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2008年6月 4日 (水)

小説木幡記:2008/06/04(水)年間出版点数8万件

 今夕久しぶりに、NHKクローズアップ現代を見ながら夕食をいただいた。
 現在日本の出版点数は、1990年代の20%増で、年間8万件らしい。国立国会図書館のカタロガー(目録担当者)も大変だろう。

 そして、取次店、出版社には返本の山、らしい。
 出版件数が増えたのに、中小書店は営業不振でぐんぐん減ってきて、さらに、全体の売り上げもますます減少しているとのこと。不思議な光景だった。普通は、需要と供給で、需要が増えるから供給する、と昔の経済原則にとらわれていたが、そうでない世界がありそうだ。

日本の出版社と取次の腐れ縁
 出版社は取次店(日販とか、東販とか)に図書をおろすと、取次店はいつもにこにこ現金払いというか、ある程度の売れ行き予測をして、出版社にお金を振り込むようだ。

 出版社:500万円分の図書→取次店
 出版社:200万円売上予想←取次店

 ところが、400万円分の図書が売れず、全国書店から大量の返本があったとする。
 差し引き100万円分しか売れず、すでに出版社は200万円もらっているから、
 出版社:100万円現金返済→取次店、となる。

 だが、出版社は100万円もの現金がないから、どうする!
 次の図書をまた性懲りもなく600万円分作って→取次店。
 すると、すると取次店は売上げ予測を100万円とみなして、出版社への現金振り込みを相殺、チャラにする。
 ところがどっこい、そうは問屋が卸さない。
 今度は、返本が500万円もでた!
 それでは、出版社も給料を払えないから、また、700万円分の図書を取次店に渡す。

 さて、上記の無限ループを書いていて、ばかばかしくなってきた。つまり、古典的自転車操業を出版社はやっているわけだ。取次店のリスクは、もし出版社がお手上げになったら、損金回収もできず、理論的には「売る物」がなくなる。そんな馬鹿な。

返本制度
 今の日本では書店も取次店も、売れなかったら出版社に商品(図書)を返す。出版社はしかし印刷部数の10%程度を著者に渡していて、返本があったから著者に返せとは言わないようだ。
 出版社は返本の山を持っていると資産とみなされ課税されるから、裁断、廃棄するらしい。

 以前、書店が持ち込まれた図書の封も切らずにそのまま返本する情景をTVで見た。書店も、あんまり毎日図書がくるから(日に200冊程度平均、出版されるらしい)、置き場所が無くなる。
 岩波は昔、書店の買い取り制度で有名だったが、今は知らない。
 要するに、返本制度は、取次も書店も中身をみないで、紙の塊だけが、東京と地方を往復する。

書店の図書ランキング
 書店も(大型書店がモデルだった)、売上げによって、目立つ場所に置く、背表紙だけ見せる、返本する、というモードを機械的に選んでいるようだ。5000位以下のランキング本は即刻返本になる。
 買う方も、年に1~2冊程度の購入読者は7割近くがランキングで選ぶようだ。つまり、ベストセラー本だな。
 ランキングといえば、Google を思い出して一人で爆笑していた。(これは、MuBlog読者だけの内輪ネタ)

 この世には、短期間ベストセラー本と、返本図書の二種類しかないのだろうな。

出版業界のたそがれ
 余は青年期から壮年期はじめまで、ながきにわたり「出版とは、志の発露」と考えてきた。出版社や著者の志が本の形をとり、有徳の読者の手に渡る、と真顔で信じていた。
 余はなぜそうおもったかというと、儲けるためなら本など作って売るな! 株でも風俗参入でもやればよい。その方が手っ取り早くお金になるだろう、出版関係業界諸君。

 どこでどうまちがったのか、「志(こころざし)」というような、抽象的な言葉はすでに日本にはなくなった、死語のようだ。古語辞典に載るくらいなのだろう。

というわけで
 出版業界も、もちろん取次関係業界も、紙出版が消えてインターネットにすべて収斂していったなら、一体どうするつもりなんだろうね。
 インターネットは、エージェントはあった方がよいが、出版社も取次社も何をしてよいか途方にくれるだろう。
 余なりに答えはある。
 革製本・金箔押文字で一冊1万円の文庫本を限定1000冊ほど、年に数回作る出版社になったなら、生き残るだろうね。また、そうまでして生き残りたいと思う関係業者だけが、うまくいくのだと思う。
 このままだと、国立国会図書館の司書が疲弊し、巨大な閉架自動書庫も満杯になってしまう。

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コメント

読者が何を求めるかでしょうね

 この番組は当方も見ました。
書店が大変だ、出版業界大変だという番組をNHKは年に数回はやっていますね、この数年。
やはりマスメディアであるNHK自身メディアの変遷は他人事ではないわけで。

 この番組を見て、根本はメディアが多様になりすぎたからだと感じました。
メディアというのはいろんな定義がされていますが語源をたどりますと、英語では(Media=Mediumの複数形)と辞書に書いてあります。
そして(Medium=中間)とも。
日本語では媒体とか媒介とか漢語で表しますから訳が分からなくなります。
しかし語源にもどれば(表現する人とその表現を享受する人の中間にあるもの)と極めてシンプルに理解できます。

 表現を伝える手段ですから本来はその表現に一番合った方法がいいのです。
たとえば(劇場型)のような文楽とかフラメンコとかはその場で五感を通じて享受しないと完結しません。
一方、文字という一番抽象化レベルの高い表現のバヤイ、さてそれを伝えるのにどういう方法が一番適しているのでしょう?
テレビでもパソコンでも携帯電話でも紙でも文字は表せます。
文字というより言葉だと言えば、声だけでも表せます。

 (本)というのは文字と写真を扱えますが他の(中間たち)に対してどういうアドバンテージを持つのか。
我々の世代の人間にとっては心落ち着く世界なのですが・・・。

投稿: ふうてん | 2008年6月 5日 (木) 10時05分

ふうてんさん
 難しい話ですね(笑)
 私は本文では、インターネット・メディア推進派のふりをしましたが、それは皮肉であって、実は生きている間は紙の本で十分と思っています。

 本が売れないのは、初等・中等の学校教育で国語の時間が少なくて、国語教師が授業を上手に運営しなかったからだと思います。それと、おっしゃるように本なんか読まなくても情報はいろいろあるから、基本的に「読書」の訓練ができなくなったからでしょうね。

 もともと本は売れる物じゃないと思います。よい本は難しい内容が多いし、文学でも読者に抽象化を強いますし。人は易きに流れますから、苦労して読書する人口はますます減ることでしょう。

 もともと資質のある人か、あるいはよほど訓練したひとでないと、読書は特殊技術、特殊能力に近くなっていると思います。
 唯一、電車の中で新聞や週刊誌や文庫を読む人を見ると、「本」の値打ちを感じます。
 そこで車中読書は、第1に暇つぶし、第2に独特の移動リズムが読書に幸いしているのだろうと考えています。→二階建てトロッコ図書館列車。

 さておき。
 読書という抽象化能力を持つ人は人口の数%で、それを越えた本をいくら出版しても、誰も読まないでしょうね。話題はTVや映画でも十分得られますから。

 結論。
 出版社の事情で容量以上の供給をするから、駄目になるのであって、これはしかたないですね。
 自動車や携帯やPC見たいな便利即効のものでも、やがて頭打ちになります。

投稿: Mu→ふうてん | 2008年6月 5日 (木) 14時38分

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