NHK篤姫(05)薩摩の話:養女とジョン万次郎
ほのぼのとした若い男女の気持ちの揺れが描かれていた。間にジョン万次郎の挿話があって、プレジデント(大統領)の札入れの話や、レイディファーストのこと、結婚は女性の同意が重視されるなど、篤姫は肝付尚五郎(小松帯刀)と一緒に異国談議を耳にして驚いていた。
篤姫に縁談があって、その相手は島津久光の息子だった。今和泉島津家である篤姫の父からみると、表面は凪いでいるが、まだまだ斉彬との関係で敵方のような相手である。篤姫も殿様(斉彬)の命令ならしたがうしかないと、尚五郎に言う。彼に「どんな男なら、嫁にいくのか」と聞かれた篤姫は、「日本一の男」の嫁になりたいと言った。
尚五郎は、篤姫の父・島津忠剛(ただたけ)を尋ね、姫を妻にしたいと懇願した。忠剛は尚五郎の熱意に同意した。が、翌日は登城して当主・斉彬から縁談の話がある。
翌日斉彬が忠剛を城に呼び出し、篤姫を養女にしたいと言った。
聡明で、すくすく育った篤姫をいたく気に入り、頼山陽の日本外史(源平~徳川までの武家の興亡を描いた史書)をプレゼントするくらい、斉彬は篤姫を気に入ったのだ。
お由良騒動の前後、斉彬の子供はすべて夭折したようだ。だから17歳の篤姫を養女にするのは、おかしくはない。側室の可能性があったのかどうかまでは知らない。継嗣問題を将来に考えるなら、斉彬死去の後は、弟久光の長男(今夜の篤姫の縁談相手)が後を継いだ。もし、ここで篤姫を養女にして婿を迎えると、ややこしいことになっていたかも知れない。
この段階で、斉彬が篤姫をさらに近衛家の猶子(ゆうし:公家社会での仮親関係。相続を前提としない)とし、将軍家正室にすることまで考えていたかどうかは、今夜は分からなかった。
見どころ
肝付尚五郎が、篤姫の父に「妻にしたい」と言った一夜の場面が、印象に残った。相手の女性が天涯孤独でないかぎり、そばにいる両親に男子が話を付けるのは、昔も今も変わらないことだろう。それが不調に終わったときは別れるか、駆け落ちしかない。一般には人を介して申し込むようだが、それだと迫力がなくなる(笑)。
Muは、ずっとこの肝付尚五郎が気に入っている。おどおどしたすがた、はにかみ、根性入れ、なかなか良かった。で、今夜の尚さんは熱演だったなぁ。
課外勉強:ジョン万次郎
「ジョン万次郎(勝地涼:かつじ りょう)」という人名をATOK(一太郎)で入力したら、正確に表示された。著名な人なのだ。私も幼児期から彼の漂流記のようなものに親しんだ覚えがある。
土佐の中浜村(現・土佐清水:足摺岬)の出だからなのか、本名は中浜万次郎らしい。というよりも農民、漁民は姓が確定していなかったから、漁民の彼は出生地をそのまま姓にするのかもしれない(要調査)。
NHKの人物紹介では、14歳の時に漂流し、米捕鯨船に助けられ、賢い少年だったのだろう、そのまま十年近く米国および航海で学んだようだ。
他の人物事典によれば、万次郎は1827~1898年の人なので、72歳ころまで生きたことになる。薩摩藩から招かれて英語の教授や、軍艦操縦、測量などの任についたのは、1864頃とあるから、20代後半のことになる。このころの藩主は、斉彬(なりあきら:1809~1858)がすでに没し、次の29代・島津忠義になっていて、後見人の実父島津久光の活躍した時代と言える。
ただし、ジョン万次郎が勉学を積んで帰国、舶来の知識をもたらしたのは、1851年なので、鹿児島に上陸したジョン君が斉彬の興味を惹いたのは、充分うなずける。
夢のような話である。
14歳というと、中学生時代になる。命からがら無人島から助けられて、言葉も通じない異人さんにアメリカへ連れて行かれて、~ちょとtブラックジョークになるが、奴隷に売り飛ばされなくてよかった~、アメリカの学校に学び、英語の読み書き会話をマスターして、当時の科学も修得し、無事帰国した。(その間数年間アメリカを離れた時期もあったようだ)もちろん、幕府からも薩摩からも土佐からも重用されて、明治維新を迎えた。ドラマティックな話だと想像した。
参考サイト:ジョン=万次郎について/ポッキー
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コメント
「篤姫」テーマ音楽の時の
「クリムトの絵画のようなな背景」が独特ですね。
篤姫が影絵になったり、顔が映し出されたり、
影絵なのに、顔がぼおっと映っていて、ちと怖かったりもする。
だいぶ見慣れてきましたが、最初見たときはビックリでした(笑)
尚五郎役の瑛太さん、いい味出てますね。
いずれ薩摩藩家老となって討幕派の原動力となってゆくのでしょうが、
今は逡巡しながらも自分の意思を貫こうとする若者の一途さが健気です。
風林火山の若殿・武田晴信が、
年齢を重ねるにつれてどんどん変わっていったように、
尚五郎も小松帯刀となってゆくに従って、
別人のようなキャラになってゆくのでしょうかねぇ??
投稿: 伽羅 | 2008年2月 3日 (日) 23時20分
まいど、伽羅さん
タイトルは変わっていますね。子供は影でも子供に見えるのが不思議でした。
瑛太という役者、おっしゃるように年令とともに、どのような風格をだしていくのかが、楽しみです。
もしかしたら、だれよりも瑛太が芯になるようなよい予感もします。
それにしても、若者の一途さをみて、気恥ずかしくて、照れました。
(つまり、Muがすでに一途さを忘れた年令だからです:笑)
追伸
Muは、いまだに武田晴信・信玄を気に入っております。ばかばかしさと凄みとを上手に演じておられました。
秋以降の小松帯刀も、そういう多様性がでてくると、絶品と思います。
投稿: Mu→伽羅 | 2008年2月 4日 (月) 21時43分