ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序=Evangelion:1.01 You are (not) alone/庵野秀明(特装DVD)
故というか縁あって、エドルン君から表題のDVDを受け取った。
さっき鑑賞し終わって、感想を記そうとしたが、細かなデータのあるパンフレットの文字が小さいことや、色使いの微妙さで全く読めず、インターネットの公式サイトを開いてみた。どうやら手にしているのは附録満載の特装判のようだ。
詳しいことは公式サイトにおまかせすることにして、いくつか気がついた点をメモしておく。
1.初見の映画と思えた
実は20世紀末に、私はこのTV全シリーズを二度ほど見終わっている。ただし、最終に相当する劇場版は見ていないので、物語がどうなったのかは全く知らない。二度も見たのだから最終を見れば良いのにと、思ってはいるが、当時はまだ若かったから(笑)、作品にたいして、「これは、終わりようがない。だから、最終版を見ても落胆する可能性がある」と、批判的な気持を持ったからだ。TVシリーズでも、終わりの方になるとぼんやりしていて、何も覚えていない。
で、そんな経緯があったから、昨年秋に公開されたとき、「エヴァは忘れよう」と思った。
しかし今回、DVDを見て、佳い出来じゃ! と内心から思えたので、このままの調子で「序破急」の破と急を見るつもりになった。
理由は簡単なのだ。14歳のシンジ少年の甲高い絶叫(自分からの逃亡、逃避)と、気を失って戦いに入るタイミングが絶妙にうまく描かれていたこと、この一点につきる。神経に損傷を受け気を失ったシンジ少年がなぜ人造人間初号機を動かせるのかは、いつか解き明かされるだろうが、エヴァ憑依になってはじめて、最大の、あり得ない力を発揮する少年が、その直前までは発狂した巫女(男性用語もあるが割愛)のヒステリー状態であること、それを断ち切るような戦闘への暴走。その描き方に満足を味わったわけだ。
ただし、パイロット失神で暴走した状態の初号機が敵の使徒に巨大なナイフを操る情景は、少年少女には見せたくない場面だと思った。私は初老だから見ても許されるが、近辺におる少女達(笑)がああいう場面を刷り込むのは危険だと思った。なぜか。そう、あれこそが人類の脳には爬虫類の脳が奥深く収まり、そして初号機はそういった「イド」をむき出しにした時、初めて使徒と立ち向かえるという、実に大きな矛盾を抱え込んでいる、その人生の秘奥に、若い内に気付くのは佳くないという、せめてもの私の老爺心から、この映画鑑賞を止めたい。(Mu注記:内容が奥義に属することなので、あえて文脈を乱しておる)
2.少年シンジと少女レイ
二人とも14歳だから、一般には少女の方が老成しているものだ。シンジは相変わらず子供っぽい。ガキそのものだ。自分の行為行動を対父親、対回りの者達との、関係でしか決められない。
今の私にはそのように簡単に言える。
だがしかし、それは私が赤貧の中でも両親に愛情を注がれて育った、幼少期の殆どの時期は祖母と暮らしていたという特殊例にもかかわらず、記憶の中には夏休みや春休みに、鈍行で一日かけて両親の元に行ったという甘酸っぱい記憶に満ちているからかも知れない。世間の少なくない少年少女が、両親から愛された経験を持っていない事例も多かろう。そういう環境に育ったなら、シンジ君への感情移入は私の数百倍強いだろうと想像した。
私はTVシリーズを見ていたとき、シンジが不愉快だった。「うるさい。父親(碇)が息子の君を必要としようが、しょうまいが、そんなこと、君の置かれた状況とは関係ないだろう。ぎゃーぎゃー騒ぐな、うろたえるな!」と歯がみしていた。
他方、静かな綾波レイには好感を持った。
~
と、その二人の少年少女に物語の鍵が隠されているとは、お釈迦様でなくてもよくわかる。分かりはするのだが、そのあたりのミステリアスな手腕は、今回のDVDでますます深まった。しかしながら、シンジが自分を取り戻すのは、大抵はレイの危機、レイが自分の身代わりになって死地に立つ、その瞬間に我に返るという手法は、ふむふむ、やはり世間を騒がす作品には、なにかしらそういったツボを押さえたところがあるのだなぁ、と感心した。
3.物語の背景について
碇指揮官が属する特務機関NERV(ネルフ)とか、その背後のゼーレ組織とか、他方突然現れて襲ってくる巨大な使徒(人造人間の変形に見える)、それも使徒は全部で12使徒以上に居るようだし、ときどき囁かれる「人類補完計画」とか、極めつけは死海文書外典の存在とか、映画の最後に数十秒描かれた地球外での青年の甦り(覚醒)とか~。セントラルドグマとか、かんとか、エヴァ世界の背景は多重多層になっていて、トンデモ話がいつの間にか本当に思えてきて怖くなるような世界が控えている。
これらの意味づけをファンはしているのかも知れない。私は、ある時期死海文書に興味を持っていくつか解説本を読んだが、異教徒のことは分からないというあきらめから、考えを手放した。だから、この映画の背景も、今のところ「楽しみ」にしておくのがよいと思った次第。
そう思った一番の理由は、使徒と初号機(シンジ)や零号機(レイ)の戦闘場面がまぶしすぎて、そこにひたすら魅入ったからである。パイロットを保護する呼吸できる液体(LCL)が戦闘の高熱で煮えたぎり、苦痛に喘ぐシンジの悲鳴が耳を突き、迫真の情景だと思った。
特に、初めてエヴァ世界に関与する人は、背景を考えると混乱するから、ひたすら使徒の形状や動き、それにエヴァがどう立ち向かうか、そういう殺陣(たて)の美しさを味わえばよいと思った。
4.気がかりな点:ヱヴァンゲリヲンとスカイ・クロラ
今夏、スカイ・クロラ/押井守監督、森博嗣原作が上映される。押井監督は『攻殻機動隊』や『イノセンス』で私などが最も深みに入り込んだ作品を造った方だ。そして原作の方はMuBlogでたびたび感想文を記している作家だ。
ところが、押井監督は『イノセンス』の手法を使わない、抑えた、と語り、そして原作は様々な事情から私自身が封印した危険な図書なのだ。それが、今夏映画になる。
今回のヱヴァンゲリヲン序に好感を持った私は、今夏おそらくスカイ・クロラを鑑賞し、身に内部分裂を生じるかも知れない。ヱヴァンゲリヲンの危険性はヒトのイドに関わり、スカイ・クロラの危険性はおそらく生きることの「空」に満ちることだろう。そういう危険性を、監督や作者はどのようなメッセージとして公開していくのか。楽しみでもあるし、恐ろしくもある。
どんな映画も小説も、本当は、作者や関係者に才能が有る分、危険きわまりないメッセージを含んでいるという事実を、少年少女達が楽しみの中に、見つけ出さないことを切に願うものなり。
これ究極の老爺心。
「ああ、おもろかった」と、それでよいのじゃ。それで生き終えれば人生万々歳。
追伸
糖衣の中は灼熱のイド
糖衣の中は絶対零度(-273.15℃)
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