昭和の鉄道模型をつくる(28) 酒屋(青木酒店)
28:部品と工作(青木酒店)
最近Nゲージ・モデル、それはつまり縮尺では1/150が普通ですが、小さな模型を触っていて感動することがあります。最初は「良くできているな」とか「精密だな」程度の気持だったのですが、自分で実際にNゲージの列車を改造する経験をもったせいか、「自分の力ではどうにもできない」という感嘆が重なってきたのです。
写真の青木酒店の正面姿を見ていると、看板の文字使いに引き込まれそうになります。玄関の磨りガラスの仕様に驚愕します。
顕微鏡下の世界とは言いませんが、虫眼鏡の世界だと、はっきり分かります。Nゲージ列車の改造にも、ここまでの細部を必要とするわけですが、私はすでに諦めています。
28:鉄道模型の達人/黒澤保
HOゲージは縮尺が1/80ですから、Nゲージ一般の1/150よりは大振りですが、まだ細かな虫眼鏡世界です。写真に写っていた蒸気機関車は全長25センチという小さいものです。本体は安達製作所のC62真鍮キットとありましたが、そこに黒澤さんが自家製の蒸気機関(ライブスチーム)を造り込んだ作品でした。
さらに驚いたのは、現在1/120(レール幅9ミリ)、Nゲージの兄弟みたいなスケール(縮尺)で制作されているという追加情報でした。
つくづく、世界は深くて広いという印象を持ちました。
28:AtoZ:(16)マスキング&塗装に挑戦しよう
マスキングテープ自体は幅広のを数本私も持っています。1センチ~3センチの幅広です。
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ところがこれ、苦手なんです。大抵はテープがずれたり、隙間に塗料が滲み込んだり、テープを外すとき両色とも剥がれたりと、ろくでもないトラウマが一杯甦ってきます。どれもこれもあわて者、我慢が足りない男の悲哀ですね。いずれもプラモを触っていた頃の大昔の記憶ですが、現在やってみても同じ結果になることでしょう。(記憶を消しているだけで、今年の2月頃、失敗した記憶がうっすらとあります)
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余談ながら、Nゲージ・ジオラマで、「鉄道図書館列車・教材モデルを作る!」 と意気込んでいる割りには「下手な模型」「叩きモデル」と自嘲する原因は、細密仕上げが苦手、塗装関係が苦手と、まるで勉強読書実験研究嫌いの研究者みたいなものです

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一つ勉強しました。ICテープ。
ICテープの名称由来はネットでも分かりませんでした。本号記事では、模型のプラットホームに黄色ラインを引くとき、塗装じゃなくて幅1.8ミリの黄色ICテープを直接張り込む実例がありました。以前、私はサンドペーパーを道路に見立てて中央ラインを、「5ミリ幅の修正テープ」でごまかした事があるのですが、5ミリだと原寸75センチの中央線になって、メチャクチャなスケール感覚でしたなぁ。
修正テープを使ったのは、ICテープの存在を知らなかったからです。今回の記事でネットを捜してみたら、細いラインを引くのに便利な用品として定番のようでした。画材店とか大型ショップに行けばあるらしいです。
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それで、マスキングとICテープ。
別記事をみたところ、この細いICテープを列車の色彩横線に使う事例もあったのですが、さらに張り込むのじゃなくて、ICテープ自体をマスキング・テープにしている作例もありました。
いやはや、世界は深くて広いですねぇ。
28:昭和の『鉄道模型』をつくる
ところが「鉄道廃線跡」記事には「東海道本線旧線 膳所~稲荷」があったので、その比較に心を惹かれました。京都駅と大津駅とは、普通列車の場合、東山トンネル(在来線)をあっというまに通り抜けて山科駅に着き、さらに(現)逢坂山トンネルを抜けるとすぐに大津駅に着きます。
新幹線はやや南に向けて東山トンネル(新幹線)をぬけ山科盆地に入り、さらに長い音羽山トンネルを通って大津市の瀬田川を超えて米原方面へ駆け抜けていきます。
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要するに山を▲であらわすと、京都市▲→山科(京都市)→▲大津市、最低二つの長いトンネルが必要なわけです。ところが、明治13(1880)~大正10(1921)の頃には長いトンネル(隧道)を開通させる技術力がなくて、東海道線は京都駅から現在の奈良線を通って伏見神社の稲荷駅に南下し、そこから名神高速道路に近づき、峠を越えて(府道35)山科盆地に入り、さらに北東に向けて現・京阪京津線の大谷駅(大津市大谷町)あたりまで地上を走り、最後の難関、旧・逢坂山トンネルを664mも、日本人だけの力で、機械なしのノミやツルハシ手作業でくり抜いて、ようやく大津市、膳所(ぜぜ)駅にたどり着いたようです。この間、1時間はかかったようです。現在なら山科駅で止まっても10分です。
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この記事に惹かれたのは、京都と大津を昔の東海道線が大迂回していた事実におどろき、そしてJR稲荷駅の、煉瓦造りのランプ小屋を若い頃から見慣れていたのに、その意味を理解していなかったことに気付いたからです。
幾つになっても新発見が続出し、わくわくします。今度伏見稲荷に行ったときは必ず旧国鉄のランプ小屋を観察したいです。
参考
旧東海道本線(京都駅~初代大津駅)→大正年間の古地図が掲載されています。
旧逢坂山隧道→なぜ旧線が伏見稲荷まで南下したかの詳細な解説がありました。
28:未来の図書館、過去の図書館
図書館法という法律があって、公共図書館はその法の下で運用されています。限定的用語として「司書資格」を持った「司書」も、この法の下で規定されています。私は、図書館を語るとき、一般に司書という言葉を使います。しかし図書館法での司書と、一般用語の司書とは違いがあるわけです。
たとえば、ヘルダーリンというドイツ19世紀の詩人は、晩年精神が黄昏れて、塔の中に半ば押し込められた生活でしたが、伝記では、「司書殿」と呼ばれると、笑顔がもどったようです。当時(も今も)、ドイツなど、ヨーロッパでは司書は尊敬されていました。しかし詩人ヘルダーリンが司書を務めた形跡はありますが、チュービンゲン大学神学校で、司書の課程があったかどうかは、分かりません。多分なかったでしょう。
私は長年、詩人ヘルダーリンは司書でした、と人にも言い、自分のイメージとしても持っていました。ここでは、「司書」という翻訳を私も、研究者も「図書館法の下の司書」とかは、考えていないわけです。
さておき、日本ではその図書館法が若干改正されたので、大学で司書の資格を得るための授業科目にも変化がでてきます。実際には、そういう細部は平成22年4月1日の文部科学省令で決められることなので、まだほんの少し時間があります。
ここで、司書になるための授業科目がさらに充実すると仮定しますと、それはどのような方向にシフトしていくのでしょう。勿論、学会とか様々な委員会で、先生達が意見を述べあって、また図書館の団体の人たちとも相談して、そういう結果が省令に反映されることでしょう。すでに、何年も前から、「司書の資格内容をどうするか」が、話し合われてきたわけです。
私は、どのような司書卵を育てるかについて、大枠をいつも考えています。
1.まず教養豊かであることが大切です。教養とは全人格が活発に働き、自らを作り上げいく経過の産物と思っています。読書を通して、世界を確認するのが教養を豊かにする王道です。しかし、小難しくなるので省略。
2.ディジタル情報の操作、識別、採取、評価、加工、データベース化などの基本素養が求められます。
3.紙図書を中心とした歴史的資料・情報の取扱や読み取り能力などの基本素養が求められます。
この三つをバランス良く育てるための授業科目と実習が必要だと考えています。
知識として大切なのは「歴史」です。歴史には現代史まで含めますから、森羅万象が含まれます。たとえば、科学史を心得ておくだけで、現代科学の一般「司書」としてはずいぶん活動が楽になります。司書に求められる本質的なものは人類史に関する見識だと思います。
人類史は文明の蓄積と破壊と継承にあります。
図書館は収集と蓄積と整理に機能の深層があり、これは過去から未来への継承です。そして、役に立つ表層的機能として、現今の利用・サービスがあります。
図書館や司書の位置づけとは、人類史、文明史全体の中でとらえる必要があると思います。そういう見識を持った司書が生まれてくることを、私は願っています。
(ここで話のオチとして、人類史の向かうところ、形ある図書館を想定するなら、移動読書・静止読書の自由な、鉄道図書館列車が帰結点です、と書きたいところですが、それではあまりに我田引水のそしりをうけそうなので、止めておきましょう)
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コメント
「昭和の鉄道模型 18巻までを改造」
という、良好なblogがあったので、メモしておく。
http://otoohan.tblog.jp/?eid=166831
つまり完成された設計の講談社「昭和の鉄道模型」原型をできるだけ壊すことなく、改造した事例。トンネル内にポイントを敷設したのには驚いた。意表をついた試みだと思った。
別途、昭和時代の「図書館構造物」を横に張り出して作り、支線を出して接続する場合、この方法が助けになると思った次第。
投稿: Mu自注 | 2008年6月13日 (金) 11時13分
猫盛ってのがよろしいな
写真を拡大すると(猫盛)と出てきて、ふ~む?(泡盛)のことかいな?
とMu先生、考え込んではりますね。
当方のような飲んべえは(猫盛)という語感からすぐに盃一杯の酒を連想します。
たとえば(冷やで)なんて注文すると袴付きのグラスになみなみと注ぎます。
幾分かはグラスからこぼれて袴で受ける、という演出。
その溢れ出るような酒を飲むには、グラスを持って、というわけにはいきません。
自然、こぼれないように、コチラの口をグラスまで持っていくしかない。
そうして、スススッ、ズズズッっと酒をすするわけです。
この飲み方はネコちゃんも一緒なのですね。
ネコちゃんはグラスを自分の口へ持っていく、ということはいたしません。
水やミルクなどの液体を飲むとき、ピチャピチャピチャと舌ですくいあげます。
この(猫盛)というカンバンは(当店ではコップ酒飲ませまっせ)と解釈します。
子供のころ、近くのバス停も兼ねた酒屋さんで、そういう飲み客がおいしそうに飲んでいて日本酒の香りがプンプン匂ってきたことを思い出しました。
(青木酒店)ではなく(高橋酒店)でしたが。
投稿: ふうてん | 2008年6月13日 (金) 21時59分
ふうてんさ
難しいコメントですね。
素面か酔っておられるのか、まずそこではたと考え込みました。
当方、知らぬ世界に直面すると生真面目に考えるほうなので、ひたすらgoogleで {日本酒 盛}とかを捜してみたのです。日本盛は、それ以前から知っていましたが、三文字、字余りですからね。「盛」の付くローカル色豊かな、地酒は星の数ほどあることに気がついて、がっくり。
こういう判じ物って、痛切に物知りの強さを味わいました。Muはお手上げでしたね。知る者ならば、ひと言で「それは、きっと~」と、答えがあるはずなんですが。
(亀桜を黄桜と判じたのは、正誤は別にして、黄桜が伏見にあるからです。それに亀はキと読むでしょう。鳥せい界隈を知らないと、ちょっと分かりにくいでしょうね)
ここにきて突然、古き懐かしき労働者の祭典、酒屋の前でズビズビと口をすぼめて飲むコップ酒世界が出てくるとは、まさに想定外。
ふうてんさん、疑ってわるいけど、ほんとうに、猫盛飲みという風儀が、そういう世界では騙られるわけですかな? いえ、そういう様子はMuも目の当たりに見てきましたけど、それをもって、犬盛じゃなくて、まさしく「猫盛」と呼び習わす風習があるんでしょうか、総ての労働者諸君!
投稿: Mu→ふうてん | 2008年6月14日 (土) 06時11分