小説木幡記:2008/07/17(木)日の流れ
くどく
「くどく」といえば、仏様の世界では功徳を思い出す。酔った世界では、男が女性をくどく、となるか。
「先生」していると、話がくどくなる。40代のころ、仲間が集まったとき、G氏がO氏をさして、「このごろ、Oは、話がくどい」といって爆笑していたのを思い出す。笑ったのは、歳に似合わずO氏が高齢者のように見えたからである。
つまり、高齢になると話がくどくなるのだろうか?
ここ数日、研究室に20名の学生がひっきりなしに出入りした。その時、おそらく20名の学生に余は同じ注意をくどくくどくしていたのを今朝思い出した。20名全員に同時に教壇からするのと、20名の一人一人に異口同音のことを、少しずつ相手によって変化を持たせながら話すのは、違いがある。
医師が待合室の客に一度に「みんな風邪をひかないようん、うがいをして、よく睡眠をとりなさい」と、いうのと、たとえ3分~30分でも、ひとりひとりに、症状を聞きながら、くどくくどく同じことを言うのとは、結果が違ってくる。
われながら「話に変化がないな。余もくどくなってしまったのう」と思いながらも、次の学生が入室すると、またおなじようなことが口からでてしまう。一種の現代説教節なんじゃろう、と自笑している。
で、このクドイ話の結論は、「センセ」というのは、クドイものよのう。しかし、毎年のことだから、一種の職業病かとも思った。
重量
意外な事実に気がついた。ここ半年ほど、教材模型でNゲージという小さな鉄道模型にふれる機会が多いのだが、この列車を順調に走らせるのは、なかなか技術がいる。たとえば坂道を円滑に走らせるのが難しい。
この時、ウェイトといわれる「重り」を列車のどこに、どのくらい乗せるかで、嘘のようにしずかに急坂カーブをこなしていく事実。それに気がついたのだ。大抵は小さな鉄板を載せる。
一般に、重くなると坂を登りにくいとか、カーブを曲がりにくいとか、「重さ」は負の要因に数えられるが、Nゲージ列車の場合、重くするほど快適に静かに安定して走るという、常識の反対を経験している。
理由はレールに流れる電流を、豆粒ほどの小さな車輪からモーターに送るので、圧着していないと電気が流れにくい。軽い車体だと、レールを上すべりして、摩擦が減る、からだろう?
単純な事実に過ぎないのだろうが、車体の数倍の重りをのせて、やっとスムーズに走るという事実は、普通の世界では経験しないことだ。
スポーツカーに、乗員を5名乗せたら走りがよくなる、というような話はあり得ないことだから。まさかとは思うが、新幹線が200%乗客を乗せたら、走りが時速400キロになるとは、想像できない。
なのに、Nゲージモデル鉄道では、話が違ってくる。ふむふむ。
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