小説木幡記:2008/07/07(月)清閑院からの贈り物
先週のことだった。木幡でまどろんでいると宅急便が届いた。珍しく「お中元」だった。
まれに、そういうこともある。
いろいろな事情で、素直に感動した。
というのは、余は清閑院に贈り物をいただくほどの、なにほどの支援、援助もした覚えがないからである。清閑院は気さくな雰囲気だし、座を盛り上げる勢いもあったが、中立的、客観的な立場をきちんと守れる人だった。だから余に対しても、いたってクールだったし、また他の者にたいしても、喜びを喜び、怒りを怒り、気持をすっきり伝え、すがすがしい立ち居振る舞いだった。
他者との関係で、鉄壁の城砦を造らず、何人(なにびと)も招き入れ、広場で花見を催す雅量があった。
そしてこの一年間、なんの音沙汰もなかった。まさに、便りのないのがよい便りの典型だったともいえよう。
余は、密かにおもったのだが、もしかしたら古の聖人が申した「君子の交わりは、淡々として水の如し」という態度は、この清閑院のようなものだったのか、と。余も、真似てみたいと、思わせる姿だった。
さらに付け加えるなら、事の成るならぬの楽観悲観とは外れた所での熱心さがあった。うまく行かなかった事にも、あとで、実は厚い努力をしていた事を知った。もちろんうまく行ったことも、相応の力を注いだことも知った。
いまにして思えば、疎遠ではなかったが、激論を交わしたわけでもなかった。一つ、余にとって最も難しい判断を相談し、完全な解をえて、安堵した記憶があった。おそらく、忘れた頃の贈り物は、余が判断をゆだねたその信頼への、謝意のしるしだったのだろう。
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