小説葛野記:2008/02/05(火)確定申告と難しい仕事
1971年のIBM HIPO Template
しかし確定申告をインターネットで処理するようになって、こういうややこしい仕事が少し楽になった。いや、流行りのe-taxじゃない。画面に書き込んで印刷して送る、旧来方式なんだ。
日頃は紙の本でなくちゃとか、インターネットって目が疲れて肩こって頭も悪くなる、と言っている割には、余はシステムが関わるとどんなことでも、頭に入りやすくなるという、ちょっと変わった気質のようだ。若い頃から、新しい仕事につくと大抵はフローチャート(流れ図:手順図)定規を持ち出して、描いて、流れを確認して、それを見て、引き継ぎ内容を理解しようとした。あんまり難しい場合は、システムを設計しなおして、プログラミングレベルまで下げて、動かして、そこで初めて「分かった」という気分になっていた。
要するに、作らないと理解できないタイプだった。他人様の作ったものだと、簡単なことでも上滑りして、何度も聞いたり、何度も失敗するという、典型的な「物覚えの悪い男」だったと、思い出している。
ここで。公務員時代は大学図書館司書だったと言っておく。で、結構ね、その仕事も難しいことが多いのですよ。外から見ていると、本を貸したり受け取ったり、なんか走り回っているように見えるかもしれないけど、調査が入ると胃が痛むし、それ以上に山のような仕事をタイミングよく流れに合わせて確実にしないとならんことも多くて、ああ、難しい。
で、そう言うことのいくつかをシステムとしてとらえると、いつのまにかその仕事を十年以上やっているような気分になって、新しい仕事に赴任してもすぐに快適になりました。「システムとしてとらえる」、それをしないと、いつまでたっても頭は霧の中、たびたび先輩に注意されたり、生き字引のような部下に突っ込まれたりで、うむ、仕事というのは難しいものですよ。
確定申告も画面デザインを見ながらあれこれ考えていると、なんとなく確定申告システム基礎編がわかったような気になってきます。
最近、仕事を辞める若者の話が多いですね。大抵は、「肌にあわない」とか「人間関係がぁ~」とかおっしゃいますが、Muは別の要素も考えております。つまり、仕事は難しい所があって、ちゃんと考えて学んで練習しないと、いつまでたってもぼけぼけのミスしたり、忘れたり、忘れるんじゃなくて霧の中だからどうして良いのか分からなくなって、それで周りから悪態つかれて、それで辛くなって辞める事例も多いと思いますよ。
構造全体を把握しないとミスったり、仕事の手順を忘れるものです。家という全体構造を把握するとですね、知らぬ間に、手洗いの横には洗面所があると、覚えなくてもわかるもんです。二階に行くには、どこかに階段があるはずだと、予測できるのです。ミステリィなら階段がないかもしれませんね。
若者は全員、若いうちにシステム設計の基礎を訓練し、そしてありとあらゆる仕事やこの世の仕組みを、マシンの中に再現しようとしたら、そりゃ楽に過ごせます、……。システムは利用者の曖昧さを許容する手法はありますが、作り込むときは曖昧だと、動きません。と書きながら、ものすごい暴論じゃわい、と思った。
追伸
Muが上記のようになったのは、まだ「システム」というような言葉が世間で言われなかった時代、40年近く昔の20代後半のころ、当時のIBM社営業と仲良くなって、自分のやっていた複雑怪奇な仕事を、彼に一ヶ月見てもらったんです。そしたら、彼は帳票類やMuへのインタビューだけで、きっちり流れを描いて、どんなシステムを導入したら、Muさんが楽になって、それには毎月どのくらい国からIBMにお金をはらったらよいのか。一式レポートをまとめてくれました。
オマケにものすごく高価な上級PL/I講習会にも行けるように計らってくれて(ここらは、今や時効だが、企業と国の関係からして、現在なら×だなぁ)、写真はそのころIBM社からもらったHIPO様式のテンプレートです。
その時はじめて、プログラミング技能よりも、もっと大切なことがあると余は悟ったのです。システム全体を把握する能力だな。
彼は神戸大学の経済学部を出てIBMに入った人で同年配だったからまだ中堅の一歩手前だったはず。営業でそこまで出来るのは、当時は相当に優秀な人がIBMにいたのだろうか。(なにかしら、IBMの商売敵だったF痛の畏友Joさんをふと、今思い出した(笑))
残念ながら、その提案書は、当時の国策もあって、外資系IBMのシステム導入は絶対に駄目だと、きつく止められました。国でIBMマシンが入ったのは、民族学博物館か、わずかだったなぁ。
その後彼とは一度も会っていない。
彼は、まるで20代後半の余を無料で教育しただけで、丸損だったのだろうか? 申し訳なくて、電話もしなかったという、まだウブなMuでありました。
(顧客の中にIBM神話を信奉する分子を育てる遠大な戦略だったのでしょうね。それは、ちゃんとこの記事で、賞味期限切れで実証されましたかな(爆笑))
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コメント
懐かしいHIPOテンプレート
昔、私が世話になっていた会社でもこれを使用しておりました。フローチャートを描く為に使用していましたね。
格子が入ったデザインシートにプログラム設計書として使用していました。ドラムが横、デイスクが縦ですよね、ホントドラムが横向きで回転していた時代です。
当時はパンチカードもIBMカードと呼び互換性がありましたね。紙テープはほんの一時期使用して直ぐにIBMカードになりました。
ところで、公務員22年間の年金が60歳から1か月程度と言うのは正確では無いと思いますよ。今、Muさんは現役だから巨額の収入
がある為に割り引かれているんですよ。きっとね。
投稿: jo | 2008年2月 5日 (火) 17時49分
Joさんや
話が幕末か戦国時代にすぐなってしまうね。ドラム? 80欄パンチカード? おお、紙テープとな!?
Muなんて、16個のスイッチで、命令を入れたこともありまっせ。
けど、F痛でもHIPOを使ってましたかぁ。これは知らなかった。Muは、HIPOがJISのフローチャートとはひと味違って、なんとなくカッコよく見えるような気がして、愛用しとりました。
ところで今夜のNHKクローズアップ現代は、悲惨なSE、システム開発、ダムの水が突然放流、特急が突如として支線を走り出す、改札口が開かずの扉、飛行場管制システムが発狂!
もう、システム開発は限界のようですね。ともかく数十万人規模で開発要員が不足。残業200時間、鬱、自殺者。現代SEって、まるでタコ部屋なんですなぁ。
携帯電話のプログラムステップ数が500万行(高級言語レベルかどうかは知りません)、自動車一台の搭載マイコンが80台前後で、システムは700万行。
もう、あかんなぁ。人智を越えております。それこそバグだらけ、虫食い穴だらけのシステムが基幹産業、一般生活を支えておるようです。
ついに、自動車産業社会では、トヨタも日産もホンダも、みんな集まって、基本的なソフトウェアは共同開発をはじめたようです。
それはそれとして。
多分、根源的なソフトウェア開発の革命がまだ遅れているのと違うかな。
バグが生じたとき局地的に潰す方法はまだないのだろうか。生物って、毎日数万個のオーダーで細胞が壊れていると聞きましたが。そいでも安定して動いております。
大昔の実話か神話で、カンマひとつでロケットが水星と金星を間違えたとか。あの時代と変わりませんなぁ。TVでは、一行のミスで、と盛んに言うておりました。
後から後から機能を追加し、その追加が独立性をもたないまま、ついちょっと急いで他の根幹部分に直にひっつけてしまうから、いつのまにか、相互が絡まってしまって、わけがわからんようになっているのやろか?
まあ、現代のソフトウェア危機は恐らく、基幹部分と枝葉とが区別されないまま、客の要求や、営業の要求に、大急ぎで応えるために、手っ取り早く作って、不安定さを知りながら、さらにそこに新たな高機能を付け足すから、べたべたの厚化粧、闇鍋みたいな状態なんでしょうな。
そりゃ、まともなSEほど、鬱になるやろ。
一回全部消して、ゼロ発進しないと、ますます泥沼なんでしょうな。
JOさん、われら、そういう時代にサイナラできて、良かったなぁ。枯れた古くさいシステムの方が、安定しとります。うけけ。
投稿: Mu→Jo | 2008年2月 5日 (火) 21時39分