小説木幡記:2008/03/03(月)三月に入りましたね
気がついたら三月でした。いろいろな気持の整理の上で、平成19年度はやっと数日前の3月1(土)に終わった気分でした。その日、日曜作家の一区切りがついたわけです。
となると、今日はひな祭り。もう、平成20年度のことで頭が一杯です。
今年度の授業は、研究は、会議は、倶楽部は、ロボットは、嵯峨野鉄道図書館は、……。そして、大切な日曜作家は? それに忘れておりました、今年の桜はどうなることでしょう。
今の気分は、まるで新年を迎えたお正月気分ですね。
読書も必要です。なにか科学の固い図書も読んでおきたいです。
研究図書も沢山よまないとなりません。
好例の夏期論文は、『日本の美術史/保田與重郎』です。関係した種々の図書も今から読む必要があります。最近保田の身余堂についての写真集も手にしました。「日本の文学史」と対になる「日本の美術史」では、伊勢内宮の心柱の写真がこの何十年間か、長く目に焼き付いています。
京都から伊勢へ行く高速道路も整備されたところですから、走らなくちゃ。
それから、忘れていたわけではなく、最近川村二郎先生が亡くなられました。追悼を込めて、何冊か読み直しておきたいです。昔のドイツ文学者は、本当によい文章を残されております。
こうして考えてみるとなかなかやってみたいこと、体験してみたいことが一杯あって、どれかに的を絞らなくちゃと、天の声が時々耳にはいってくるのですが、人間って、複雑というよりも乱雑なところがあって、並行じゃなくて一秒間隔でいろいろ考えが飛ぶのでしょうね。そういう乱雑なシステムをまとめて、ともかく人格を保っていられるという、こういう脳を持ったヒト生命体は、将来さらに進化していくのでしょうか(退化とも)。
一つのことを愚直に確かめていく能力と、乱雑ないろいろなことをこれまた愚直に試していく、こういう一見すると違った方向に見えることでも、時間間隔が一秒単位なのか、一週間なのか、一年なのか、十年なのか、その程度の違いとしか思えないこともあるのです。繰り返し繰り返し、螺旋状に上昇したり下降したり停滞したり。DNAの舞台の上で舞い続けることでしょう。
余の場合、毎年春になると桜狂になってしまうのは、これは天然自然に生命体が反応する、一年周期なのでしょうね。そういえば授業も一年周期でしたわな。日曜作家は、十代末から二十代末まで専念しましたから、きっとこれも21世紀初頭から死亡時まで続くことでしょう。
さて3月、弥生。よい季節になりそうです。
追伸
邪馬台国・鉄道図書館ジオラマ、これが今年の目標です。卑弥呼ですよ、三輪山ですよ、箸墓です。「ロボットコンピュータ複合ガルウィングタイプNゲージ前方後円墳」ですぅ! えらいいそがしくなりそうです。
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