NHK篤姫(23)慶福(よしとみ)と慶喜(よしのぶ)
慶福(よしとみ)「後の徳川十四代将軍・家茂(いえもち)」は紀州の殿さまで、慶喜「後の徳川十五代最後の将軍」は水戸斉昭(なりあき)の息子で一橋家に養子に行った人。
今夜御台所篤姫は両者に面会した。
結果は、父斉彬の気持とは異なり、篤姫は慶福を好ましく思った。
エピソードとして、菊見に誘った慶福が、出された菓子の腐敗に気付き、滝山が係の者に毒味をさせようとすると、「腐ったものを毒味させるのは人情にもとる」といって、事故を穏便に取りはからったことが、篤姫始め皆の感動を得た。
慶喜の人や社会への無関心な態度とは対照的に描かれていた。
たしかに先回慶喜に出会った斉彬も、慶喜の「無関心」さには首を傾げていたし、随身の西郷も後で斉彬に「わからない人です」と、暗に懸念を伝えた。
篤姫と慶喜との関係は、この時に篤姫によい印象は残さず、後日慶喜が将軍になったとき、鳥羽伏見の戦をうち捨ててなんの下知も出さず、大阪から船で逃げて帰った時に決定的になった。慶喜の論理は「賊軍にはなれない」だったが、私は、いやしくも征夷大将軍が現に戦っている将兵(新選組も含まれていた)を見殺しにしたような形で、さっさと江戸に帰るというのは、言語道断、どのような屁理屈を言っても無駄だと思っている。征夷大将軍という肩書きになんの重みも感じない、つまりは覇気のない秀才だっただけなのだろうか。
慶喜の余生については、先程いくつか記事を読んだが、大局として評価の声もある。ふむふむ。両者の言い分を聞かないと分からないこともあろう。
私は、将兵を見殺しにして大将が策無く逃亡した罪は、敵前逃亡という有史以来もっとも単純素朴な法理により、どのような言い訳も無いと考えている。「撤退」と全軍に命令すればよかったのだろうが、それも勇気が必要だ。出来なかったのだろう。
当然だが、将軍の重みも、神君・権現さまの時代とは相当に違っていたのだろう。
慶喜の子孫もおられようから、これくらいで止めておくが、篤姫の一本気からすると、慶喜の賢しらな態度は絶対に許せない「男」なのだろう。もちろん、この時点ではまだ篤姫は一度あっただけだから、それ以上の感情はない。原作では、明治になっても篤姫は慶喜に合うことは拒否していたようだ。
話を随分先取りしてしまった。江戸城開城は多分11月ころなのだろう(笑)。
篤姫と家定との五目並べは、本当に雰囲気がでていた。一つ床に入らずとも語らっているだけで篤姫の穏やかさとか、喜色が見て取れた。そういうこともあったのだろう。
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コメント
篤姫はアフラックのCMもいいですね
毎日のように記事が更新されるとコメントを書くタイミングが難しい。
(箱庭療法)へのコメントをと思っていたのですが・・・。
大河ドラマは見ないのでMuBlogで荒筋を想像しております。
主演の女優さんはテレビ・コマーシャルで毎日のように見ていますよ。
アフラックのコマーシャルでアヒルに背中を踏ませるところなんぞ中々いいですねえ。
女房もこのCMは気に入っているようです。
ところで(箱庭療法)という言葉を初めて知りました。
実は当方は箱庭のような街が好きでしてね。
出身の松山、途中下車した京都、姉が嫁いで一時住んでいた長崎、今隠宅のある国立。
どの街も好きなのですが共通しているのは(箱庭みたいな街)ということなのです。
箱庭の特徴は2つあると思うのですね。
一つはこじんまりとした中に全てがあること。
一つは回りの大きな流れ、動きから孤絶していること。
(箱庭療法)とウィキペディアに聴くと、
(湯川秀樹は幼い頃、盆石遊びをし、その遊びを通して「自分の世界を作っていた」という)
とありました。
嵯峨野方面にも一人(湯川秀樹)してはる御仁が・・・。
投稿: ふうてん | 2008年6月 9日 (月) 11時24分
ふうてんさん、コメント遅くなりました。
体調はよいのですが、相変わらず授業とかかんとか、野暮用が一杯で、返信する気力がわかなくなるのです。つまり、書き終わったとたんに、パタンという趣ですな。
さて、あおいさんのTVCMは見たことないです。要するにTVを見ない生活なので、しかたないです。
箱庭療法の療法部分は、実はよく分かりません。
心理の判定としては、解説があれば、それを了解できますから、妥当だと思います。
療法は、私の感じでは、たしかにやむにやまれず箱庭的営為に埋没するのですが、結果的にはますます病膏肓という所に落ち着きますね。
幼児期(幼稚園ころ)、なにしろ家中麻雀好きでしたから、パイがオモチャでした。なにをしていたかというと、大抵は円形万里の長城を作り、中心に城構えの要塞を作るという、お約束の自閉遊びでした。家の壁を何重にもするのです。こればっかりは、何十年たっても変わりません。
ふむふむ。
湯川秀樹的遊戯となると、ちょっと高尚に見えますね。
ただし、純粋に箱庭を作ったり、遊戯としてのジオラマを作る心のゆとりはまだないです。
焦りがあって、遊戯すらできないのが現状です。
人間とは遊戯するもの、とは誰が言ったのかな?
後鳥羽院さんでしたかは、遊びをしにこの世に生まれてきたとか、詠ったような気がします。
私は、必ず、そこに目的とか意義を持ち込むのが、世間にそまっているというか、ゆとりがないというか、まだまだ悟りきってはいないようです。
投稿: Mu→ふうてん | 2008年6月 9日 (月) 18時18分