博物館・明治村研修旅行HMK(1)歴史的建造物探訪
いまこの↑写真を眺めていて、隊員達の喜色と好奇心を発見し、「よい旅であった」と安心しました。
博物館明治村(公式ホームページ)へ行ったときの集合写真です。
以下写真はクリックすると大きくなります。ビデオはアップル社のQuikTimeを使ってください。Windows用の無料ダウンロードがあります。
はじめに
HMK:博物館明治村研修旅行は、平成20(2008)3月28(金)の午前7:30京都駅集合から始まりました。葛野図書倶楽部2001の7名と最高顧問が、明治村で半日過ごして、私が新幹線で帰還したのは夕方6時半、同行の倶楽部隊員たちが自宅に戻ったのは、おおよそ21時ころだったようです。終日かかったことになります。
隊員たちは往復とも普通列車を乗り継いだので強行軍だったと思います。私は行きだけ同行しましたが、京都から犬山市までの乗り継ぎはなかなか複雑でした。最初に京都駅で「新快速」の乗り場が一番線と気付いたのは、ホームに居た人の助言だったのです。さらに、列車が途中で切り離されるから、後ろに乗るという話も耳ざとい隊員が聞きつけた幸運からでした。JRで一番単純なのは新幹線で、鈍行の乗り継ぎは総てにおいて複雑、知能行動を要求されるようです。行きだけでも、何度乗り換えた事でしょう。
さて、このHMK:博物館明治村研修旅行の意義や目的、情報図書館学に関わる諸問題、そういう小難しいことはシリーズ(3)に任せて、ここでは明治村とはどういう所なのかを、歴史的建造物の写真や隊員たちの動画によって記録しておきます。シリーズ(2)では乗り物の記録を予定しています。
地図:博物館・明治村正門(旧・第八高等学校正門)
(愛知県犬山市字内山)
名鉄犬山線犬山駅→バス30分→明治村正門
名鉄電車の「犬山駅」前で20~30分ぼんやりバスを待っていました。駅前に「からくり山車」がありました。バス一本乗り過ごしたのです。
JR岐阜駅で高山線にのりかえて鵜沼(うぬま)下車、徒歩4分で名鉄「新鵜沼」駅に乗り継ぐのが最速だったのですが、思い出してみると早朝八時前に京都で新快速に乗車して、鵜沼まで三時間前後まるっきり手洗い時間が無かったのです。それで全員があうんの呼吸で新鵜沼で滞留し、遅れたわけですが、この乗り継ぎは最初から難しかったと思っています。徒歩四分を挟んで「着+四分+発」が、重なっておりました。
団体での鈍行乗り継ぎにおける「手洗い時間」の確保はなかなか難問ですね。新幹線以外のローカル線では手洗いがなかったり、一編成に一つだったりして、混雑しているときは、何回乗り継いでもたどり着けません。
バスは待ったせいか、全員着席できました。途中の病院なんかにも利用されているようでした。30分弱で明治村に着きました。
ここで早々と帰りのバス話ですが。
帰路は大体午後遅く入園者が一斉になりますから混雑が激しかったです。すし詰め状態でした。ただし私を含めた数名は着席していました。理由は単純で、約20分前にドアが開いたので、さっさと乗り込んだのです。
出発時、私の前にもお尻をみせた隊員が乗客にもまれていました。化粧直しか(笑)、土産物に執心した結果でしょう。「席を、替わろうか」と言いかけましたが、多分「イイです」と言うだろうし、それに若いのだからよかろうと思ったので、そのままひと眠りしました。
東山梨郡役所 明治村解説

☆
食べて気持が収まったところで、この東山梨郡役所に入りました。バルコニーから眺めた明治村風景が抜群でした。この景色だけでも見た絵画(甲斐が)あったと申せます。ここには村長室もあって、各人写真をとりあっていました。
動画クリック2-16→明治村2008・煉瓦通り東山梨郡役所.mp4 (6.4MB)
↑バルコニーからの遠景、煉瓦通りの明治風を味わってください。
動画クリック2-18→明治村2008・東松家住宅.mp4 (3.2MB) 明治村解説
↑明治村の案内を予約すると上階も見学できるようです。私達は一階をぞろぞろ見学しました。
動画クリック2-20→明治村2008・ハイカラ写真館.mp4 (7.1MB) 明治村解説(安田銀行)・(写真館)
↑ここでは、隊員の数名が張り付いておりました。袴姿は卒業式まで待てば良いのでしょうが、ドレスとか男装の麗人風は、このハイカラ写真館で直ぐに変身できるわけです。
動画クリック1-43→明治村2008・三重県庁舎団欒.mp4 (10.8MB) 明治村解説
↑ここには比較的長く滞留しました。ひろびろとした空間に隊員達のリラックスした様子がうかがえます。
聖ヨハネ教会堂 明治村解説
隊員達の写真は、冒頭(葛野図書倶楽部2001)の右上に残しました。
驚いたのは、教会の一階が子供たちに開放されていました。その事情を明治村公式ページで探したのですが、見つかりませんでした。
こうした教会の由来にはもとより詳しくないのですが、近付くにつれての遠景はすばらしかったですね。つまり、異国風・建築物の偉容が誰にでも納得出来るという点で、教会の象徴性を味わいました。
もう一つ気付いたのは、ヨハネ教会が昔は「京都市の河原町五条」にあったということです。いつ頃だったのでしょうか? 私は覚えておりません。そう言えば聖ザビエル天主堂も京都市の河原町三条にあって、明治村に移されたわけです。これは私の記憶になんとなくあります。つまり、京都市にあった教会が二つ、はるばる愛知県犬山市に移り保存されていることに、感動を覚えました。
動画クリック→明治村2008・聖ヨハネ教会堂.mp4 (3.6MB)
↑みどころは、2階のステンドグラスでした。
西郷從道邸(さいごう・つぐみち) 明治村解説
ところがカフェは何年か前になくなり、その代わり、とても豪華な晩餐の様子を実体験できるようになっていました。その写真は冒頭(葛野図書倶楽部2001)の左列真ん中に残しました。
☆
この後、みんなも歩き疲れた様子でしたし、カフェもなくなっていたので、近所にあった「京都七条お休み処」に全員どやどやと入りました。蕨餅とか、ソフトクリームとか美味しかったようです。これだけの規模の大博物館ですから、そこここにある食事処やコロッケやカレーパンは、ありがたいと思いました。それぞれ懐具合に任せて、いただいておりました。私は途中、手頃な価格のコロッケと、最後に牛乳を飲んだような記憶があります。
☆
こういった生涯学習館・施設の博物館や図書館は、今後も「人は疲れ、空腹になる生物である」というもっとも、基本的な原則をわすれてはならないと思います。人はパンのみで生きるわけじゃないのですが、飢えては歴史的建造物も、名宝・名品も、価値がなくなります。
その点からしても、博物館明治村はよく考えられた施設だと思いました。
北里研究所本館・医学館 明治村解説
☆
また、木造だった小学校校舎のことも思い出していました。毎日掃除当番で教室や窓ガラスや廊下の拭き掃除をしていました。木の廊下はすり切れて丸くなっていた記憶があります。
北里研究所の廊下も歩くと木造廊下の音がしました。おそらくこちらに移築されてからも何度か補修されているのでしょう。博物館経営は、大変な仕事だと確認しました。専属の大工さんとか工務店があるのでしょうか?
☆
隊員達は、北里柴三郎先生の等身大の写真に喜んでおりました。
隊員達には聞きそびれたのですが、私は北里先生とか野口先生を小学校の時に学校で教わりました。そして偉人伝も読んだ覚えがあります。現代の青年達にはそう言った知識のあるなしを聞かない事にしているので、なんとなく「知っているのだろうなぁ」と思って時を過ごしました。
品川燈台《重要文化財》 明治村解説
品川燈台近辺では隊員たちと一時的にはぐれたというのか、離れました。以前から「燈台」が好きでしたので、じっくり写真を撮ろうとおもったのです。ですから隣にある「菅島燈台附属官舎」に入る時間が無くなりました。気がついたら、そこから隊員達がぞろぞろ出てきたわけです。
燈台といえば以前「能登半島・禄剛崎灯台」を写真だけで気に入りました。もとより燈台百選とか重要文化財に選ばれるものしか知らないわけですが、この品川燈台の立地には感心しました。旧所在地の品川沖「第二台場」の風景を知らないわけですが、明治村の燈台はあつらえたような風景の中に立っています。これも入鹿池のおかげと、博物館を設計した人達のイメージが優れていたからだと思いました。
左から三枚目の写真を知らない人に見せたら現役の燈台と思われることでしょう。
通りすがりの家々
動画クリック4-46→明治村2008・宇治山田郵便局.mp4 (1.2MB) 明治村解説
宇治山田郵便局はとても立派な建物です。隊員達も、近所のガラス館に入らずにこの郵便局で時を過ごしました。私も一応中に入ったのですが、気持の上では「帝国ホテル」を見る時間があるだろうか、と焦っていました。あとでガイドの一番隊長の話を聞くと、帝国ホテルは必須として、もう一つの「蒸気機関車に乗れなかったのが痛恨でした」、とのこと。要するに、すでにタイムスケジュールを外れだしていたのです。
一番隊長の後日談では「原因は顧問にあります! 何度も行方不明になってぇ~」との事でした。私は、「いやいや、◎長も◎◎長も、まとめて三悪だよ」と弁解しました。実は後者はビデオ班&写真班だったので情状酌量の余地もあったわけですが。それにしても、両長はそこここで、じっくり立ち止まっておりました。日頃はそうは見えないのに、意外なほど粘着質なところもあるようです。行路管理官一番隊長の苛つきもやむを得ません。その上さらに、たびたびの顧問失踪でしたから。後で手持ち袋の中の携帯を見たら、メルと着信の山でした(笑)。
そんなわけで、以下の二つ(ザビエル、派出所)は通り過ぎただけでした。
聖ザビエル天主堂 明治村解説
☆
帝国ホテルを出た後は、蒸気機関車の時間に遅れて、しかたなく歩いていましたら、バスが遠くで出発しかけていました。私は、すばやく書記局長に「走れ! 走ってあのバスを止めるのだ!」と、なにげにつぶやきました。そしたら本当に走り出し、バスに飛び乗りました。そのおかげで、貴重な時間を費やすことなく、我々一行は正門まで無事に気楽にたどり着けたわけです。
☆
その正門横の土産物屋で、またしても隊員達は買いあさっておりました(笑)。明治村で一体なにを買うのか、それは私には全く理解を超えた話です。
案の定、犬山駅行きのバスに座れたのは、私をいれて数名でした。残りはぎゅうぎゅう詰めの中を約30分間、立ちっぱなしだったのです。局長にいたっては発車寸前の乗車でした。人は、意外なところがあるものですねぇ。

附録の古典遊び
研修旅行の附録としては、暗夜行路(暗黒迷路遊び)、屋外の汐留レンガ迷路、射的などに時間を取りました。ハイカラ衣裳遊びが出来ずに残念がっていた隊員もおりました。射的では私が貯金箱をしとめ、今は倶楽部屯所に飾ってあります(だんだん重くなってきています)。いずれも昔風の遊びでしたが、みんな喜んで遊んでいました。見ていても、気持が安らぐものです。
ただ是非付記しておきたいのは、経理局長が交通費や入園料、その他のことで全部まとめてくれたので、とても気分が軽くなりました。栞を作った一番隊長が八面六臂の働きで、迷える子羊たちを無事ガイドしてくれたことには感心しました。さらに局長や書記局長は、別途優れた動画や写真を彼女らの目で残しました。一種の拡大共同演習ですから、それらの総合は後日副長を中心に機関誌「Truth」として、まとめていくことでしょう。
| 固定リンク
「葛野図書倶楽部2001」カテゴリの記事
- ひな祭り誠会20120303:葛野と伏見港「鳥せい」 2012/03/03(土)(2012.03.09)
- 20110113(木)のお別れ助勤会2010(2011.01.17)
- 忍者屋敷集合:倶楽部忘年会2010(2011.01.09)
- 小説木幡記:2010/12/23(木)葛野からの手紙(2010.12.23)
- 秋の宴:十月の花嫁(2010.10.31)
「情報図書館学」カテゴリの記事
- 小説木幡記:アップル社のiBooks-Authorなどでうむふむ(2012.03.10)
- 小説木幡記:電子書籍と電子図書館はPMLで一つのものなのだ(2011.06.01)
- 小説木幡記:メディア変換の中での紙や電子書籍(2011.05.01)
- 小説木幡記:海辺の駅図書館(2011.03.01)
- 葛野司書・共同演習(2010後期)情報サービス・資料組織Ⅰ (2010.12.26)
「博物館」カテゴリの記事
- 小説木幡記:合掌土偶(国宝)レプリカ(2012.12.10)
- 小説木幡記:ちょっとぼんやり博物館(2012.09.07)
- 九州2011夏:福岡篇:志賀島遙拝と金印の謎(2011.10.30)
- 九州2011夏:福岡篇:太宰府天満宮の九州国立博物館(2011.10.14)
- 九州2011夏:佐賀篇:吉野ヶ里遺跡(2011.09.27)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
明治村研修旅行
Mu先生たちは、すごい強行軍ですね。
。)
私も明治村には、卒業後、大学の先生と研修旅行に出かけました。
車3台に別れ、前日は長良川で鵜飼いを楽しみ、翌日明治村を見学をしました。
まぁ~、私たちの目的は、明治村見学というより(鵜飼い)飲み会でしたが(笑)。
一応、近代文学研究会だったので、明治村見学はためになりました。
(というか・・、前日飲み過ぎて、明治村見学はよく覚えてないのが、ホントのところです
Muセンセところは、健全ですね(笑)。
投稿: wd | 2008年4月14日 (月) 08時17分
WDさん
近代文学でしたら、明治村は宝庫ですね。
しかし当日は、漱石・鴎外が時期を違えて住んだ家は、映画の撮影で見学ができませんでした。
ところでたしかに強行軍です。
私の中では明治村などを観察し、それぞれの想念を図書館や博物館の未来に生かすことは確固としているのですが、倶楽部としては、まだ懇親部分が多く、学生達も遠距離へ行くのに多少躊躇もあった人が数割ですね。
懇親ならば博物館よりも温泉かTDL、USJの方がお金の使いでもあろうという、そういう微妙な中ですりあわせた結果が往復鈍行となったのかもしれません。
現在の倶楽部ではその傾向が少ないのですが、一般に若い人は、好きなコンサート、ライブなら1万円でも2万円でも出す、という雰囲気です。
とはいうものの、準備会議もきっちり行い、栞もつくり、役割分担も決めて、一日充実できたのだから、最良の結果を得たと思っています。早朝7:30に京都駅へ参加者全員が遅れず到着したのをみて、「うまくいった!」と思いました。
近代文学専攻なら、学生も親に学資を追加してもらったりして(笑)、長良川で鵜飼を鑑賞し、温泉につかり、明治村で漱石や鴎外や小泉八雲を偲ぶ、大義名分を立てやすいですね。
ともあれ、新しい物の考え方を、若い人たちといえど、共有していくには、幾度もの挫折(笑)、カオス状態が、生まれるものです。
さて~、なかなか道は険しいですが、楽しみも同時に得られます。今度は、飛鳥探索→村内全域総合図書館計画プロジェクトです! あはは。
投稿: Mu→WD | 2008年4月14日 (月) 16時47分
Muさんの飛鳥案内?というのも心許ないですねぇ。
ぴゅっと行って、ぴゅっと帰ってくるのでは、飛鳥の本当の良さはわかりません。
三輪旅行の時にそう思いました。
自分の見たいところだけ、「お前らも見ておけ」では、同行する学生さんたち、ちと可哀想じゃありませんか?三輪には、美味しい『みむろ最中』の本店がありましたのに。
飛鳥にお出かけになられるんでしたら、お昼は『萩王』でごちそうなさったら、先生の評判はメチャクチャ上がりますよ(笑)。
投稿: wd | 2008年4月14日 (月) 17時32分
WDさん
1.三輪遊行
これは企画を頼まれて、「ならば、こういう視点で山辺の道を見ることができる」と合議の上のことです。明治村以上に目的が狭く深いことで、箸墓、元伊勢という一般観光・懇親からは遠く離れた対象観察行でした。同行者たちは「出雲神話」を三ヶ月かけて調べまとめたグループだったのです。
2.『萩王』をサイトで捜しました。なかなか良いところですね。行ってみたいポイントとして記憶しました。
しかし予約であることと、学生にとって2500円前後の昼食は贅沢であることにより、行事としてはボツです。飛鳥探訪では、現地素うどんか菓子パンが相当でしょう。これが学生の懐の現実です。
3.「ごちそう」→「教師の人気が上がる」
いずれの御代か、京大の総長が入学式か卒業式で話したことを新聞でみて、強い印象が残りました。
若い内に「ただメシ、ただ酒」に慣れてはならない。どんなことでも身銭を切って生きていく気持をもて、ということです。
親しさと狎れとは別だということも若い内に知ったほうが良いわけです。大抵のことは身銭を切って痛みをともなって経験していかないと、血肉にはなりません。
*.教授の説教
MuBlogは説教節になりますが、もとよりMuは教員だから、自らの機能表現として、説教するわけです。現代、説教たれるのは想像以上の反発と不和を生みます。だからこそ、責務として、MuBlogでも教室でも日常でも、説教節を次々と案出しております。
投稿: Mu→Wd | 2008年4月15日 (火) 05時23分