丕緒の鳥(ひしょのとり)・十二国記/小野不由美:雪のような音
物語
丕緒(ひしょ)は、慶国で下級官吏・羅氏(羅人)の職にある男性です。
羅氏の仕事がなんであるかは、この世界特有の用語と考えておきます。国の典礼、祭礼行事として、弓で鳥ないし類似のものを射て王の吉凶を占う行事があり、羅氏はこの実質的準備を調える役目です。国官ですから仙籍にあり長寿です。すでに三代の女王に仕えました。しかし、女王に謁見(えっけん)することはまずあり得ない、本当の下級官吏です。ですから、この十二国記全体のヒロインである景王陽子の即位の後の祭礼に、丕緒が陽子と顔を合わすのかどうかは、最後までわかりません。
丕緒は、過去の王のために最良の行事様式を師匠と一緒になって考案し、工人を使って仕組みを作り、王や高官たちの喝采をあびました。しかし慶国では歴代の女王が国の経営に失敗し、狂乱し暴君となって、側近や民やを疲弊させ、国を傾けました。最初に、師匠が突然拉致され意味無く処刑されました。師匠の死には本当になんの意味もなかったのです。当時の女王の狂乱か気まぐれに過ぎなかったのです。
つい先代女王の場合、女王がなんらかの嫉妬から、国中の女性を国外に追放し、その煽りを受けて、頼みとした職人の長である若い女性も失踪しました。今度の女王(陽子)が立っても、女性職人は戻ってこないので、おそらく他国で死亡したと思われます。
丕緒は、そのあとの職人「青江」に長きにわたって指示をすることもなく、逼塞していました。そして新女王が立ったとき、ふたたび「羅氏の中の羅氏」として、過去のすばらしい祭礼を執り行うように、上司から求められました。
丕緒は過去に誉められた方法も、そして不評を買った方法も、すべて忘れてしまった自分に気がつきました。準備には時間がかかります。過去の方法をそのままするのも、新規にするのも、当時の工人たちがいない今となっては同じなのです。二度と、過去の新王をたたえる「明るい」方式も、王に民の悲惨を知らせる「暗澹とした」方式もとりたくなかったのです。
若い工人頭「青江」は、「雪のような音」という不思議な言葉を発します。
悩みに悩んで短期間に作り、試験するいとまもなく祭礼に間に合わせた「雪のような音」は、新王・陽子と人びとにどうだったのでしょうか?
読後感
足かけ7年前の短編集『華胥の幽夢』を、2006年に読んだとき、私は感想文を書けないくらい、気持が押しつぶされました。小野さんの力量は、いわゆる本当に優れた純粋文学者のものです。正面切って読み終わると、声が出なくなるものでした。その後、何年も十二国記が書かれていないことに気がついたとき、私は、その理由が全くわからないままに、「ああいう文学をしてしまうと、書けなくなる」と思ったのです。
文芸はたしかに読者にとって楽しみですが、作者は命を削って書いていることもあるわけです。それが作者の資質だから、純粋の文学者が生まれざるをえないわけです。それは商業とか流行りとかそういうこととはかけ離れた言霊(ことだま)の世界に通じるものだと思います。華胥の幽夢(かしょのゆめ)の幾編かはその種類の短編でした。
現代は小説や芸術一般を楽しみとか娯楽とか、売れる売れないという観点から見る場合が多いですが、古来「言葉」というのは本当に呪術に近いものだったのです。となえる人も聞く人も命がけだった世界があるのです。小野不由美さんは、芸術家なのです。だから、書けなくなったのだと思いました。どんな理由からにせよ、長い間読めなかった読者である私は、それを「しかたない」と思っていました。
それで今回の、結論を申します。
今度の「丕緒の鳥」は、七年前のなにがしかの筆を凍らせる呪縛を、解きはなったと思いました。先の短編を書き終えて、岩戸に隠れた小野さんは、おそらく自力で一点の穴をみつけ、そこを自らの筆力で押し広げられたのだと思います。静かに輝くような結末が、それを表していました。
良かったです。
追伸
承前1:読書の秋と「華胥の幽夢(かしょのゆめ)」 (2006.11.03)
承前2:図南の翼:十二国記/小野不由美 (2006.10.30)
承前3:風の万里 黎明の空:十二国記/小野不由美 (2006.05.01)
承前1を私が読んだのは2006年ですが、小野不由美さんが発表されたのは2001年です。ですから、今回の「丕緒の鳥(ひしょのとり)」2008.2は、あしかけ7年ぶりの、久々の十二国記です。
承前2は、十二国記で私が長編として最後に読んだもので、すでにあしかけ二年が経ちました。
承前3は、慶国の景王陽子が王として中心になっている作品です。今回の久しぶりの短編「丕緒の鳥(ひしょのとり)」は、丁度この作品で新たな景王陽子が立った頃の話です。
短編「丕緒の鳥(ひしょのとり)」は、「yom yom; ヨムヨム」三月号(2008.2)に掲載されました。葛野の「この世界博士」に教えてもらい、読みました。
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