていない。ああいうことは(どういうこと?)、一日手を休めると、手ががくんと落ちる。結局、研究と言うても、基本はどんな場合でも手技が底にある。そのレベルは、職人さんと同じであって、年季がかかり、さらに数日手を休めると復帰が大変じゃ。プログラミングもそうやな。メモリの海に漂う変数とその値がくっきり浮かび、その遷移が把握できないと、まともなシステムなんて出来るわけがない。こればっかりは、叩き大工じゃなくて、アーティストの気分が必要。 

 と、本日文章ふりかえってみますれば、どうにもこれは、「愚痴」というものや。
 削除しようとしたが、愚痴も人生、ぐちぐち生きることも、余生余命を考えると、愛しいものじゃ。

 ふむ。
 また、あした。

|

« 源氏物語・大沢本のこと | トップページ | 祇園の一夜:初夏の助勤会(2008/07/25) »

小説葛野記」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 小説葛野記:2008/07/24(木)授業はなくなったのだが:

« 源氏物語・大沢本のこと | トップページ | 祇園の一夜:初夏の助勤会(2008/07/25) »