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2008年4月30日 (水)

小説木幡記:2008/04/30(水)四月の終わり

四月の墓碑銘
 カレンダーで気がついたが、今日は四月の終わりだった。世間一般には、四月は入学式や、入社式、つまり人生の門出で注目される月だ。
 余は、その月が生誕月なので物心が付いて以来、なにかと特別扱いをしてきた。古い同級生に誕生日が同じ者がいた。消息不明だが、息災なことだと思う。意外にも、余がもっとも尊敬する思想家というか、文人がまったく同一日に生まれている。もっとも、明治時代だが。

 若年時に、「四月の墓碑銘」という短編小説を同人誌に載せた記憶が鮮明にある。原稿用紙で30枚にも満たない奇妙な、小説とも詩ともエッセイともいえない、ともかく文章だった。内容は覚えていないが、そのタイトルが未だに忘れられない。明確に、自分自身の誕生月に自分自身の墓碑銘を合わせていた。当時の「ぼく」は、今の余とは別人だから、何を考えていたのかは知らないが、なにかと静かにエキセントリックな「ぼく」がいた。直に話したいとは思わないが、近くで観察してみたい気持にはなる。

現代は祝日にも授業があるのです
 昨日は、「昭和の日」で世間は祝日になっていたが、葛野では授業があった。半期で15回の授業を達成し、諸行事を繰り込むにはそうせざるを得ないようだ。
 いたしかたない。
 一昨日夕方話した教授の出身大学は当時、五月の連休あけになって初めて教授達が教壇にたつという牧歌的な大学だったらしい。余の学生時代も思い起こせば、なんとなくそうだった。

 そうそう、いまだに思い出すのは、教壇でペーパーナイフを取り出し、フランス装丁というか、フランス語の美学のテキストを、その場で切り開けながら授業をなさっていた方がいた。今にして思えば、一種のパフォーマンスなのだが、その頃は目を丸くして「大学の先生って、ものすごいなぁ」と感激した記憶がある。
 で、知り合いの先生が言うには「あれだけ、おっとりしていたから、僕も無事卒業できました」と、真顔で往時を振り返っていた。その先生、徹底的に授業にでるのがお嫌いだったようだ。なんとなく、想像できる(笑)。

 と、世間の様変わりを感じるところだが、現代学生も現代教授連も授業はお好きなようだ。余など嬉々として教室に杖付いて出向く。パフォーマンスの一つ、芸の二つでも見せれば学生達も喜ぶじゃろうが、無芸無才。

MacBookで日本語
 そうだった。
 昨日は余の授業はなかったのだが、来客の予定があったので、いそいそと朝からでかけ仕事した。というのも、四月の大半は研究室でも横臥せざるを得ない状況だったので、書類の整理や授業の準備が綱渡りだったのだ。

 メモしておくと。
 昨日早朝からマシンをたたき起こして、今朝の授業と明日の授業、合計三科目のための配布物を印刷した。本来なら自分で大量部数を印刷するところだが、その原版を秘書さんに頼んだ。しかし、大学の秘書さんも祝日出勤で大変なんだなぁ。で、ここが二度手間というか、ばかばかしさというか、それでも学生達の意見を聞くとそうした方がよいことも多いので、プレゼンテーションソフトを使った電気紙芝居も調整したわけだ。

 気持の上では、薄暗くした大教室で投影される教科要目を、ただ虚ろに眠るが如く見て聞いておれば、賢くなるはずなのだが、それでは済まないところもあって。……。印刷物と電気紙芝居の併用となる。

 昨年までは古いWinマシンでそれをこなしてきたが、どうにもスピードがとろくさくて耐えられなくなり、今年は言うに事欠いてMacBookを張り込んだ。なんで今さら、わざわざMacなの? と思う向きもあろうが、人間のすることって、そういう手触りとか、趣とか、歌心があってな、余の授業は爾今以降Macでないと駄目じゃと、天啓があったわけだ。しかし、そのあたりの心象風景を説明するとなると、MuBlogに連載でもしないと無理なので、省略。

 昨日は二重苦が生じた。
 一つは、WinマシンのMSパワーポイントで作ったデータを、MacBookでは別のソフトに載せ替えた。MacでもMSのパワポは走るのだが、高額だから持っていない。MacでもWindowsが開くのだが、馬鹿馬鹿しくてやっていない。で、Mac用の廉価で上等なプレゼンテーションソフトに乗り換えたのだが、これは結局すべてのスライドを再確認した。微妙にズレが生じるわけだな。楽しいと言えば楽しいが(そういう調整に命をかけた半生なのさ)、結構時間がかかり、疲れもしたな。

 で、もう一つが大問題だった。日本語入力だった。マックにもともと付いている「ことえり」というのが、余の性に合わなくて、ついちょっとATOKという和製の定評ある入力システムを試したのじゃが(微妙だねぇ)。まったく動かない。そりゃそうだ、四五年前の製品だから。余の眼前にあるMacBookは昨年度の新品だし、CPUが替わってすでに何年かたつ。

 余は、とくにWIn世界では生え抜きの「一太郎」世代になる。世の中がワープロ・Word一色にそまるのを苦々しくみてきた。で、さっそく新しい日本語入力ATOKを導入しようとしたわけだ。
 そこからが大問題だった。ダウンロードは150MBもあったが、直ぐにできた。だが、そこに至るまでのIDやパスワード問題で、大騒動になった。結局、しかたなくメーカーに電話して、あれこれ調整して、やっと終わった。

 上記をまとめると。
 PCがこれだけ普及しているのがあらためて不思議に思えた。ちょっと変わったことをすると、それだけで数時間まるまる使ってしまう。特に、ダウンロードするための、IDやパスワードや、当時の古いメアドやらが競合して、ぎゃーと叫びそうな昨日早朝だった。

 世の中のヒト達、よくやっていけますなぁ。
 これでも余は、電脳歴は40年近いし、まだ現役、いまだに常に五台程度の稼働マシンにとりかこまれていないと、心身不安定になるという、ほとんどマシン依存症だというのに、たかだかちっこいMacBook一台に、朝から大騒ぎしておるのじゃ。
 ちなみに、傍にいるマシンの大半はMacなんです。G3、G5、iMac、そしてMacBook、Macに取り囲まれておるのですよ。それでも、ノート型Macに大騒ぎ、仕事にならない!
 (稼働Winマシンで傍にいるのは、MuBlog定番アクセスの、涼夏2007PC、たった一台)
 (ところで、自嘲:この歳になって、稼働マシンの数を競うなんて、余も相当にアホだと、今思った) 

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