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2008年6月25日 (水)

昭和の鉄道模型をつくる(29) 米山写真館

承前:昭和の鉄道模型をつくる(28) 酒屋(青木酒店)

29:部品と工作(米山写真館)

2901:写真館「米山写真館」正面
2903:写真館「米山写真館」背面
 写真館が、現在もあるでしょうが、当時各地にあったのは何か理由があったのかもしれません。
 ?
 山梨県に、東海道線の富士駅から甲府まで走る身延線(みのぶせん)があって、その途中の山奥の田舎に私は縁がありました。小学校の頃、当時そこにも「写真館」があったのです。どう考えても、ご当地の人たちには申し訳ないのですが、今から思い出すと、その田舎にあることが、不思議でなりません。
 立派な写真館でした。
 当時は撮影、現像、焼き付けと一連の化学処理は、撮影技術だけでなく、特殊な技能だったのだと思います。少年の私は、廉価な二眼レフカメラを買ってもらって、幅6センチもあるフィルムを装填して、虫眼鏡をあてて模型の接写撮影に夏休みを過ごしていました。撮り終えると、徒歩数分の写真館に持って行き、翌日か翌々日には白黒で、引き延ばしもせず、6x6の写真が手に入ったのです。
 ワクワクしていました。
 いま、雑誌付録の「米山写真館」を手にして眺めています。そうそう、こんなでした。ただし、洋風は入り口のカウンター付近と、スタジオだけだったはずです(笑)。
 明治村にもハイカラな写真館がありました。だから日本各地に明治時代から、あったのでしょう
 「高田小熊写真館」
 「ハイカラ写真館」

29:鉄道模型の達人/白井英樹

291:白井英樹
 白井英樹(51歳)さんは小学校の頃に鉄道模型を楽しんだことがあって、しかし本格的なGゲージ(標準的なモデルでは、線路幅が45mmもある最大の模型です)に惹かれていったのは、36歳の時、息子さんへのドイツみやげだったそうです。
 私がGゲージを見たり触ったりしたのは、2002年の夏頃でしょうか、名古屋の森博嗣博士の自邸へ公用で行ったとき、生まれて初めて経験しました。細かなことは門外不出のビデオに収めてあるのですが、現在私が触っているNゲージに比較すると、大人(人間)と子猫くらいの質・量的差があります。
 さて白井さんは、そのGゲージを、機関車だと五キロもの重さになるモデルを全部で100両以上お持ちと書いてありました。
 写真には、ヨーロッパのおとぎの国を眺める白井さんらしい人の、肩幅ほどある路面電車が写っていました。人形はドイツの「プレイモービル」といって、風景とセットの多様な人形達(フィギュアというのでしょうか)が、さまざまなシーンを演じていました。
 日常では味わえない、明るくそれでいて幻想的な「おとぎの国」を眺めていると、この世界(笑)も、本当に多様だなぁ、と思いました。

29:AtoZ:(17)ウェザリングで汚れ感を出す

292:ジオラマ/レイアウトの制作(17)ウェザリングで汚れ感を出す
 ウェザリング(風雪汚し、でしょうかね)は模型をリアルにする技術として大切なことのようです。私も、何度か経験しましたが、難しいながらに、それなりに貫禄が出てくるものです。
 実際には、現実の姿を丁寧に観察して、それからとりかかる作業のようです。すでにこの週刊誌でも達人達がその成果を発表されています。
 今回は、模型用塗装スプレーで汚しを出すテクニックが最初にありました。鉄橋でした。想像以上に手間を掛けていますね。それが「忍耐」に見えるのはまだ初心者の証、私。
 1.下塗りにグレーを均等に吹く。
 2.濃い色から順番に、まず「マホガニー色」約20センチから。(濃く吹き付けるわけですね)
 3.やや薄い色、「モンザレッド」30~40センチ離して、まだらに。(下色を塗りつぶさない)
 4.この2と3とを乾かしながら(5分程度)繰り返し、最後に「キャラクターレッド」をごく薄く。

 こういう塗装工程に悦楽というか、極楽気分を味わうようにならないと、鉄人にはなれないようです。
 さて、次の方法は、「アイシャドウ」。しかも、100円ショップのアイシャドウ。黒、白、カーキ、ブラウンなど埃っぽい色を選び、濃色から塗るのがコツらしいです。
 最後にツヤ消しの透明スプレーで粉を定着させ、反射を抑えるとのこと。

 実は、この方法は一度だけ体験しました。しかし100円ショップじゃなくて、模型店でウェザリング用の3色セット、500円程度のものを使いました。高いわけですが、どうやって汚すかの解説文もあったので、ノウハウ代だったと思っています。今度からは、100円ショップのアイシャドウにします。
 ただし、葛野近所には学生がバイトしているので、「?」目点になる可能性もあるでしょうね。
 「キャ、先生もアイメークしてるんだぁ~」 とかね。

29:昭和の『鉄道模型』をつくる

293:昭和の『鉄道模型』をつくる
 今週号には「東京オリンピック」の記事がありました。昭和39(1964)で、敗戦国日本が戦後19年目に東京で開催したのですから、たいした復興ぶりと思いました。今から半世紀近く昔になりますね。別記事には、円谷幸吉さんの悲しい話も添えてありました。
 この時代は、丁度アメリカのLC(米国・議会図書館)がMARC(マーク)という、図書目録情報のコンピュータ化で、世界的な標準仕様を出し始めたころのことです。私が高校生の頃だったんですね。そうマラソンランナー、エチオピアのアベベ選手が走っている写真を一枚持っています。どこかの本に挟んだままです。高校の友人(不明?)が私にくれたものです。

 最初の記事は寝台急行「きたぐに」でした。大阪から新潟までの600キロを走る夜行列車です。で、私は2003年にカナン96という研究会主催で、新潟へ行った時、京都駅を夜中の零時ころB寝台に乗ったわけですが、それが「きたぐに」だったのかどうか、記憶が定かではないのです。
 記事を読んでいると、どうも私は、それに乗ったような~。車窓から眺める日本海の様子は、この記事写真とそっくりだったのです。
 人の記憶は曖昧ですね。わずかに五年ほど前のことなのに。

29:未来の図書館、過去の図書館
日本の車両
 現代の鉄道は、限定的な枠(軌道を走る、動力源がかさばる、鉄道路線土地が必要、長大な駅が必要など)が非常に厳しいです。しかしその枠の中で、JRも私鉄も、さまざまな工夫をして、安全性や快適さ、スピード、恒常性に努力しています。
 最近、実際には見る機会の少ない各地の在来特急列車のNゲージ・モデルを見たり手にしたりして、我が国、鉄道の成熟を痛切に味わっているのです。思いもよらないすばらしい列車が日本の各地を走っているのです。

 しかし安全性についてひと言、記しておきましょう。
 日本の鉄道は「事故を起こさない」前提だけでここ数十年過ごしてきたので、一旦事故が起こると、被害は甚大になります。これはNHKの番組で耳にしただけなので正確さは欠けますが、たとえばアメリカの鉄道は、衝突を前提にして車両を設計している、とのことです。鉄の支柱や、ガードなど、ラリーカーの設計のようだ、と思いました。ラリーカーは深山で転覆し、谷底に落ちても、かつかつ乗員が死なないように、相当に頑強な造りをしているものです。

 で、アメリカの機関車、車両は正面衝突、側面衝突から乗員を守るために、日本の車両に比べると、重さにして大体、2倍以上になるようです。だからスピードも上がらない、燃費もかかります(重油も、電力も)。他方、日本の車両は、「衝突はない」の設計方針で、極めて軽く、多分ハンマーの一打ちで側板が貫通するくらいの薄さ、脆弱さなのでしょう。その代わり、列車自動停止・制御装置など、システム全体の事故防止は、他国に比べると磐石と言ってよさそうです。
 ……
 ダンプカーが側面に衝突すると、日本の車両は、客室空間を零にするほど内部に損傷が発生します。乗客の死亡率は極端に高く、まるでボール紙で作った自動車が、正面衝突したり、横転するようなものでしょう。

公共の図書館列車
 さて話を元にもどしますと、日本の列車は制限の中で多様性が豊かです。各地私鉄、在来線の列車には、未来を先取りしたような、斬新なスタイルで走っているものがあります。
 パノラマ列車、二階建て列車、走るホテル、お座敷列車、トロッコ列車、枚挙にいとまありません。その多様性は、そこにそのまま図書館機能を搭載すれば、現状でもあっけなく未来的図書館が生まれます。

 しかし、ほとんど総てにおいて、脆弱性はアメリカなどに比べると、紙細工のようなところがあって、絶対に事故を起こさない方針に、もし針の先でも穴があくと、壊滅的な惨状をもたらすことになります。
 公共の、あるいは私的なものであっても、図書館列車を現在に、未来に運行させるなら、この点は銘記しておかねばなりません。

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コメント

鉄道模型にはいろんな要素が

 日本の車両に関する考察、興味深く拝見しました。
NHKテレビでのレポートはたまたま当方も見ました。
軽くて衝突や転覆に強い車両の工夫を始めているようでしたね。
福知山線や東京地下鉄の最近の事故で、事が起こってから・・・辛いところですね。

 関東に来ていろんな電車に乗りますが、一つ四国や近畿地方では経験しなかった風景があります。
それは(切り通し)というのでしょうか、線路の水平を保つために丘を(切って)線路が走る風景です。
関東平野はおおむねフラットですが、それでも台地のような起伏は結構あるのですね。
山というほど高くはない、されどそのまま昇り降りする勾配よりはきつい。
じゃあ(切って通そう)、と。
四国や関西では山からすぐ海が多いので(トンネル)が多いのと対照的だなあといつも思います。

 トンネルは中が見えないので感じませんが(切り通し)は外から全貌が見えるので、一本の線路、一本の道路を通すためにいかに大量の土砂を取り除いたか、ため息が出るほどの大土木工事だったことがよく分かります。

 ちなみに、東京オリンピックのとき、当方は大学1年生で、開会式の日、皇居の近くで飛行機が5輪のマークを空に描くシーンを目撃しています。
出来たばかりの新幹線に乗って京都から(お江戸)へお上りさんしていたのですね。
同じ年生まれでも、1964年10月10日の開会式のとき、
1月生まれは大学生(ふうてん)
4月生まれは高校生(Muさん)
9月生まれも高校生(JOさん)

 そんな時代もあったのですなあ。

投稿: ふうてん | 2008年6月25日 (水) 10時39分

北欧の車は頑丈

 そういえば、米国時代、駐在員の奥さんは、ボルボを利用してる人が多かったです。ドアが分厚くて転倒しても大丈夫だそうです。

北欧の雪の道では、転がり落ちる人が多いのでせうか。ドアは頑丈で分厚いです。

 私も家内もアメ車の中古に乗っていました。安くて8気筒5千cc以上ありましたね。

投稿: jo | 2008年6月25日 (水) 11時45分

ふうてんさん
 おそなりました。
 昼間は、ちょっと手詰まりでしたぁ。

さて、鉄道番組は、もしかしたらクローズアップ現代でしょうね。いえ、それくらいしかTVを見ないので。

それで、「切り通し」のことで、想像していました。
京都にはありましたか?
気がつかないのか、ないのか、どっちか分かりません。

関東も、以前は年に数回通っていましたが、地下鉄ばかり乗っていたから気がつきませんでした。
「切り通し」という言葉は、鎌倉のことだとずっと思っていましたが、関東の丘陵地では、平坦に削って線路を通すわけですね。世間は広い!

投稿: Mu→ふうてん | 2008年6月25日 (水) 20時49分

Joさん、ねむなりました、じゃなかった、遅くなりました。

なんだかね。次々と野暮用、会議まんさい、……。
それでボルボ。
たしかにごっつい自動車ですね。なかなか壊れないようです。
軽いスポーツカーは、ボルボみたいな頑強さを棄てた結果ですね。
日本の鉄道は、世界からみると、蝶々みたいに軽くて、弱そうに見えるのかも知れません。
蒸気機関車は重いです。

投稿: Mu→Jo | 2008年6月25日 (水) 20時52分

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