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2008年5月 9日 (金)

小説木幡記:2008/05/09(金)「三つ子の魂百まで」並びに人生設計・普請中

 ずっと考えていることを、考えあぐねてメモして残そう。
 人生は限られている。生命としてしての死を待つより先に心身の不調は若年でも高齢でも高い確率である。近年20歳前後の学生の重い病身を耳にし、気持がうち沈んだ。心の病も大変だが、身体の病も活き活きした生の希望を難しくする。余もこの4月いっぱいは持病に悩まされ、ひたすら横臥し、最低限必要な時には鎮痛剤で痛みを騙し杖突いて葛野に出向いていた。その時期の余は、総てが、痛みに脳を占領されていた。つまり、考えることができなかった。かつかつ責務を果たすことができたのは、回りの支援や、余自身の「仕事の自動処理機能」によるものだった。後者は、誰でも持っている。教員なら教壇にたつと、自動的にチョークを持って言葉が発せられる。マシンの前に座ると、自動的にメールを確認し、自動的に返信する。学生なら名前を呼ばれると自動的に返事する。そういうことにすぎない。息をして顔を洗うようなものであろうか。

 生は無限ではない。残された時間は誰にも分からないが、その生をどう生きるか、活かすかは最近とみに余の思念をさらない。俗世の中で何かをまとめようとする気持は常に引きずられ強く心を惹くが、しかし常に経過、途上であることの方が、活き活きして楽しい。と、思うに至った。若い頃に同業の先輩に言われた。ロマン派はなしたことをまとめもせずに、次々と蒼い花を求めて彷徨って、終にはのたれ死にすると。年下の余への批判だった。彼はいま有名大学の教授をしていて、もうすぐ退官するようだが、彼の言葉をおもいだすと、にやりとする。なぜ笑うかというと、まさに今にいたって、そうなってしまっている、ロマン派の末裔である余を思い返してのことだ。ただし、最低限の生きる知恵は持っていたから、のたれ死には余程の運の悪さに巻き込まれない限り、なさそうだ。かつかつの年金は出ることだろう(笑)。そして宮仕えを綱渡りのようにこなしてきたのだから、その段階で真性のロマン派とはいえない。

 ただし、傾向は強い。
 ロマン派がこんな風に人生のスケジュールを考えるものだろうか? 大きな疑問だが、自称ロマン派末裔がそう申しておるのだから、考えるのだろう。

 小学校の時、雨が降って体育授業ができなくなると、友達が先生に「Muのお話!」と叫んでいた。先生はにたりとわらって、「じゃ、Muやってくれるか」と余に言った。余は困った顔して、それでも黒板を背にして、読んだ漫画のあらすじと、日頃遊んでいる夢想とをこき混ぜて、延々と昔話というか嘘話を騙っていた。要するに症例としては作話症なのだろう。→だから今、教授して、日曜作家している。両方とも、ある意味で作話症と診断できるな。

 小学校の時、自宅の小屋の中で化学実験のまねごとを毎夜やっていた。ビーカー、試験管、三角フラスコ、上皿天秤、長い年月をかけて買って持っていた。試薬は薬局の出前のお兄さんに、一包づつ売ってもらっていた。それなら小遣銭で買えた。このことが理科の先生(理科好きの先生)に知れて、卒業式の時に、謝恩会というのか、講堂の演壇で、色の変わる化学手品をやった覚えがある。たぶん、フェノールフタレンで酸かアルカリを使って、色水を作って見せていたのだろう。反響はなかったが、卒業式に来ていた祖母が泣いて見ていた。末は博士とでも思ってくれたのだろう。→だから今、やることなすことマッドになってくる。要するに、フランケンシュタインを造りたかったのだろう。

 プログラミング言語への執着は、三つ子の魂で想像すると、多分作話症の転移なんだと思う。ああしてこうして、こうなった。そういう流れを意識するから、日曜作家と変わらないところがあるな。

 模型全般は、化学実験も含めて、小学生から中学生の初期まで数年間読み浸った「模型とラジオ」という雑誌の影響が強い。ここで習い覚えたケミカルガーデン(ある種の水溶液に、ある種の薬をまぜると、水中花のようなものがにょきにょきと育っていく)は今でも印象に強い。そして模型飛行機、鉄道模型。ラジオ制作。ペーパー工作。カメラ。なにかしら今愛着をもっているものは、すべてその数年間でたたき込まれたようだ。なんというか、読むというどころではなくて、誌面をなめまわすというか、骨までしゃぶる状態だった。読む物は、雑誌「少年」と、「模型とラジオ」。正月のお年玉と月々のわずかな小遣銭はこの二つに絞り込まれていた。→その成果は、今になって「教材模型開発」に充分に活かされている。

 というわけで、以上をここでまとめて整理して記録する気持はないのだが、人生は、幼少期に一番好きだったことを、繰り返し楽しむことに極意があると、ロマン派最後の末裔は悟った。まとめるとか、世に問うとか、整理する暇があれば、次々とこなしていく。そう、居直ったのだ(笑)。自他評価はあとからついてくるのだぁ~!多分、最後の眠りに入る前にな。

 MuBlogとは、だから、いつも普請中なのだろう。

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小説木幡記」カテゴリの記事

コメント

おもろい記事でしたbleah

 なんか、自分の少年時代を語っておられるようで、又、何時も何時も会社では新しい物に飛び付いた職業人の時代を語られているようでした。

そうなんです、何時もちゃんと整理せず、反省もせず新しいものに挑戦した富士通時代でした。

 奇麗に言うと、ロマン派なんですか?自分がロマン派とは考えてもいませんでしたね。単に気が多い、新しもの好き、興味旺盛、浪費癖、等々しか浮かんで来ませんでしたがね。

 しかし、62歳にもうすぐ到着するんですが、今更反省しても、もう、遅いのと違いますか。自分達が子供の頃にアルミの鉛筆キャップにマッチ棒の頭を詰め込み、橋の下でロケット発射実験をした事実は子供には教えられないですよね。

 「少年」の発売を心待ちした時代、その後も当時とは変わらない、自由奔放な夢を追う人生でしたね。62歳になろうとしているのに、今だ、少年の心を持ち合わせている事は健全な事ではないだろうか。と、自己を正当化する。

 来週、楽しみにしていますよ。

投稿: jo | 2008年5月 9日 (金) 09時52分

やあ、Joさん、こんにちわ。

 ロマン派度においてはJo爺の方が練度上がるね。Muがロマン65%なら、Jo爺は、87%くらいかね。それ以上になると、本当にのたれ死にするしかないな。歩いても歩いても青い山中か、それとも熊野古道の枝道か、あるいは五千年後のある日「北欧で、氷漬けのモンゴロイド男性、発見!」とかね。

 推定のたれ死に度はロマン派度をはかる補助尺度だと思ったよ。くだんのふうてん爺さんなんかだと、数値を出すのも怖いくらいの、限界領域だと、思うよ。うん。

 さて。アルミ鉛筆キャップ話だね。いまどきそんなこと、子どもらに指導したら、教師とか、学生なら、一発で懲戒免職、退学処分だろうね。怖い世の中だね。

 そういえば。あはは。
 Muの未だに恐怖思い出。そのくだんのマッドサイエンチイスト小屋ではね、ドアノブに百ボルトの電線つけて、尋ねてくる友達を恐怖のどん底に陥れたとか、黒○火○を自製して○破実験をしたとか、~、なんだか汗がでる。

 Joさん、客観的に、Muはそのころたしかにマッドだったんだろうな。(クラスでは、素知らぬ顔して級長しとりましたが)

 そういうわけで。
 幼少期からシュトルムウントドランクだったんでしょう。だんだん落ち着いてきました余。
 しかるに、Jo爺さんは、未だにやまんね。一体どこまでつっぱしるんかな。

追伸
 クニキョウ、楽しみですね。また前日にでも連絡とりましょう。

 温厚篤実なMuより。

投稿: Mu→Jo | 2008年5月 9日 (金) 12時41分

電脳蜘蛛の巣が世界の至るところに張り巡らされるようになってから、
まだ十数年そこそこだと思いますが、
ここには結構、誰かの生前の欠片がそのまま残されていたりするんだろうなと思ったりもします。

たとえば前日までせっせと自分のブログを綴っていた人が、
次の日には突然、運命の網によって、
この世界から巻き去られることもありましょうし・・・。
そうした場合、主なきブログは誰の手によって完結されることも閉じられることもなく、
永遠に宇宙を漂う壊れた星の破片のように、
黙って電脳世界の中に取り残されてしまうのでしょう。
ずっと更新されないままのホームページやブログを目にするにつけ、
それが、気まぐれに放置されたサイトなのか、
はたまた、手を加えたくても、
地上でそれを更新することが出来なくなっている意識体をauthorに持つサイトなのかと、
真夜中の静寂の中で私は思いをめぐらしてしまうこともよくあるのです。
生きているものも、息終わったものも、
確固たる人のクレドも、
さまよえる詩人の魂も、
疾風怒濤の内なる青嵐も すべてない交ぜに、
電脳世界はその一切を抱き込んで膨張してゆくのでしょうか。
時の経過につれ、電脳の大河はガンジスの流れのように、
とうとうたる死者の河となってゆくのかもしれませんね。

投稿: 伽羅 | 2008年5月11日 (日) 02時46分

伽羅さん
 なにかしら、銀河宇宙的暗黒星雲世界をおもわす筆致にたじろぎました。
 マップスというケッタイナ漫画がありまして、昔の物ですが、最近の続編をよんで思い出しました。
 全宇宙の記憶を記録する人達とか、あるいはそういう宇宙人とか~、伝承族だなんて名称もあって、伽羅さんの話の内容に近いものです。

 さて、そこで、現実に戻りまして。

1.私も二三、荒廃に任せているサイトがあります。覚えていないだけで、もっとあるのかもしれません。IDもパスワードも覚えていませんから。
 それらが今も残っているのは多分わずかなアクセスがあるからでしょうね。

2.このniftyのblogは有料で使っていますが、私の死亡後にも、銀行引き落としが可能な限り残滓が、そのままでしょうね。
 この件は、以前友人達とはなしたことがありますね。だれかが、面倒みるか、あるいはあらかじめ「喪を秘す」意味で向こう一年間分くらいは記事の予約登録しておくとか。

3.数ヶ月アクセスがないと強制解除するところもあるようです。au携帯のblogは、そんな風に想像していますが。さて、どうなんだろう。

*.結論
 おっしゃる事が胸を突きすぎますね。

「すべてない交ぜに、電脳世界はその一切を抱き込んで膨張してゆくのでしょうか。
時の経過につれ、電脳の大河はガンジスの流れのように、とうとうたる死者の河となってゆくのかもしれませんね。」

 このことは、現役たちの電脳資源確保のために、今後社会問題になるかもしれません。電脳巣があるかぎり、単に一部のハードディスクを占有するというような小事じゃなくて、トラフィックというか、電脳網全体にとって負担、動脈硬化をもたらすかも知れません。
 話が、シロウマサムネの、というか押井監督の、攻殻機動隊とかイノセンスなんとかになってきましたね。

いやはや、日曜のまどろみを突き破るようなコメント、ありがとう御座いました!

投稿: Mu→伽羅 | 2008年5月11日 (日) 12時53分

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