NHK篤姫(03)薩摩の話:お由羅騒動に薩摩おごじょ
お由羅騒動については復習しておいたが、薩摩隼人(はやと)や薩摩おごじょについては、今夜のドラマで「うむ」と考え込んだ。世界中であれ、日本中であれ、怯懦で陰険、悪い男も女もいるが、それでも逆に典型としての薩摩隼人や薩摩おごじょがいるのも、確かだろう。
核になるのは人間の「誇り」と、篤姫の母親が姫にさとしていた。その人がその人たる所以(ゆえん)の、支える「何か」、それが誇りだと思った。それがあるから誇り高く生きられる。
何なのか?
亭主は遠島、息子は謹慎中の、大久保家の母親(由布姫のお母さん)は、かんざしをなにかの役にたててほしいと言った篤姫に、「物乞いではない」「二度と、来てくださるな」と拒絶した。半泣きになり門をでた篤姫に、大久保利通が後を追い、篤姫と小松帯刀と西郷に、「私が苦しい時に、危険も顧みず何度も訪ねてきてくれたことを感謝する。将来、三人の身になにかがある時は、身命を賭して恩を返す」と言い切った。
この場面に、薩摩おごじょの誇りと薩摩隼人の誇りが滲み出ていた。
誇りを、自らの生に貫くには、それなりの覚悟が必要だ。
しかしドラマでは、若い小松(肝付)帯刀も、そして篤姫(一)も、まだ幾分、人の好さだけで危険を冒して遠島・謹慎中の大久保家を訪ねていた。
向こう見ずな青年客気の発露ともいえる。
ただ、三つ子の魂百までも、というように、若い頃にかくあった者は、経験を積んだ後も、かくあった。(つまりは、そういう人間だけが友として、知り合いとして残るという単純な事実でもあるが)そこから類推するなら、ドラマの伏線として、大久保利通は西郷、小松、篤姫に、年経ても同じ気持ちで接したのだろう。
ここで、典型として薩摩隼人、薩摩おごじょ、という言葉があるのは、ある一徹さで誇りを保つ男や女が、薩摩には目だって多かったのか、あるいはそれをして、人びとが褒めそやしたのか、そのどちらかは統計を見たわけでもないので、よく分からない。むしろ、ドラマとして、ヒロインの篤姫は、男や女のそういう一徹さの絡んだ誇りを理解する女として描くのだろう。ついには、自らも「誇り」を支えにして、幕末江戸城での苦難を甘受したのだろう、と今夜思った。
そういうわけで(笑:ごまかしているのじゃない)、なにがどうとは言い切れないのだが、今夜のドラマをみていて、「ああ、こういう人達もいたんだ」あるいは「いや、今でもどこかに居るかも知れない」と、小さな感動の波をじっくり味わって、それを記しておきたかった。逆に、だからこそ後の西郷がいて、大久保がいた。そして、明治維新の影にかくれて、篤姫や小松帯刀がいた、ということにあらためて大きな感動を得たということだ。
篤姫が奥女中の菊本相手に、瞼に墨で目をかいて驚かした場面がおもしろかった。よほど、姫は剽軽というか奇抜な考え方をする女性だったのだろう。
復習:お由羅騒動
27代・島津斉興(長門裕之)----お由羅(涼風真世)
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28代・島津斉彬(高橋英樹) |
実子 |
島津久光(忠教:ただゆき)(山口祐一郎)
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|実子
29代・島津忠義
なぜ「お由羅騒動」と、まがまがしい名前がのこったのか、調べたわけではない(笑:忙しいので)。ただ、これまでの知識やもろもろの情報を合わせてみると、その後の薩摩の関係者の間では、どうにも島津家本家のことをあしざまに言うのが、残すのが、辛かったのだろう。島津家は一千年近く続く名門らしい。始祖は秦氏につながるというから、目が点になってしまう悠久の歴史がある。その本家筋の大将のことを、「あんたが悪い!」と明治維新後も、人前でいうのは憚ったのだろう。で、結局「側室」なら悪口を言ってもよいだろうと、ご生母さまであっても、正室と側室とでは、格式が異なるという、そんな様子が見え隠れしました。
(ただし想像ですが、島津久光さんは明治維新後、左大臣になられたようなので、当時いくらなんでも、左大臣の実母をもって「お由羅騒動」なんて云い方は、しなかったのじゃないでしょうか。テーマ:お由羅騒動のルーツ!)
お由羅さんは、このお家騒動のあと、斉彬が当主になっても追放されず、無事だったらしいから、よかったよかった。しかしこれまで世上物語の上では、妖艶きわまりないあちらの世界の呪詛の主と描かれるのだから、お由羅さんの縁者がおられたら、悔しいだろうな。しかし、まあ、もう時効ですから。それを言い出すと、歴史上悪名を残した人の子孫は、しんどくてたまらん。
実情は、斉興(なりおき)と斉彬(なりあきら)の親子喧嘩だったと思えば分かりやすい。斉興は、ちかいご先祖さんが派手好きで、結局借金まみれになって500万両もの証文に神経をすり減らしたのだと思います。だから家老調所を重用して節約勤勉に勤めた。その、はた迷惑なご先祖さんに、実子の斉彬がそっくりだったようで、せっかく藩財政をたてなおしたのに、斉彬に家督をゆずると、またしても薩摩はつぶれかけると、危惧なさったのでしょう。だから、側室お由羅が産んだ勉強好きの、国学好きの久光さんに薩摩藩を譲りたくなったのでしょう。
斉彬は蘭癖(らんぺき:オランダ・西欧文明かぶれ)開明的で諸外国に目をひらけ、そしてお金も使った。おそらくお由羅騒動のあと、徳川幕府の支援もあって28代当主になると、治世7年というあっというまに200万両くらいは使ったのではないでしょうか(要調査)。だから父親の危惧はあたったとも言えます。もちろん遊興費ではなく、薩摩の経済力を強くする殖産興業だったのでしょうが、投機的だったことは事実です。今風に想像すると、「これからは宇宙の時代やで。ロケットをばんばん作って、早く月や火星に薩摩の旗をあげまっしょ」と、そういうノリに近いのじゃぁないでしょうか? そうそう薩摩の紋章は、○に+字ですね、なんとなく太陽系に似てますな。
1849年、お由羅、その子忠教(のちの久光)に対する、斉彬派による暗殺謀議が発覚し、斉彬派は多数処断された。ドラマでは50名ほどが詮議なく、切腹遠島になったよし。しかし幕府の介入(老中阿部正弘)があり、斉興(なりおき)は隠居し、斉彬が島津家28代を継いだ。
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コメント
薩摩武士
今回も観ましたよ、あまり美人でもない主役さんが頑張っていますね。今回の大河は久しぶりに女性が主役という事で世のご婦人を対象に脚本が書かれていると先入観を持って観ています。
薩摩に支配された琉球とか南の島々の暮らしは大変だったようで、勿論鹿児島の下級武士とか農民は大変な暮らしだったと聞いています。
大久保はん、西郷どん、の若い頃を描いていますが彼らは明治維新で鹿児島を首都にはしませんでしたね。勿論長州もそうですが。
明治以降も多くの薩摩の人々が政府の高官になりましたが、故郷である鹿児島に特別栄えるような政策を採用しなかったのは不思議なんです。
やはり、日本国全体の将来を考えていたんでしょうね。今の政治家なら故郷に道路を作るとか、新幹線の駅を作るとかしますよね。(笑)
私は、明治維新での薩摩の若い人々が純粋に国を憂いて革命に走ったと感じています。
投稿: jo | 2008年1月21日 (月) 08時07分
Joさん
薩摩支配下の琉球や南海の島々の話は小耳に挟んでいます。サトウキビの収益なんかは大きかったのでしょうし、薩摩の締め付けも、それこそ苛斂誅求きわめたことでしょう。
明治新政府における薩長は、地元との関係がどうだったのか、指摘されると分からない面が多々ありますね。
当時は江戸詰という制度があったから、江戸が地元の人も多かったことでしょう。たとえば、Joさんとかふうてんさんは、それぞれ地元があるわけですが、花咲いたのは江戸だし、相変わらず江戸周辺から動きませんよね(笑)
さらに、薩長は昭和まで、いや今も? 江戸を中心にして政財界で重い影響力をもっているような気がします。だから、……。
まあ、故郷は江戸と思うと、わかりやすい点もありそうですなぁ。
投稿: Mu→Jo | 2008年1月21日 (月) 14時11分