小説木幡記:2008/04/13(日)ちょっと散歩
さっき思い立ってドアを開け、外に出た。横になってから三日目の午後の太陽や風に身体をさらして、爽やかだった。五分ほど歩いてまた中に入った。
しかたないことなので、だいぶ読書も進んだ。読書老眼鏡が甘くなったなと思いながらページをくった。たしかにいろいろな人がこの世にいるだろう。私の場合、読書がなければちょっと発狂しそうな生涯だったろうな、と思った。
カメラも模型も研究も授業もそれぞれ熱中できるが、読書が無くなったら基盤が崩壊するような予感がする。読書依存症、つまりは活字中毒なのだろう。かといって24時間よんでいるわけではない。シャッター押しながら本は読まない。授業中にときおり読み上げる教科書は読書ではない。もともと教科書などは読書ではなく、業務というか職務なんだろう。厖大な事務文書やレポートも読書ではない。
昨日は仙太郎のでっかいおはぎをいただいた。今日は宇治の菓子屋さんの小ぶりな草餅のようなものをいただいた。熱い煎茶によく似合う。とは言っても、甘党とは思っていない。今朝のトーストは発酵バターを小指の先くらい、林檎ジャムを小さじ2杯、たくわんを3切れのせていただいた、午前五時。漫画博士が珈琲をいれてくれたので、それで朝食を終えた。
最近漫画供給が絶えているので声をかけたら居なくなっていた。午後に出掛けたらしい。
そろそろ夕風呂でも入ろう。
と、横臥三日目の日曜の午後も、ゆたゆたと過ぎていく。
と、旧知からついでのメルが入っていた。近頃関西も、そして京都も、鉄道模型が喫茶店やレストランや、人が沢山集まるところで走っているらしい。よいことだ。京都駅付近らしい。だがどのジオラマ、レイアウトも小綺麗すぎる。なんといっても、わが嵯峨野鉄道図書館ジオラマは、もっとワイルドちゅうか、荒っぽいちゅうか、独特の良さがあると自画自賛。世の中、整った物だけがよいとも思えない~、しかし写真は見ほれるような新幹線。こういうのを派手に走らせるジオラマだと、八畳間ほどまるまる必要だ。頑張って、鉄道車庫というか、鉄道ジオラマを広げられるような空間を手にしたい脳。
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