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2008年2月 7日 (木)

飛鳥の「真弓鑵子塚古墳」(まゆみかんすづか):巨大石室と、南北通り抜け羨道

承前:酒船石遺跡関連図版(飛鳥関係図版)
MSN産経ニュース:石舞台しのぐ国内最大級の石室確認 奈良・鑵子塚古墳 2008.2.7 20:57(2ページあり)
asahi.com関西:石舞台より大きな石室を確認、奈良の真弓鑵子塚古墳

「写真」:真弓鑵子塚古墳(まゆみかんすづか)
(飛鳥の考古学図録2、より)

真弓鑵子塚古墳(まゆみかんすづか):渡来人の墓
 夕方NHKのニュースで「石舞台よりも大きい石室、飛鳥で~」と耳にした。帰宅してから夕刊を見たが、載っていなかった。一休みしてインターネットを調べてみたら、幾つもあった。いずれも今夕にネット発表された内容だった。奈良県明日香村教育委員会が7日の午後に発表した様子だった。ただし、2月1日付けの写真もあるので、すでに事前に予備発表があったのかも知れない。知らず。

地図:真弓鑵子塚古墳

(奈良県高市郡明日香村大字真弓)
地図:Google地図

1.ニュースの要点
 MSN産経ニュースをまとめると、奈良県明日香村大字真弓にある鑵子塚古墳(かんすづか)の石室が、同村にある石舞台古墳よりも、一回り大きいことが分かった。国内最大級という等級が付されていた。
 推定被葬者は、渡来系氏族「東漢:やまとのあや」で、和田萃(あつむ)・京都教育大学名誉教授(古代史)は、欽明天皇5(544)年の書紀記事から、東漢に属する「川原民直(たみのあたひ)宮」と推測。
 古墳は円墳で直径が40メートル程度、南北に入口があり特殊。横穴式石室全長は19メートル以上。
「被葬者を納めた玄室は18畳分の広さがあり、高さは4・7メートル。一辺1メートル近い巨石400個以上を、ドーム状に積み上げる高度な技術が用いられていた。」とあった。

 asahi.com関西は、大きさについてもう少し詳細だった。
 「同古墳は直径約40メートルの円墳とみられ、玄室(奥行き6.5メートル、幅4.4メートル、高さ4.7メートル)の北側は、通路状の奥室(奥行き4メートル、幅2メートル、高さ約2メートル)だったことがわかった。
 玄室の床面積(約28平方メートル)は石舞台古墳(同26平方メートル)より大きく、欽明天皇陵とされる丸山古墳(橿原市、6世紀後半)の約34平方メートルに次ぎ2番目。 」

2.以前に調査されていた(昭和37(1962)年)
 河上邦彦(参考1)によればこの古墳は「昭和三十七年に末永雅雄先生を中心として石室の内部だけが調査された」とあるので、すでにある程度のことはわかっていたはずである。「写真」では、直径23m、高さ5mとあるので、今回の直径40mから比べると、漸く古墳の規模全体が確認出来たと言える。
 また、「写真」では横穴式石室は全長11m、玄室長6.3m、幅4.3m、高さ4.8mと計測されているので、石室の全長以外は従来と変わらない。今回の発表では全長が19m以上なので、過去調査の11mとは相当に開きがある。これは、asahi.com関西記事の「通路状の奥室」との関係なのだろうか。
 そして、謎(笑)はこの奥室と南北二つの入口にある!?

3.河上先生の羨道一つ説
 古墳に出入口が二つあるのは非常に特殊な形態のようです。そのことで、いつもお世話になっている河上邦彦(未知の方です)先生は、以下のようなおもしろい推理をされていました。それが、今回の再調査でどのように解釈されるのか、興味がわきます。
 参考1によれば、「私はこの部分(Mu注:南側の羨道と考えられている所)を奥室と考えている。盗掘で奥室の奥壁部分を破壊された結果、通路のようになってしまったのが誤解されたのだろう」
 そして高取町の墓山古墳での実体験から、もし二つの羨道があるとするなら、それは「つまり石棺を入れることだけに必要な入り口であったのである。だから墓室として埋葬後は石を積み、後ろは土を入れて埋めてしまっているのである。羨道は一つということになる」

4.私の感想
 やはり、奥室とか南北二つの羨道が気になる。河上先生の、初期調査データからの推論は意外だし、よく理解できた。そして今回、どうなったのか。それは古いものだから、正確には分からないだろう(笑)。
 こんな風に考えてみた。
 盗掘人はものすごくよく研究していて、古墳の弱点(玄室への、掘りやすい部分)を設計図もなしに当てて、そこから掘り進めるようだ。事実は、古墳と石棺の関係で、河上先生のおっしゃるように設計時の通路は南北にあったのだろう。そして片方(南?)を完成とともに埋めた。盗掘人は、そこを攻めた。
 と、日曜作家風の推理でしたぁ。

 それにしても、写真をいろいろ見ていると、玄室天井の巨石が落ちてこないか心配になる。ドーム状というのはボンドとかで固定しなくても、落ちないのだろうか? 怖いから九日の現地見学会は行かない(笑)。午前10時~午後3時にあるらしい。
 石舞台も、蛇塚も天井はでっかい巨石をまたがらせた構造のようだった。

参考1
  飛鳥発掘物語/河上邦彦(その、「9 南側の羨道、実は奥室……真弓鑵子塚古墳」)

注記:JoBlogのまとめ
 明日香 真弓かんす塚古墳
 東漢氏(やまとのあやし)系の人が被葬者かもしれないという、和田先生の話をもとに、東漢氏の解説があります。Jo翁さんの話は、いつも大陸、半島、日本という当時の東アジア全体から見ていく視点があって、目が開かれます。一方Muは、やけに細かく、古墳という構造物から見ていきます。Muの資質は、建物や構造物になじんでいくタイプと自覚しましたなぁ。

 蘇我稲目と渡来美女
 継体天皇の半島政策からはじまり、大伴氏が美女二人を連れ帰り、蘇我稲目に献上したとの話がまとめてありました。猪熊兼勝先生の説をもとにして、背景をJo翁は丁寧に解説してくれたはります。

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コメント

 happy01地元では、有名なようで、テレビ発表より以前に、友人のブログでは紹介されていました。

 『風の書』
http://asukakaze.blog.shinobi.jp/Entry/526/

 ご参考までに・・。

投稿: wd | 2008年2月 8日 (金) 08時44分

Wdさん、ありがとう。
 やはり現地の、それも専門家は情報が早いですね。さっき見た記事で、古墳の中の写真をご自身で撮られたのを見て、感心しました。

 しかしお化けのでそうな、落ちてきそうな所のようです。

投稿: Mu→WD | 2008年2月 8日 (金) 09時45分

現地見学会もこの雪模様では、どうだったでしょうねぇ・・・・
それにしてもいまだに奈良や飛鳥からは、
古代史ロマンに引きずりこまれるような
新しい発見がザクザクなんですね。
古代史ファンの興味は尽きない地ですね。

そういえば、発掘とは関係ないですが
木曜夜10時にフジテレビ系列で放映されている
「鹿男あをによし」というドラマご存知ですか?

万城目学さんのミステリアスコメディ小説をもとにした
一風変わったドラマなんですが、
舞台が奈良です。
この間は飛鳥の駅や石舞台なども登場しました。

のだめカンタービレで指揮者・千秋真一を好演した
玉木宏が主役の鹿男・・・・。
奈良女学館という女子高の臨時ダメダメ教師でありながら、
神と鹿によって、日本を救うべき人材として勝手に選ばれてしまい、
難題を負わされて悪戦苦闘するというユーモラスなドラマ。
荒唐無稽・摩訶不思議、そこはかとなく古代ロマンの香りがし、
しかも気分はユルユル、地面も揺ら揺らと・・・・
ほかでは味わえない風味のあるドラマです。

なにより、あの風林火山の姫しゃまこと、柴本幸さんが、
ライバル校京都女学館の剣道部顧問にして
マドンナ「長岡美栄」役で毎回登場してますから!
姫しゃまはここでも素敵です!

http://wwwz.fujitv.co.jp/awoniyoshi/index.html


投稿: 伽羅 | 2008年2月 9日 (土) 16時37分

まいど伽羅さん
 たしかに。なら。
 奈良へは大昔、三条京阪から近鉄に乗って行きました。記憶では、高校生のころは近鉄電車が三条京阪駅に乗り入れていたのです。丹波橋あたりで、近鉄奈良線に逆のりいれたのでしょうね(?)すごい話です、と書きながら思った。

 今度の古墳話、Muには弱いです。つまり現地へ行っていないから。いつか行くでしょう、ほとぼりが醒めた頃にね。でも本心は3世紀前方後円墳マニア(笑)でしてね、明日香村あたりの6世紀や7世紀のは、行ってみてら、「昨日作った新人古墳です」、というようなもんで、あんまり触手がうごきません、と変人。
 石舞台が好きなのは、現代風に公園化してあって、構造がだれにもはっきり分かるからです。石の芸術ですね。真弓かんすのも、整備されたらよいですね。と、意外に環境破壊、歴史破壊もいとわない現代流です。整備は破壊。それがいやなら、埋めたままにするしかないようです。なかったことにして忘れる。歴史に対峙するのはなかなか難しいですよ。

 鹿男、数回前にちらりと眺めました。ものすごくおもしろいですね。しかし、ちらり、とだけでした。理由は簡単で、深夜10時だと、普通は熟睡中なのです。今度は録画して見てみます。
 姫しゃまは、お知らせのサイトでながめましたが、別人に見えました。

投稿: Mu→伽羅 | 2008年2月10日 (日) 09時14分

かんす塚古墳は昔、発掘調査されて時は、今回のようなむちゃくちゃな発掘は行われませんでした。
私は墓が近くにあり、考古学研究所に知り合いがいたので、特別に中に入らせてもらいましたが、大きな石が積み上げられ特に天井石は本当に巨大でした。今でも軽自動車が通れるのがやっとの道なのにその細い道でよくあんな大きな石を運んだものだと思います。
明日香村教育委員会は無茶苦茶菜発掘をしていますが、昔の発掘にたづさわった人たちとは何か心の中が違うのかなあと思います。
高松塚の発掘されるまでの明日香の発掘調査は、予算のないのもあったのですが、農閑期にお百姓さんに協力してもらって、丁寧な発掘をしていたように思います。
明日香いたぶきの宮の井戸の遺跡の発見されたときに、水がまだ沸いていたときの皆さんの感激は今でも記憶に残っています。
明日香の古代の遺跡を発掘するのにもっと古代の人々に思いをはせて発掘するべきだと思います。
観光資源を発掘するためだけの発掘は、もうやめるべきだと思います。
昔の明日香はもっと静かで風情のあるいいところでしたから。

投稿: 信さん | 2008年7月 9日 (水) 21時58分

はじめまして、信さん

 相手はお墓ですからね。
 私の信奉する思想家は、古墳発掘などもってのほか、と心底からの怒りを著述されています。

 Muは複雑です。
 埋まっていたから現代にまで残ったわけです。今、飛鳥が現代風に整備しても、時の流れ、その未来の関係者の考え次第で、破壊しつくされるかもしれません。

 飛鳥は外地から行きますと、公園があって、手洗いがあって、環境が整っていて快適です。しかし、純粋に「日本の過去」という視点からみると、しかも相手は墓所ですから、その営為のすべてが「破壊」と考えられます。
 そういうはざまにたって、私はまた飛鳥へおとずれることでしょう。

 で、発掘の態度ですが。学術というのは学術内での良心らしきものはあっても、人々や歴史全体や、文明に対する良心はないと思います。学術の成果主義、予算獲得があるかぎり、場合によっては年度末の水道工事、電気工事で、掘らなくてもよい道路が、掘られ、予算消化し、また道を整備するための予算獲得のような、そとから見ると馬鹿馬鹿しい行為が繰り返されることでしょうね。

 ひとえに、学者であれ、村民であれ、関係者であれ、ことの本質を一人一人が考えないと、恥ずかしいことをし続けることになるでしょうね。

投稿: Mu→信さん | 2008年7月10日 (木) 10時08分

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