小説木幡記:2008/06/12(木)歌を忘れても
日常のよしなしごとに倦んだとき、歌を詠う人生だったなら、こういうときに良いだろうな、と思ってしまう。
と言っても、現代詩を書いたこともないし、短歌や俳句を作った覚えもない。
それに日常に倦んだといっても、飽き飽きしたわけではない、肌がちくりと刺されるほどの軽い倦怠感。体調の都合なんだろうと分かってはいる。そう言えば、持病で身体がだるい。
高校生の時、先輩にあたる、つまり悪友の家庭教師の京大生(土木工学だったな)の下宿にみんなで遊びに行ったとき、斎藤茂吉の岩波新書上下を勧められた。『万葉秀歌』だった。
柔軟な頭脳の十代のうちに、万葉集とか勅撰集なんかの名歌を諳(そら)んじておけばよかったと、ため息混じりの後悔をしている。歌のリズムとか背景は、そのころまでに身体に染み込ませておかないと、それから数十年後の今夜、「歌」と思っても、身内からなにもでてこない。
やきもきする。
論語なんかの素読も十代までに、宗教もそのころまでに、芸事の家元に生まれると三歳ころから、心身に染み込ませることが多いようだ。歌もそうかもしれない。
とすると、世間を見渡して、歌を忘れたわけじゃなく、歌をしらない心身のまま歳を取っていく人生が多いのだろう。頭のよい成人をみていると、歌など知らなくても、歌わなくても、一見充実した生を過ごしているように見えるが、詰まらなく思える。
余は今夜、詠いたくなったのだ。でも、詠えない。
コンピュータで日本語を操り分析していると、言葉のカラクリ、言葉の組み合わせに還元できると思うこともあるのだが、それでも、「歌」一首歌いたいと、思う夜がある。
右手を伸ばしたら『萬葉集名歌選釋/保田與重郎』があった。ページを無造作に広げると気を惹く歌があった。
草枕 旅ゆく君を 人目多み 袖振らずして あまた悔しも (十二巻)
現代なら新幹線とか空港で、雰囲気が合いそうな歌だった。しかし袖まで派手に振らずとも、小手を小さく振って惜別の情を伝えることもできそうだ。人目があるから袖ふることも出来なくて残念悔しいというのは、送る側が大勢いて、人には知られたくなかったのだろうか、と想像すると切ない話だ。
余が目に止めたのは、単純な「草枕」という枕詞が好きだから。このマクラコトバというのは、解読が難しいから、ただそういうふうに自然に言葉が口からでて、後に「旅」が続くものだと思ってきた。一時は「旅」を詠いたいから草枕と詠ったものと思っていたが、今では、そうじゃなくてきっと「草枕」と口にしたとたん、頭の中や心の中が「草枕」で一杯になったのだと、感じている。後の「旅」は理屈言葉なんだろう。
ただ、クサマクラと情感があふれ出してきたのだろう。
余も「草枕」と言いたくなるが、どうにも後が続かない。現代人だからなのか、それとも十代までに歌を身に染めてこなかったからなのか。そうだきっと、歌心を忘れているからなのだろう。
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コメント
草枕・・・たったその一言で、多くの想像を掻き立てる
和歌の持つ言葉の力は大きいですね。
とはいえ、たとえば短歌を楽しみたいと思っても、
シロウトには、せいぜい作った短歌を
新聞や短歌雑誌などに投稿するくらいで、
歌壇というシステムが、私にはどうもようわかりません。
茂吉の短歌が新年の新聞の一面を飾るような時代は遥か遠く、
現代は、ネット上で個人が心を吐露し、
そこに人々が共鳴するという時代になっているようで・・・。
日本語の開音節によくなじむ五・七・五調のもつ快いリズムは、
そこではなかなか生きにくいようですね。
五・七・五調で書いてるブログを、
あまり見たことがありません(笑)
短歌で言えば、個人的には
歌人ではない角川春樹さんが、
千葉刑務所に服役していた前後のことを詠んだ
「檻」という歌集が好きでした。
投稿: 伽羅 | 2008年6月15日 (日) 09時42分
上記コメント訂正です。
角川春樹さんの「檻」は歌集じゃなくて句集でした(笑)
短歌は当時の角川短歌に特別寄稿されていたものでした。
偉大な俳人の父を持ちながらも、父に反逆して生きた春樹さんですが、
寄稿歌には父への思いもにじみ出ているようでした。
俳人としての角川春樹さんは好きですね。
今は一行詩という形でHPをもっておられますが。
http://www.kawahakkoujo.com/index.html
一昔前の、高野公彦さんの短歌も好きです。
怪しくて不思議感のある独特の切り口でしたね。
ふかぶかとあげひばり容れ淡青の空は暗きまで光の器
ぶだう呑む口ひらくときこの家の過去世の人ら我を見つむる
投稿: 伽羅 | 2008年6月15日 (日) 10時50分
誹諧師伽羅さん
角川春樹さんの
http://www.kawahakkoujo.com/index.html
これ、読みました。
一行詩宣言というのがとても気に入りました。
来年は芭蕉さんのことを少し勉強するので、現代の春樹師匠も見ていきます。
「古来から山川草木、人間も含めあらゆる自然の中に見出してきた「魂」というものを詠うことである。」
こういう春樹師匠の書きっぷりはほれぼれしますな。大上段にふりかぶって古を尊ぶ姿がまぶしいです。
ところで伽羅さんは守備範囲が広い方ですね。ついていくのにあふあふしております。
投稿: Mu→伽羅 | 2008年6月15日 (日) 16時47分
歌や俳句は敷島の大和の国に続いた知的世界遺産だと思いますが、
哀しいかな今の時代には、それを発信する者が少なく、
ましてやそれを受け止める者は、もっと少ないと言えるでしょうね。
受け手の少ない媒体は、時代の旗手たり得ませんから、
俳句や歌の持つ思考の枠組みとしての強さを
今の日本人はほとんどもっていないことになるのでしょうね。
死の瞬間までカメラを回し続けるカメラマンが、
レンズを覗き続けることを通して死の恐怖に打ち勝つように、
定型詩を思考の中に組み込むものは、
困難や病においても、定型を通して自分を見据えますから、
ある種の骨子を持ちながら自分の困難と対峙するように思えます。
私の亡父は病を得て数年前に他界しましたが、
俳句や短歌を通して最後の数ヶ月の己れを
形に残していました。
角川春樹さんの一行詩には、
ほかの俳人にみられないほどの「気」が満ちていますね。
狂気を統御しようとする凄まじい気を感じます。
そういうところがストンと響くんですよね。
投稿: 伽羅 | 2008年6月16日 (月) 01時28分
まいど伽羅さん
「狂気を統御しようとする凄まじい気を感じます。」
そうですね。春樹先生には「狂」がありますね。それがMuを惹きつけます。他人の狂をみて、気持ちを鎮めるのが、芸術活動の要件の一つと思います。
Muは狂とか悲哀とか避けたいです。だから、芸術家のそれをみて、心を落ち着かせます。春樹先生の映画にも、狂がありました。
「定型」ですが、枠を設けてそのなかで狂い死にするのが日本の歴史の良さだと思います。たとえば歴代武家政権ないし豪族集団の中で、朝廷は枠だったのだと思います。
若年時は枠を越えることに奔走しますが、越えたら空虚があるだけです。人間でなくなり魔か禽獣になります。
信長はその一人。
諸外国では宗教が世界宗教が枠だったのでしょう。
日本の「枠組み」は朝廷だったと思います。
短歌や俳句はこれからさらに大切と考えています。
幼児期から、歌を詠う機会を設ければ、人口の数パーセントは歌詠みになることでしょう(笑)。
投稿: MU→伽羅 | 2008年6月16日 (月) 08時21分