昭和の鉄道模型をつくる(26) 銭湯「松乃湯」
26:部品と工作(銭湯「松乃湯」)
建物造りはあと6~7回分になりました。(実は全部作ってしまった!())漸くサクサクと組み立てられるようになったので、残念なことです。計時したら一つを3分程度で組み上げるまでになっていました。早さを競うわけでなく、それほどに今回の建物シリーズは優れたキットだといいたかったのです。色合いやウエザリング(古色化)や細部がこれほどまで充実し、しかも部材と部材とが釘(瞬間接着剤など)なしで、ぴたりと収まる。宮大工の世界ですね。
このシリーズの成功要因は、おそらく建物シリーズの成熟が大きかった、と将来私は語る事でしょう。
しらべてみたら、トミーテックの「街並みコレクション」シリーズのようです。
このコレクションは人気があるらしく、「メーカー在庫が無し」と、今日の検索では表示されていました。残念なことです。鉄道模型世界は新刊書よりも古書店風が似合っています。よいなぁと思っても、大抵はどこのネット販売記事もメーカー記事も、在庫無し絶版表示ですから、古書流通に頼るような所が大部分です。
それにしても今回、この「松乃湯」、大きくてボリュームがあります。
26:鉄道模型の達人/大野雅志
写真は工場コンビナートで、すでに25年は経過した作品のようです。何度も改良修復して来たわけでしょう。みていると、「神は細部に宿る」という文芸世界の格言を思い出します。タンクとかパイプの複層した情景を見ていると頭の中がとろけてきそうになります。迫力ある小説を読んでいる気分です。
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ところが他方、大野さんは非常に表現の難しい「冬枯れの農村情景」もこなしておられます。たとえば、道ばたで「ヒメムカシヨモギ」の自生ドライ化した頭頂部を集めて、雑木に化することに成功されました。田んぼも雑巾を使って、アクリル塗料で染めるような技法も開発されたようです。
農家などは、今も現実にある家を採寸し、作られたようです。
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出来上がったものを写真や現物で眺めて感心するのも楽しいですが、こういった製作過程を知ってしまうと、いささか鬼気迫る思いもしたのです。レイアウト(ジオラマ)での情景表現とは、つまりは三次元立体芸術作品を制作するのと変わりはないのでしょう。
26:Atoz:特別編:試運転&レールの本貼り
車両が動かないときは、接続不良とか、線路や車輪の汚れにあると、要点が写真付きでありました。
レールのクリアボンドでの本貼りについてもありました。踏切やポイント部分にはボンドを塗らないのが鉄則らしく、これは私が以前まんまと失敗したところです(笑)。
26:昭和の『鉄道模型』をつくる
☆
もう一つは黒四ダムのことです。「黒部の太陽」ですね。高校の山岳部に在籍していたとき、トロッコに乗って通過した淡い記憶があります。先生がそれとなく「乗車に生命の保証はない」とつぶやいていたのが、はっきり頭に残っています。それで、熱心に記事を読みました。今さらながら、ものすごいプロジェクトだったと想像出来ました。昭和38年に黒部第四ダムが完成したのですが、延べ1000万人の作業員、総工費513億円、建設期間7年間、作業・殉職者171人。関係者はその間何度も挫折、絶望の淵にたったようです。
で、感動してインターネット記事をいろいろ追加して読みました。
どうしても、記録したいものがありました。
「黒部渓谷鉄道」。
こればっかりは、足腰丈夫な内に、体験したいと胸の内から熱い思いがわきあがってきました。
26:未来の図書館、過去の図書館
過去の図書館を現代に、そして未来に活かすことについて考えてみます。
図書館史の定説として、古い図書館の代表は、ニネベ(現イラク領域)で発掘されたアッシリア王国、アッシュル・バニパル王の王宮図書館と言われています。紀元前7世紀ころの図書館でしょうか。
当時の書籍は粘土板に楔形文字で書かれていました。王の図書館から発掘された二万数千点の粘土板は大英博物館などで今も修復解読されているようです。
粘土板だから残ったという考えが生まれます。
火災にあっても、粘土板だと煤けるだけで耐久性があります。数多くの粘土板は分類され、壺に保管されていました。印象的なのは、すでに目次や索引があったということです。
粘土板は材料費も安いし、簡単な描き直しも出来るので、便利なメディアだったのです。描き手は必要ですが、出版社も問屋も不要だったのでしょうね(笑)。
もちろん王宮図書館ですから、宮殿に自由に出入りする人しか、粘土板本をみることは出来なかったと思います。
重かったことでしょう。
持ち運びが難しい。その時代から800年後の初期キリスト教がじわじわと伸張したのは、羊皮紙などの両面描画・折りたたみ可能なメディアに聖書を記録して、背中に背負って各地を回ったからという説も耳にしました。粘土板に聖書を記録して持ち運ぶのは、現代自家用車でも無理で、鉄道貨車が必要とされたことでしょう。
粘土板で有名なのは、ギルガメッシュ叙事詩が残されており、そこになんと旧約聖書のノアの箱船伝説の、原型が描かれていた話です。つまり、ユダヤが栄えたもっと大昔のメソポタミアには、シュメール、アッシリアの二大文明が栄えていたわけですね。楔形文字の原始は、今から五千年前に遡るシュメール王国にあると言われています。
~
この項でメソポタミア文明の詳細を語る力量はないのです。
五千年以上も昔から、粘土板という本に文章が記録され、それが王国の維持経営に使われ、それを集めたところが書庫であり文書館、図書館であり、現代まで残って発掘され解読された、ということを言いたかったのです。
読書に楽しみを見出したのはアッシュル・バニパル王が各地の粘土板を収拾し、そこにギルガメシュ叙事詩という、一種の文学があったことからも推測できます。しかし、それよりも、本は情報は、パワー(権力)の源でもあったわけです。単に王朝を支える権力と、矮小化しているのではないのです。権力者とは次々と交代させられる、歴の泡沫みたいのものです。それよりも、ある時代の世界を、空間や時間の制約を超えて見渡せる機能が、記録情報にはあって、それがパワーの源になったということを、言いたかったのです。
それが集まった図書館とは、過去の歴史の中で、そしてこれからも、単純な物ではないようです。
わが、移動静止を兼ねる「二階建てトロッコ図書館列車」も、なまやさしい発想ではないのです(笑)。
追伸
ところで、最近の大阪府は若い知事を筆頭に、銭にならない博物館や図書館を次々と打ち壊しかけています。これは、その知事の子孫末裔に至るまで、「銭勘定しか頭になかった」と誹られることでしょう。
もともと博物館や図書館は、銭勘定に入れるべき物じゃなくて、人類史の教養なんですね。
そもそも教養では、メシは喰えない物ですよ。
歴代箱物行政を恥じるなら、中身を充実する算段を練るべきでしょう。
人類史の中で、聖域は必ずあるのです。
知事を選んで許した大阪府民は、後世、肩身の狭い思いをしかねませんね。
私の目には、近所の宇治平等院の敷地がもったいないから、爆破して整地して、業者に高く売って、建て売り住宅にするのが財政安定、理にかなっていると、言われたように写りました。あるいは女性に向かって、ファッションは無用、ナッパ服を着て寒さをしのげ、というようなものです。
{タリバン。石仏破壊。同根。}
後世の政府中枢が、国立国会図書館よりも、銭金が大切と言い出したら、~。そうならないように、大学教育はもっと豊かな教養を若者達に刷り込む必要があります。
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コメント
行政というものは、ハコモノを作るだけ作って、
お台所事情が悪くなると、ハコも、その中のコンテンツも
一緒くたにして潰してしまえというわけでしょうか。
メセナなんて言葉は、もう死語ですかね・・・・
それはそうと、今日京阪特急に乗ったら、
二階建てデッキの様子がいつもと違い、
椅子2列+通路+椅子1列という配置でした。
こういう車両もあるんですね。
投稿: 伽羅 | 2008年5月 8日 (木) 20時20分
まいどの伽羅さん
行政のことは、そういうことでしょう。
で、京阪特急。
知らなかった。そんな贅沢な新車があるのでしょうか。それはきっとMuBlogに京阪関係者がたぶらかされて、後日、きっと書庫を増設するのだと思いました。
それにしても。
ちょ、ちょっと。衝撃的ですね。
困ったな。
またしても、中書島駅で何台もの特急を見送り、結局乗れないことになってしまいそうです。
日々通勤の伽羅さんがいうことだから、本当にレアもの車両かもしれません。
投稿: Mu→伽羅 | 2008年5月 8日 (木) 21時06分