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2008年5月31日 (土)

昭和の鉄道模型をつくる(27) 薬局(大内薬局)

承前:昭和の鉄道模型をつくる(26) 銭湯「松乃湯」

27:部品と工作(大内薬局)

2701:大内薬局の正面
2702:大内薬局の横面
2703:大内薬局の背面

 この建物シリーズの古びた趣を素人技で出す術を考えてはいるのですが、難しいようです。
 しかしこういう精密模型で、現実感があるとかどうとかは、最近考えていません。表現としては「リアル」とか言いますが、それよりも、つるつるではない、歪みがある、一色ではない、色むらがある、名状しがたい色合い、壊れている、隙間がある、なにかしら無機物というよりも有機体、生命体のように形が可変です、と。つまり、計りがたい、計測しがたい趣が気に入りだしたのです。

 よく見ると、カメラレンズのせいではなく、ゆがんでいます、直線がありません、凸凹しています。そういう複雑な立体物を、このシリーズで手に出来て、楽しいのです。

27:鉄道模型の達人/加山雄三

271:加山雄三
 意外な方が「達人」として現れてきました。若大将と言うだけで私らの年代の者はすぐに分かるのですが、さて学生達はどうなんでしょう。「加山雄三ミュージアム」というサイトがあったのでリンクしておきます。「鉄道模型」を押すと写真もありました。
 伊豆にミュージアムがあって、洞窟めぐりとか、レストランとか、鉄道模型とか、まるで私も行ってみたくなる所ですね。そこのHOレイアウトは7.5X4mと書いてありますから相当に大きいものです。
 本誌の写真でみたジオラマ(レイアウト)は明るいヨーロッパの農村風でした。日本では北海道にもこういう風景があるのかもしれません。加山さんの心のイメージの再現らしいので、ご本人に聞かないと分からない点もあります。
 興味を惹かれたのは、少年期に熱中した「EF18」というタイプの電気機関車をHOゲージで手にするために、EF15の車体と、EF58の台車を組み合わせて作られたというお話でした。想像では、EF18タイプは製造販売されていなくて、EF15とEF58とは流通していたのでしょうか。
 著名な方がこういう方法論を使っているのを知って、なにか心強く感じました。
 列車の組み合わせの妙味ですね。
 私の場合なら、Nゲージの京阪特急ダブルデッカー車と大歩危トロッコ列車の組み合わせなんて、胸がドキドキしてきました。
 (両モデルとも稀少品なので、今は組み合わせる勇気が出ません)

27:AtoZ:(15)スプレー塗装・事始め

272:ジオラマ/レイアウトの制作(15)スプレー塗装・事始め
 以前「自作建物」の連載には往生しました。窓をカッターナイフで切る場面を見るたびに「私には、出来ない!」とうめき声を上げていたのです。
 今度のスプレー塗装は、気楽に読めました。すでに、改造・二階建てトロッコ図書館列車を作ったときに、この記事を真似たのです。つまり、段ボール箱を「簡易塗装ブース」として活用する意外な方法に感心したのです。狭い研究室で窓とドアを開けて、既成品のサロ124形ダブルデッカーや、カシオペア1号車に「国鉄黄かん色」スプレーをさっと吹きかけた次第です。
 案の定、絵に描いたような色むらが出ましたが、これは本誌の教えを守らずに雨の日に、至近(10センチ前後)から吹きつけをしたからでしたぁ
(私は、無意識に天の邪鬼なのかもしれません)
 そうそう、本誌記事の「試し塗り」は眼中にもなく、一挙に本番吹きつけをしました。
(私は、「叩きモデラ」と自称するだけあって、ものすご乱暴者のようです)

27:昭和の『鉄道模型』をつくる

273:昭和の『鉄道模型』をつくる
 巻頭に「長崎電気軌道」が見開きでありました。いわゆる路面電車なのですが、いくつか興味を惹かれて、気に入りました。
 乗車賃が100円なのです。部分的には乗り継ぎも可能で、市内中100円と考えてもよいようです。これくらいの乗車賃ならば、図書館列車ができても、利用しやすいと思いました。
 「九州の電車博物館」と呼ばれるほど多様な電車が走るようです。東京都電、熊本市電、仙台市電、箱根登山鉄道、……。私は常日頃、この「昭和の鉄道模型」では箱根登山鉄道の二両編成を最低速でじっくり走らせていますが、車両の出自が異なっても、路面電車では融通性があるのでしょうか。もしそうならば、鉄道図書館列車も、あらゆる車両を改造して、多種多様な目的に添わすことが、現実的な話になってくるわけです。たとえばカシオペア号のような個室タイプですと、徹底的な専門図書館列車を作る可能性がでてきました。
 軌道幅は合わないでしょうから、台車を改造しなければならなくなるでしょう。一般路面電車で20m級のカシオペアを牽引できるでしょうか? 路面電車の重連という方法がのこっていますね()。

 ただ、本誌記事では長崎の路面電車を市民の足、修学旅行生の旅の友として描かれています。
 それが事実なのでしょう。
 そこで私は、静粛さを必要とする図書館列車と路面電車の相関をあれこれ思い悩み始めたという、そういう呼び水になった記事でした。明治村の市電は楽しかったですが、お尻がガッツンゴッツンと突き上げられて、ゴォゴォ騒音があって、読書は無理でした。
 (なぜ、移動中の読書に拘っているかについては、後日まとめるつもりです)

27:未来の図書館、過去の図書館 無人図書館の贅沢
 図書館とか情報・知識に関わってきて、だんだん半世紀に近くなってきます。(まだ、ですが
 若年時を長く経験して、ついに今になって思うのは、加齢現象はいよいよますます幼少年期や青年期の世界に対する「想い」を膨らませていくということですね。そこへ戻りたいなどとはまったく思いません。ガキはガキの世界であって、世間がいうほど純真でも清純無垢でもありません。
 やることなすこと馬鹿っぽくて、愚かしいだけです。

 ただ、そのころに思い描いた世界や物事を、今なら手に届く、手にした物もある、そしてまだまだ深く考える余地があることに気付iいたわけです。

懐かしの嵯峨小学校図書室
 図書館の源イメージは学校図書室でした。少年期の「僕」がいそいそと、早朝の職員室、図書室の鍵を持っているコデラ先生の所へ行き、「センセ、開けてください」~。
 「Mu君、今日もか。本好きやなぁ」
 にこやかな、ちょっとはげ上がった中年男性の笑顔が今でも目に浮かびます。
 (自注:コデラ先生は図書室を管理していたのでしょう。「僕」が一番親しくしていたのは5~6年担任のセキ先生でした)

 恐竜の本や、ピラミッド、ギリシャ神話、日本神話、少年探偵団の本をむさぼるように読んでいました。もちろん理化学実験の少年版を沢山読みました。~と、甘美な想い出を書くつもりはなかったのです。
 意外な展開が続くのです。

 なぜ極早朝(多分午前7時半ころ)の京都市立嵯峨小学校の図書室が「僕」を惹きつけたのか。単純でした。誰もいなかったからです。昼休みや午後には、大抵学友がいました。もちろんコデラ先生とか、ほかの先生とか、職員さんとか、大人も一人はいました。しかし、その時間帯は、「僕」一人だったのです。
 極上の、贅沢な気分でした。

人間嫌いだなんて
 私事ながら(爆:blogは私事なんですよ)、日頃「人間嫌い」を標榜していますが、実際には友人もおりますし、家族や同僚、倶楽部学生たちともそれなりに大過なく日々楽しく暮らしています。ただ、いまだに幼児的「人見知り」が激しいようで、原則他人と同居するのは2時間くらいが限界なのです。それは修練の結果であって、小学校時代などは10分程度で息切れしていました。学友たちに「人見知り」とは変な言いようですが、なんであれ、「僕」が自分の好きな世界に埋没しているときは、回りはみんな未知の人になってしまうわけです。読書しながら、考えごとしながら、三角フラスコに石けん水を溶いて、そこにフェノールフタレンを入れて攪拌している想像の姿をイメージしてください。理論とか理屈を分かる頭脳ではなかったのです。ただ、色が変わることに興味をもっていただけなのです。そんな物思いにふけている時に、そばに学友がいて、あーたらこーたら「子供の世間話」を話しかけられても、他人にしか思えないし、まるっきり友人でも学友でもない、ただの小汚い少年少女がそばにいる、煩わしい、邪魔しないで欲しい、うるさい、けど「そんな強いことも言えないし」、結局ひと言「あっちゃへ行ってくれ!」と、なるわけです。

 これは30代のおり、夕方疲れ切って京都百万遍から市バスにのって、隣に知り合いの女性が座って、あーたらこーたら話しかけられて、五分後に、極上の丁寧さで「すみません、ちょっと考え事をしているので、話しかけないでください」と、誠心誠意こめて言ったとたんに凍結。以後、その女性はキャンパスで出会っても、私を見かけると避けて行きました。私にはなんのことやら分からない情景でしたね。あはは。多分、二十数年たった今でも、そうだと思います。~、だから、人が居るところは気にくわないわけです。人と接しなければ、無用の摩擦は生じないという原理原則を、おそらく「僕」は小学校時代に把握していたのでしょう

 そういうわけで、現代の図書館も博物館も書店も京阪電車も、無人こそが最良なのです。

風光明媚・無人の図書室
 20代から30そこそこまでいたRIMS:Research Institute for Mathematical Sciences(京都大学数理解析研究所)の図書室は極上の環境でした。そのころの利用者は原則研究所員だけで、20名前後の天才肌の教授、助教授、助手達しかいなく、図書室は大抵無人でした。ですからその読書室の最大の利用者は、実は司書の「私」でした。眼下に理学部植物園が繁茂し、東山が、大文字が窓一杯に見える読書室にロッキングチェアがあって、私は毎日そこに座って新聞を読んだり、雑誌「数理科学」安本美典先生の数理文献学連載を読み、「bit」のおもしろおかしいコンピュータ談議、隣の書庫に山のようにある数学者列伝、コンピューターや情報学図書を読んでおりました。さすがに素粒子論関係は読めませんでしたが。知り合いの助教授や、助手がカウンタに来ても、「ちょっと待って」と、切りのよいところまで読み切って、やおらサービスに勤めておりました。信じられない世界が、四半世紀前に、実は、あったのです! (いまどき、そんな司書がいたら、懲戒解雇でしょうね

 現代・公共の場所は人で満ちあふれています。それを良しとする考えが定着しています。
 利用者のいない博物館や図書館は、廃館するのが合理的と、99.99%の人達は思っているはずです。

 しかし京阪電車も、早朝6時前に乗ると、阪急電車の普通車も含めて、一車両に数名の他人と同居するだけで、無事快適に葛野研究室に入れます。まして愛車RSですと完全無人です。

 以前昔の京都国立博物館(京博)も平日の午前中に常設展に入ると無人でした。たとえようもなく贅沢で、心が安まり、自分が「人間」であると強く確認できるひとときでした。今は、そういう状態が続くと、博物館も立ちゆかなくなるので、特別展なんかで随分工夫しておられます。

 以前河原町にあった書店の丸善ビルも、1階は人であふれていましたが、上階は空き空きでした。それがたいそう気に入っていたのですが、いつのまにか全館カラオケボックスに変わっておりました。

屯所図書室のひととき
 葛野研究室のそばに「屯所」と呼ばれる小さな図書室があります。図書館学、情報学、博物館学関係の図書や雑誌がまとめておいてあります。狭い部屋なので昼休みは学生で一杯になるのですが、早朝ですと無人です。私は、早朝の屯所で古い図書館学関係の教科書をぱらぱら眺めるのがえも言えぬ楽しみの一つです。執筆者はほとんど物故者ですが、まれに直接話したことのある方もいます。コンピュータが無かった時代、図書館学の学者たちが、どれほど苦労して工夫して厖大な図書情報を組織化し、サービスの原理を打ち立てていたのか、無人の屯所で腹の底まで味わうことがあるのです。

 というわけで。
 現代の最高の贅沢は、超絶のスーパーカーに乗るのでもなく、寝台特急カシオペアを貸し切りにするのでもなく、吉兆()で毎夕食をとるのでもなく、実は簡単に体験できるのです。
 平日早朝無人に近い博物館の常設展や、誰もいない図書館を探して、そこを散歩すること。
 いつ撤退するかわからないような大型書店を見付けて、平日早朝の上階を散歩すること。
 そして始発から二番目くらいの京阪電車や阪急電車やJRの「普通車」に乗ること。列車一両貸し切りです。

 公共の場所だからと言って、雲霞(うんか)のごとく人が集まるのが最良とはいえない。
 文化国家として世界に冠たる日本であるには、個々人に最高の贅沢を味わうことができるような環境を、常に用意することが肝要。すなわち、人は群生をもととするが、個々が知能知性感性洞察力を有する故に、「孤独」たらしめる環境を時に応じて必要とする、その原理原則を忘れた国家も社会も人生も、空しく愚かしい。
 人は蟻でも猿でもないのです。
 他の地球生命体に比較して、大脳機能が奇形的に発達した「ヒト」なのです。

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