小説木幡記:2008/05/22(木)百万アクセスの記念日
百万アクセス記念日
月日が過ぎるのは早いもので、2004年3月7日にMuBlogを初めとするAsajiharaサイトを開設して、4年と三ヶ月がたった今日、全体で100万アクセスを得た。
最初の記事が、「森博嗣『四季』愛蔵版」に始まり、つい昨日は「恭仁京と紫香楽宮」で、文藝物と古代史物に挟まれた百万アクセスとなった。
現在のアクセスに対応する記事構成を細かく分析することも考えてみたが、ここのところは、我が生涯の記念日として、感想をメモしておくにとどめる。我が生涯の記念日とは、いささか調子をはずした物言いだが、考えてみると、こういうことはこれまで無かったのだから、素直に感慨を残しておきたい。
ネットワーク世界に生きて、思うところを自由に、世界に発信することができるようになった結果であろう。百万という数は私にとって目のくらむ数である。百万円ですら現実に札束を握ったことはない。預金残高でみたことはあるが。そして、たしかに百万の兵を動かした王や将軍はいただろう。百万の住民に君臨した知事や市長はいただろう。百万冊のベストセラーを出した作家もいるだろう。ただしかし、それらは極めて僥倖に恵まれた人か、確かな地盤と現実対応をなしての結果だと思う。
唯の人、市井のひとが百万の数を間近にみるのが現代のインターネット世界なのだと思った。
一体誰が訪れた?
ここで、分析はしないと言いながらも、一体だれが? という思いは残る。実は、だれがアクセスしたのかは分からない。わかるのは、どのblogのリンクから来たのかだけである。そのblogの開設者とは限らない。そのblogに訪れてリンクをたどった誰かが、私の所に来たことが分かる。
この四ヶ月(2008年1~4月)の「リンク元ページ」を眺めてみると、
一位 サイト内(つまり当サイトから別記事を眺めた数)70000件
二位 ブックマーク(ご本人が当サイトアドレスを記録)7000件
三位 JoBlogのリンク 700件
四位 ニフティのココログページ 250件
五位 SOREKARAのリンク 200件
六位 「ふうてん」のリンク 150件
七位 葛野図書倶楽部2001のリンク 130件
事例:たとえば、JoBlogファンがリンクから「ふうてん」に移動し、またそこのリンクから「MuBlog」に尋ねてきたとしても、誰が来たとは特定できない。「ふうてん」ご本人とおもいきゃ、JoBlogの遠いフアンである可能性の方が大きいのだから。
個人は全く特定できないが、各blogの関係者リンクから、だれかかれかがMuBlogを含む当Asajiharaサイトに来てくださった。しかしブックマークが四ヶ月間で7000になっていても、7000人がマークしているのではなくて、おそらく数十人の方がマークし、日々思い立って訪れて、この数になったのだろう。それが誰れかは一切わからない。
さて別の「ページ別」では四ヶ月総アクセス数が153,260で、「検索ワード/フレーズ」アクセス総数が64,855なので、前者のうち約9万が、マークとか関係リンクによる「特定意識的アクセス」となり、後者の6万強が検索エンジンによる、不特定多数、一見さんの来訪と考えれば良かろう。やはりblogは、百万アクセスになっても、極めて私的なものであると、納得した。
どんな気持ちで書いてきた?
blogを開設したときから明確な目的意識があった。それは「自分の知識とか情念の体系を知識樹としてまとめたい」だった。専門が情報図書館学という記録知識を主に扱う分野だから、当然とも言えるが、他方そういう気持ちは幼少期からあった。熱に浮かされたように物事に熱中し、きりきり舞いし、ストンと狐が落ちた寛解期になると、きまって「あれは、一体なんだったのだろう。思いだせない」という反省のような、過去の自分を偲ぶような気持ちになった。
これだけではわかりにくいと思うが、上記のような考えを客観的に記録するために、blogを開設したのが事実である。
だから、読者のためよりも、自分のために書き続けてきた、といってよかろう。煎じ詰めれば、アクセスがあろうがなかろうが、インターネット世界に小さな孤島を作り、そこに旗を高々と上げる、というイメージだった。その孤島のテーマは雑然としているが、住人の脳内記憶の多くがきちんとデータベース管理記録されて、いつでもアクセスできるようになっている。そういう快適な孤島だった。
記事をほぼ連日書くことを辛いとおもったことは、体調不全の時期をおいては、あまりなかった。記録しないと忘れてしまうという恐怖が先にあった。
忘却への恐怖と、いえるか。
ひたすら書いた。しかも、ここ数年は一記事が大体1万文字から2万文字のものが多いから、原稿用紙だと数枚の量になる。長い物だと30枚とかになり、これは数日かけて写真を整理してまとめたものになる。
blogを掲載するのは「生きている証」という気持ちが強かった。
それで
百万アクセスだろうが、なんだろうが、世界は変化しない。それが今の落としどころとなっている。だから、明日も明後日も来年も元気な内は書けると思う。これが、一記事掲載のたびに世界に変化が生じたら、怖くって、書けなくなる。
光あれ、と書いたとたんに世界が明るく平和になり、闇よ来たれ、と言ったとたんに冥府になったのでは、おちおち掲載はできない。
ただただ、私の記憶が記録化されて、私自身の役に立っている。
そしてまだ、今のところ記憶と記録との間に齟齬は生じていない。やがて食い違いが大きくなったとき、筆を断つのがよろしかろう。
特定、不特定、読者の皆様。読んでくださってありがとう。
本文記事は、誤認があったとしても、意図的虚偽はありません。安心して、お楽しみ下さい。
ただし、コメント部分は、意図的な文飾に満ちあふれていることが多いので、そのまま取られると、良くないことになるでしょう()。
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コメント
百万アクセスおめでとう御座います
昔から、百万という数字は数えきれない大きな数字という代名詞でしたね。例えば、百万長者
、お百度
え、違いますか、百万本のバラ
、これはいいですね。
この分ではあと8年で三百万アクセスですね。70歳で三百万アクセス祝いとなる。1アクセス10円寄付を受ければ、三千万円のボーナス。
1アクセス100円だと、三億円事件となりますね。
しかし、MuBlogとふうてん老人さんに指導を受けて、私も六十万アクセスを達成しましたね。一人では大変だけど、仲間がいると励みになります。
お互い、身体だけは大事にしましょう、次の目標は三百万アクセス、私は百万アクセスです。
ところで、一銭にもならないブログを何故やるのでしょうね。と、時折疑問が湧きます。
投稿: jo | 2008年5月22日 (木) 22時13分
Joさん今晩わ
そうですね。
本文では元気そうにかいたけどね、次のアクセス数は考えたくないですね。
自分の一番好きな記事を載せていきたいです。かといって、シリーズで書き出すと、波はありますしね。
書きたいことはいつもあるけど、いつも絶好調じゃないしね。
記事が増えても、知友たちを巡回していないときは、心身どこかに不調があります。
「一銭にもならないブログを何故やるのでしょうね」
あはは、武士は喰わねど高楊枝、の伝統にわれら団塊世代は染まっているのかも知れません。
だから、インターネットで、ゲーム的にお金のやりとりしているのを見ると(株の売買をさしているのでしょうか、自分にもその世界はぼんやりしています)、気色悪い気分になってくるのでしょう。
あるいは「腐っても鯛」、またある時は「負け犬の遠吠え」、あるいは鼓腹撃壌の世界(爆)。さらには月光仮面! 七色仮面、鉄人28号と続きますね。
投稿: Mu→Jo | 2008年5月22日 (木) 23時16分
100万アクセス、おめでとうございます
100万アクセスを記念して、パアッ~とお祝いしなあきませんね(笑)。
個人的には、文芸記事が好きだったのですが、実作者でもあられるMuさんが、他人の作品の書評を記すことは、大変なことのようですね。
ミステリーは、未だもって苦手ですが、寂聴さんの『秘花』は興味そそる記事でした。
リンク元ページで、5位になっていることに驚きました。
私のサイトは、4年で5万に届くかどうかのちっぽけなサイトなので、(こんなサイトに『MuBlog』のリンクを載せても意味無いな)と思っていたのですが、SOREKARA訪問者には、隠れ『MuBlog』ファンがいらっしゃるんでしょう。
逆に100万アクセスもある『MuBlog』からの訪問者が、ものすごく少ないのは、『MuBlog』の特徴ですね。
つまり、『MuBlog』の訪問者は、『MuBlog』記事にしか興味がないということです。
本文記事が長いから、記事を読んだらそこで疲れ果ててしまうんでしょうねぇ。
(ちなみに、私のサイトは、『JoBlog』『ふうてん老人日記』からの訪問者でもっています。笑)
とにかく、お身体にだけは気をつけて、ブログ界のリーダーとして、これからもがんばってください。応援しています
。
投稿: ほかも | 2008年5月23日 (金) 08時47分
祝辞ありがとうございました。
たしかに文藝ものは書くのがしんどいですが、読んだ時に書かないと、書けなくなりますね。
場合によっては、小説葛野記などにするりと滑り込ませる方法をとって、気持ちを楽にして、読んだ喜びを記しておくこともあります。タイトルをつけて一記事でまとめると、肩がこります(笑)
本文では書きませんでしたが、大河ドラマの相互アクセスがこの世界では豊かにありまして、そのことがアクセス増大に寄与しているようです。最近はできるだけ画面一枚に、気楽に書くようにしていますが、先年など川中島の史実を一杯しらべて、最後にえいや! と書いたこともあります。これは文藝なみにしんどいことですね。
PCやロボットや鉄道模型の世界はそれぞれに膨大なファンがいて、時々その方達が訪れるようです。ただし、PCのアクセスについてはまだまだ理由が分かりにくいです。一般の方以上に、ネットを触る機会が多いのだろう、と想像するくらいです。
SOREKARAは、ふっと自転車に乗って近所の古墳の池や、唐招提寺や興福寺、東大寺と、なにか絶景の地にすんでいる強みを感じます。
旅人じゃなくて、住人の記事の安心感ですね。写真も、なかなかに~、よろしいようで。
ではまた、SOREKARAの10万アクセス記念を待つといたしましょう。
投稿: Mu→ほかも | 2008年5月23日 (金) 12時34分
100万回はクリックされた、と
キーボード大丈夫ですかあ?
毎日、原稿用紙に数枚、何千字と書いてキーボードはよく耐えているなあと驚きます。
当方の(親指シフト・キーボード)は大して使っていないのに、時々ストライキを起こすキーがあります。
グレアム・グリーンは毎日午前中に300語を書いていたそうですよ。
そういう大兄の努力に100万クリックという数字が応えてくれているように思いました。
理由なんかどうでもよくてともかく1万人の人が100回はクリックしている。
10万人だと10回はクリックしている。
エライことですねえ。
Mu大兄、ほかも女史、JOさんに触発され、鎌倉大明神にお尻を蹴っ飛ばされて当方も(ブロッグ連歌師仲間)にジョインさせて戴きました。
上の句があり下の句がある。
下の句は上の句がないとつける訳にまいりませぬ。
杖ついてでも続けて戴きたいと切に願う次第です。
投稿: ふうてん | 2008年5月23日 (金) 17時10分
ふうてんさん
キーボードに目がいきましたか、やはり、テクノオールドボーイの面目躍如ですねぇ。
実は、偶然にも、今朝。
Muは「汚れつちまつた」キーボードをじっと眺めていたのです。「よう、保つなぁ」と。いや、テレパシーがあるのでしょうか。
このキーボードは1500円で買ったものです。壊れたら買い換えるか、あるいは修理しょうと思っています。昔はパソコンのキーボードなんか怖くって触れなかったのですが、いまや形あるものは全て分解するという、けったいな生活状態です。自作PCすると、みんなそうなりますよ。そのうち、ハードディスクも中を分解しだすかもしれない(これは無理ですね)
キーボードは24歳からIBMの電動タイプラータ時代に習得しました。爾来数十年ですから、年季ものですね。もう、手書き文字が書けません。
100万アクセスは、やはりね、茫然とします。昔、10年くらいかけたらそうなると、予測していたような気もしますが、Googleなどの検索エンジン普及で、blogは待遇が良くなったようです。
上の句、下の句話ですが、このごろ上の句で精根尽きている状態です。以前のを見ると、上の句よりも下の句の多いのが一杯ありました。たしかに疲れがあるようです。やがて、また舞台が回ることでしょう。
疲れというよりも、受容・容量が比較的少なくて、たこつぼ的に記事を作ると、それでアパシーになってしまいますね。
折々に、じっくり人様の上の句に下の句付ける優雅な人生を取り戻したいです。
投稿: Mu→ふうてん | 2008年5月23日 (金) 18時31分