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2008年6月30日 (月)

小説葛野記:2008/06/30(月)そろそろ夏だ

今朝
 7時過ぎに葛野について、さっそく屯所の左京マシン1台、研究室の3台に灯を入れた。最近は金曜の夕方から月曜の早朝まで、いつもは夕方から翌朝まで、マシンが寝ている。昔はそうではなかったが、考えるところあってそうした。
 余も夕方になると、マシンの動きが神経にこたえるところありて、シャットダウンしている。つまりは、仕事や研究を中断することになるのだが、鉄道図書館の熟考や、夏期論文の下調べにかえって都合がよい。
 いまどき、マシンなしで仕事や研究を進めるのは大変だが、ものごと、どんなことでも橿原の御代(みよ)をふりかってみれば、電気もガスも水道も、車も鉄道も携帯も無かった時代に建国したという、すばらしい過去歴史があるのだから、ときどきはそういう状態に、自らを置くのも、猿とは異なるヒトの良さだろう。

本日定食
 8時半ころから助勤2名が屯所に来てくれる。一限目は情報図書館学といって、従前鉄道図書館で縁も深い科目であり、これは局長2008と、経理局長2008とが支援してくれている。
 二限目は資料組織2といって、「普通の」冊子体目録をつくる科目だが、これは副長2008と、代打の局長2008とが支援してくれている。
 今週と来週とは、作品提出前の七月だから、毎週の巡回を止めて、一工夫するつもりだが、結局受講生たちはこの期に及ぶと、先生も助勤も無用! 時間がない! 今更指導はいらぬ! という顔つきになんとなくなるのでなぁ(笑)。aries我ら助勤も余も、そっと後ろの影に隠れて、ものを生み出す、そう陣痛のような独特の痛みを、遠くから眺めるしかない時期なのじゃろう。
 一般に、ヒトというものは高機能故に繊細さもある。受験や、恋愛や、就職や、なにかと人生の節目で追い詰められると、周りの助言も、忠告も、そして内からわいてくる自省すらも、すべてが「邪魔、雑音」にしかならず、「放っておいてください!」と、叫び声を上げる。そんなときに、どんな説教も、助言忠告も、まったく役にたたなくなる。
 大体50%のヒトはそうじゃろう。
 そんなときは、50%の対処方は、「捨て置くしかない」となろう。残りの50%は、? うむ、余にもわからぬ、

夏への準備
 例によって、あれもこれも、様々な責務、計画、すべては「時間がとれる、夏にしましょう」と、平常はすごしてしまい、初夏になる。
 ところが。
 最近も木幡研での談笑。「Mu研究員は、夏も春も、結局日頃と変わらず、過ぎていく」という話が話題になった。
 夏といっても、公式行事、倶楽部行事、私的探検調査行事。そして夏期論文、あるいは邪馬台国周遊図書館ジオラマ製作、……。さらに、意外にも(そうでもないか)、来客が一番はげしいのは夏と決まっておる。なにかしら見透かされていて、Muはいつでも葛野におる、という情報が漏れてしまっているようじゃ脳。
 来客の多いのは、3月もそうかな。特に過去の卒業生達は人生の節目を経て、過去を振り返るのかもしれない。
 というわけで、平常以上に綿密なスケジュールをたてて、部屋に鍵をかけて、電気を消して無人のふりして、自製アプリケーションをCPUの燃え尽きるまで、ブン回さなくちゃ。
 一応、自然言語処理過程は、なぁ、他人が想像する以上にマシンを酷使する。冷房を入れて冷やしながらやらないと、うまく行かないことも多い脳。

*さあ
 今日も、今週も、今夏も、今年も、命つきるまで、あれこれ手足と脳とを動かしましょう。
 それが、生きている証。

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2008年6月29日 (日)

NHK篤姫(26)篤姫の決意

承前:NHK篤姫(25)愛憎とプライド

 普段よりも多くの役柄が現れたので、おもしろく見たわりには、全体を描きにくい夜でした。
 いちいち記しませんが、僧の月照は後日に西郷と縁が深くなる。近衛さんだけじゃなく、九条さんも出てきました。

 篤姫は、一橋慶喜を家定に、なお推挙し、家定から「そちだけは、信用できる女と思っていたのだが」と、キツイ反応を見てしまった。島津斉彬が幕府に建白書を出した内容は、開国は幕府と一致するのだが、一橋慶喜を推した内容だったので、大奥にも、各地にも波紋がひろがった。

 朝廷では幕府堀田老中の上京に、開国はできぬと孝明天皇の気持が表にでた。九条家を押す井伊直弼の影響が発揮された。

 薩摩の小松帯刀の立場が弱く描かれていた。
 斉彬が政治的に一橋慶喜を推すためだけの目的で篤姫を御台所にし、建白書によって大奥の篤姫の立場が追い詰められたことの不満を、露骨にだした。「殿を信じる心が揺れています」と。これはないでしょう、と私は思った。政略結婚とはそういうものなのに、なにをいまさら帯刀君、うろたえて殿を疑う。そういう駆け引きの中で最良の成果をだすのが政治なんでしょう? そんな「殿を疑う」などと、子供っぽい考えで、薩摩藩を背負っていけるのかな?

 一方篤姫は、家定の「言い過ぎた」という、優しさの前で、「私は決心しました。紀州も一橋も、将軍継嗣として、本心から、どちらがよいのか分からないので、そのままにしておきます」と。そして生まれ変わっても、自分のままでいたい、家定さまのそばにいられる。と、いうふうな、おのろけもついていました。

 と、以上のようにエピソードが次々現れて、私の中で消化しきれなかったです。
 斉彬は、一橋慶喜の、徳川宗家を守る気概なきことを狙って、ますます慶喜の将軍継嗣を願ったのかも知れない。家定はうつけのふりをして、流れにまかせているのだから、その次は、列藩同盟じゃなかった、大国による合議制に持ち込もうとしている様子が強く表れていた。そこで、やる気満々の将軍がいては都合が悪い(笑)。

 また、来週も観てみましょう。

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六月の花嫁

承前:冬の黄桜:葛野図書倶楽部2001ご隠居新年会

Mufukutyo2003

副長2003の麗姿
 昨日28(土)の午後、祇園円山公園長楽館の一室で、葛野図書倶楽部2001・副長2003の華燭の宴があり、余も駆けつけた。
 宴は二部構成になっており、昼の部は「披露宴というよりも、内輪の会食」と聞き、安心して顔をだした。夜の部は40歳以下の取り決めになっていたので、余は「謝絶」とのこと。ところが、着いた途端に見知りの宗教学者がおられたので、不思議に思い様子をうかがってみると、宗教界の重鎮がそれぞれ寄り集うとのこと。新郎のお家は代々その筋の世界的権威とのこと、余は「はぁ」と目を丸くし、一挙に緊張した。「余には場違いだなぁ」と思った次第。
 そういえば新郎は難解極まる「唯識学」について、ときどき講演に名があがっていた。
 ふむふむ。

 長楽館については、明治の元勲・伊藤博文卿が京都で常宿にしていた由緒ある建物で、格調ある明治のロマン漂う館だった。昼餐のフランス料理もよかった。今調べてみると、ル・シェーヌというネオクラシック調の部屋で、当時の「迎賓館」だったらしい。
 夜の部が、どの部屋で行われたかは知らないが、以前の記憶では二階にもチャイニーズ調の素晴らしい広間があった。部屋数やカラクリでは「暗黒館」(綾辻行人)に及ばないが、相当に多様な部屋があり、非公開:開かずの間もあるようだ。マニア垂涎の館(やかた)なのだ。

 ともかく、長楽館の迎賓館、花嫁の麗姿が絵になって、そこでフランス料理をいただけて、余は満足だった。
 そして、一緒のテーブルに座った若い、どこか深窓の令嬢二人は、よくみると書記局長2003と三番隊長2003だった。そのあまりの変身ぶり、華麗な振り袖姿にあっけにとられて、場所柄もわきまえず昔話に時がすぎた。昼の部に年令制限はないようだった(笑)。

 会話内容抄
 書記「先生は、学生時代、わたしを三度も「この、馬鹿娘!」と、怒鳴った」
  余「そんなばかな、君が頑張っていたのを、今でも思い出しますよ」(と、本心)
 三番「そんなことがありましたねぇ~」(と、邪笑)
  余「お、三番隊長、君はお肉を食べるのですか。野蛮な物は口にしないと思っていましたが」
 三番「とんでもない。わたしは俗世にまみれた女ですよ。肉でも焼き鳥でも、なんでもいただきます」
  余「ふーん? 印象間違いだったのかなぁ」

六月の花嫁と坂本龍馬
 写真の左上は、新郎新婦ともに音楽がお好きなようだ。副長2003がフルートを嗜んでいるとの話は朧げに知っていたが、二人の合奏プレゼントには感動した。
 左下は、ケーキカット。この由来は全く知らないが、セレモニーとして「決」まっていた。あとでケーキをいただいた。
 右上は、花嫁の後ろ姿。これは最初気がつかなかったが、書記局長が「せんせ、あれ、あれを撮らないとぉ」と、そそのかされたので、生まれて初めて花嫁の「格調高い」後ろ姿に気がついた。

 右下の、円山公園「坂本龍馬先生、中岡慎太郎先生」像の掲載は、二つの意味がある。

☆副長2003と坂本龍馬
 副長の人となりは、その親友の書記局長がいつも余に語って聞かせていた。
 「副長は、正気のまま狂う」と。
 そのセリフを初めて耳にしたとき、余はうなずいた。2003年1月頃、二人はまだ3年生だった。倶楽部の大行事が2月の二日にあり、かつ1月は、共同演習「情報サービス」の班長を副長2003が勤めていた。結果として第1席になったのだが、この頃を思い出すと、倶楽部員は総員発狂していた雰囲気だったなぁ。
 なかでも副長2003は別人に見えるほど様変わりして悪鬼の如く(ほんと)、共同演習の仲間を叱咤激励し、同時に大行事の準備を先輩たちとこなしていた。(その先輩達は、これはこれで、卒業論文提出時期だった(笑))。
 いやはや。
 再来年のNHK大河ドラマは「竜馬伝」らしい。坂本竜馬も、幕末を正気のまま狂い走った。青春だね。

 で、次は、初代達のお話。
☆屯所の初代達を坂本先生と一緒に待っていた
 二部構成の「若者の宴」の参加者を三番隊長に聞いたところ、なんと倶楽部2003年の全員とその眷属(賛助会員達)。さらに、先輩にあたる初代達。さらに後輩にあたる2004年次達。
 そのうち何割かは、今年の正月、黄桜新年会で顔をあわせたのだが、卒業以来ほとんど顔を合わせていない局長2003、局長2004も参加とのことだった。
 2003年次組の結束というか、縁の深さには感心した次第。

 そんな多数の顔合わせを知らないものだから、昼食いただいたら、挨拶してさっさと帰りましょう、と気楽な顧問だった。
 (実は、若者の宴に顧問が居ると煙たいから、避けられたのかねぇscorpius
 慌てて余は、とる物とりあえず携帯メルで初めて、メルの同報機能を使い出した。うまく行かない。それよりも、携帯電話には、日頃音信のある初代達や近所のご隠居しかメアドが入っていなかった。さらに、眼前の二人に教えられて携帯をあやつり、ようやく五名をリストしたら、携帯は一度に五名までしか同報できないことを生まれて初めて知った。
 疲れた!
 こんなややこしい携帯メルを、みんなどうしてあんなに自由自在に操るのだろう。不思議だった。

 返事はすぐに来た。一番隊長2001と、局長2002、そして遅れて一番隊長2004からだった。一番隊長2004は局長2004と同行の想像をしたが、返事は「今からでますぅ~」だった。たしか神戸のはず。これは間に合わないので諦めた。初代の二人は、「先生、もう着いたのですか? 私はいま、東京から家に着いて準備中」「今、髪のセット中」、余は一人で爆笑していた。本当に女達は、「外に出るだけで、戦場に出向くほどの準備がいるんだなぁ」と。

 結局、近藤勇と土方歳三と、沖田総司を、坂本先生の銅像でも眺めながら待つとしようと決心し、円山公園を一時間ほど、散歩した次第。どうも、余も夕方にくると思われていたようだ。

 さて、そこで無事めぐり合った初代三人達がどうであったかは、またいずれ、三人のそれぞれの宴があれば、記すことにしよう。
 続く(taurus

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2008年6月27日 (金)

小説葛野記:2008/06/27(金)葛野の夕暮れ

青年達の疾風怒濤時代
 今日もすべて一件落着して、さっきは葛野図書倶楽部2001-blogにコメントを返しておいた。これは責務というよりも、「生きています」という隊員のメッセージに対して、「余も生きておるぞ」という挨拶コメントだね。挨拶は大切だと思う。

 隊員は大体1週間から2週間に一度記事を書く。内容は日々のことや倶楽部のことや、授業にアルバイト、読書と多彩だ。以前は書くのを忘れたり、遅れたこともあったが、最近は順調だ。そして余も順調にコメントを入れている。

 今年のこのルールを作ったのは上級生達とか、一番隊長という職責の隊員のようだ。隊員達がやっていることは、あまり、根掘り葉掘り聞かない方が、事がうまくすすむという経験から、実情を問い合わせていない。

 隊員達は生き生きしていて、おもしろいこともいっぱいあるが、気難しくて対応が難しい所も同量ある。聞き方ひとつで、世界が反転する(嘘)。それは、余の青年期を振り返れば赤面するほど一目瞭然。
(青年期の余は体中に針をとがらせていた時代もあったらしい、と伝聞:今でも、そうや! とは誰も言わないけどな)

 そういう、絵に描いたような若者達の疾風怒濤時代(シュトゥルム・ウント・ドランク)を間近に見ていて、疲労も激しいが、一皮一皮むけて精神が強靱になり視野が高くなっていくのを見る楽しみは、これこそ教師冥利というものだ。昨日のA01は、今日のA02ではなく、一挙にA99になってしまう事さえある。ロボットだと、こうはならない。

ぼんやりと鉄道模型
 最近「嵯峨野鉄道図書館ジオラマ」話をしなくなった。だから、今日も時々机上で図書館改造列車をころがして、夢想していた。ワープロを打ちながら、右手で(左手マウスなので)列車を掴み、「ここ、アクリルの色を変えたい」「この角はヤスリをかけて、見栄え良くしたい」、……「この薄茶色、気にくわない。今度は紺青にしよう」、「書架を作るとなると、5ミリx10ミリになるから、細かいな、目が見えない」などと、独り言しながら夢想している。

 なぜ実際にそうしないかというと、一旦工作に入ると数時間とり、それが今はできない。会議や準備や、授業や授業の準備や、夏期論文関係図書の速読や、あれやこれやで、その上さらに倶楽部員達と授業の話合いをしたり、さまざまな倶楽部行事の進捗をチェックしたり~。

 そう。そんなことは、まともな社会人ならだれでも上手にやっている。
 しかるに、余はどうにも手が遅い、判断、決断に躊躇する。夢想に逃げる。だから、責務完了が遅れる。と、悪循環。これでは、なかなか理想の図書館列車モデルが完了しない~。

 それと、ジオラマ・モデルの大きさは60センチx90センチの小さいものなんだが、これを屯所に広げておくと、多数の受講生がカバンで引っかけたり、無意識に手をついたりで、ハラハラする。屯所にある、重量級の過去提出作品なんかを振り回すと、ぶつかって、あっというまに橋が壊れる、愛宕山がはげちょろけになる、心配でしんぱいで。というわけで天井に格納しているので、まともに列車運行実験もできない状態なのだ。

 夏期を待つか、夢想しかない。
 というわけで、今MuBlogを書きながらも、コンテナ・タイプの移動図書館列車の改良に思いを走らせている。

今日のまとめ
 最近の大学教員は、いろいろな事情で余力が無くなっている。
 書類の数や会議の数や責務が増えてきて、そして授業はますます丁寧にしないと伝わりにくくなってきて、さらに、さらに、……。
 だからこそ。夏期が待ち遠しい。
 授業とか会議が一休みなる。
 深閑としたキャンパス、無人の研究室、思い切り終日図書を読める、付箋を貼れる。マシンを長時間ブン回せる。そして、アクリル製・列車図書館も、めいっぱい作れるぞ。うむむ、夏よ来い!

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2008年6月25日 (水)

昭和の鉄道模型をつくる(29) 米山写真館

承前:昭和の鉄道模型をつくる(28) 酒屋(青木酒店)

29:部品と工作(米山写真館)

2901:写真館「米山写真館」正面
2903:写真館「米山写真館」背面
 写真館が、現在もあるでしょうが、当時各地にあったのは何か理由があったのかもしれません。
 ?
 山梨県に、東海道線の富士駅から甲府まで走る身延線(みのぶせん)があって、その途中の山奥の田舎に私は縁がありました。小学校の頃、当時そこにも「写真館」があったのです。どう考えても、ご当地の人たちには申し訳ないのですが、今から思い出すと、その田舎にあることが、不思議でなりません。
 立派な写真館でした。
 当時は撮影、現像、焼き付けと一連の化学処理は、撮影技術だけでなく、特殊な技能だったのだと思います。少年の私は、廉価な二眼レフカメラを買ってもらって、幅6センチもあるフィルムを装填して、虫眼鏡をあてて模型の接写撮影に夏休みを過ごしていました。撮り終えると、徒歩数分の写真館に持って行き、翌日か翌々日には白黒で、引き延ばしもせず、6x6の写真が手に入ったのです。
 ワクワクしていました。
 いま、雑誌付録の「米山写真館」を手にして眺めています。そうそう、こんなでした。ただし、洋風は入り口のカウンター付近と、スタジオだけだったはずです(笑)。
 明治村にもハイカラな写真館がありました。だから日本各地に明治時代から、あったのでしょうtaurus
 「高田小熊写真館」
 「ハイカラ写真館」

29:鉄道模型の達人/白井英樹

291:白井英樹
 白井英樹(51歳)さんは小学校の頃に鉄道模型を楽しんだことがあって、しかし本格的なGゲージ(標準的なモデルでは、線路幅が45mmもある最大の模型です)に惹かれていったのは、36歳の時、息子さんへのドイツみやげだったそうです。
 私がGゲージを見たり触ったりしたのは、2002年の夏頃でしょうか、名古屋の森博嗣博士の自邸へ公用で行ったとき、生まれて初めて経験しました。細かなことは門外不出のビデオに収めてあるのですが、現在私が触っているNゲージに比較すると、大人(人間)と子猫くらいの質・量的差があります。
 さて白井さんは、そのGゲージを、機関車だと五キロもの重さになるモデルを全部で100両以上お持ちと書いてありました。
 写真には、ヨーロッパのおとぎの国を眺める白井さんらしい人の、肩幅ほどある路面電車が写っていました。人形はドイツの「プレイモービル」といって、風景とセットの多様な人形達(フィギュアというのでしょうか)が、さまざまなシーンを演じていました。
 日常では味わえない、明るくそれでいて幻想的な「おとぎの国」を眺めていると、この世界(笑)も、本当に多様だなぁ、と思いました。

29:AtoZ:(17)ウェザリングで汚れ感を出す

292:ジオラマ/レイアウトの制作(17)ウェザリングで汚れ感を出す
 ウェザリング(風雪汚し、でしょうかね)は模型をリアルにする技術として大切なことのようです。私も、何度か経験しましたが、難しいながらに、それなりに貫禄が出てくるものです。
 実際には、現実の姿を丁寧に観察して、それからとりかかる作業のようです。すでにこの週刊誌でも達人達がその成果を発表されています。
 今回は、模型用塗装スプレーで汚しを出すテクニックが最初にありました。鉄橋でした。想像以上に手間を掛けていますね。それが「忍耐」に見えるのはまだ初心者の証、私。
 1.下塗りにグレーを均等に吹く。
 2.濃い色から順番に、まず「マホガニー色」約20センチから。(濃く吹き付けるわけですね)
 3.やや薄い色、「モンザレッド」30~40センチ離して、まだらに。(下色を塗りつぶさない)
 4.この2と3とを乾かしながら(5分程度)繰り返し、最後に「キャラクターレッド」をごく薄く。

 こういう塗装工程に悦楽というか、極楽気分を味わうようにならないと、鉄人にはなれないようです。
 さて、次の方法は、「アイシャドウ」。しかも、100円ショップのアイシャドウ。黒、白、カーキ、ブラウンなど埃っぽい色を選び、濃色から塗るのがコツらしいです。
 最後にツヤ消しの透明スプレーで粉を定着させ、反射を抑えるとのこと。

 実は、この方法は一度だけ体験しました。しかし100円ショップじゃなくて、模型店でウェザリング用の3色セット、500円程度のものを使いました。高いわけですが、どうやって汚すかの解説文もあったので、ノウハウ代だったと思っています。今度からは、100円ショップのアイシャドウにします。
 ただし、葛野近所には学生がバイトしているので、「?」目点になる可能性もあるでしょうね。
 「キャ、先生もアイメークしてるんだぁ~」capricornus とかね。

29:昭和の『鉄道模型』をつくる

293:昭和の『鉄道模型』をつくる
 今週号には「東京オリンピック」の記事がありました。昭和39(1964)で、敗戦国日本が戦後19年目に東京で開催したのですから、たいした復興ぶりと思いました。今から半世紀近く昔になりますね。別記事には、円谷幸吉さんの悲しい話も添えてありました。
 この時代は、丁度アメリカのLC(米国・議会図書館)がMARC(マーク)という、図書目録情報のコンピュータ化で、世界的な標準仕様を出し始めたころのことです。私が高校生の頃だったんですね。そうマラソンランナー、エチオピアのアベベ選手が走っている写真を一枚持っています。どこかの本に挟んだままです。高校の友人(不明?)が私にくれたものです。

 最初の記事は寝台急行「きたぐに」でした。大阪から新潟までの600キロを走る夜行列車です。で、私は2003年にカナン96という研究会主催で、新潟へ行った時、京都駅を夜中の零時ころB寝台に乗ったわけですが、それが「きたぐに」だったのかどうか、記憶が定かではないのです。
 記事を読んでいると、どうも私は、それに乗ったような~。車窓から眺める日本海の様子は、この記事写真とそっくりだったのです。
 人の記憶は曖昧ですね。わずかに五年ほど前のことなのに。

29:未来の図書館、過去の図書館
日本の車両
 現代の鉄道は、限定的な枠(軌道を走る、動力源がかさばる、鉄道路線土地が必要、長大な駅が必要など)が非常に厳しいです。しかしその枠の中で、JRも私鉄も、さまざまな工夫をして、安全性や快適さ、スピード、恒常性に努力しています。
 最近、実際には見る機会の少ない各地の在来特急列車のNゲージ・モデルを見たり手にしたりして、我が国、鉄道の成熟を痛切に味わっているのです。思いもよらないすばらしい列車が日本の各地を走っているのです。

 しかし安全性についてひと言、記しておきましょう。
 日本の鉄道は「事故を起こさない」前提だけでここ数十年過ごしてきたので、一旦事故が起こると、被害は甚大になります。これはNHKの番組で耳にしただけなので正確さは欠けますが、たとえばアメリカの鉄道は、衝突を前提にして車両を設計している、とのことです。鉄の支柱や、ガードなど、ラリーカーの設計のようだ、と思いました。ラリーカーは深山で転覆し、谷底に落ちても、かつかつ乗員が死なないように、相当に頑強な造りをしているものです。

 で、アメリカの機関車、車両は正面衝突、側面衝突から乗員を守るために、日本の車両に比べると、重さにして大体、2倍以上になるようです。だからスピードも上がらない、燃費もかかります(重油も、電力も)。他方、日本の車両は、「衝突はない」の設計方針で、極めて軽く、多分ハンマーの一打ちで側板が貫通するくらいの薄さ、脆弱さなのでしょう。その代わり、列車自動停止・制御装置など、システム全体の事故防止は、他国に比べると磐石と言ってよさそうです。
 ……
 ダンプカーが側面に衝突すると、日本の車両は、客室空間を零にするほど内部に損傷が発生します。乗客の死亡率は極端に高く、まるでボール紙で作った自動車が、正面衝突したり、横転するようなものでしょう。

公共の図書館列車
 さて話を元にもどしますと、日本の列車は制限の中で多様性が豊かです。各地私鉄、在来線の列車には、未来を先取りしたような、斬新なスタイルで走っているものがあります。
 パノラマ列車、二階建て列車、走るホテル、お座敷列車、トロッコ列車、枚挙にいとまありません。その多様性は、そこにそのまま図書館機能を搭載すれば、現状でもあっけなく未来的図書館が生まれます。

 しかし、ほとんど総てにおいて、脆弱性はアメリカなどに比べると、紙細工のようなところがあって、絶対に事故を起こさない方針に、もし針の先でも穴があくと、壊滅的な惨状をもたらすことになります。
 公共の、あるいは私的なものであっても、図書館列車を現在に、未来に運行させるなら、この点は銘記しておかねばなりません。

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2008年6月22日 (日)

NHK篤姫(25)愛憎とプライド

承前:NHK篤姫(24)篤姫の頓知

 今夜の篤姫は二つのプライドが描かれていました。
 久しぶりに、男社会を先にしるしてみます。

西郷どんと大久保正助どん
 何かのことで(覚えていない)、西郷ドンと大久保正助(明治の元勲・絶対権力者・大久保利通(としみち))は薩摩を出て肥後熊本に行き、西郷ドンはそこの御家老と面談する。大久保も同席し、江戸でハリスが将軍に会った話題が出る。しかし、話の途中で、家老は西郷ドンに目配せし、大久保の退席を求めた。「ここまで」と言った。
 つまり家老は西郷ドンだけにナイショ話を始めたのだろう。
 多分、斉彬の意向を肥後藩家老を通して、西郷の耳に入れたのだろう。

 大久保は、凄惨な顔つきで座敷を出た。翌朝、西郷ドンは江戸、自分は薩摩に帰る別れ際、大久保は笑顔を見せたが、自宅に帰って母親に言った言葉は、「鬼になる」だった。そして母(すぐに由布姫に見えてしまう)は言う、「それなら、わたしは鬼の母になる」と。

 大久保利通は、その後もずっと西郷ドンと行をともにするが、時々別の道を歩いている。……。それを記すゆとりもないが、大久保は近代明治国家で最初の、内務省を設立し、警察権と産業とを掌握し、政治史上でも指折りの切れ者、改革と穏やかな政治進展、しかし鉄の規律、絶対権力を持つに至る。
 西南の役(えき)では、西郷ドンが隠退した薩摩を鎮圧した。西郷ドンは自刃した。後日、大久保も暗殺される~。

 大久保正助どんが鬼になるとは、なんの事だったのだろう。盟友西郷よりもぐっと下役に見られた事への、男のプライドを傷つけた世間に対して、鬼になったのか。あるいは盟友西郷どんへの、底知れない鬼の感情だったのだろうか。まだわからない。しかし、後日明治の元勲として、最高権力者になる冷徹さへの伏線は、今夜張られた。

次に、大奥。おんな達の愛憎
 愛と憎しみは紙一重。表裏の関係。憎む内は愛もある。愛する内は憎しみもある。
 とかくこの世は難しい。
 篤姫が可憐だった。未だ肌も交えない家定を恋慕う乙女が描かれていた。これは不思議な情景でもあった。そういうものなんだろう、とも思った。
 しかしそれは要するに、家定が周りの思惑を払いのけて、突然篤姫の寝所に躍り込み、「そなたとは、気が合うな~」といった、それが真実なのでしょう。

 家定の母、本寿院はなにがなんでも一橋派の篤姫を、息子の将軍に合わせたくなかった。本寿院は、一橋慶喜が次期将軍になれば、大奥は解体し、自分も部下達も路頭に迷うと本気で心配し、かつ、その心配をよそに家定が篤姫を求めるのを、そして自分の前で頭を垂れる篤姫を、愛憎一つになって責めたてた。家定は、そういう母にかしこまって、「これまで母上の庇護で私は将軍になった。~しかし、私はもう大人なのです」と、言い切った。

 さて、問題は篤姫の身代わり同然にされた「志賀」の気持だった。本寿院は滝山を通して、家定に毎夜志賀を差し向けた。家定はだんだん不満たらたらの表情を見せ始めた。
 それを見る志賀の心、あはれ!

今夜のまとめ
 というわけで、すべてがハッピーではなかったのですね。大久保さんは、プライドが傷つき、篤姫は長期間、義母から家定に逢うことを禁じられました。そして側室志賀は、本当は、プライドが傷つくくらいではなかったはずです。悲しみと、なにかへの憎しみも生まれてきそうです。
 人と人との交わりは、そして男女の交わりは、どこにいても、いつの時代にも、難しいことが多いのですねぇ。
 で、「篤姫」。
 政治と愛情と、この二つをどのように描いていくのでしょう。楽しみです。

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2008年6月21日 (土)

小説木幡記:2008/06/21(土)地図の蠱惑

 ここしばらく小説木幡記が続いている。これは「内省の時期」と今朝判定した。
 早朝から余は発表原稿をまとめていた。起床が午前4:30で、いつもと変わらなかった。しかし気がつくと、こうしてMuBlogに、なにかかにかと記事を書きだしていた。cancer

 今朝書きたくなったのは、外へ出掛けたいという強い衝動からだった。しかしその「外」とは、外国へ行きたいとか、仕事を変えたいとか、出奔したいとか、そういう激しいものではない。ごく近辺の、京都なら嵯峨野や町屋や、消えかけの神社や寺や、古い小学校や、迷路のような繁華街の片隅。奈良なら深飛鳥、山辺の道、長谷寺、奈良町、唐招提寺、新薬師寺、と続き。滋賀なら、湖東湖西の「渡来人のふるさと」、高島市、多賀神社、近江・山辺の道、遺跡巡り、と。ささやかなものである。

 行きたいと思うのは、おおよそ「地図の蠱惑・未踏地」になるが、上記にあげた所は、何度も行っているところがあるし、記憶も定まらない昔に行った所もあるので、未踏地というのは正確ではない。だが、あたかも未踏地の如く、心ひかれてやまない。

 この夏期休暇には葛野図書倶楽部2001で、飛鳥に行く算段を、隊員達とすでに始めている。
 この三月に犬山市の博物館明治村へ突拍子もなく行った、その前夜ほどには不安感がなく、参加者達も安定している。隊員、顧問、繁忙の渦中にもかかわらず、来週には観察地を数点に絞るところまできた。

 課題はいろいろある。各自資金、日程、意義の軽重、責務の軽重、さまざまな小さな問題を抱え込んでいる。しかし、なんとかかんとか、幹部達が力を振り絞って先導し、まとまって行こうと努力している。若い人達も、ほとんど全員が明治村紀行を経験しているので、その成功体験が良い方に作用しているようだ。

 余も隊員達の動きを遠望し、近接し、客観視し、そして自らの想念も育もうとしている。
 幸いなのは、隊員八名が全員、岩手・秋田・千葉から富山・福井、そして静岡・鳥取・岡山まで、全国からの京都遊学者達だったことにある。卒業すれば、二度と京都も飛鳥も訪れない可能性すらある。その、切実なところが全員参加の意味としてあるのやも知れぬ。

 「外」へ出掛けたいという今の気持は、こうして、夏期まで待てば達成できることになる。
 それでも待てないならば、京都の町屋を歩き、ひさしぶりの「私の京都」を書けばよいと自問自答するのだが、結局、会議もある、授業もきつい、宿題てんこもり、土日になると眠くて、疲れて、そして他の欲求。「読書したい!」という気持がむくむく湧いてきて、結局は日曜の夕風呂と、NHK「篤姫」で一週間が決着する。

 平成20年に生き、市井に溶け込んだ一大学教授の実態が、ここにある。うははは(と、哄笑)capricornus

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2008年6月20日 (金)

小説木幡記:2008/06/20(金)近況と反省の日々

 どうやら昨日のMuBlogを休んでしまったようだ。
 ここずっとよく眠り、美味しくいただいて、元気はあるのだが、MuBlogを書けないくらいに諸事、忙殺の渦中にいる。もちろん、忙しいと逃げるのは無能の証と分かった上で、なお忙しい。

 なにが忙しいかと言えば、脳内の整理に時間がかかるということだ。日々、反省ばかりしておる。これもやり過ぎると自責自罰の、お定まりの鬱状態と言えようが、それともニュアンスが異なる。
 「鬱」については一家言あって、これは生まれたときから「鬱男」の異名を持つくらいだから、日常の風景だ。恥も外聞もなく言ってしまえば、鬱に余の美質があらわれ、それが余の人格そのものなのじゃろう。眉間の縦皺は少年期からくっきり刻み込まれた「鬱の紋章」、うははは。まるでサオトメモンド世界!

 (注:昔、そういう役者がおって、ことあるごとに、眉間の三日月刀傷を指さして、独特の笑い声で悪の豪商やお代官さまや、旗本達を「この、虫けらどもめ」と、打ち据えていた。東映映画やった。その息子さんは、今度のNHK大河ドラマで、勝海舟の役をもつようだ。ウギャギャガァ)

 何を反省していたかというと、それは全部。
 会議の席にいる時も、書店の人と話しているときも、同僚達といるときも、人のblogを眺めるときも、葛野図書倶楽部2001のいたいけない学生達と会議しているときも、鉄道図書館を制作しているときも、読書しているときも、ようやく夏期論文の数行を書き出したときも、日曜作家しているときも、……。

 人のふり見て我がふり直せ。
 こんな単純極まる、幼児期に祖母にきつく戒められた格言を、今になって毎朝毎日、眠る寸前まで「ちゃんと、できているだろうか」と、反省の日々なんじゃ。

 会議で、他の教授がなにか意見を出す。秒間をおかず「馬鹿くさい、なにを今さら」と毒づく。しかし、数秒後にその教授の考え方、おかれた立場、全人生が走馬燈のように頭をよぎる。「余が彼の立場なら、彼以上に上手な考え方や行動ができるじゃろうか? いや、出来ない」で、ムムム。

 他人のblogを読んで、「こいつ、アホちゃうかぁ~」と、コンマ以下秒で反応する。しかし、数秒後に、「じゃ、MuBlogはどうなんや」と、深い反省の海に潜り込んでいく。書けない! となる。ムムム。

 日頃粉骨砕身、倶楽部を運営している学生達の、ちょっとしたミスを深く詰る、数秒後に「じゃ、余の20代、どうじゃった?」と、走馬燈のように当時が脳内に甦る。「とてものこと、こんなよい子じゃなかった。危険きわまりないことを、人目も憚らず、平気でやっておった」と、反省。とたんに、深い深い郷愁と自責とに包まれる。ムムムじゃのう。

 表にださない数多くの読書をしている。いちいち「こんなんで、よう糊口をしのいでおるな、よう作者名、研究者名を臆面もなく出せるなぁ。恥知らず!」と、毒づく。数秒後、「しかし、余はこんな風にさえ、書けない」と、失意。そして、なにも言えなくなって、巻をおき「わすれよう」とする。ムムム。

 ~

 人の振りを見て、それを糺すよりも、自戒自責に走るのは、これは「鬱」の証じゃろう。
 適度に世間を、人を貶して、ほどほどに生きるのも肝要なり。

 そういうわけで、適度に貶してきた知友や同僚や歴代倶楽部員や、わが「教え子」達に告ぐ。いま、人生反省の渦に巻き込まれているMuこそ、「ねらい目」じゃ。積年の鬱憤をはらすには、この時期を逸しては無い、ぞ。
 予定では、七月ころからは、あらゆる反省、自責をうち捨てて、奔馬のごとく、超高速宇宙船Muのごとく、大空を突き抜けていく。その時になって、ああやこうや言っても、聞く耳もたぬぞえ。

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2008年6月18日 (水)

小説木幡記:2008/06/18(水)プログラミング考

 畏友のふうてんさんが「2008・6・15 梅雨の晴れ間に篇」を書いたので余もコメントをいれた。

 するとほどなくしてMuBlogの記事には、余のプログラミング考をあまり見かけないが、余は以前どのようなプログラミング設計手法を用いていたのかという、ご下問がござった。
 というのも、30年も昔になろうか、余は某社新鋭の、FM-TOWNS開発課長「ふうてん」さんの指導のもと、一介のLuna企画開発部長として、なにやかやとゲームやらデータベースシステムを、名機FM-TOWNSのCPU上で作っておった。そんな縁がある。

 しかしこの件は、たしかFM-Gearsとかいう、いまでいう、強力なプログラミング機能を備えたプレゼンテーション・アプリケーションに入れ込んでしまって、いっかなふうてんさんの所望の作品ができなかったという、苦い記憶がある。ここで伏線を明かすなら、余がやれ恭仁宮の、紫香楽宮の、そして近いうちに「大仏の」「平城京の」とMuBlogに記すのは、ひとえにこの苦い記憶、負い目を解き放ちたいという、一種の、青年晩期への挽歌じゃなぁ。と言っても、その内実は誰にも分からぬ。うはは。

 さて。
 たびたびこれはしるしたが、Pascal系のTrubo-PASCALが余の最強の得物だったが、皮肉にも、いわゆる糊口をしのいだのは、BASICであり、スッピンのCであった。いや、記憶が蘇った。他の研究会で最強・主力兵器にしたのはModula-2じゃった。この言語による作品は学術的なものだったので、一般の目には触れていない。

 それで、プログラミング設計手法。
 昔の事例で申すなら、手続き型言語では、関数(function)と手続き(procedure)という二種類の部品化手法でモジュール(ひとまとまりの仕事)を作って、それを組み合わせることで、一式意味のある作用をするプログラムができた。現代は大規模工場生産が主流だから、そのあたりの筋目が見えず、複層する絡みの沼に足を突っ込んでしまう。ことの起こりはオブジェクトオリエンテッドという考えがあったようだが、今のことはもう分からぬ。ただしかし、Modula-2というのは、その原型だったのは間違いない。ヴィルト先生が開発した言語でした。

 ……(遠い目になるな)
 それで、現代のことは放念して、そのころの設計手法じゃが。
 ……(胸がつまるな)

 これがおどろくなかれ、まるっきり日曜作家と同じで、設計図らしきものがなきに等しい。
 ただ、今にしておもえば、高校の数学を思い出して作っておった。ものごとが複雑になってくると、それをひとまとめにして、ラージXというか、別名で置換して使う手法だな。

 Pascal系は、すべての手続きや関数を最初の main 部分で披瀝する手法だ。だから、置換しつくすと、最後の主プログラムは、以下のように単純極まるものになってしまう。

主プログラム
  begin
   あれせい;
   これせい;
   ついでにこれもやれ;
   もういいか?;
  end.

 注意したのは、極細部と大局とのバランスじゃった。これも日曜作家と変わらぬ。ともかく、なにがしたいかは大体イメージにあった。たとえば、ゲームなら、地図上をあっちらこっちら歩き回って、事件に出くわして、情報をえて、ゲームしている人は自分がなにをすべきなのかが、だんだん分かってくる。そう、RPG。ロールプルレイングゲームのはしりだな。これが大局観。

 そして、地図上の人間もどきが事件に遭遇したのをどうやって判定するのか、などなど細部を事細かに考えること。これがプログラミング技術とか、当時なら開発マシン毎にだいぶ異なってくる。
 大局を考えながら、細部を造り込む。技術的にデッドロックにぶちあたると開発が停まる、幾何学や代数学の問題を解くように、時間がかかる。ひらめく。まったく別の手法が。熱中し、完成する。
 すると。
 大局を忘れてしまって、大局がその細部によって変成してくる。……。

 余の日曜作家はまさにこうであった。
 ということは、プログラミング手法も、おなじく行き当たりばったり。どんなものが出来るかは、まるっきり分からないことも多い。現代の大勢が関わる工場開発手法では許されないことやね。

 ただし、プログラミングにおいては最低のルール、つまり後日の他人である自分自身が数ヶ月後、数年後にも自分で分かるような「流れ」アルゴリズムを使わないと駄目だ、ということは20代末に分かっておった。それは、やはり苦い経験の上でのことじゃろう(昔のことを類推)。

 基本は、repeatという命令に代表される、一連の作業全体の繰り返し(ループ)。
 その中でさまざまなスイッチング(切り替え、具体的には処理系による)で分岐させる。
 それに尽きた。
 さらに、クセとしては、「再帰」リカーシブというのかな? それを多用した。
 それは効率が悪くて、スピードも落ちるが、清明さでは優れていた。
 ともかくそこら中、再帰手法だから、あとで余には、よく分かる!

過去のプログラミング手法のまとめ
  なにが出来るかはわからない。だから、担当さんが「ふうてん」さんみたいな人でないと、潰れる。
  しかし、イメージはしっかりある。雰囲気だな。
  「こうなる」と、余の脳には明瞭にあった。ただし、それが毎日変化するということ。

  行き当たりばったりだが、最低限のルールを持っていた。
  ああして、こうして、こうなって。
  これは逆転できない。こうなって、こうして、ああして、とはならない。地道な積み上げ。
  そして、次々と置換して、名を与えメモリの海にモジュールを浮かしていき、
  さらにモジュール間で連絡船を造ったり、橋を渡したり、トンネルを造ったりして、
  各モジュールを繋いでいった。
  つまり、基本的なアルゴリズムは、多重ループ内でのスイッチング手法。
  さらに再帰手法。

  というわけで、細部にとらわれながらも大局を思い出し、
  一度動いたアルゴリズムも大抵は再帰手法にかえることで、構造を分明たらしめた。
  つまり、変換することで、善し悪し、無駄がよくわかってくる脳。

 そんな方法で、昔男ありき、なにやらシステム開発のはしりに、身を寄せておりましたなぁ。

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2008年6月17日 (火)

小説木幡記:2008/06/17(火)今朝の感動・森KY話

KYと折り合い
 時々作家森博嗣博士の記事に感動する。いつも感動するほどウブではないが(笑)、今朝は「なるほど」と手を打った。(2008年06月13日(金曜日)HR

 つまり、KY(空気よめない→空気よまない)ことを否定的にとらえることが、各人(特に少年少女)を苦しめているということだろうか。むしろ森氏は周りの空気を読むことしか、しない出来ない、空虚な生き方を戒めている、と味わった。

 一番気に入った箇所を引用する。

 基本的なことで一つだけ言いたいのは、他人をそんなに気にするな、ということだ。空気なんか読めなくても良い。自分の好きなことをすれば良い。ただ、自分の好きなことをするためには、少々周囲と折り合いをつけなければならない。自分のためだと思って、それくらいは我慢しよう。そう、すべては自分を生かすためだ。そう考えるのが一番納得ができるのではないか。あまりにも、「人の気持ちを考えろ」みたいな綺麗な言葉で、子供たちを脅かしすぎていないだろうか。

 なにが気に入ったかというと、「自分の好きなことをするためには、少々周囲と折り合いをつけなければならない。」というとても現実的な対処方を併記しているところだ。この、小さく強力な枠がないと、失敗し崩壊する。理由は単純で、100人おれば100人の自由奔放思考、極端にいうなら勝手気ままがあるのだから、うまく行くわけがない。しかし周りの思惑、空気ばかり読んでいたら、何もできない。常に相反する「気持」が渦巻いているのだから。
 その折り合いを付けながら好き勝手に生きるのが、一番幸せなんだろう。
 その為には、工夫や洞察や、振り返りが必要となる。

 そういう非常に高度な知的感性的生き方は、残念ながら教科書がない。変なビジネス対処教科書を読むと、死ぬほど沢山の常識や業界常識や機嫌取り工夫に絡みとられて、身動きできなくなる。
 もちろん森氏は「人生読本」を書いているのじゃなくて、きっと、好き勝手に生きた軌跡を時々メモっておられるのだろう。そう、おもっておこう。(思うのは余の勝手じゃわい!taurus

追伸
  引用記事の内、山積みのマイナス要因で自殺しそうな人でも、無関係なプラス要因を一つでも見付ければ、生きやすくなるという趣旨があった。これも感動した。私事ながら(笑:blogは私事なんだよ)、余もマイナスのプールに浸かった人生じゃが、好きな「犀川萌絵ミステリィ」を読み返すと、暗黒世界が反転し、人生明るくなるのう。aries

  MLA(森博嗣blog)を読む人に、NHK大河ドラマを観る人は絶無だろうが、数回前に、幕末の老中筆頭阿部正弘がヒロインの篤姫に、初めて心の底を漏らした。「長い人生。人の話ばかりうなずいて聞いてきた。自分の思いを一度も見せず、行動もしなかった」と。「みんな勝手すぎる!」と、死期のせまった阿部老中(草刈正雄)は吐き捨てる。そして、死の直前、水戸斉昭に初めて反抗する。「今、異国と戦っても日本は、勝てません!」と。さすがに御三家のガンコ爺さん斉昭(なりあき)も、その迫力に負けた。「阿部殿がそう申されるなら、確かなこと」と、納得した。人生、空気を読みすぎた聡明な阿部老中は、最後に意見を押し通した。なにかしら、余は感動した。

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2008年6月15日 (日)

NHK篤姫(24)篤姫の頓知

承前:NHK篤姫(23)慶福(よしとみ)と慶喜(よしのぶ)

 今夜は異国人に会うことを嫌う家定に篤姫が智慧を授けた。立礼をおしつけるハリスに、畳を十枚ほど積み上げ、その上に椅子を置き、征夷大将軍徳川家定が座る趣向だった。策は当たった。

 しかし、篤姫が、一橋慶喜の同席を将軍に依頼したことが、姑・本寿院にもれて、篤姫は彼女から折檻(笑)を受けてしまった。

 家定は篤姫に「わしのカンじゃ。慶喜は国を、徳川を見守る気持がない」 だから、ますます嫌いになったと本心を告げた。あくまでドラマのことだが、慶喜は聡明であっても、すべてのことを他人事とすませる冷血漢だったのだろう。君主の器ではない。自分自身の安逸以外は、じゃまくさい、どうでもよい、と思った人かも知れない。と、ドラマでは描かれ始めた。と、それほど慶喜役はうまく演じていた。そう言えば、新選組!!! での慶喜役もはまり役だったなぁ。

 篤姫と家定は、開国攘夷について今夜は核心にふれることを相談しあった。家定は、篤姫に男勝りの政治感覚を発見した。篤姫が朝廷の動向を家定に示唆し、時の天皇が開国を嫌っていることを匂わしたからだろう。

 ところで。
 篤姫、今夜も魅入ったが、篤姫のおとめ姿からの脱皮は夏頃までかかるだろう。上手な雰囲気だが、物語の進展上、まだ少女らしい底抜けの明るさが見え隠れする。黒雲に包まれたとき、智慧と勇気と根性で、それを切り開いていく成熟の過程に、篤姫の面白さが倍加することだろう。

追伸
 将軍のお渡りが途絶えた側室お志賀さんの暗鬱がよかった。折り紙の鶴を数百(現在500以上、千まで作るらしい)座敷にならべ、家定を恋うる姿が鬼気迫っていた。

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2008年6月14日 (土)

小説木幡記:2008/06/14(土)徒然に

 木幡記タイトルをみていて、文学づいてきたかな? と自笑した。
 徒然に、だってねぇ。とぜんに、と読む若者もいるじゃろうな。つれづれに、ですぞ。

 いつぞや余は5~6冊の読書をしていると記した。実は昨日その一つを終えたので、また別のものを探し出した。

☆ たまには読書。
 秘すこともないので、昨日完読した図書をあげておこう。
 暗黒館の殺人/綾辻行人(新潮社の特装判。2004年9月初版第一刷、5619円)
 本来なら感想を即刻記すのだが、少し迷っている。
 完成度は最高、読書中の印象も最高、内容最高、映画にしたらユリシーズみたいに文藝の香り豊か、なにもかも最高。
 だが、感想を書きにくい。
 理由は、京極夏彦『姑獲鳥の夏』を最初に読んだときと同じ。
 読書中、3ヶ月ほどかけたが、ずっと夢見心地だった。そして、第28章に困惑した。この終章は、余を惑わした。惑いの檻に押し込められた気分がした。ここだけ読まなければ良かったと、思っている。綾辻さんは、ミステリだからこの章「封印の十字架」を追加したのだろうと、深層を忖度した。純粋小説ならなくても完成品だね。

☆ 本日土曜日。
 極早朝から葛野にでかけた。午前七時半到着。それから午前中一杯をかけて来週の授業準備をすべて終えた。(働き者や!)来週は地獄の会議が盛りだくさん、絶息しそうな週になるのでな。
 助勤二名(副長、書記局長)が10時には屯所で助勤仕事を始めていた。まこと、精勤なり。月曜に共同演習祝祭「煉獄の中間発表」があって、助勤は適切な質問、アドバイスを発表者に投げかける事になっている。
 慰労の言葉をかけておいた(言葉とは、重宝なものよのうtaurus)。

 午後は、トミーテックの「神社」(1/150縮尺モデル)を組み立てた。写真を撮って掲載しようと思ったが、止めた。モデルは素晴らしい製品だが、「叩きモデラ」と自称するかぎり、少しは常の物とはちがった完成を目指さねば名がたたぬ。パウダーまいたり、植樹したり、お祓いしたり、もう少し時間をかけてお披露目しよう。例の如く、昭和の鉄道模型と同じ会社製品だから、ウエザリング(古色、汚し風)とか、組立精度はほれぼれする。だから、短時間ですんだ。これもストレス解消だな。

 ただし問題は残った。実はこの「神社」、今夏の邪馬台国周遊図書館ジオラマの中心ストラクチャ(構造物)にする予定なのだが~。三輪山をご神体とする三輪明神・大神神社(おおみわじんじゃ)には本殿がなく、拝殿だけの特殊構成なのだ。御山がご神体だから、神の座ます館は三輪山になる。
 モデルにはちゃんと拝殿の後ろに本殿があり、千木は垂直に切った外削ぎ形式だった。境内全体がなんとなく、近所の御香宮(MuBlog記事)に似ていたが、全国、そこそこの規模の神社はこのモデルで代表されている形式なのかもしれない。
 さて、どうするか。数ヶ月考えてみる。

☆ またまた読書ほか
 一息ついて締切せまった論文(報告書だな)を再読始めた。すーっと、眠くなる。まるで学生と変わらない。自分の書いた素案を、別の余が書き直すのだから、眠くなって当然だな。
 約1時間かけて目途が付いたので一旦筆をおいた。この余力が大切(笑)。

 次に、夏期論文のテキストファイルを木幡でもそろそろ使いたいのでフラッシュメモリに複製。作業しながら、またファイルを読み出した。ふむふむ。相変わらず難しい漢字が多い。

 『日本の美術史』は半分まで読み終えた。時々、20代に読んだ芸術新潮を引きずり出して確認したくなる。余の知らない仏様がずらずら出てくるのでな。ただし、聖林寺の十一面観音はまだしっかり覚えている。といっても、二度か三度お参りしただけだが。
 で、今木幡でうしろを振り返ると、本箱に『十一面観音巡礼/白洲正子』新潮社、昭和50年のがあった。物持ちの良い余であるな。カラー写真で十一面観音の横姿が写っていた。

 というわけで、葛野ではいよいよ夏期論文も本格化してきた。今年は早い。きっとよい成果がでるじゃろうcancer

 で、葛野も夕方になったので、帰還した。
 途中だるくなったが、結果的にはよい土曜日だった。ルーチンワーク(授業準備)、工作(教材研究)、読書(純粋研究)と、いうことない三拍子そろった一日だった。
 と言うわけで、明日日曜日は爆睡して怠惰にすごそう。神仏も許して下さるじゃろう。

追伸: 暗黒館が終わったので、大仏建立というのを読み出した。なかなかに、よいぞ。

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2008年6月13日 (金)

昭和の鉄道模型をつくる(28) 酒屋(青木酒店)

承前:昭和の鉄道模型をつくる(27) 薬局(大内薬局)

28:部品と工作(青木酒店)

2801:酒屋「青木酒店」正面
2802:酒屋「青木酒店」斜め上
2803:酒屋「青木酒店」背面

 最近Nゲージ・モデル、それはつまり縮尺では1/150が普通ですが、小さな模型を触っていて感動することがあります。最初は「良くできているな」とか「精密だな」程度の気持だったのですが、自分で実際にNゲージの列車を改造する経験をもったせいか、「自分の力ではどうにもできない」という感嘆が重なってきたのです。
 写真の青木酒店の正面姿を見ていると、看板の文字使いに引き込まれそうになります。玄関の磨りガラスの仕様に驚愕します。
 顕微鏡下の世界とは言いませんが、虫眼鏡の世界だと、はっきり分かります。Nゲージ列車の改造にも、ここまでの細部を必要とするわけですが、私はすでに諦めていますsnail

28:鉄道模型の達人/黒澤保

281:黒澤保
 水を沸騰させて蒸気にして、それを加熱して加熱蒸気にすると、水蒸気の体積が増加して、蒸気機関を効率よく動かせるようです。そういう現実の仕組みを、HOゲージの蒸気機関車に組み込む技術は、科学技術の結実ですし、個々制作者の力量によるものだと思います。
 HOゲージは縮尺が1/80ですから、Nゲージ一般の1/150よりは大振りですが、まだ細かな虫眼鏡世界です。写真に写っていた蒸気機関車は全長25センチという小さいものです。本体は安達製作所のC62真鍮キットとありましたが、そこに黒澤さんが自家製の蒸気機関(ライブスチーム)を造り込んだ作品でした。
 さらに驚いたのは、現在1/120(レール幅9ミリ)、Nゲージの兄弟みたいなスケール(縮尺)で制作されているという追加情報でした。
 つくづく、世界は深くて広いという印象を持ちました。

28:AtoZ:(16)マスキング&塗装に挑戦しよう

282:ジオラマ/レイアウトの制作(16)マスキング&塗装に挑戦しよう
 つまり先回の塗装話の続きですが、さらに塗り分けをするときに、最初に下地色を塗って、それが乾いたらその部分をマスキングテープ(隠しテープ)で隠して、二度目の色を塗って、乾いたらテープを外して、二色塗りとなるわけですね。
 マスキングテープ自体は幅広のを数本私も持っています。1センチ~3センチの幅広です。

 ところがこれ、苦手なんです。大抵はテープがずれたり、隙間に塗料が滲み込んだり、テープを外すとき両色とも剥がれたりと、ろくでもないトラウマが一杯甦ってきます。どれもこれもあわて者、我慢が足りない男の悲哀ですね。いずれもプラモを触っていた頃の大昔の記憶ですが、現在やってみても同じ結果になることでしょう。(記憶を消しているだけで、今年の2月頃、失敗した記憶がうっすらとあります)

 余談ながら、Nゲージ・ジオラマで、「鉄道図書館列車・教材モデルを作る!」 と意気込んでいる割りには「下手な模型」「叩きモデル」と自嘲する原因は、細密仕上げが苦手、塗装関係が苦手と、まるで勉強読書実験研究嫌いの研究者みたいなものですchick。後者は全部好きですが、模型の細部組込は、ため息がでるほど下手ですなぁ。下手の横好き。

 一つ勉強しました。ICテープ。
 ICテープの名称由来はネットでも分かりませんでした。本号記事では、模型のプラットホームに黄色ラインを引くとき、塗装じゃなくて幅1.8ミリの黄色ICテープを直接張り込む実例がありました。以前、私はサンドペーパーを道路に見立てて中央ラインを、「5ミリ幅の修正テープ」でごまかした事があるのですが、5ミリだと原寸75センチの中央線になって、メチャクチャなスケール感覚でしたなぁ。
 修正テープを使ったのは、ICテープの存在を知らなかったからです。今回の記事でネットを捜してみたら、細いラインを引くのに便利な用品として定番のようでした。画材店とか大型ショップに行けばあるらしいです。

 それで、マスキングとICテープ。
 別記事をみたところ、この細いICテープを列車の色彩横線に使う事例もあったのですが、さらに張り込むのじゃなくて、ICテープ自体をマスキング・テープにしている作例もありました。
 いやはや、世界は深くて広いですねぇ。

28:昭和の『鉄道模型』をつくる

283:昭和の『鉄道模型』をつくる
 昭和39(1964)年に東京と大阪を4時間(3時間10分)で結んだ「新幹線」開業記事が印象に残りました。丁度高校生でしたから、東京という遠隔地への感傷が残っています。考えるだに当時の国鉄技術の高さに目眩がします。
 ところが「鉄道廃線跡」記事には「東海道本線旧線 膳所~稲荷」があったので、その比較に心を惹かれました。京都駅と大津駅とは、普通列車の場合、東山トンネル(在来線)をあっというまに通り抜けて山科駅に着き、さらに(現)逢坂山トンネルを抜けるとすぐに大津駅に着きます。

 新幹線はやや南に向けて東山トンネル(新幹線)をぬけ山科盆地に入り、さらに長い音羽山トンネルを通って大津市の瀬田川を超えて米原方面へ駆け抜けていきます。

 要するに山を▲であらわすと、京都市▲→山科(京都市)→▲大津市、最低二つの長いトンネルが必要なわけです。ところが、明治13(1880)~大正10(1921)の頃には長いトンネル(隧道)を開通させる技術力がなくて、東海道線は京都駅から現在の奈良線を通って伏見神社の稲荷駅に南下し、そこから名神高速道路に近づき、峠を越えて(府道35)山科盆地に入り、さらに北東に向けて現・京阪京津線の大谷駅(大津市大谷町)あたりまで地上を走り、最後の難関、旧・逢坂山トンネルを664mも、日本人だけの力で、機械なしのノミやツルハシ手作業でくり抜いて、ようやく大津市、膳所(ぜぜ)駅にたどり着いたようです。この間、1時間はかかったようです。現在なら山科駅で止まっても10分です。

 この記事に惹かれたのは、京都と大津を昔の東海道線が大迂回していた事実におどろき、そしてJR稲荷駅の、煉瓦造りのランプ小屋を若い頃から見慣れていたのに、その意味を理解していなかったことに気付いたからです。
 幾つになっても新発見が続出し、わくわくします。今度伏見稲荷に行ったときは必ず旧国鉄のランプ小屋を観察したいです。
参考
 旧東海道本線(京都駅~初代大津駅)→大正年間の古地図が掲載されています。
 旧逢坂山隧道→なぜ旧線が伏見稲荷まで南下したかの詳細な解説がありました。

28:未来の図書館、過去の図書館
 図書館法という法律があって、公共図書館はその法の下で運用されています。限定的用語として「司書資格」を持った「司書」も、この法の下で規定されています。私は、図書館を語るとき、一般に司書という言葉を使います。しかし図書館法での司書と、一般用語の司書とは違いがあるわけです。

 たとえば、ヘルダーリンというドイツ19世紀の詩人は、晩年精神が黄昏れて、塔の中に半ば押し込められた生活でしたが、伝記では、「司書殿」と呼ばれると、笑顔がもどったようです。当時(も今も)、ドイツなど、ヨーロッパでは司書は尊敬されていました。しかし詩人ヘルダーリンが司書を務めた形跡はありますが、チュービンゲン大学神学校で、司書の課程があったかどうかは、分かりません。多分なかったでしょう。
 私は長年、詩人ヘルダーリンは司書でした、と人にも言い、自分のイメージとしても持っていました。ここでは、「司書」という翻訳を私も、研究者も「図書館法の下の司書」とかは、考えていないわけです。

 さておき、日本ではその図書館法が若干改正されたので、大学で司書の資格を得るための授業科目にも変化がでてきます。実際には、そういう細部は平成22年4月1日の文部科学省令で決められることなので、まだほんの少し時間があります。

 ここで、司書になるための授業科目がさらに充実すると仮定しますと、それはどのような方向にシフトしていくのでしょう。勿論、学会とか様々な委員会で、先生達が意見を述べあって、また図書館の団体の人たちとも相談して、そういう結果が省令に反映されることでしょう。すでに、何年も前から、「司書の資格内容をどうするか」が、話し合われてきたわけです。

 私は、どのような司書卵を育てるかについて、大枠をいつも考えています。
1.まず教養豊かであることが大切です。教養とは全人格が活発に働き、自らを作り上げいく経過の産物と思っています。読書を通して、世界を確認するのが教養を豊かにする王道です。しかし、小難しくなるので省略。
2.ディジタル情報の操作、識別、採取、評価、加工、データベース化などの基本素養が求められます。
3.紙図書を中心とした歴史的資料・情報の取扱や読み取り能力などの基本素養が求められます。

 この三つをバランス良く育てるための授業科目と実習が必要だと考えています。
 知識として大切なのは「歴史」です。歴史には現代史まで含めますから、森羅万象が含まれます。たとえば、科学史を心得ておくだけで、現代科学の一般「司書」としてはずいぶん活動が楽になります。司書に求められる本質的なものは人類史に関する見識だと思います。

 人類史は文明の蓄積と破壊と継承にあります。
 図書館は収集と蓄積と整理に機能の深層があり、これは過去から未来への継承です。そして、役に立つ表層的機能として、現今の利用・サービスがあります。
 図書館や司書の位置づけとは、人類史、文明史全体の中でとらえる必要があると思います。そういう見識を持った司書が生まれてくることを、私は願っています。

 (ここで話のオチとして、人類史の向かうところ、形ある図書館を想定するなら、移動読書・静止読書の自由な、鉄道図書館列車が帰結点です、と書きたいところですが、それではあまりに我田引水のそしりをうけそうなので、止めておきましょう)

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2008年6月12日 (木)

小説木幡記:2008/06/12(木)歌を忘れても

 日常のよしなしごとに倦んだとき、歌を詠う人生だったなら、こういうときに良いだろうな、と思ってしまう。
 と言っても、現代詩を書いたこともないし、短歌や俳句を作った覚えもない。
 それに日常に倦んだといっても、飽き飽きしたわけではない、肌がちくりと刺されるほどの軽い倦怠感。体調の都合なんだろうと分かってはいる。そう言えば、持病で身体がだるいaries

 高校生の時、先輩にあたる、つまり悪友の家庭教師の京大生(土木工学だったな)の下宿にみんなで遊びに行ったとき、斎藤茂吉の岩波新書上下を勧められた。『万葉秀歌』だった。
 柔軟な頭脳の十代のうちに、万葉集とか勅撰集なんかの名歌を諳(そら)んじておけばよかったと、ため息混じりの後悔をしている。歌のリズムとか背景は、そのころまでに身体に染み込ませておかないと、それから数十年後の今夜、「歌」と思っても、身内からなにもでてこない。
 やきもきする。

 論語なんかの素読も十代までに、宗教もそのころまでに、芸事の家元に生まれると三歳ころから、心身に染み込ませることが多いようだ。歌もそうかもしれない。
 とすると、世間を見渡して、歌を忘れたわけじゃなく、歌をしらない心身のまま歳を取っていく人生が多いのだろう。頭のよい成人をみていると、歌など知らなくても、歌わなくても、一見充実した生を過ごしているように見えるが、詰まらなく思える。

 余は今夜、詠いたくなったのだ。でも、詠えない。
 コンピュータで日本語を操り分析していると、言葉のカラクリ、言葉の組み合わせに還元できると思うこともあるのだが、それでも、「歌」一首歌いたいと、思う夜がある。

 右手を伸ばしたら『萬葉集名歌選釋/保田與重郎』があった。ページを無造作に広げると気を惹く歌があった。
 草枕 旅ゆく君を 人目多み 袖振らずして あまた悔しも (十二巻)
 現代なら新幹線とか空港で、雰囲気が合いそうな歌だった。しかし袖まで派手に振らずとも、小手を小さく振って惜別の情を伝えることもできそうだ。人目があるから袖ふることも出来なくて残念悔しいというのは、送る側が大勢いて、人には知られたくなかったのだろうか、と想像すると切ない話だ。

 余が目に止めたのは、単純な「草枕」という枕詞が好きだから。このマクラコトバというのは、解読が難しいから、ただそういうふうに自然に言葉が口からでて、後に「旅」が続くものだと思ってきた。一時は「旅」を詠いたいから草枕と詠ったものと思っていたが、今では、そうじゃなくてきっと「草枕」と口にしたとたん、頭の中や心の中が「草枕」で一杯になったのだと、感じている。後の「旅」は理屈言葉なんだろう。
 ただ、クサマクラと情感があふれ出してきたのだろう。

 余も「草枕」と言いたくなるが、どうにも後が続かない。現代人だからなのか、それとも十代までに歌を身に染めてこなかったからなのか。そうだきっと、歌心を忘れているからなのだろう。

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2008年6月11日 (水)

邪馬台国周遊図書館ジオラマ(1)レール・レイアウト

承前:小説木幡記:2008/06/02(月)邪馬台国周遊図書館の幻視

最初のレール・レイアウト

最初のレール・レイアウト
 昨夕、邪馬台国周遊のレールを初めて仮設しました。設計図の通り、90x120センチの空間に収まりました。
 もっとも、最初に示した内容とは微妙に違いがあります。
 技術世界の問題なので詳細は省きますがメモは残します。
 TOMIXのレール(ファイトラック)のうち、ポイント(線路切り替え機)が店頭から軒並み消えていたのです。数軒の販売店を回りましたが皆同じでした。
 軽く、「ネットで購入しよう」と思って探索したら、そこも無くなっていました。
 ようやく、TOMIXのサイトを見て、事情がわかりました。
 生産停止、6月新出荷、9月新出荷、とほとんど全部のポイントの在庫が無くなっていたのです。
 ふと思ったのですが、中国での生産なので、もしかしたら地震その他の影響で、出荷が遅れる可能性も想像しました。悪くすると年末までずれ込むかも知れません。

設計変更
 店頭に、実は一種類だけが大量に残っていました。慣れた人なら写真で分かるのですが、Y字型のものでした。
 迷った末にそれを入手し、最初の設計図を書き直しました。
 つまり、多種類の電動ポイントをすべて、Y字型ポイントだけで再構成したのです。
 技術的には、Y字型ポイントを向かい合わせにするのは面倒なことが頻出するのですが、なんとかこなすつもりです。
 ただしかし、Y字型ポイントだけが売れ残り状態だったのは、これを多用するジオラマが少ないからでしょう。理由は分かりませんが、レール・レイアウトとしては幾分リアリティーが薄くなるように思えました。
 もっと別の問題があるなら、それはそれで得難い経験として消化していきたいです。

邪馬台国周遊図書館列車の第一歩
 これで工作としては、教材研究の第一歩が離陸したわけです。
 しかし、先回の小説木幡記でまとめたように、本質的な課題の解明はこれからです。

 「なぜ、鉄道図書館なのか」→ 新しい読書空間創設。書を持って遺跡周遊をしよう。
 「本館、分館、鉄道図書館の収書方針は」→ 古代史全般、纒向遺跡全般、古墳・専門誌の分担蔵書構成。
 「なぜ邪馬台国(纒向遺跡)なのか」→ 日本史の原点。
 「……」→ 生涯学習の新たな空間。

 もちろん、ほとんど総てについて、あらかじめ上述右に表層的解答は用意されています。しかし、それで本当に良いのでしょうか。図書館の孤立化、無用化、ディジタルメディアの跋扈に対して、いくつのか表層的解だけで済むものでしょうか。
 もっと深く考えないと、風車に立ち向かう人になってしまいます。

レール・レイアウトからジオラマ
 MuBlogでは、レールの配置をレイアウトと呼んでいます。この基盤に起伏を付けて立体化するとき、それをジオラマと呼びます。
 写真では左上の部分(邪馬台国展望図書館駅)のレールだけを約5センチかさ上げしていますが、実際には、この部分はモデル標高15センチ程度になります。自然景観を1/2000縮尺でまとめるつもりなので、おおよそ300mの高さになります。これだと、現実真西の二上山も含めて大和国中(くんなか)が一望の下に見渡せます。対して右側(南部)は聖山・三輪山になりますが、そこはモデル標高20センチにします。
 以上の基本設計により、約5センチ厚のスチロール板を徐々に4層まで積み上げて、途中でレールを載せたり、トンネルを貫通させます。

 お約束の卑弥呼墓所・箸墓想定場所は、画面中央下部になります。
 この中央線は、中央上部を穴師とみて、川を通します。実際の地形とは異なりますが、そこをモデルの特徴として出します。箸墓自体は、全長14センチの前方後円墳を、おそらくスチロールやアクリルで制作します。

 図書館は、先の「展望図書館駅」「巻向図書館駅(まきむく)」「三輪図書館駅」の三カ所で、いずれも図書館・駅の形態をとります。ただし、駅に図書館コーナーがあるのではなく、図書館に駅があると、発想を逆転させます。

列車名は「まほろば」
 なお、鉄道図書館列車モデルについては、現在「専門・研究研修図書館列車」として、形を成しつつあります。以前考案した一般利用者向け「愛宕」モデルとは、方向が別ですが、形態上は似通ったものになります。色塗りは、すでに失敗しております(笑)。それで、よいでしょう。
 これについては、嵯峨野鉄道図書館ジオラマ内「二階建て図書館列車考」の継続として公開します。

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2008年6月10日 (火)

恭仁京と紫香楽宮 (2)紫香楽宮(甲賀寺)跡

承前:恭仁京と紫香楽宮 (1)恭仁宮跡

 さて、恭仁宮を後にして一路東北方向にRS君を走らせようやく、紫香楽宮(甲賀寺)跡に無事たどりついたのです。
 地図をクリックして、画面一杯にして御覧下さい。

(滋賀県甲賀市信楽町黄瀬)

 恭仁宮(この地図の左下)を出て、163号線を木津川にそって少し東行、加茂のあたりで北東に道をそれて和束町(わつか)、湯船を経て、307号線に合流し、信楽の狸や街並みを眺めながら、新名神高速道路にぶち当たる手前に「紫香楽宮」がありました。ただしそれは一部であって、おそらく大安殿などの中心は、信楽ICの北にある「宮町遺跡」と言われています。

 ほぼこういう道を聖武天皇さんも、恭仁宮からたどったわけでしょうか。
 
 さて以下、当日の写真を元に記憶を蘇らせて、記録しておきますが、この間随分時間(四週間近く)を費やしたのは次の事情からです。

(1)翌週に、紫香楽宮(宮町遺跡)から万葉集の歌木簡に関するニュースが流れました。
 そこで私は混乱というか興奮し始め、頭の整理が出来なくなったのです。歌木簡の内容が家持卿に直接関連していたわけではないのですが、種々の理由で私は大伴家持に関係する話に出くわすと、心が乱れるわけです。
 つまり、根底には、今ある万葉集のすべてについて、家持卿が目を通しているという、既視感・幻視があるわけです。
 実は、と私事ながら(笑)、柿本人麻呂という名前よりも、家持卿の悲劇に若年時から心をとらわれてきた経緯があって、その名を思い出すとそわそわしてしまうのです。当然、紫香楽宮について書くことが難しくなりました。
 この点については、紫香楽宮遺跡考本道とは切り離して、このシリーズで最後に「紫香楽宮跡の歌木簡」とでも題して、メモを記し、それで心を鎮めたいと考えています。

(2)紫香楽宮は、恭仁京以上に分かりにくい。
 一体、この宮が首都(都)だったのか、離宮だったのか、あるいは仏教聖都だったのか、分かりにくいわけです。なにをもって「都」とするのでしょうか。元旦朝賀の式をあげる所が都なのか、詔(みことのり)を発した所が都なのか、私にはよく分からないわけです。
 さらに、宮跡とされているところが、一応は現「宮町遺跡」と言われ、Jo翁と当日訪れた所は「甲賀寺跡」というのが通説です。しかし、その甲賀寺跡というのも、資料をいくつか参照すると、また霧の中ですね。混乱を避けるために、この記事では「われらは甲賀寺跡を見た」と記しますが、将来はまるで邪馬台国話になるかもしれません。
 紫香楽宮を作り出してから廃都になるまで、わずかに数年の都ですから、残っている物も少ないし、未完成の宮だったのでしょう。当時の人も、総てを照覧していた人は、ごくわずかではないでしょうか。現代でも、一応東京が首都といわれていますが、関西の者には東京駅と皇居が認識できるくらいで、どこに国会議事堂があって首相官邸があって、どこに都知事が居るのか、よくわかりません。まして、どこに国分寺があって、靖国神社がどのあたりかさえ、わからないものです。もちろん、これは聖都を別の箇所と強くイメージしている私だけの錯誤かもしれませんが。
 だから続日本紀(しょくにほんぎ)を書いていた人達も、途中でなにがなんやら分からなくなったのかも知れませんね。

 そういうわけだったのです。
 私も一応、物事について、論理的一貫性を保とうとする生き方をしていますから、上記二つの問題を前にして、首を傾げるだけで、夜間に考え、朝に目覚めても「そうだったのかぁ~!」と、なかなか爽快な、快哉をあげられなかったわけです。それは、今も変わりません。

5.紫香楽宮(甲賀寺)跡

5.紫香楽宮跡:矢印
5.紫香楽宮(甲賀寺)跡:案内板・全体説明
5.紫香楽宮(甲賀寺)跡:案内板・CGと伽藍配置図
5.紫香楽宮(甲賀寺)跡:案内板・東大寺との比較

 奈良市の東大寺大仏さんよりも先に、この紫香楽で大仏さんが作られ始めたわけです。
 大仏建立については様々な書籍、絵本、漫画、ビデオ、小説があり、それだけで長い物語になりますから、ここでは、大仏さんが紫香楽で作られかけたとだけにしておきましょう。とはいうものの、「どこで?」と興味がわきあがりますから、一応、訪れた甲賀寺の金堂跡、くらいにしておきます。話は、どこかに基点をおかないと宙に漂ってしまいます。

6.甲賀寺金堂跡への道

6.甲賀寺跡前のRS君
6.甲賀寺跡前のJo翁・出発
6.甲賀寺・金堂跡への道
6.甲賀寺・金堂跡へ歩むJo翁

 写真の道のりで分かるように、現地は整備されていました。公園として機能しています。小高い丘になっていて、この丘に大仏さんが半身を表していたのかも知れないと、想像しながら歩いていました。
 大仏さんは大きな金銅仏ですから、地形を上手につかって、骨組みを作って回りに土をかぶせて、銅(錫との合金?)を流し込んで、冷めたら土(粘土でしょうか?)を取り去って、金を水銀に溶かしてぬって、回りで火をたいて水銀を蒸発させて、金メッキするわけです。想像するだに壮大で危険な作業を伴います。もちろん多数の専門技術者が働いたと思います。
 この紫香楽で、どこまで進んだかは分かりませんが、恐らく大仏さんの型枠を作った頃に、工事は中断したのだと思います。
 そんなことを考えて、Jo翁の姿を撮っておきました。

7.甲賀寺復元図

7.甲賀寺金堂跡の神社
7.甲賀寺金堂の案内板
7.甲賀寺(甲可寺)復元図:奈良国立文化財研究所原図

 小高い丘が整地されて、さらに一段上がったところが金堂跡でして、そこに神社がありました。有徳の方の寄進と思いますが、「神社」を建てるのは大抵なにかを鎮める意味がありますから、単純な記念神社とは思いませんでした。しかし現地にも、手元にもこの新しい神社(昭和だと想定しました)の由来資料がなく、詳細は分かりません。
 この近くの案内板では、奈良国立文化財研究所が考えた原図がありました。案内の文章については文責が不明です。「甲可寺」という表記が目につきますね。この寺と今立っている寺跡とが同値なのかどうか、また迷路に入り込むような記事が、他の資料では幾つかありました。しかし、そのことを調査するほど気力が充実していないので、このあたりで止めておきます。

8.講堂と経楼:堂宇の跡

8.甲賀寺講堂跡の案内板
8.甲賀寺講堂跡の石碑と花
8.甲賀寺経楼(きょうろう)跡の案内板
8.甲賀寺経楼跡の石碑とJo翁

 数えたわけではありませんが、七堂伽藍というように、一通りの建物跡の礎石と案内板がありました。このうち、講堂跡と経楼跡の写真を掲載しておきます。全体像についてはJo翁のビデオを御覧下さい。それにしても講堂跡石柱に花がそえてあったのが不思議でした。

9.帰路の近江肉

9.帰路:甲賀寺金堂跡からの帰り道
9.帰路:琵琶湖遠望
9.帰路:大津で近江肉・陶板焼き

 帰路はとても気楽でした。すぐそばに信楽ICがあって、約15分程度で大津ICに着きました。ここはレストランも美味しいし、絶景ですし、昔から名神高速道の名所ですね。
 Jo翁は、太っ腹というのでしょうか、近江肉の陶板焼きを御馳走して下さりました。お腹がすいていたのと、美味しことで、あっという間に無くなりました。さすがに高速道路だからでしょうか、ビールがなくてJo翁はお困りでした。

★.これで終わりではないのです
 この日の翌週でしたか、紫香楽宮跡(宮町遺跡)で、万葉集、歌木簡が解明されたとのニュースが流れました。あえて「発見・発掘」じゃなくて、「解明」としたのは、以前から木簡が出土していて、それらを長期間研究調査した結果として、「歌木簡」の解明があったように、見受けられるからです。突然ぱっと出土して、「これこそ親魏倭王・金印!」というような事例は、少ないのだと思います。つまり、ニュースに出たときは大抵の関係専門家はおおよそを、過去に知っていたことなのでしょう。

 それについては、身近なところに万葉集研究者がおられて、私に新聞記事のコピーや見どころ考えどころをチェックして下さったので、次回は「紫香楽宮の歌木簡」というテーマで一文記し、それで今回の旅を終えたいと思います。

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2008年6月 8日 (日)

NHK篤姫(23)慶福(よしとみ)と慶喜(よしのぶ)

承前:NHK篤姫(22)老中・阿部正弘の死

 慶福(よしとみ)「後の徳川十四代将軍・家茂(いえもち)」は紀州の殿さまで、慶喜「後の徳川十五代最後の将軍」は水戸斉昭(なりあき)の息子で一橋家に養子に行った人。
 今夜御台所篤姫は両者に面会した。

 結果は、父斉彬の気持とは異なり、篤姫は慶福を好ましく思った。
 エピソードとして、菊見に誘った慶福が、出された菓子の腐敗に気付き、滝山が係の者に毒味をさせようとすると、「腐ったものを毒味させるのは人情にもとる」といって、事故を穏便に取りはからったことが、篤姫始め皆の感動を得た。
 慶喜の人や社会への無関心な態度とは対照的に描かれていた。
 たしかに先回慶喜に出会った斉彬も、慶喜の「無関心」さには首を傾げていたし、随身の西郷も後で斉彬に「わからない人です」と、暗に懸念を伝えた。

 篤姫と慶喜との関係は、この時に篤姫によい印象は残さず、後日慶喜が将軍になったとき、鳥羽伏見の戦をうち捨ててなんの下知も出さず、大阪から船で逃げて帰った時に決定的になった。慶喜の論理は「賊軍にはなれない」だったが、私は、いやしくも征夷大将軍が現に戦っている将兵(新選組も含まれていた)を見殺しにしたような形で、さっさと江戸に帰るというのは、言語道断、どのような屁理屈を言っても無駄だと思っている。征夷大将軍という肩書きになんの重みも感じない、つまりは覇気のない秀才だっただけなのだろうか。

 慶喜の余生については、先程いくつか記事を読んだが、大局として評価の声もある。ふむふむ。両者の言い分を聞かないと分からないこともあろう。
 私は、将兵を見殺しにして大将が策無く逃亡した罪は、敵前逃亡という有史以来もっとも単純素朴な法理により、どのような言い訳も無いと考えている。「撤退」と全軍に命令すればよかったのだろうが、それも勇気が必要だ。出来なかったのだろう。
 当然だが、将軍の重みも、神君・権現さまの時代とは相当に違っていたのだろう。

 慶喜の子孫もおられようから、これくらいで止めておくが、篤姫の一本気からすると、慶喜の賢しらな態度は絶対に許せない「男」なのだろう。もちろん、この時点ではまだ篤姫は一度あっただけだから、それ以上の感情はない。原作では、明治になっても篤姫は慶喜に合うことは拒否していたようだ。
 話を随分先取りしてしまった。江戸城開城は多分11月ころなのだろう(笑)。

 篤姫と家定との五目並べは、本当に雰囲気がでていた。一つ床に入らずとも語らっているだけで篤姫の穏やかさとか、喜色が見て取れた。そういうこともあったのだろう。

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小説木幡記:2008/06/08(日)箱庭(療法)とジオラマの地続き

 最近卒業生に、わが「嵯峨野鉄道図書館ジオラマ」を見ていただき、論議した。公共図書館と大学図書館で司書歴十年に近いので、視点は鋭く、深い示唆を得た。
 有益なことだったので、理由はすぐには分からない点もあったがメモしておく。仮にX氏としておく。

1.一般に女性は鉄道模型を好ましく思わない事例が多い。
 X氏の場合は不明だった。
 ただし、Nゲージ図書館列車が線路を走り、電池ではなく、コンセントから線路に電気が流れていることを知り、そしてその速度や方向を制御出来ることには気付いた。
 このことから、基本的な科学知識はあるが、そういう工夫(電気制御)には関心が見て取れなかった。すなわち、何故か分からないのだが、X氏の場合も、「電動・鉄道模型」のような機会仕掛けには興味が薄いと判別した。

 おそらくこれは、余がファッションには殆ど興味を持たないのと同じなのだろう。余は他の男性に比べても、幼少より機械仕掛け、模型、自動車やPC、ロボットに強く惹かれてきた。
 文化的男女差の中での個々の差であろうか。

2.箱庭療法ですね。
 X氏が最初に発した言葉だった。X氏は大学では心理学を学んでいるから、心理実験や講義でその言葉や概念を余よりもしっかり把握している。
 余も以前、大学のオープンキャンパスで、若い臨床心理学の先生に、余興として「箱庭療法」を観察してもらった。

 一般には「療法」の場合、専門家の前で箱庭を作らないと効果がないようだ。ただし箱庭療法を定義したユングは自分自身で無意識にそれを始め、学としてまとめた。己を己で知ることが学になる事例だと思った。ユングについては、余も学生時代から、文学の一種として親しんできたので、違和感はまったくない。

 で、観察してくださった先生は、余興だと思うが(笑)、余のことを「守りの強い人に見えますね」と言われた。明言されなかったが、強い自閉傾向があるのだと、自覚している。余の作った箱庭は、家の回りに三重の塀を取り回したものになっていた。川や柵やブロックで鉄壁の要塞化をほどこしていた。作業時間は短時間だったが、短時間だからこそ無意識、深層の心が理屈抜きで表出され、そういう結果になったのだろう。
 そして「療法」の成果は、自閉を自閉としてあるがままに客観視し、充足し安定したことだった。それが治療成果なのか、重篤化なのかは、余興だからその先生も余も、分からなかった(笑)。

 X氏が屯所のドアを開けて「嵯峨野鉄道図書館ジオラマ」を見て最初の一声が「箱庭療法ですね」だった。
 多分、余も無意識にそれを感じてきた。正解の一種なのだろう。一種というのは遁辞ではなくて、現象は多くの視点から解がそれぞれに導かれ、統一解は「人の営為」であるかぎり、無いと考えているからだ。

3.箱庭とジオラマ。
  (鉄道模型の場合は線路を主に見るとレイアウト)
 日本では類似概念に盆石がある。しかし後者は芸術志向やルールが強く、時空間と人智の制約が強い。ジオラマは時空間の制約だけがあり(つまり地球の重力と、電気や鉄道工学という歴史的科学の成果)、人智の制約が少ない。ジオラマ製作には「こうしなければならない」というルールが見あたらない。

 箱庭は、箱のような小さな空間に想像や創造の風景を織り込み楽しむ「遊戯」だから制約は少ない。そしてジオラマも、実車志向に走らない限り、「らしく」見せるだけで統一理論も制約も極めて少ない。

 「箱庭療法」としての箱庭は、知る限り単純素朴な素材を使って短時間で作る事例が多い。砂とか木片とか、小石だけでも事足りる。もちろん専門誌を捜したら、長時間の制作を含む試みもあるかもしれないが。
 「療法」には、観察者の判定を伴うから、被験者が長時間精密な作業を行った場合、「無意識」→「意図。芸術的意図」に変化し、判定が難しくなり、被験者も「療法」効果が薄くなるかも知れない。後者は、余には分からない。時間をかけることが、精神のより重篤な埋没を招くかも知れない。下世話に言うなら、芸術家や素人が何かに熱中し、ますます病膏肓(やまいこうこう)の域に入ることもあるだろう。

 鉄道模型ジオラマは時間がかかる。「叩きモデル」でも数ヶ月はかかり、雑誌に載るような著名な作品は数年から10年のオーダーに及ぶ物もある。この間を「ジオラマ療法」の期間と見るかどうかは、専門家の判断を待たねばならないだろう。

 元来箱庭療法とは、世界をわが眼前で、把握することに治療要素があると考える。人は世界との連携を失ったところに精神の黄昏や喪失感を味わい、失調する。両の手で世界を創ったとき、その世界の一員として自由に振る舞い、また、世界創造主としての自信を回復する。失調とは単純にバランスを欠くと思えばよかろう。バランスの回復が箱庭やジオラマを作ることで得られる。

 RPG(ロール・プレイング・ゲーム)も、PCで扱う物は、箱庭、ジオラマの一種と考えている。人は冒険に目を向けるが、余は「世界」を旅する、またRPG実作は「世界を創る」意味があると考えて来た。

4.司書X氏が見た「鉄道図書館」理論。
 X氏は、鋭く本質を突いてきた。このことは、余の晩年の教材研究として定着するつもりなので、真摯に受け止めた。

☆なぜ図書館世界が嵯峨野であり、邪馬台国周遊図書館なのか。
 ジオラマは空間を限定するので、汎用性を持たせるのか、なぜ地域限定なのかを説く必要がある。
 X氏の感想では、北海道・札幌から沖縄・那覇まで、途中海底トンネルも掘って運行させる方が、図書館列車の場合は自然に思える、との感想だった。
 余の現在の解は、「個別から取り組むことで問題が先鋭化する」、である。

☆なぜ鉄道図書館列車なのか。
 この点では議論がより深く進んだ。
 なぜ図書館があって、そこに読書や研究に人が訪れるのか。過去事例では日本の公共図書館は貸出に重きを置き、図書館が館としてあることの意義を持たなかった時代があった。それは現在でも、図書という物体を借り、自宅や好きな所で読めば、館が無くても良いという考えにつながる。
 それならば、インターネット、電子図書館が発達すれば、紙図書の存在も図書館の存在も不要になると、論が一挙に加速する。
 何故、図書「」なのか。
 であるなら、なぜ「図書館列車」なのか。

 余は丁度十年前に『電子図書館の諸相』を記した。そこでの一番の課題は、何故インターネットなのか、何故電子図書館なのか、だった。ところが、実はコインの表裏課題として、同時に「何故、図書館なのか」も、合わせて解かねばならなかった。
 人類史において少なくとも千年の実績を持つ「紙メディア」が容易に「ディジタルメディア」へ一斉にメディア変換する可能性はないし、またそれほどディジタルメディアが万能であるわけもない。
 万能ではないのに、なぜ電子図書館なのかという第一課題を解くのは難事だった。しかし答えは最初からあった。つまり、時空間の制約を、紙図書以上に乗り越える能力をディジタルメディアは持っていたからである。
 (実際には紙図書も時空間の制約を逃れる記録媒体として生まれた)

 さらに、紙メディアつまり図書=図書館の必要性という第二課題は、ディジタルメディアが時空間の制約を突破する限りにおいて、実際には時空間の制約に生きる人間にとって、時空間という「枠」「制約」をもたらす点で図書館存続の意義があると解いた。これは「図書館空間療法」と考えれば、より説明が容易だろう。

 そして今、X氏との論議にもどると、「何故鉄道図書館なのか」と、問いがあった。
 答えは。
 表層的にはMuBlogで出してきたが、深層的には未だまとまっていない。それを、時間をかけて解き明かす楽しみが、余のジオラマ療法なのだろう。

★研究研修図書館列車。
 先に地域限定によって要件を先鋭化しうると述べたが、そこでX氏との合意が一つ成り立った。つまり、図書館種を特定することで、「鉄道図書館列車」の利点や意義をより分かりやすくできるのではないかという結論だった。

 余は経歴として、公共図書館よりも大学図書館、いやそれよりも「専門図書館」の経験が深い。
 その事情はおくとしても、専門図書館なら分野限定で文献資料の選書、図書館列車におくべき蔵書構成も精密に考えられる。なによりも、利用者動向がつかみやすい。

 昔、電子図書館研究会(インターネット上での仮想図書館機能の構築)とか、NDK:日本文学データベース研究会(源氏物語など古典文学のDB化)に参加していた。その時の印象や経験をもとにして、研究研修図書館列車の環境や編成、もろもろを考えれば、意義がより分かりやすくなると思った。
 寝台特急は恰好のモデルとなるだろう。

5.鉄道図書館列車考。
 鍵は、密室移動途上での読書、知識獲得、瞑想、思考。
 たとえオープンカフェが2階にあっても密室拘束状態であることにかわりはない。

 まだ深層解は得られないが、形ある「人」が空間移動することで、その途上において「知識」を獲得し、文書芸術を楽しみ、「瞑想、思考」に入る、そういう異空間が「鉄道図書館」にはあるのだと考えている。

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2008年6月 5日 (木)

小説葛野記:2008/06/05(木)授業授業研究面談工作

 毎年6月に入ると、心身がだるくなってきて、自家製梅酒の世話になるのだが、今年は意外に気分が楽だ。種を明かせば簡単で、4~5月、心身絶不調だったから、かえってそれが寛解する時期と梅雨がかさなって、「今年の梅雨は、よいお湿りですねぇ」と、うそぶく仕儀になりました。

 朝から講義科目「情報サービス」と、「資料組織Ⅰ(主題分析)」を、それなりに執り行った。ネタは昨年と変わらないのだが、器がMacNoteだから気分まで爽快になる。さすがに昨年まで、2001年ころのSonyVaioでは、ノリが悪かったという次第。PCはどうあがいても、どれほどの名機でも、実行速度にはなかなか勝てません。

 それに、Macではパワーポイントを使わずに、KeyNoteを使っている。これがまたよろしな。
 かくして早朝から約3時間の授業はサクサクと済んで気分がよかった。つらつら思うに、心身不調の時は、たとえ気分の上としても、今日の3割くらいの能力だったような気がする。

 情報サービスは、丁度基本の「レファレンス・サービス」のところだった。資料組織Ⅰは「分類と件名」だった。両方とも大事な所だが、特に二限目の後者は、ちらほら熟睡、約5%の学生が突っ伏して眠っておった。他の学生のじゃまにはならぬから、いつも許しておる。

 午後は少し研究読書。
 夏期論文が、相当に重い。約3時間費やしたが、一章分を読み込んだだけになった。図書というのは、まともなものは、難しいものだ。

 一休みしていると、学生が相談に来たので30分話を聞いて、話してみた。
 幾分難しい条件なので、屯所にいた助勤二人を、受講生にことわって、来てもらった。概略を説明し、助勤二人の意見と余の意見とを並べた。余の意見がわれながらもっとも穏やかというか、姑息(爆)というか、消極的なものだった。人の考えはいろいろある。本当はどれをとっても、最後は落ち着くところに落ち着く。

 呼び出した局長と書記局長には、わさび入りの柿の種、小袋を礼に渡した。これはうまいが、なかなか店頭にないレアものなんだな。
 ところで、局長も書記局長も、ニュアンスは微妙に異なるが、それぞれ手厳しい対処法だった。日頃は穏やかな人柄だが、昨年苦労した記憶が甦ったのかもしれない。そして、大学中で一番穏やかな「仏のような」人は、余だったと気づいた。あははは。
 すぐに終わったのだが、三人を送り出してから、気疲れを味わった。
 研究読書を再開しようとしたが、無理だと分かった。

 机上のカシオペア11号を手にとって、また思い切って刃をいれた。
 みるみるできあがってきた。
 ところが、透明アクリルを切り出して、整形まではうまく行ったが、寸法が0.3ミリほど狂い(磨き過ぎた)、高級ボンドで隙間を埋めようとしている間に、透明部分までネチャネチャしてきて、曇ってしまった。失敗なので、捨てた。今度また物語だね。
 今度は、以前の愛宕号よりも、少し異なった仕様にしたのが、難易度を高めたようだ。

 ついでに雨が降っていたのでまた天の邪鬼。雨中に塗装をしだした。まずまず乾いたが、色がねぇ~。なんとも、いいようのない色だった。
 ただ、今回は書庫や読書机もあるていど表現するために、そういうパーツは濃い色をつかって、なんとかあわそうとしたが、時間切れ。

 すべて終わって、来週の授業準備を始めたが、すでに時間がたって疲労が強く、あきらめた。もう起きてから12時間近くになる。
 嵯峨野鉄道図書館・第三期の自作ではないが、改造二階建てトロッコ図書館列車もこれで二度目の製作になる。なんとか、だれがみても「究極の、図書館列車ですな」と言わせるような教材モデルを作りたいが、道は遠い。

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2008年6月 4日 (水)

小説木幡記:2008/06/04(水)年間出版点数8万件

 今夕久しぶりに、NHKクローズアップ現代を見ながら夕食をいただいた。
 現在日本の出版点数は、1990年代の20%増で、年間8万件らしい。国立国会図書館のカタロガー(目録担当者)も大変だろう。

 そして、取次店、出版社には返本の山、らしい。
 出版件数が増えたのに、中小書店は営業不振でぐんぐん減ってきて、さらに、全体の売り上げもますます減少しているとのこと。不思議な光景だった。普通は、需要と供給で、需要が増えるから供給する、と昔の経済原則にとらわれていたが、そうでない世界がありそうだ。

日本の出版社と取次の腐れ縁
 出版社は取次店(日販とか、東販とか)に図書をおろすと、取次店はいつもにこにこ現金払いというか、ある程度の売れ行き予測をして、出版社にお金を振り込むようだ。

 出版社:500万円分の図書→取次店
 出版社:200万円売上予想←取次店

 ところが、400万円分の図書が売れず、全国書店から大量の返本があったとする。
 差し引き100万円分しか売れず、すでに出版社は200万円もらっているから、
 出版社:100万円現金返済→取次店、となる。

 だが、出版社は100万円もの現金がないから、どうする!
 次の図書をまた性懲りもなく600万円分作って→取次店。
 すると、すると取次店は売上げ予測を100万円とみなして、出版社への現金振り込みを相殺、チャラにする。
 ところがどっこい、そうは問屋が卸さない。
 今度は、返本が500万円もでた!
 それでは、出版社も給料を払えないから、また、700万円分の図書を取次店に渡す。

 さて、上記の無限ループを書いていて、ばかばかしくなってきた。つまり、古典的自転車操業を出版社はやっているわけだ。取次店のリスクは、もし出版社がお手上げになったら、損金回収もできず、理論的には「売る物」がなくなる。そんな馬鹿な。

返本制度
 今の日本では書店も取次店も、売れなかったら出版社に商品(図書)を返す。出版社はしかし印刷部数の10%程度を著者に渡していて、返本があったから著者に返せとは言わないようだ。
 出版社は返本の山を持っていると資産とみなされ課税されるから、裁断、廃棄するらしい。

 以前、書店が持ち込まれた図書の封も切らずにそのまま返本する情景をTVで見た。書店も、あんまり毎日図書がくるから(日に200冊程度平均、出版されるらしい)、置き場所が無くなる。
 岩波は昔、書店の買い取り制度で有名だったが、今は知らない。
 要するに、返本制度は、取次も書店も中身をみないで、紙の塊だけが、東京と地方を往復する。

書店の図書ランキング
 書店も(大型書店がモデルだった)、売上げによって、目立つ場所に置く、背表紙だけ見せる、返本する、というモードを機械的に選んでいるようだ。5000位以下のランキング本は即刻返本になる。
 買う方も、年に1~2冊程度の購入読者は7割近くがランキングで選ぶようだ。つまり、ベストセラー本だな。
 ランキングといえば、Google を思い出して一人で爆笑していた。(これは、MuBlog読者だけの内輪ネタ)

 この世には、短期間ベストセラー本と、返本図書の二種類しかないのだろうな。

出版業界のたそがれ
 余は青年期から壮年期はじめまで、ながきにわたり「出版とは、志の発露」と考えてきた。出版社や著者の志が本の形をとり、有徳の読者の手に渡る、と真顔で信じていた。
 余はなぜそうおもったかというと、儲けるためなら本など作って売るな! 株でも風俗参入でもやればよい。その方が手っ取り早くお金になるだろう、出版関係業界諸君。

 どこでどうまちがったのか、「志(こころざし)」というような、抽象的な言葉はすでに日本にはなくなった、死語のようだ。古語辞典に載るくらいなのだろう。

というわけで
 出版業界も、もちろん取次関係業界も、紙出版が消えてインターネットにすべて収斂していったなら、一体どうするつもりなんだろうね。
 インターネットは、エージェントはあった方がよいが、出版社も取次社も何をしてよいか途方にくれるだろう。
 余なりに答えはある。
 革製本・金箔押文字で一冊1万円の文庫本を限定1000冊ほど、年に数回作る出版社になったなら、生き残るだろうね。また、そうまでして生き残りたいと思う関係業者だけが、うまくいくのだと思う。
 このままだと、国立国会図書館の司書が疲弊し、巨大な閉架自動書庫も満杯になってしまう。

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目次:博物館・明治村研修旅行HMK2008

 2008年3月28(金)に、「葛野図書倶楽部2001」隊員と私を含めた一行8人で、愛知県犬山市にある「博物館・明治村」へ、図書館司書・学芸員の卵としての見識を深めるために、終日の研修旅行を行いました。
 この目次は、その記録をまとめたものです。

 0.博物館・明治村の桜2008

 1.博物館・明治村研修旅行HMK(1)歴史的建造物探訪

 2.博物館・明治村研修旅行HMK(2)歴史的な蒸気動車と京都市電

 3.博物館・明治村研修旅行HMK(3)意義と目的

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2008年6月 3日 (火)

博物館・明治村研修旅行HMK(3)意義と目的

承前:博物館・明治村研修旅行HMK(2)歴史的な蒸気動車と京都市電
目次:博物館・明治村研修旅行HMK2008

0.はじめに
 さる2008年3月28日に行ったHMK:博物館明治村研修旅行・顛末記として、参加した葛野図書倶楽部2001隊員たちに事前に送付したメールを編集しまとめ、記録しました。

1.HMK:博物館明治村研修旅行の意義
 明治村に残された歴史的建造物や遺品を実見することで、司書・学芸員としての豊かな感性を育てる。
 「明治」という時代は、現代人にとって忘れることの出来ない大切な時代です。この時期があったことで、日本は世界的な規模の中で、近代国家として成長しました。この間の事情は、作家・司馬遼太郎が幕末から明治時代を描いた小説をいくつかお読み下さい。特に、数年後にNHKでTV化される「坂の上の雲」はよいです。

 司書・学芸員は知識経験や人当たりの良さなど、基本的な資格内容を問われますが、その前に優れた社会人として成熟するには、「過去」を知り味わうことが大切です。真の教養とはファッションのような知識でもないし、卒業証書や資格証書で保証される物ではありません。教科書や授業を詰め込んでも、無益と考えて良いでしょう。教養とはそこに、君自身が立って、自分の目で、世界を見、味わい尽くすことなくして、身につかないものです。そして、そうすることが君自身の歴史になるのです。

 人が人たる所以(ゆえん)は、過去と現在と未来を同時に見渡す能力を持つところにあります。過去に何があって、どう解決して、今にいたったか。今後どうすれば最適最良の道を選べるのか~。一人一人が歴史を見る目をやしなって、「人生」を確認してください。

2.HMK:博物館明治村研修旅行の目的
2.1 今後の科目受講や、助勤(授業支援学生)の場合
 倶楽部員は4年生になると、ほぼ全員助勤になって、下級生を指導します。このために、科目課題毎の最適なテーマや、その分析をできるだけ経験した方がよいです。HMKはその一つの最適モデルになります。

 建造物が68棟あり、所蔵物は厖大です。ホームページ(HP)には「明治村100選」という記事がありますが、対象のすごさが分かります。特にこの建造物数68が、「記録」として扱える「頃合い」のものです。

★情報図書館学
 受講生と、山村助勤(局長)・佐竹助勤(経理局長)に貴重な視点です。
 明治村は全体が博物館なのですが、これに図書館要素を加えると、鉄道、電車、村営バスも実走していることから、近未来の図書館が非常に作りやすいです。
 なお、近未来とは「現在」ではないという意味でレトロなものも含まれます。今にない、より良い図書館。過去の優れたものが、未来に生きるわけです。
 また、明治村図書館列車全景模型を作りたい人には、いろいろな援助を顧問が提供します。

★資料組織Ⅰ(分類)
 受講生と、近藤助勤(書記局長)・佐竹助勤(経理局長)に貴重な視点です。
 68棟の建物や明治村百選を、どのような対象に目を向け選び、どういう風に分類するのか。授業課題を分析するには、実見し、写真をとって整理することで、後期のテーマの半ばが達成されたことになります。建物群や明治村全体から分類の視点を見つけ出してください。

★資料組織Ⅱ(目録)
 受講生と、清水助勤(副長)・近藤助勤(書記局長)に貴重な視点です。
 建物に例を取るなら、歴史的建造物ですから、まずこの関係書目を集め目録にすることが最良でしょう。「帝国ホテル」だけでも、山のような資料があります。それに建物の要素を加えたなら、すばらしい目録となるでしょう。

★情報サービス
 受講生と、山村助勤(局長)・清水助勤(副長)に貴重な視点です。
 ともかく、見る建物、歴史、所蔵物、テーマパーク性、様々な情報が複雑に絡み合っています。どのように分析し、関係する情報を結合させるのか、目が回りそうな博物館です。難しそうですが、楽しいと思います。

☆メディア論
 明治村をメディアとしてとらえる。「明治」というものを表現した全景メディアとでも言えます。
☆生涯学習概論
 担当助勤は新・三年生で構成する予定です。
 明治村こそ、生涯学習館の要素をすべて持っています。実見し、確かめてください。

2.2 倶楽部存在意義の確立
 倶楽部初代の頃の計画では、東大阪市の「司馬遼太郎記念館」を見学し、知見を広め、授業に生かし、倶楽部の結束を願いました。しかし、諸事情で挫折しました。その代わりに、千人の来聴者を葛野に迎えて「森博嗣京都葛野2003」を開催しました。

 2006年の夏に、当時の局長・二番隊長・局長友人と、北九州市小倉「松本清張記念館」に行きました。参加者にとっては有意義だったのですが、葛野図書倶楽部2001全体の成果とはなりませんでした(笑)。
 その代わりに、倶楽部五周年記念講演会を行いました。今現在は唯一、山村局長2008だけが五周年記念に参加した生き証人となりました。

 君らの青春の断端、袖擦れ合うも多生の縁の中で、今回ほぼ8割の参加者とともに、終日、博物館明治村を体験することを、私は非常に喜ばしく思っています。かけがえのない君らの青春の中の葛野図書倶楽部2001、その2008年次の組織記憶になると思っています。

3.楽しみ・娯楽→α研修・記録
 時間と貴重な「お小遣い」を使って行くのですから、世事を忘れて子供のように汽車にのったり、すき焼きを食べる楽しみがあります。往き帰り、私も若い人の馬鹿話(笑)を片隅で聞いて笑ってみたいです。
 とはいうものの、楽しみが常に、知識情報・教養の血肉になるには、それなりの儀式、つまり仕掛け「システム」が大切です。
 このために、機関誌Truthの記事として、多くの観点から、この倶楽部公式研修旅行内容を記録したいと思います。
  清水編集長だけでなく、参加者が事前事後に作る旅行の栞、観察記、感想文、写真やビデオ、授業のテーマ把握、それらの総てが記事になると思います。

4.研修旅行の人員配置
 博物館明治村研修旅行(HMK)は、楽しみでもありますが、倶楽部公式行事であり、かつ司書科目履修・支援の有効な資源とすることに意義を持ちます。今回、私をいれて総勢8名の小団体旅行ですから、あらかじめ意見を取り入れ役割を決め、事前当日事後が円滑に進むように計りたいです。

(1)HMK総指揮→山村局長
  役割内容:指揮、ビデオ撮影
 ・HMK全体の動きを確認
 ・場合に応じて各担当、顧問に相談
 ・建造物などのビデオ撮影
 ・ビデオ編集、DVD化

(2)HMK事前旅行企画→小林一番隊長
  役割内容:旅行計画決定、栞作成
 ・意見を聞き、交通手段を決定する
 ・倶楽部員が楽しめ、且つ知見を広げ来年度の授業、または倶楽部内で参考になるような計画をねり、栞を作成する
 ・機関誌Truthに旅行栞を編集の上、掲載
  (準備協力:中村一番隊員)

(3)HMK写真記録→近藤書記局長
  役割内容:建造物などを写真撮影
  ・写真撮影
  ・写真整理
  ・「カメラ紀行:明治村」をTruthに執筆

(4)HMK経理事務・タイムキーパー→佐竹経理局長
  役割内容:往復先導、タイムキーパー、経理記録
 ・小林一番隊長と相談の上で、往復チケットを購入する
 ・当日のお金の出し入れは私(佐竹)だけが行う
   他の隊員がお金を出すことがないように計画し実行する
 ・全ての出納を記録し、旅行後に経理報告を作成
 ・栞を基に、決められた時間内にみんなが行動出来る様、行動する

(5)HMK紀行全体記事の予備編集→清水副長
  機関誌の夏号に向けて、事前にあらかじめ執筆者分担作成
  記事内容と執筆者について試案
  3月20日までにHMK編集会議で決定、7月号執筆依頼

5.まとめ
 以上の意義・目的は無事達成され、当日事故もなく予定通りにHMKは完了しました。詳細はすでに「博物館・明治村研修旅行HMK(1)歴史的建造物探訪」、同「(2)歴史的な蒸気動車と京都市電」の二つを掲載しました。

(2)歴史的な蒸気動車と京都市電←続く→目次:博物館・明治村研修旅行HMK2008

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2008年6月 2日 (月)

小説木幡記:2008/06/02(月)邪馬台国周遊図書館の幻視

Smiwayama 今日、ときどき考え込んでいたのだが、今一番希望に燃えていることは何か、ということだった。
 それは、邪馬台国周遊図書館ジオラマを今夏作ることだった。
 計画では、大きさが120センチx90センチを予定している。普通は180x90で一畳分くらいらしいが、葛野研もせまくなってきたので、小ぶりにした。
 奈良県桜井市、纒向(まきむく)の古墳群が中心となるから、ややこしい線路はできるだけ山の中に埋めてしまうつもりだ。となると、隠すべき山として三輪山とか巻向山とか龍王山とかを設定することになる。

Syamataikoku どんな二階建てトロッコ図書館列車を走らせるのか。列車の様子、構造はどうなっているのか、オープンカフェではどんなメニューを用意するのか。ビフカツサンドとキリマンジャロ珈琲とか、ヱビスビールとプレーンオムレツとか、夢は広がる。
 そしてどんな図書を列車に積み込み、特に展望図書館分室には、どういった図書館施設と資料・コレクションを置くのか。各分館駅待機線の運用はどうするのか。考えていると、気持が一杯になり、卑弥呼の幻影を見てしまう。
 卑弥呼の宮殿をどこにおくのか、未定。

注:三輪山周辺の地図は、「プロアトラスW3/アルプス社」の「ジオラマ」機能で作成したものです。

 

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2008年6月 1日 (日)

NHK篤姫(22)老中・阿部正弘の死

承前:NHK篤姫(21)愛の理屈--側室お志賀の心

今夜はうしろのまとめからはいりましょう。
 家定は老中阿部正弘の死を聞き、飲みかけていた薬包を落とします。
 篤姫には、「阿部に総てをまかせていたのに、死んでしまった」と本音を伝えます。
 篤姫は、「将軍としての矜恃は何処に!」と、まなじり決して詰め寄ります。
 家定は冷ややかに言います、「そちに、何が分かる?」と。
 そのわけはこうでした。

 家定の兄弟は上に何人もいたのですが、結局すべて若死にし、自分が将軍になった。つまり、このころの将軍職というのはすでに、回りの政治的状況の結果としてなるもので、傀儡だったようですね。
 考えてみれば、当時島津斉彬の子供たちが何人も不審な死を遂げています。これは「おゆら」説があるわけですが、ドラマでも以前、篤姫がおゆら(と、斉彬の父)を訪ねたとき、おゆらさんは薬研(やげん:薬を作る器具)をさわっていました。あれは長い伏線かもしれません。

 家定は篤姫に言います。「余もすでに何度も毒をもられ、身体はボロボロになっている」と。
 どのような政権も末期になると、こういった不明瞭なことが頻発するのでしょう。

 ミステリーの世界では毒殺する役割は大抵女性なのですが。
 ヒ素は怖い毒で、長期間にわたって蓄積されて死亡するようです。とすると、お毒味役と毒殺対象者とは、双方命がけですね。1:10程度の割合でお毒味役の方が軽症で済みそうです。(お毒味役は、箸を付ける程度と想像してのこと)
 家定の話がもし現実なら、残酷な話です。
 家定がハムレット役をするのも無理ないと思った一夜でした。

予習:阿部正弘
 インターネットで「備後福山藩藩主(第7代)、藩校誠之館(せいしかん)創設者」に、人物像がありました。
 福山城というと、広島や九州へ旅するとき、「福山駅」新幹線の車中から見えます。

福山城

(広島県福山市丸之内1丁目)

 地図で見ると広島県の東に位置し、隣は岡山県の笠岡市です。想像に過ぎませんが、なんとなく明るくて気候がよくて、食べ物も美味しくて、住んでいる人達ものんびりしているように思いました。鞆の浦(とものうら)という名所がありますが、これは内田康夫さんのミステリー「浅見光彦シリーズ」で一冊ありまして、読んだことがあります。その読後印象から、このあたりに好感を持つことになったようです。

 松山藩七代藩主だった正弘は25歳で老中になりました。阿部氏は徳川家の譜代大名として、家康以前から松平氏に仕えた家柄ですから、譜代の中でも特別だったようです。
 家柄が理由であっても、25歳~39歳、病没するまで長きにわたり幕府の要職を務めた人でしたから、優秀な大名だと思いました。
 種々この方の事績を眺めてみると、当時世界の潮流と徳川幕府との調整役だったわけです。外様大名の島津斉彬を幕政に参加させただけでなく、勝海舟やジョン万次郎まで、さまざまな仕事に重用しました。そういうやり方は幕府の伝統に反するものでもあったから、反発も心労も大きかったと思います。
 草刈正雄さんの老中首座役はよかったです。

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五十八万アクセス(58万/全体101万):MuBlogの分析

承前:五十七万アクセス(57万/全体99.3万):MuBlogの分析 (2008.05.16)

承前:小説木幡記:2008/05/22(木)百万アクセスの記念

本日→観測日時:2008/06/01(日)03:38

MuBlog累計アクセス数:580178 一日当たり 377.47
 (開設日2004/03/07 記事数 1,430 件 コメント 4,026 件 トラックバック 1,098 件 )
サイト全体アクセス数:1011421 一日当たり 658.05

↓解析対象期間: 2008年5月2日(金) ~ 2008年5月31日(土)

(0) MuBlog58万アクセスの感想

 今回一ヶ月当たりの、MuBlog単体58万アクセスの特徴は、全体としては「桜」記事が激減したことが目に付きます。71位に佐野桜がかろうじて残っているだけとなりました。季節物の顕著なところです。

 変わったところでは、検索エンジンからのアクセスとして次のデータ(後述(2)から上位抽出)を御覧下さい。

 1位の「丕緒の鳥 」が月当たり240回検索アクセスされましたが、この件については以前にも記しました。不思議な想いがします。それよりも8位の「第一次川中島の戦い」79回検索アクセスが分かりにくいです。この対象記事は昨年のものですから、なにか特定の原因があって突然アクセスが増加したのでしょうが、理由が掴めません。五月の下旬あたりから突然の増加現象だったのです。記事「NHK風林火山(39)第一次川中島の景虎と晴信」へのアクセスが増加し、その事情がまったく分からない(笑)という分析です。こういうカレント情報で、昨年の記事が浮上するのは稀なことだからです。

 blog記事はオリジナルが良いと言えますが、それは難しいことです。MuBlogも大抵は他人の作ったドラマや小説、ようするに人様の努力の結実に寄りかかっている節があります。これは昭和初期から「文藝評論家」が悩んだところです。

 しかし、最近ずっと独自に熱心に書いている「教材研究:嵯峨野鉄道図書館」がようやく、43、58、94位に姿を現してきました。「涼夏2007PC」の域には達していませんが、幾分ほっとしております。PC自作については、昨年初夏以来まったく筆を染めておりません。今秋くらいにはパッと華やかな新機種を作ってみたいです。

(1)ページ別アクセス数:1ヶ月分:MuBlog のみ

アクセス数: 20,970
訪問者数: 16,292
解析ページ 訪問者 アクセス
1 トップページ 774 1,471 4.8% 7.0%
2 NHK篤姫(17)小松帯刀前夜 531 641 3.3% 3.1%
3 丕緒の鳥(ひしょのとり)・十二国記/小野不由美:雪のような音 420 464 2.6% 2.2%
4 自作鉄道模型 294 383 1.8% 1.8%
5 涼夏2007PCの自作 (1)アクリルケースとファン、電源 266 352 1.6% 1.7%
6 涼夏2007PCの自作 (3)マザーボード(GA-G33M-DS2R GIGABYTE社) 250 332 1.5% 1.6%
7 NHK篤姫(09)薩摩の話:幾島の特訓 262 319 1.6% 1.5%
8 NHK篤姫(18)斉彬の篤姫密命よりも尚五郎の決心 241 310 1.5% 1.5%
9 涼夏2007PCの自作 (8)RAID設定(WindowsXP)とグラフィックスボード 190 293 1.2% 1.4%
10 Prius(日立製ノートパソコン)のハードディスク交換 193 252 1.2% 1.2%
11 NHK篤姫(19)大奥の習わしもどこ吹く風 178 231 1.1% 1.1%
12 地図の風景 196 209 1.2% 1.0%
13 NHK篤姫(20)徳川十三代将軍家定との婚礼 161 194 1.0% 0.9%
14 CPU空冷装置・換装のお勧め・SAMURAI-Z 114 191 0.7% 0.9%
15 ノート・パソコンのハードディスク交換、取り扱い処方 135 174 0.8% 0.8%
16 NHK風林火山(39)第一次川中島の景虎と晴信 165 170 1.0% 0.8%
17 CPU空冷装置・掃除のお勧め 138 169 0.8% 0.8%
18 昭和の鉄道模型をつくる(18) バー&寿司屋 122 167 0.7% 0.8%
19 涼夏2007PCの自作 (7)配線とアクリルケース 85 144 0.5% 0.7%
20 昭和の鉄道模型をつくる(26) 銭湯「松乃湯」 104 143 0.6% 0.7%
21 新世界より/貴志祐介 (上下):日本のアンチユートピア小説 127 140 0.8% 0.7%
22 小説木幡記:2008/05/06(火)与謝蕪村展:MIHO MUSEUM(ミホ・ミュージアム) 103 137 0.6% 0.7%
23 NHK篤姫(21)愛の理屈--側室お志賀の心 108 133 0.7% 0.6%
24 京都の書店 122 130 0.7% 0.6%
25 昭和の鉄道模型をつくる(25) 動力ユニット 63 120 0.4% 0.6%
26 NHK篤姫(01)薩摩の話:島津斉彬(なりあきら) 112 119 0.7% 0.6%
27 室町和久傳(むろまち・わくでん) 84 114 0.5% 0.5%
28 涼夏2007PCの自作 (4)グラフィックスボード(EN8600GT SILENT/HTDP/256M)ASUS 92 113 0.6% 0.5%
29 涼夏2007PCの自作 (5)メモリ:A-Data社 DDR2 SDRAM PC2-6400 ADATA 1GB & Heat sink 91 108 0.6% 0.5%
30 甘樫丘東麓遺跡(あまかしのおか・とうろくいせき)と蘇我入鹿邸跡 82 106 0.5% 0.5%
31 NHK篤姫(15)篤姫と西郷吉之助の縁 84 105 0.5% 0.5%
32 昭和の鉄道模型をつくる(14) トンネル1 73 99 0.4% 0.5%
33 ti voglio bene : t.v.b (リストランテ ティ・ボリオ・ベーネ) 59 97 0.4% 0.5%
34 ミホミュージアムの秋 77 96 0.5% 0.5%
35 浦沢直樹の「20世紀少年」は「21世紀少年」で終わったのか 84 94 0.5% 0.4%
35 昭和の鉄道模型をつくる(19) 喫茶店(ラメール) 74 94 0.5% 0.4%
35 読書余香 87 94 0.5% 0.4%
38 昭和の鉄道模型をつくる(04) ホーム 71 92 0.4% 0.4%
39 私の京都:ブックファースト京都河原町店 81 91 0.5% 0.4%
40 枝魯枝魯(ぎろぎろ)の一夜 76 89 0.5% 0.4%
41 HD(ハードディスク)の直付け増設のお勧め 72 87 0.4% 0.4%
41 昭和の鉄道模型をつくる(23) 菓子屋(井口菓子店) 64 87 0.4% 0.4%
43 目次:嵯峨野鉄道図書館ジオラマ 42 86 0.3% 0.4%
44 昭和の鉄道模型をつくる(21) 八百屋(丸茂青果) 60 85 0.4% 0.4%
45 昭和の鉄道模型をつくる(11) ポイントマシン(電動化の磁石)とDCフィーダー(送電線) 56 84 0.3% 0.4%
45 NHK篤姫(02)薩摩の話:調所広郷の自死 72 84 0.4% 0.4%
47 私の京都:蛇塚古墳:魔界巡礼秦氏の謎 60 83 0.4% 0.4%
48 前方後円墳の航空写真 50 79 0.3% 0.4%
48 昭和の鉄道模型をつくる(16) バス車庫 60 79 0.4% 0.4%
50 涼夏2007PCの自作 (6)CPU:Intel Core2 Duo Processor E6600 48 78 0.3% 0.4%
51 昭和の鉄道模型をつくる(22) パン屋(みのりベーカリー) 60 73 0.4% 0.3%
52 日本・歴史・古代:白鳥伝説/谷川健一 56 72 0.3% 0.3%
53 邪馬台国はどこか/NHK歴史の選択 54 71 0.3% 0.3%
54 図書館司書採用試験問題概説:県立図書館・関西・200702 61 69 0.4% 0.3%
55 じょうしょうこうじ:常照皇寺 51 68 0.3% 0.3%
56 ながればし:流れ橋(上津屋橋) 43 67 0.3% 0.3%
56 みたかのもりじぶり:三鷹の森ジブリ美術館 58 67 0.4% 0.3%
58 涼夏2007PCの自作:目次とまとめ 50 66 0.3% 0.3%
58 嵯峨野鉄道図書館ジオラマ(08) 第一期完成と列車 45 66 0.3% 0.3%
58 椿井大塚山古墳の現況写真 32 66 0.2% 0.3%
61 私の京都:四条大橋と三条大橋の美味しいところ 54 65 0.3% 0.3%
61 昭和の鉄道模型をつくる(13) 土台の補強材(スチレンボード) 57 65 0.3% 0.3%
63 小説木幡記:2008/05/13(火)黄金色の三角縁神獣鏡 45 63 0.3% 0.3%
63 美味しいところ 54 63 0.3% 0.3%
65 登喜和(ときわ)のステーキと春の京北周山町 35 62 0.2% 0.3%
65 自作ロボット 60 62 0.4% 0.3%
67 涼夏2007PCの自作 (2)ハードディスクとDVDのセット 37 60 0.2% 0.3%
67 さくらだ:桜田 38 60 0.2% 0.3%
69 神々の乱心/松本清張<感想文 その1:上品な吉屋特高係長> 48 59 0.3% 0.3%
70 Blogメモ 54 58 0.3% 0.3%
71 昭和の鉄道模型をつくる(05) 交番・詰め所・公衆便所 41 57 0.3% 0.3%
71 桜の森:佐野藤右衛門邸の桜 38 57 0.2% 0.3%
73 二階建て図書館列車考(4)Maxとき、上越新幹線(E1系新塗装) 53 56 0.3% 0.3%
73 NHK篤姫(13)江戸の確執:英姫と篤姫 44 56 0.3% 0.3%
75 吉田屋・エスプレッソ珈琲:私の京都・河原町通{四条→三条} 14 55 0.1% 0.3%
75 卑弥呼の墓(005) 邪馬台国は古代大和を征服した/奥野正男 46 55 0.3% 0.3%
75 ノート・パソコンのハードディスク保守(シャープのメビウス・ノート) 45 55 0.3% 0.3%
78 古いノートパソコン・再生のお勧め:SONY-Vaio(2000年)に外付けハードディスク 48 54 0.3% 0.3%
78 NHK篤姫(14)篤姫、父(島津忠剛)の死 42 54 0.3% 0.3%
80 昭和の鉄道模型をつくる(10) ミニ手動ポイント(PL140-30) 32 53 0.2% 0.3%
81 くろづかこふん:黒塚古墳・展示館 39 52 0.2% 0.2%
82 秘花/瀬戸内寂聴 著 <感想:世阿弥の佐渡島> 37 51 0.2% 0.2%
83 冷蔵庫の応急修理・20年ほど昔の日立製 42 50 0.3% 0.2%
84 最古の前方後円墳(邪馬台国?)東田大塚古墳、矢塚古墳 37 49 0.2% 0.2%
84 姑獲鳥の夏:うぶめのなつ(映画) 40 49 0.2% 0.2%
86 昭和の鉄道模型をつくる(03) 駅舎(面影橋駅) 32 48 0.2% 0.2%
86 小説木幡記:2008/05/22(木)百万アクセスの記念日 23 48 0.1% 0.2%
86 隠された十字架--法隆寺論/梅原猛 45 48 0.3% 0.2%
86 NHK風林火山 34 48 0.2% 0.2%
90 勤王志士・古高俊太郎邸跡と、しる幸:私の京都・河原町通{四条→三条} 34 47 0.2% 0.2%
90 昭和の鉄道模型をつくる(15) トンネル2 34 47 0.2% 0.2%
90 二階建て図書館列車考(3)京阪特急ダブルデッカー(8000系) 31 47 0.2% 0.2%
90 NHK篤姫 37 47 0.2% 0.2%
94 ヴァンパイア・レスタト/アン・ライス 42 46 0.3% 0.2%
94 飛鳥の「真弓鑵子塚古墳」(まゆみかんすづか):巨大石室と、南北通り抜け羨道 36 46 0.2% 0.2%
94 嵯峨野鉄道図書館 35 46 0.2% 0.2%
97 自作PC 39 45 0.2% 0.2%
98 平城京、長岡京、平安京:三都の南北標高差 39 44 0.2% 0.2%
98 卑弥呼の墓(006) 邪馬台国がみえてきた/武光誠 42 44 0.3% 0.2%
98 応神天皇陵と二ツ塚古墳の関係 37 44 0.2% 0.2%
98 NHK風林火山:後日談→勘助、由布姫、ガクト 38 44 0.2% 0.2%
98 恭仁京と紫香楽宮 (0)はじめに 31 44 0.2% 0.2%
103 げんじものがたりミュージアム:源氏物語ミュージアム 36 42 0.2% 0.2%

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解析ページ 訪問者 アクセス
1 NHK篤姫(17)小松帯刀前夜 389 389 17.2% 17.2%
2 NHK篤姫 121 121 5.4% 5.4%
3 NHK風林火山(39)第一次川中島の景虎と晴信 93 93 4.1% 4.1%
4 NHK篤姫(18)斉彬の篤姫密命よりも尚五郎の決心 89 89 3.9% 3.9%
5 NHK篤姫(19)大奥の習わしもどこ吹く風 59 59 2.6% 2.6%
6 NHK篤姫(09)薩摩の話:幾島の特訓 56 56 2.5% 2.5%
7 NHK篤姫(20)徳川十三代将軍家定との婚礼 51 51 2.3% 2.3%
8 トップページ 36 36 1.6% 1.6%
9 NHK風林火山 34 34 1.5% 1.5%
10 丕緒の鳥(ひしょのとり)・十二国記/小野不由美:雪のような音 32 32 1.4% 1.4%
11 NHK篤姫(15)篤姫と西郷吉之助の縁 31 31 1.4% 1.4%
12 小説木幡記:2008/04/29(火)葛野のことも夢のまた夢 27 27 1.2% 1.2%
12 NHK篤姫(21)愛の理屈--側室お志賀の心 27 27 1.2% 1.2%
14 私の京都:四条大橋と三条大橋の美味しいところ 24 24 1.1% 1.1%
14 NHK篤姫(13)江戸の確執:英姫と篤姫 24 24 1.1% 1.1%
16 昭和の鉄道模型をつくる(03) 駅舎(面影橋駅) 22 22 1.0% 1.0%
16 NHK篤姫(14)篤姫、父(島津忠剛)の死 22 22 1.0% 1.0%
18 NHK風林火山(43)関東管領上杉謙信・信濃守護武田信玄 21 21 0.9% 0.9%
18 小説木幡記:2008/02/02(土)二階建て電車:京阪ダブルデッカー:近鉄ビスタカー 21 21 0.9% 0.9%
20 昭和の鉄道模型をつくる(16) バス車庫 19 19 0.8% 0.8%

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1 丕緒の鳥  G Y M 240 1.7%
2 幾島  G Y M 235 1.7%
3 昭和の鉄道模型をつくる  G Y M 233 1.7%
4 GA-G33M-D S2R  G Y M 166 1.2%
5 小松帯刀 篤姫  G Y M 124 0.9%
6 小松帯刀  G Y M 108 0.8%
7 昭和の鉄道模型  G Y M 106 0.8%
8 第一次川中島の戦い  G Y M 79 0.6%
9 丕緒(ひしょ)の鳥  G Y M 71 0.5%
10 甘樫丘  G Y M 66 0.5%
11 アクリル PCケース 自作  G Y M 65 0.5%
12 貴志祐介 新世界より  G Y M 55 0.4%
13 NHK篤姫  G Y M 52 0.4%
14 ミホミュージアム  G Y M 50 0.4%
15 じぶり  G Y M 41 0.3%
16 篤姫  G Y M 39 0.3%
17 昭和の鉄道模型を作る  G Y M 36 0.3%
18 ぎろぎろ  G Y M 34 0.2%
19 篤姫 小松帯刀  G Y M 33 0.2%
20 椿井大塚山古墳  G Y M 32 0.2%
21 京都 大型書店  G Y M 31 0.2%
21 黒塚古墳資料館  G Y M 31 0.2%
23 NHK篤姫  G Y M 30 0.2%
24 京都 ぎろぎろ  G Y M 29 0.2%
24 小松帯刀 子孫  G Y M 29 0.2%
24 うぶめのなつ  G Y M 29 0.2%
24 PC ファン 掃除  G Y M 29 0.2%
28 自作PCケース アクリル  G Y M 28 0.2%
28 二十世紀少年 ネタバレ  G Y M 28 0.2%
28 前方後円墳 写真  G Y M 28 0.2%
31 レスタト  G Y M 27 0.2%
31 掛け守り  G Y M 27 0.2%
33 SAMURAI Z  G Y M 25 0.2%
33 英姫  G Y M 25 0.2%
33 わくでん  G Y M 25 0.2%
33 上津屋橋  G Y M 25 0.2%
37 五色塚古墳  G Y M 24 0.2%
37 CPU 掃除  G Y M 24 0.2%
37 Nゲージの部品の作り方  G Y M 24 0.2%
37 ディオゲネス症候群  G Y M 24 0.2%
37 常照皇寺  G Y M 24 0.2%
42 大奥滝山  G Y M 23 0.2%
42 佐野藤右衛門  G Y M 23 0.2%
44 長尾真  G Y M 22 0.2%
44 GA-G33M-D S2R   G Y M 22 0.2%
44 じょうしょうこうじ  G Y M 22 0.2%
47 リストランテ t.v.b  G Y M 21 0.1%
47 修飾麻疹  G Y M 21 0.1%
47 鉄道模型 トンネル  G Y M 21 0.1%
50 京都 桜田  G Y M 20 0.1%
50 篤姫 家定  G Y M 20 0.1%
50 昭和の「鉄道模型」をつくる  G Y M 20 0.1%
50 蛇塚古墳  G Y M 20 0.1%
54 HD 増設  G Y M 19 0.1%
54 CPU シリコングリス 塗り方  G Y M 19 0.1%
54 nhk篤姫  G Y M 19 0.1%
54 白鳥伝説 谷川健一  G Y M 19 0.1%
54 堺雅人  G Y M 19 0.1%
54 室町和久傳  G Y M 19 0.1%
60 ハードディスク 増設  G Y M 18 0.1%
60 神々の乱心  G Y M 18 0.1%
60 篤姫 幾島  G Y M 18 0.1%
60 平城京 地図  G Y M 18 0.1%
60 由布姫  G Y M 18 0.1%
65 京都 書店  G Y M 17 0.1%
65 小松帯刀 小説  G Y M 17 0.1%
65 プチロボX  G Y M 17 0.1%
65 応神天皇陵  G Y M 17 0.1%
65 asus raid 設定  G Y M 17 0.1%
70 PCケース アクリル 自作  G Y M 16 0.1%
70 桜田 京都  G Y M 16 0.1%
70 童貫  G Y M 16 0.1%
70 与謝蕪村展  G Y M 16 0.1%
74 鍵善  G Y M 15 0.1%
74 税所篤  G Y M 15 0.1%
74 西都原考古博物館  G Y M 15 0.1%
74 ドナルド・アグニ  G Y M 15 0.1%
74 谷川健一 白鳥伝説  G Y M 15 0.1%
74 辛味大根 そば  G Y M 15 0.1%
74 秘花  G Y M 15 0.1%
74 ブックファースト京都店  G Y M 15 0.1%
82 風林火山 ガクト  G Y M 14 0.1%
82 禁断の惑星  G Y M 14 0.1%
82 ながればし  G Y M 14 0.1%
82 楊令  G Y M 14 0.1%
82 NEC ノートPC HDD交換  G Y M 14 0.1%
82 ドナルド アグニ  G Y M 14 0.1%
88 20世紀少年 あらすじ  G Y M 13 0.1%
88 アクリルケース 自作  G Y M 13 0.1%
88 渡辺豊和  G Y M 13 0.1%
88 しる幸 京都  G Y M 13 0.1%
88 自作鉄道模型  G Y M 13 0.1%
88 ケースファン 電源  G Y M 13 0.1%
94 卑弥呼 邪馬台国  G Y M 12 0.1%
94 京都の大型書店  G Y M 12 0.1%
94 長州砲  G Y M 12 0.1%
94 真田幸隆  G Y M 12 0.1%
94 谷川健一  G Y M 12 0.1%
94 梅原猛 隠された十字架  G Y M 12 0.1%
94 Windows XP RAID  G Y M 12 0.1%

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1 京都 581 4.1%
2 篤姫 494 3.5%
3 自作 350 2.5%
4 小松帯刀 339 2.4%
5 幾島 273 1.9%
6 鉄道模型 256 1.8%
7 丕緒の鳥 254 1.8%
7 昭和の鉄道模型をつくる 254 1.8%
9 GA-G33M-D S2R 221 1.6%
10 地図 194 1.4%
11 昭和の鉄道模型 164 1.2%
12 ジオラマ 149 1.1%
13 アクリル 144 1.0%
14 掃除 139 1.0%
15 風林火山 122 0.9%
16 PCケース 106 0.8%
17 写真 103 0.7%
18 ファン 100 0.7%
19 新世界より 99 0.7%
19 ハードディスク 99 0.7%
21 邪馬台国 94 0.7%
22 ぎろぎろ 91 0.6%
23 森博嗣 89 0.6%
24 丕緒(ひしょ)の鳥 85 0.6%
25 感想 83 0.6%
25 甘樫丘 83 0.6%
27 小説 82 0.6%
27 CPU 82 0.6%
29 第一次川中島の戦い 80 0.6%
30 貴志祐介 79 0.6%
31 設定 75 0.5%
32 RAID 74 0.5%
33 ミホミュージアム 72 0.5%
34 ノートパソコン 70 0.5%
35 raid 69 0.5%
36 模型 68 0.5%
37 PC 64 0.5%
38 ハードディスク交換 61 0.4%
39 交換 60 0.4%
40 増設 59 0.4%
40 卑弥呼 59 0.4%
42 NHK 57 0.4%
43 NHK篤姫 56 0.4%
44 二十世紀少年 55 0.4%
45 ノート 53 0.4%
45 大型書店 53 0.4%
47 前方後円墳 52 0.4%
48 HDD交換 51 0.4%
48 谷川健一 51 0.4%
48 書店 51 0.4%
48 桜田 51 0.4%
52 登喜和 49 0.3%
53 日立 48 0.3%
53 ケース 48 0.3%
55 ガクト 47 0.3%
55 ネタバレ 47 0.3%
57 伏見 46 0.3%
57 松本清張 46 0.3%
59 英姫 45 0.3%
60 じぶり 44 0.3%
60 ケースファン 44 0.3%
62 大奥 43 0.3%
62 昭和の鉄道模型を作る 43 0.3%
62 塗り方 43 0.3%
62 堺雅人 43 0.3%
62 43 0.3%
67 XP 42 0.3%
68 windows 41 0.3%
68 古墳 41 0.3%
68 家定 41 0.3%
68 prius 41 0.3%
72 cpu 40 0.3%
72 司書 40 0.3%
72 しる幸 40 0.3%
75 掛け守り 39 0.3%
75 レイアウト 39 0.3%
75 Nゲージ 39 0.3%
78 白鳥伝説 38 0.3%
78 京都市 38 0.3%
80 和久傳 37 0.3%
81 配線 36 0.3%
81 鉄道 36 0.3%
81 椿井大塚山古墳 36 0.3%
81 グリス 36 0.3%
81 黒塚古墳資料館 36 0.3%
81 水滸伝 36 0.3%
87 金魚 35 0.2%
88 佐野藤右衛門 34 0.2%
88 うぶめのなつ 34 0.2%
88 わくでん 34 0.2%
88 A-DATA 34 0.2%
88 分解 34 0.2%
93 ポイントマシン 33 0.2%
93 新撰組 33 0.2%
93 子孫 33 0.2%
96 与謝蕪村 32 0.2%
96 ラーメン 32 0.2%
96 プチロボ 32 0.2%
96 NEC 32 0.2%
96 由布姫 32 0.2%

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1 東京 1,405 23.5%
2 大阪 642 10.8%
3 京都 542 9.1%
4 神奈川 460 7.7%
5 愛知 299 5.0%
6 埼玉 241 4.0%
7 静岡 205 3.4%
8 福岡 204 3.4%
9 千葉 200 3.4%
10 兵庫 177 3.0%
11 三重 128 2.1%
12 北海道 121 2.0%
13 茨城 116 1.9%
14 滋賀 81 1.4%
15 広島 68 1.1%
16 宮城 67 1.1%
17 栃木 63 1.1%
18 奈良 60 1.0%
19 長野 59 1.0%
20 岐阜 58 1.0%
21 岡山 57 1.0%
22 鹿児島 54 0.9%
23 群馬 52 0.9%
24 新潟 45 0.8%
25 石川 44 0.7%
26 福井 38 0.6%
27 愛媛 34 0.6%
28 山口 33 0.6%
29 香川 32 0.5%
30 福島 31 0.5%
31 秋田 29 0.5%
31 熊本 29 0.5%
33 大分 28 0.5%
34 富山 27 0.5%
35 岩手 25 0.4%
35 長崎 25 0.4%
37 青森 23 0.4%
38 宮崎 22 0.4%
39 和歌山 21 0.4%
40 高知 20 0.3%
41 沖縄 19 0.3%
42 徳島 18 0.3%
43 山梨 17 0.3%
43 鳥取 17 0.3%
45 山形 13 0.2%
46 島根 12 0.2%
47 佐賀 8 0.1%

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