小説木幡記:2008/01/31(木)中国の餃子!
中国でいただく本場物の餃子の味はしらない。多分、美味しいものだと想像します。
昔亡くなった、母方の伯父が陸軍軍人だったので、長い間ソ連に抑留されていました。もう聞くこともできないのですが、満州にいたのでしょうか。で、余が幼稚園の頃、「餃子をつくってやる」とか言って、余の母が見守る中で、粉をこねるところから始めたのを覚えています。
その後、小学校の低学年のころ、学校近くの友達のお誕生日会に招かれて、そこのお母さんが、粉からこねて餃子を作ってくれたのを覚えています。記憶では、たしか、満州帰りの人でした。
さて、本日夕刻は、あんまりにも疲れたので研究室で30分ほど横臥してしまいました。
そのあと、時間が中途半端だったので、屯所を覗いてみたら、二人の幹部がおりまして。これさいわいと、チョコを半箱さしだして、「どや、センセの話をちょっと聞いてみないか(笑)」と、迫った。で、延々と「編集とは」「倶楽部の本源とは」「建隊の理念とは」と、ひとしきり口角泡を飛ばした。二人がだんだん青ざめてうつむいていくのがよく観察できた(けけけ)。
そろそろ帰ろうかと思ったら、ノックする者がおりました。みると近所の同僚教授で、手に皿をもって、「Mu先生、上の階で、例の先生がゼミ生といっしょに、これ作ったんや。わし、おなか一杯やし、先生のとこの学生さんにもろてもらおと思ってな」と、なにやら妖しげなラップに包まれた皿を差し出した。
みた。
幹部二人も、余も、一斉に「ゲーッツ」と声を上げた。
餃子だった!
「先生、本気で、私らに食べさせるつもりですか?」と、Muは、その親切な教授に問いかけた。
「心配せんで、ええって。学生達が、全部手作りしてよったし」
「はあ、……。ほな、ありがとう。上の先生に、よろしゅう」Muはとてつもなく素直な性分でもあったのです。
余は、日頃腹をすかせている幹部二人に、「どうや、たべてみるか」と差し出した。
「はい、いただきます」と、躊躇なく箸をつけだした。
……。
と、まあ過酷でスリリングな1日でした。もう疲れたので、眠ります。
(なんだか、最後の方は、省略形日記体ですなぁ。一体、どういう様子だったのでしょうか?)
追伸
さっきNHKニュースでは、京都府宇治市でも、家族が一家で冷凍餃子を食べて中毒症状と報道していました。余が宇治市在住と知っている人達だと、もしかしてひょっとして、昨日今日とMuBlog休載すると、心配させてはいかぬと思って、この記事投稿しました。
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