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2008年5月15日 (木)

小説木幡記:2008/05/15(木)工夫と決断

1.改造・二階建てトロッコ図書館列車
 この数日間授業と会議の合間をぬって、一つの決断をした。
 工夫を活かすためである。
 二つのNゲージモデルを見るも無惨に切り裂いて、別の列車「二階建てトロッコ図書館列車」に改造したのである。
 
 市販されている精密科学模型といっても、一品一品はメジャーなものではなく、店頭から無くなると、入手が難しくなる。
 一つはJRの通勤特急二階建て列車(JR電車・サロ124形)。ひとつはセットの中の、豪華寝台特急「カシオペア」の先頭車両。
 両者ともに、在来線を走る現代的な二階建て豪華列車のNゲージモデルである。
 それを破壊したことになる。
 収集家とかマニアなら、怒るかもしれない。
 モデルを造った人達も良い気持ちはしないだろう。
 
 現実の多くのトロッコ列車(実車)は、無蓋車を改造して観光を主に運用されている。当初は、無蓋車の模型をもとに紙でコンセプトを示すにたる「二階建てトロッコ図書館列車」を造るつもりだったが、三月末に嵯峨野トロッコ列車に乗車して、その気持が薄らいだ。
 実車は模型以上に魅力的だったが、なによりもトンネル内「騒音」が強かった。他方、京阪特急ダブルデッカーの静粛性を知っているから、そこで二つの「強い無い物ねだり」がぶつかり合った。
 {野趣か静粛性か}

 結論は。
 ・二階建てトロッコ図書館列車はコンセプト・マシンとして何台でも設計・制作すればよい。
 ・今季は、現代的都市型列車を基盤に、静粛性を求めたものを造る。
 ・トロッコの雰囲気は塗装や開放性で工夫する。
 ・ダブルデッカ(二階建て)として、一階を書庫、二階を読書室・カフェにする基本構想は保てる。
 となった。

 昨日、教授会が早めに終わったので、手をつけた。
 さすがに、良くできた精密科学模型に刃を入れるときは決断がいった。プラスチックの破片が一つ飛んだとき、賽は投げられた思いがした。
 ヤスリをかけて、他の透明アクリル板(2ミリ厚)を調整して、不要な椅子をカットしてカフェテラスとし、二つの原型ができた。

 「叩き教材作成」と言えるかも知れないが、わずかに小一時間で基本改造が成った。零から造ることを想像すると、時間的には圧倒的な早さである。
 後は、色をぬるだけになった。
 これは来週以降になるだろう。

教訓1
 物事は、零から始めるのもよい。しかし既存のものを徹底的に改造し別の物を造ることもできる。
 両方に可能性がある。
 どんな場合も、完成したものを壊すのは躊躇する。
 しかし新たな、強固なイメージがあれば、破壊できる。

2.「昭和の鉄道模型」に生きる現代都市型列車
 講談社の「昭和の鉄道模型をつくる」が、昨日40号まで届いた。50号で完成だから、終盤にはいった。MuBlog記事としては26号まで掲載したので、今秋にはこのシリーズも終わるだろう。
 そこで。
 もとより、初号の段階からこの小さなジオラマ・キットに、一番似合った図書館建物を一つ添えるつもりだった。しかし、何号になってもそのイメージを強固にすることができないまま、今にいたった。多分、「昭和の鉄道模型」の基本構想がしっかりしすぎているから、他の夾雑物を紛れ込ませることが出来ないようになっているのだろう。

 このジオラマは昭和の30年代を基本にしたモデルである。
 余は、先に造った「改造・二階建てトロッコ図書館列車」を、昭和のジオラマで走らせてみた。走るとは思わなかった。牽引ディーゼルはDE10形で、後ろに20m級の列車(サロ124形ダブルデッカ、カシオペア先頭車両)を二台連結したものが、建物で埋まったミニカーブレールを走るのだろうか?

 走った! 超微速から最速まで、脱線転覆なしで延々と走った。
 次にひらめいた。
 「図書館を新たに設置する余地のない下町(ジオラマ)なればこそ、走る移動二階建てトロッコ図書館列車が、図書館そのものになればよい」と。
 単純すぎるひらめきだった。図書館がない。だから、図書館列車を走らせる。
 次に、昭和35年と現代のダブルデッカ都市型列車のアンバランスに思いが至った。

 解けた!
 「昭和35年を起点にして、それから50年後の未来、21世紀初頭の未来の図書館」と、考えればよい。
 昭和35年代の東京下町を、個室・バストイレ付き、冷暖房完備、カフェテラス、展望車付きの超豪華図書館列車が走る。これほどの衝撃はなかろう。

教訓2
 現実は動かしがたいものがある。しかしその現実をどう解釈し、どう活かすかによって、世界は変わる。
 人生観も変わる。
 余は、このごろ、超精密な科学鉄道模型やジオラマをじっと眺めることで、幾つかの「人生の解」を得た思いがしている。

 人は脳を持って生きている。
 荒れ果てた近江・琵琶湖をながめ、そこに過去の栄光につつまれた大津宮を再現できるのが人なのだろう。
 ただの円錐形の三輪山をながめ、そこに壮麗な邪馬台国をイメージできるのも、人なのだろう。
 しかし、それを単純に「仮想世界」と断じるのは早計に過ぎる。
 イメージを裏打ちする、歴史観と風景観が無ければ、湖は湖を一歩もでず、山は山でしかない。
 イメージを新たに造る強烈な意思がなければ、ジオラマは、ただの雑誌の附録のおもちゃに過ぎない。古びた寺社仏閣も、ただの木造建築にすぎない。
 いずれも、イメージし、それを現実世界に還元するのは、人間だからこそ出来ることである。

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