小説木幡記:2008/03/13(木)記憶の時
日々楽しいことや、幾分辛いこともあるが、身体は楽で心も静かで、風呂も気持ちよく、夕飯も美味しくたべて、時が過ぎていく。幼児期というか幼稚園ころから小学校までは、なにかしら物に怯えて熱に身体まで浮かんでしまうような奇妙な記憶があるが、それも成長とともに徐々に楽になっていった。
大学生のころは、また別種の熱にうかされて疾風怒濤の時代を思い出すが、光り輝いていたわけでもなく、鬱と躁とが言動にあらわれ、思い出せば気恥ずかしい。
以前、何もしたくない、何も考えたくない、という若いひとたちの共通した言葉に驚いてもみたが、余もこうしてひとしきり宙をながめて思考の川に身を横たえてみると、なんの抵抗もなく水に浮いて流されていく、いや、流されてきたという思いで胸がいっぱいになった。
おそらく、このまま無理をしないで事故にもあわなければ、数十年生きていくのだろう。昨日の今日が明日ではないといつも思い知らされてきたが、微視に見れば昨日今日明日という時の区切りも曖昧になり、ゆたゆたと温泉にまどろんでいる気持に襲われる。
別の世界では、いつもきりきりとなにか、かれかと、追い詰められて胃をきりきり痛めてしかめ面をしている毎日だが、そんなこともひとごとみたいに眺める分秒を知ってしまうと、やはり、まどろんでいる毎日なのだ。夕ご飯は牡蠣フライだった。熱燗を口にすると、「生」の良さを胃底まで深く味わった。漬け物をぽりぽり噛んでご飯をいただくと、力がみなぎってきた。食後の林檎が舌を溶かし、最後の煎茶が喉をうるおす。
記憶は間違いもするし入れ替わりもするし、美化されるし都合の悪いことは消えていくし、あてにならない物だが、一般に記憶は過去の残された、つまり残像に過ぎないのだから、本人も社会も、だれにとってもあてにならない物なのだろう。その瞬間瞬間は消えていくのだから、なにがどうだったかはだれにも確たる証は立てられない。
すると、そういった都合の良い、時には甘酸っぱい、なにかしらの記憶の中にたゆたったまま残世を生きることも方法として確かな道だと思うようになった。すると、
たちまち現実的な解答が目の前にちらちら現れてきた。
今年、桜を観よう。昨年も、一昨年も、その前も春には桜をみてきた。桜にまつわる大昔の記憶といえば、たしかに嵯峨小学校に入学したとき、校庭に桜が咲いていた。葛野のキャンパスにも、というか門前に桜が咲いていた。だから、春になれば小学生の記憶の甘酸っぱさに身をひたし、観桜の日々を送ればそれが残世の一こまとして、余の生を彩る。
記憶は脳がつかさどる。らしい。
こうして木幡記を記して脳が活性化し、さまざまな記憶が明日の生きる燃料になる、その確かな手応えを今味わったところだ。
だから、また、考えてみよう。
延々と。
時間はまだある。はずだ。
(時が断ち切られた時、存在が消滅するという、この生命界の仕組みは、玄妙としか言いようがない。悩まなくて済む。長生きしようぞ)
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