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2008年2月16日 (土)

新世界より/貴志祐介 (上下):日本のアンチユートピア小説

新世界より/貴志祐介 (上下)
 一読後「こいつは、春から縁起がよい」だった。一息で上下巻をこなせた。読み出したら止まらない。しかしジェットコースターに乗った読後感ではなかった。上下で1000ページ強あったが、いろいろな所で考えさせられた。含蓄のある作品だと思った。
 まだ2月だというのに、こういう優秀作をかぎわけて入手し読めたのだから、今年もついている。つまり、私自身が引き寄せられるように、あるいは気がついたら本がそばにあった、とそういう状況だった。それでも三日間フルに使った。遅読だからそれだけかかる。速い人なら一日、二日で完読するだろう。

帯情報・上

1000年後の日本。伝説。消える子供たち。
子供たちは、大人になるために「呪力」を手に入れなければならない。
一見のどかに見える学校で、子供たちは徹底的に管理されていた。
ここは汚れなき理想郷のはずだった。
いつわりの共同体が隠しているものとは----。
何も知らずに育った子供たちに、悪夢が襲いかかる!
著者頂点をきわめる、3年半ぶり書下ろし長編小説!

帯情報・下
人類が手にしたのは神の力か、悪魔の力か。
八丁標(はっちょうじめ)の外に出てはいけない----悪鬼(あっき)と業魔(ごうま)から町を守るために、大人たちが作った忌まわしい伝説。
いま伝説が、「実体」となって町に迫る。
見せかけの平和がいま崩れる。
新しい秩序とは、おびただしい流血でしか生まれないのか。
少女は、決死の冒険に身を投じる。
空前絶後のエンターテインメント、ついに佳境!

物語:少女期
 手記で始まる。12歳のころから結婚したころまでの話だ。今は23年後と最初のページにあるから、35歳前後だろう。名前は渡辺早希(さき)、生年月日は210年12月10日、神栖(かみす)66町出身である。
 現実に神栖町があるのかどうかを確かめたところ、現在は茨城県神栖市になっているが、確かに神栖町は存在した。

(茨城県神栖市)

 早希はある年令になったとき、お迎えがきて呪力を得、全人学級に入る。中高をあわせたような学校だ。そこでは五人でグループを作り、いつも五人一組で行動する。しかしいつの間にかメンバーが減り、代わりに別の生徒が加わり、まるで以前から同じ班員だったような振る舞いをする。早希たちも、それを心の片隅でおかしいと思いながら、話を合わせて行かざるをえない。

 神栖66町は水郷だった。郷は7~8つほどしかなく、人口も町全体で数千人にすぎないが、早希はそれくらいが普通だと思っていた。
 町は年中、祭や催し物があって、日々が楽しく、そしてのどかな美しい風景に包まれていた。電気は水車小屋で作られているが、それは町の拡声器を使う為だけのものだった。拡声器からは夕方になるといつも懐かしい曲が流れていた。
 車のような陸上移動手段はなく、すべて舟で往来した。生徒たち一人一人が舟を持っていた。

 掟が一つあった。
 八丁標(はっちょうじめ)という御幣で標された結界があって、そこから外へ出ることは絶対に禁止されていた。大人達でも特別な用務が無いときは、外にでなかった。それさえ守っていれば、結界の中には何の危険もなかった。人を刺す蚊も、噛みつく蛇も、毒虫もいなかった。しかし、外の世界を知ることは少なく、日本には神栖66町のような町が全部で9つ程しかないということも、後で知った。

 少女期から青年期始めにかけては「学校」生活の思い出が主だった。
 悲劇は前触れもなくおとずれた。グループの中で信頼していた少年を失った。誰にもどうにもならない疾患が少年に現れたからだった。病名は「業魔」だった。古代では「橋本・アッペルバウム症候群」と呼ばれた不治の病だった。少年の存在が肉親や友達や郷や町を自壊させるような恐ろしい病気だった。
 早希は少年を失ったあと、そのことを記憶から末梢された。時々、Xとして名無しの、それでいて懐かしい存在が甦るだけだった。

 少年を抹殺したのが誰なのか、自殺したのか、悪病退治の切り札「不浄猫」の手にかかったのか、それらは早希の記憶には一切残らなかった。ただ、町の幹部達が、子供たちをいつも見守り、不治となったときは抹殺さえするという事実だけは知った。過去の忌まわしい用語だと、「間引き」という言葉が私の頭に浮かんだ。町は、総力を挙げて成長する子供たちを監視し保護し、手を尽くせないと知ったときは、間引きしてきた。組織的にそうせざるを得ない事情が、神栖66町に、いや日本全国の9つの町には厳然とあった。手を抜けば、町が壊滅する。過去のいくつかの悲惨な歴史があった。

物語:青年期
 早希は全人学級を無事卒業し、237年7月、26歳になっていた。6年前に全人学級を卒業したというのだから、20歳ころまで在学するようだ。今は、「茅輪の郷にある町立保健所の異類管理課という部署で、バケネズミの実体調査と管理を行うことだった。」

 バケネズミというのは、異類とされている穴居性二足歩行生物で、知能は非常に高く言語も持っているが人類とは見なされていなかった。生殺与奪権は早希たち町の者にゆだねられていた。その管理とは言っても、集団で社会生活を行う生物だから、女王が君臨するコロニー単位で争いも生じる。各コロニーの動きなどを調査観察することが早希の仕事だった。
 
 バケネズミのコロニーで重大な異変が起こった。一つの大コロニーが、別のこれまで弱小と見られていたコロニーに虐殺されてしまった。知能はあっても、呪力をもたないバケネズミに、強力な相手方を一瞬にして抹殺できるような武器も手段もあるはずがなかった。

 さらに、歩調を合わせたかのように、これまでにない悲劇が町を襲った。人類に対して絶対服従だったはずのバケネズミたちに各郷が襲われ、一人の少年の凄まじい力で町全体が壊滅的打撃をうけた。早希の父(町長)も、母(図書館司書)も行方不明になってしまった。町の守護神のような二人の男性も、あっけなく少年の攻撃に敗れた。村人たちは狂乱に見舞われ、かつての歴史にあった地獄図を見た。

 町の幹部たちも、町民たちもはっきり悟った。少年が、古代史で「ラーマン・クロギウス症候群」と呼ばれていた「悪鬼」の再来だった。業魔と同じく、悪鬼に対処する方法はなかった。歴史で悪鬼が去ったのはちょっとした幸運でしかなかった。もちろん、伝説に残る悪鬼退治も、関係者は即死した。数千の町民は滅びるしかなかった。
 いや、この悪鬼病を持った人間が、日本の他の町に行けば、すべて破壊される。業魔は、病者が内攻することで外界を自壊させ、悪鬼は外に向かって攻撃することで町や日本を破滅させる、最も恐ろしい病変だった。

 早希は少女期にイニシエーション(通過儀礼)を行った寺に逃亡し、そこで母が残した手紙を受け取った。手紙の内容は、人類の歴史をすべて抹殺した中で、たった一つ残された過去の知識についてだった。図書館司書以外は誰も読めない古代の図書から得た知識として、悪鬼を排撃する唯一の方法が、1000年昔に栄えた東京にあると知った。
 早希は仲間とともに、特殊舟に乗って鹿島灘へでた。

図書館と司書とロボット
 この物語にはいくつもの新機軸が含まれている。その一つが「司書」の扱いだった。実に感動した。
 早希の母は町で最有力者だった。町のトップでさえ知らない、知ってはならない知識を、早希の母だけが図書館司書という最強の権限によって、知っていた。司書は激しい選別を経た、選ばれた者だけがなれる栄誉ある仕事として設定されていた。
 人類は1000年の間に過去の知識をすべて捨て去っていた。もちろん科学技術もすべて棄てた。だから、町はおだやかに、田園風景の中で朝な夕な、季節に彩られた平和な世界をながめ、長きにわたり平和を保ってきた。
 しかし全てを封印した中で、今では司書とそして極度に知能化し(注:私の深読みでは、人間の機械打ち壊し運動を恐れ)、全国山野に逃亡したロボットだけが、過去の全書籍情報を扱える世界となっていた。
 母が司書として残した情報は、極秘でもあり、町、いや人類全体を救う命綱でもあった。

アンチユートピア物語
 人は、生物であるが故に、生物が持っている多くの要件を内部に潜ませている。攻撃、捕食がそうであろう。地球上の全生物の中でも人は格別に知能が高く、文明を築いた。それは洗練されたものだったが、内部に抱え込む人の属性によって一旦は破滅した。すなわち、新たな「攻撃」「争い」をもたらした。
 古くは火を使い、武器を使い、科学技術は遺伝子を操作し核兵器を操った。文明はそのどれでもない別の力によって破滅した。
 生き残った人達は、のどかなユートピアを作った。しかしそのユートピアを維持するために、別のシステム、即ちアンチユートピアも内包せざるをえなかった。

ところが
 そういう話だけならば、私は「新世界より/貴志祐介」にここまで筆を費やさなかった。普通のおもしろい作品として取り上げただろう。
 読後感にじわりと胸をついたのは、ユートピアであれ、アンチユートピアであれ、悪鬼退治に人類の救世をみた手記者早希が、全て終わったあと、別の感慨にふけることだった。私の想像も交えるなら、悪鬼も業魔も、症候群ではなかった。人類が悪鬼であり業魔だった。その想いが早希に重なり、濃厚な読後感に導いてくれた。

 この作品は優秀作品だと私は評価した。

追記
 物語全体を一気に展望し、味わうためにも、読者諸氏には少なくとも土日をかけての、二日間程度の読書時間をおすすめしたい。

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受信: 2009年7月28日 (火) 10時16分

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