NHK篤姫(19)大奥の習わしもどこ吹く風
大奥とは不思議な組織だったようです。このことはしかし以前「大奥」という映画やTVシリーズが世評を賑わしたので、それを見ていない私なんかまるっきりの素人と思っています。ただ、まったく別の、漫画の「大奥」というのは3冊程度読みましたが、そこでは男女が入れ替わったり、将軍の最初の思い人は死ななければならないとか、随分変わった風習に思えました()。
大奥のしきたり
今夜の大奥は徳川将軍家・正統派大奥のようで、篤姫は朝おきても、お付きの老女が声をかけるまでは寝たふりをしているとか、起こされても半身を起こさずに、右に左に横臥したまま髪をといてもらうとか、それも左右別々に分けて。
食事しながら髪結いをしてもらうとか、あるいは一日に五回も着替えるとか、……。そして不思議だったのは、将軍の実母に対しても上座から挨拶をうけるとか。これは以前のチャングムでは、王様の実母は皇太后として絶大な権力をもっていましたから、不思議でした。
篤姫が魚に一箸つけただけで、代わりのまっさらの魚をだすとか。
発狂しそうなことを大まじめでなさっていたのでしょうか。大奥千人というのは、そういう人手を雇いあげる一種の公共事業だったのかもしれないな。今とちがって女性の社会進出は限られていたから、女性を千人も雇いあげるのは社会還元だったのかしら、とふと倒錯した思いにおそわれました。
当時の朝廷からはそんな話を漏れ聞きません。せいぜい言葉つかいが独特だったことくらいでしょうか。一方、徳川宗家としては、格式を保つためにも莫大な財政負担に耐えながら大奥を維持したのだろう。と、これが後の井伊大老に結びつくのですから、「NHK篤姫」箸の上げ下ろしにも目を離せません。
しかし。大奥の実力者滝山から、着物の袖に当て布をつけてはいかがかと、言われた幾島は吠え立てる(笑)。いやしくも、右大臣近衛卿の姫君、将軍家御台所の篤姫さま面前で、当て布付きの打ち掛けでは面目が立たない、と!
「それもこれも、大奥の緊縮財政ゆえに」と、滝山。
「今後、姫様のことは、薩摩からの月々のお化粧料で総てまかなうから、一切口をはさむな」と、幾島は大奥総代滝山に啖呵を切りました。
一理ある幾島ですね。
それに、当て布付けるのと、日に五回お色直しするのとでは、後者の方がよほど贅沢でしょう。いや、姫御一人が何度も着替えする贅沢だから、下々の者は当て布するという大奥・滝山の論法だったのかな。わかりにくい世界ですね。
とはいうものの、後日江戸城開城にあたり、篤姫がどれだけ、これら大奥の女性の行く末を案じ、身銭切って手当てしたかという話と、今夜の話は、実に微妙な伏線を作り出します。
追伸
家定(堺雅人)に側室がいたと、今夜の小さな見せ場がありました。志賀という女性らしいです。篤姫さんも苦労なすったと、思いますよ。ところで、ドラマを観る限り、大奥情報は表にはなかなか現れないようですね。幾島も初めて耳にしたような様子でした。
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