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2008年1月24日 (木)

小説木幡記:2008/01/24(木)葛野図書倶楽部2001の会議

今夜、24(木)の夕方・二番隊面談
 ここずっと、2008年の倶楽部幹部諸君と会議を持っている。倶楽部はいつも心機一転、起死回生という気持を維持すべきと思っているからだ。
 2007年の幹部からの引き継ぎも、そこそこ終わって、そこで新しい境地になって、ゼロから始める初心を持ってもらいたかった。

 今夕も、二番隊の二名と話した。陪席は書記局長だった。
 明日は、午後に一番隊、三番隊と面談がある。

 二番隊は、選書、装備、DB格納、貸出管理、学生の読書推進・屯所利用まで含まれている。
 二人ともまだ若い隊員なので、余が約30分概略を説明し、一旦席をはずし自由討論にまかせた。
 おおよそ、選書を倶楽部例会で執行することの技術的な、方法論が得られたようだ。ただし余は、そこに例外を補足した。
  それらの要点を書記局長がまとめ、後日に、局長、副長、余に回覧するむね取り決めた。

葛野図書倶楽部2001の年次・死と再生
 なぜこのような会議・面談を新たに起こすのか。
 それはどういうことなのか。
 倶楽部の特徴は、一般の組織や新選組と比較するなら、年次ごとに最高幹部構成が一挙に変わる点にある。徐々にではなくて、まっさらになる。そんな組織は少ない。いや、今は知らないが、国家公務員の本省ではそうかもしれない。だれかが次官になれば、同期は一斉にあっけなく去る。それと似ているのかも知れない。
 内閣や大統領制とも似ている。組織であって、組織でないところが似ている。機能の継承と人の継承とが独立している。

 組織である限り法度があって、伝統があって、やりようの連綿たる継承がある。継承すべきが基本にある。しかし、倶楽部の存在は継承することにあるのではなくて、一回一回の死と再生を伴うものでなければ、形骸化する。倶楽部を存続させることに意義を見出しはしない。再び産まれるべくして産まれ、成長するところに倶楽部の意義がある。

 歴代幹部は常に一回勝負である。局長の名だけ倶楽部のありようがある。今年は西暦に合致しているから、第八代になる。八代は七代の次ではなくて、新たな八代なのだ。初代から八代まで、数珠のひとつひとつの珠であって、珠が同質でもないし、同石、同色でもない。固さも柔らかさもすべて異なる。
 数珠なのだから、珠と珠とを結ぶ紐はある。おそらく、「葛野図書倶楽部2001」という名称が、紐なのだろう。

 三年前の倶楽部と今年の倶楽部は別の次元にある。むしろパラレルに存在している。四年前の倶楽部と余はまだ共存している。初代や二代の倶楽部とそれぞれに余は共存している。八代あれば、八つの倶楽部と余は常に共時的に存在し、物を考えている。

先週の金曜日、18日の新幹部会議
 一週間前の午後、4名の新幹部と顔を合わせた。
 新、局長・副長・書記局長・経理局長、すべて今春から4回生になり、助勤(授業支援)になる。

☆第一議長に経理局長をおき、昨年の共同演習(プロジェクト)に関する分析会議を行った。
 4名は昨年受講生としてプロジェクトを各々競い合って遂行していた。
 すでに年末までに4名はそれぞれのプロジェクト長として、自分達の班がどう考え、動き、成功し、失敗したのか、その要因をたしかめ、新年度から助勤として受講生の前に立ち、あらたな下級生達のプロジェクト支援をするなら、何を注意し、何に目をつむり、教導支援するのか、その全部をまとめてもらっていた。
 原稿用紙で各人5枚前後だった。
 それを素に、約1時間の討議を重ね結論を出す予定だったが、話が深まり、結局これだけで2時間近く話し合った。
 そのまとめは次号機関誌「Truth」に、議長の経理局長がまとめ掲載することになった。

 おおよそ二つあった。二つとも、4名の同意見として出た。
 夏期も入れると約4ヶ月の長丁場を各自が、6名前後でプロジェクト遂行に入ったとき、一番大切なのは何か? だった。
 優勝班のチーフでもあった局長は「スケジュール」と結論した。
 おそらく、優勝班も含めて、スケジューリングに失敗、ミスした痕跡がある。
 もう一つは、指示の適切さについて。
 今期は、気質にもよるが、ほぼ全員が他人を指揮し、指示することに控えめだった。そのことが、後でさまざまな問題を招くことに、4人とも気がついた、というよりも痛い目にあったことの確認。

☆第二議長に副長をおき、機関誌の編集について討議した。
 機関誌発行が毎年毎回うまく達成されたとしても、それをそのまま引き継ぐことが佳いのではない。ここでも死と再生がある。ならば、どのように再生させ、育てるのか。そこに意見が百出した。
 再度倶楽部存在の目的と意義を探り、そこから出てくるひとつひとつの課題に対応する記事群を機関誌内容とする。
 そのどれをとり、どれをすて、どれを次にするのか、次回の編集会議の課題とした。
 結論は、下級生受講生たちに、共同演習の全工程を分かりやすく解説する必要があるとのことだった。

☆第三議長に局長をおき、今春からの人事再編について討議した。
 人をどこに貼り付けるかよりも、どのような機能が必要で、それを構成する要件にはどのようなものがあって、それらを一定の隊員で達成するには、どのような隊編成として、どのような資質を持つ者が適任なのか。しかしなお人の流動性はあり、固定はされない。
 それをすべて把握するのが人事の要諦であると、また局長の大権であると、おおよそ結論をえた。
 ただしかし。
 局長はこれまでの共同演習にあって、3度チーフをつとめ、一度平班員を経験した。そこから、おだやかな合議制が導かれた。つまり、全体を把握することと部分を把握達成することの乖離を是正するには、合議が必要だということだ。チーフの立場と平隊員の立場は、視界において天地の差があると自覚した。
 よって、共同演習の経験が、倶楽部運営にも生かされることの結論を得た。

 当日、三つの議題を終えたとき、夕刻6時を過ぎていた。
☆シェフ書記局長が近所のスーパーで調達した、肉や野菜や寿司や唐揚げや、もろもろを会議室に広げて皆でいただいた。
 余も夕食としてもぐもぐ食べた。
 途中、局長がたちあがり、再度スーパー「花」に走り、かえったときはドーナツを30数個ばかりかかえていた。4人でわけて、家に持ち帰ったようだ。
 余は七時すぎには帰路についたので、後のことは知らぬ。
 なお、余はドーナツを一個すらもらえなかった。倶楽部幹部の、顧問に対する新たな「イジメ」を案出したのかもしれぬ。
 しかし、一人で8つ9つのドーナツを抱え込む現代若者の心性は、余にも不明である。欲張りなのか、それくらい当たり前なのか。正解は、おそらく、夜食朝食にしたのだろう。

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