昭和の鉄道模型をつくる(18) バー&寿司屋
承前:昭和の鉄道模型をつくる(17) タクシー営業所
18:ここまで完成(~18号)
一方で屯所(別室の図書倶楽部資料室)に置いてある作りかけは、まるっきり好き勝手な設計ですが、毎日変わり、毎日眺めてはどうしたものかと思案ばかりしています。そっちは自由(鉄道図書館)世界です。両方あるのが一番です。
番外→18:「昭和の『鉄道模型』をつくる」応募券
図書館でも、期限内返却が10回続いたら、貸出冊数を10%増しとか、そういう仕組みがあるとよいですね。あれ? 話が混線。ようするに、このシリーズのコントローラは出版社の採算に組み込み済みとは思いますが、25枚の券を送らないと、電源装置が無いままになって、電車が動かないという仕掛け。
ええ、ところがどっこい、私はすでにトーマス号を買ったとき、その中に電源装置は入っていました。コントローラ自体の価格は数千円だと思います。なのに、しっかり25枚の券を握りしめて、ノリで貼り込んで、写真にとって、祈る気持で投函したこういう「人間」の幼児性というか、切なさというか、ああ人間喜劇万歳!
18:部品と工作(バー&寿司屋)
それよりも、こういうお店は確かに京都の繁華街などでは見かけなくなりましたが、京都市右京区などの風景の中にはときどき見かけます。どういうお客さんがいつ来るのだろうかと思うのですが、それは私が夜に出歩かないから知らないだけで、暗くなるとぞろぞろ入っていくのかも知れませんねぇ。
18:鉄道模型の達人/大澤勝一、大澤慶一
だからジオラマの情景よりは、走る情景が主になります。持ち寄る列車がHOゲージの12両編成ともなると、前から後ろまでの全長が2~3mになりそうです。迫力がありますね。
組み立て式なのでレールは適当な大きさの木製基盤に固定してあり、基盤同士の電気接続は銅製の棒二本でがっちり挟み込む方式です。
18:「空き地」 ジオラマ/レイアウトの制作(7)空き地を作る
ここではスチレンボードの表面を丸棒(千枚通しの柄の部分など)で押しつけ未整地らしい凸凹をつくる。ジエッソ(茶色)を塗って下地を作る。ボンド水溶液を塗り、パウダー(茶色)、バラスト(砂というか砂利というか)を色合いに気をつけながらまく。緑のパウダーを散らして雑草表現。ボンド水溶液で固定して乾燥待つこと8時間。
雑草に花色を点描。さらに、それらしい風合いの刷毛の毛部分をカットして、千枚通しで穴を空けた部分に埋め込み、背の高い草とする。なんとなく人工植毛の技ですなぁ。(笑)
別のNHK趣味悠々図書では、このあたりのことが微にいり細にいり説明してありました。地面作りの奥義書があるかもしれません。
18:昭和の『鉄道模型』をつくる
昭和30年ころに、電気洗濯機(2万円)、冷蔵庫(5万円)、白黒TV(20万円)を三種の神器と呼び出したようです。現在ですと、500万円相当の家電になりまして、ちょっとね。しかしその程度の高級車を乗り回す人は、現代は多数いますから、頭がこんぐらがりました。
昭和37年ころに、それらの普及率は都市部で、冷蔵庫3割、洗濯機6割、白黒TVが8割にもたっしていたようです。うむむ、日本人って、傑作なくらいメディア狂いが多かった、エンタメ系が多いのですね。これは意外! いや、当然か?
ちなみに、十年後の、昭和40年代の「新・三種の神器」はカラーTV、クーラー、自動車のようです。
その時代半ばになると、私もいろいろ実体験しておりまして、昭和46年公務員初任給が3万円前後でした。1200CCのスッピンのトヨタ・パブリカSR、ラジアルタイヤ装備・京浜ツインキャブちゅうマニアックな当時76馬力(今の規格に換算できません)のが車両本体価格55万円前後でしたような。クーラーなんかありまっせん。
ついでに、当時2000ccのフェアレディを買った畏友ふうてんさんとは、そもそもの初めから格が違います。これは、人間の格がマイカーに顕著に表れた昭和史の秘話ですよ。
ああ!
18:未来の図書館、過去の図書館
私は読書家でもないし、書痴でもないし、稀覯本コレクターでもないのですが、それでも図書を通した「読書」という行為によって、まとまった知識の体系を脳の栄養にしていくことについて、思うところがあるのです。
ただしここで学者とか専門家が専門書を読んだり、あるいは文芸評論家が小説を読むことは例外としておいておきます。彼らにとって読書とは職業、仕事ですから、一般人が読書をして味わう快感とか徳用とは、違った世界の話です。科学者がデータを眺めるようなものだし、プログラマーが算譜を解読するような世界です。かれらの人格が、読書によって良き方向に形成されるとは思いません。
まれにあるでしょうが(笑)。
専門家がいちいち感極まったり、文藝評論家が小説一冊に死ぬほど惚れ込んだりしたら、評価は成り立たなくなります。断っておきますが、それを「芸」としてならしめる人も一世紀に数名おりますが、これは世間一般の天才カテゴリーにはいるもので、また話が違ってきます。
一般論としてです。
図書一冊にはまとまった知識の体系や、感性、世界観の体系がコンパクトに整理されています。小説であっても、作者が見た世界が過不足無く、平均して原稿用紙400枚~1000枚に圧縮されているわけです。もちろん昔の作品ですと、原稿用紙で200~300枚でも一本になっているものがあります。
ここに、作者が持つ一個の世界観があるわけです。しかも原稿用紙数百枚を費やしてその世界観が描かれているわけです。もちろん、逆転した云い方なら、原稿用紙数百枚をついやして、作者という一個人はそこに世界を作り上げたわけです。
読書とは実に簡便に、容易に、短時間で自分以外の人間が世界を観る目を、その他人の目に写った人間、事物、事件、日々を知ることができるのです。つまり、追体験することができるのです。このことによって、人は自分以外の人がこの世に共存している事実をあからさまに知ることになります。
人間とは、一体何を考え、どう行動し、どう失敗し、そして死んでいくのか。何に感動し、人と人とがぶつかり愛し合い別れ、戦い、儲けて、食べて、不満を持って生きていくのか。
こういうことが一冊一冊の小説に丁寧に美しくおぞましく、悪辣に、そして求道的に描かれているのです。簡単に言えば、他人を知るのにこれくら便利なマニュアルはないと言えましょう。
現実に生きる成熟した人達の行動パターンにしても、ほとんどその類例を過去の小説や古典に見付けることができます。いや、人類史のなかで、そういう類例をもとにして詩や物語や現代小説がうまれてきたのですから、当然とも言えます。
たしかに虚構なのですが、この虚構をおいて、他を深くまんべんなく知ることのできる方法は少ないと思います。殆どの場合、他者認識は、眼前の家族、友や知人、仕事相手、顔の見えない他人との接触でしか得られません。そこには特殊性はあっても、普遍性が薄いです。
また他人同士なら、一過性のものです。浅いです。人は容易に個として個を開示しません。それこそ本当の虚偽に満ちあふれています。
私は、今は小説という図書に限定して話しておきます。
小説とは、一人一人の人格と考えています。シュールな作品なら、そういう人間がいるという多様性を知り得ます。凡百の作品なら、人はそういう安易さを好み、その安易さもまた人の習いとしることができます。凡百な世界がなければ、耐えられない側面も人生にはあるものです。
酒を飲んで裸で温泉に入って、気心が通じることもあります。それもあります。しかし時空間的にそれは情報量として実に少ないです。この世には、酒を飲んだら機嫌がわるくなり、裸のつきあいなんて異性以外はまっぴらゴメンという人も結構います。
しかし、小説一本をえらべば、天才から凡才、犯罪者から宗教者、温泉好きから服をぬがない紳士まで、それこそあらゆる人がそこに住んでいます。小説ほど多様性に満ちた、虚構の仮面をかぶった現実人間像は、無いでしょう。
では、なぜここで紙の図書なのか。
おそらく、外界を目からの情報によって脳に入れ、そこでどのように情報を処理していくかについて、紙の図書の有効性が明確にわかってくると思います。それは、手で触り、目で直に見える点で、ディジタル情報とは異なります。(結論は近未来に先延ばし)
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コメント
バー&寿司屋の営業時間は?
ジオラマにおける(時間)とは何か?をふと考えました。
バーや寿司屋は昼間には開いていない、開いていても、らしくない、ですよね。
となると、嵯峨野鉄道図書館のジオラマに夜間照明みたいなものはあるのだろうか?
なんてことが気になります。
15年くらい前、3Dグラフィックスを少し勉強したことがあります。
モデリングというのですか、対象物をモデル化してコンピュータで扱える様にします。
一つの面をポリゴンと呼んで、それの何枚かで立体は構成される、という考え方です。
少し勉強するうちに、じゃあモデル化のためには(~百万ポリゴン)を1秒間に計算して描けばいいんだと、分かったような気がしました。
ところがですね。
モデル化はそれで出来るのですが、モデルだけでは人には見えないのですね。
見えるようにするためには(光)を当てないといけないのです。
(光)の当て方・・・これが難しい。
これには法則、ルールというものがない。
レイ・トレーシング法、ラジオなんとか法・・・あれやらこれやら。
結局、当時のコンピュータ・パワーではしんどいと断念しました。
バー&寿司屋さんは何時ころ店を開けるのでしょう?
寿司屋は昼時と夕刻5時くらいから。
バーは7時過ぎから。
でしょうかねえ。
そしてカンバンの時間は?
投稿: ふうてん | 2008年2月 2日 (土) 22時43分
ふうてんさん
ちょっと困った。さっき、木幡記を2月2日付けで書き終えて、ようやく「二階建て図書館列車」の解を得たと思ったところ、一息ついたところ。
要するに、一階部分を書庫にすること、展望のよい二階部分を浮遊感とともに読書室にすることで、公的嵯峨野鉄道図書館が成立する! と得心したところなんですよ。
光。
ジオラマにおける光。たしかに、今後「昭和の鉄道」シリーズを記録していくうちに、車両の前照灯、室内灯の話。そして建物や街路灯の話が出てくるのです。他の図書では一読したことがあります。なかなかに凝っていて、点灯は大きめのスイッチングBOXを作って、そこで全制御している方もおられるようです。
しかし。ふうてんさんの光話は底が深すぎるですね。「ジオラマに於ける昼と夜」と、こういう観点から照明を考える必要がでてきますね。
……。
配線や制御だけの問題じゃなくて、「思想」が絡んでくる。光と闇、昼と夜。む、むつかしいなぁ。
ところで、「昭和の鉄道模型」ではバーも寿司屋も、照明はないです。開店、閉店時間、これらは決める必要がありますね。小説ですと、データベースの項目を追加するだけで済むでしょうが、ジオラマとなると、実際に見えないと困ります。祝日、定休日問題もでてきます。
なんだか、死ぬ間際まで、嵯峨野鉄道図書館列車は、車庫待機になりそうですなぁ~。
投稿: Mu→ふうてん | 2008年2月 2日 (土) 23時07分