« 四十八万アクセス(48万/全体82.2万):MuBlogの分析 | トップページ | NHK篤姫(01)薩摩の話:島津斉彬(なりあきら) »

2008年1月 5日 (土)

小説葛野記:2008/01/05(土)文章のこと、小説のこと、MuBlog のこと

 冬だからもう葛野のキャンパスは真っ暗になってしまった。そろそろ今日のお勤めも切り上げようと思ったね。本当に、昨年師走半ばから短距離ランナーの孤独状態なので、ほっと息をつけるのはMuBlog書くときなんだ。
 そうだ、長距離ランナーは、あれは人生全般になぞらえた方がよい。いかにも長丁場の雰囲気がでているじゃないのぉ。

 昨年からの孤独は、とつおいつ、原稿用紙千枚分くらいの文章を眺めることなんだ。なかなかに、きついね。内容は学術論文でもないし、小説でもないし、そうだな会社の業務内容報告書のようなものだ。まだ読み終えていない。

1.文章のこと
 一昨年夏、保田與重郎『萬葉集の精神』という、戦前に記された原稿用紙で一千枚前後の長編評論を、触っていた。これは二十代にも読んでいるので、初読ではなかったが、続日本紀の返り点だけの、送りがなや読みが殆ど無い漢文の長い引用が、そこここにあったので、大変だった。

 もっと大変なのは、論理的に意味が通り、しかもねじれがなくて、しかも独特の一種美文であるにもかかわらず、書いてある内容を即秒で判断できないことだった。
 何度も何度も、頁を繰るたびに考え込むというのは、はばかりながら、余のように長年生きている者には、珍しいことだった。しかも、余は20代の頃には、ああそれでも一ヶ月かけていたが、ふむふむと、読んだ記憶がある。

 一昨年も、つまるところは、ふむふむと読み終えたが、20代と異なるのは、その文章について比較的まとまった論文を書いたから、苦痛がました。一知半解にふむふむと終わるだけじゃなくて、論述するのだから、判断できないところがあっても、ねじ伏せて判断しなければならない。余の脳は白熱した。

 そうだ。一昨年も、昨年も、その余がまとめた論文をネットでは未公開のままだ。理由は簡単で、自分の文章でも読み返すと、大幅な修正がはいり、日常が停止するからだ。
 で、そういう苦痛は、なんというか、極楽でもある。相手は、文芸評論なんだから。

 で、昨年末から今日、そして明日日曜、そして来週、短距離ランナーの孤独は深まるねぇ。
 文章を書くときの、レポートなんかの場合、その要点は「文芸であってはならない」、だな。
 余は、原稿1枚を1行にするのが、非文芸的文章の要諦だと思う。

 使用禁止用語をいくつかあげると、「非常に」「極めて」「と、考えるにやぶさかではない」「といえるように思えるのだが、間違いだろうか」「そういう風に考えているこの現状は、妥当と判断する」、……。

 前二者は削除。
 →「と考える。」
 →「と思う。」
 →「この現状は妥当である。」

 カエサルでしたかな、「来た、見た、勝った。」うむ、よく覚えていない。
 和製では、「おせん泣かすな、馬肥やせ」、が優れた文章と言われておる(笑)。
 倶楽部員にも優れた学生がおってな、あらゆるメルは1行しか書かない。
 鑑だね。
 事例→「知りません」とか、「会議には出ません」とか、あはっはあ!

 余が昨年から正月にかけて、短距離ランナーの孤独状態なのは、そういう違いを一杯思い出して、悲しんでいるからなんだ。なぜ、悲しい? うむ。むむむ。

2.小説のこと
 これはね、あまり書くこともない。余も日曜作家だからな。
 ただ、文章の長短については思いがよぎる。たとえば、千枚書くのに余なら1年かかる。プロだと2週間ほどの鬼才もおるがのう。余は一年かかる。これを、それなりの形に整えるには、約一ヶ月で800枚にまでできる。

 この800枚で完成と、余は思ってしまう。ところが、うまくないことが一杯ある。奮起して、また一ヶ月かけて約500枚に圧縮する。これで、ようよう完成した! と、叫び上げる。

 さて、千枚→500枚、これは客観的に言うと、実は構成自体にところどころヒビを入れてしまったことに、数ヶ月後に気がつく。それでは、定稿とできない。

 そこで。
 その500枚を、日に5枚程度ずつじっくり推敲していく。その時に、さらに減る場合と、肉が付く場合がある。
 ダイエットしたのが『蛇神祭祀』で、約600枚程度になった。(もともとが圧縮して700枚ほどの長編だった)
 ちょっと肉付けして650枚くらいになるのが『化石の村』(定稿化連載中)
 となる。

 文芸、小説、これは好きなように書けばよかろう。
 数千枚の長編でも、数枚の短編でも、書く人の気持ちで、好きにしてそれで十分。ただし、売文となると、才能とか、もっとちゃんとした客観視座を導入しないと、現金兌換原稿にはならない。

 余のように日曜作家の場合は、自分自身の構想を自分でぶった切ったり、あるいは化粧したりするところに、快感があると近頃思っている。

 しかし、非文芸的レポートは、一応他人の目に触れるのだから、1000枚を500枚くらいに圧縮する気持ちを、書く人が持った方がよいな。

 余は昔一ヶ月単位で、恩師から、自分の書いた科学技術論文やオファーを、眼前で赤一杯にされて、はさみでぶち切られた経験を、約5年間つんだ。毎回だった。思い出すと、ありがたさに涙する。本当だ。
 今となっては、だれもそんな親切を見せてくれない。(だから、MuBlog が長くなるのかなぁ)

3.MuBlogのこと
 長い、暗い、くどい、おもしろない、と様々な評価が耳にはいってくる。
 学生談「センセ、スクロールしないと読めない記事なんて、学生は誰も読みませんよ!」
 手厳しいな。
 で、ときどきは数行の記事を書こうとするのだが、いやはや、キーボードが手指から離れない。これは、困ったblog依存症だね。

ではまた明日。
おお、明日は久々のNHK大河ドラマじゃ~。

|

« 四十八万アクセス(48万/全体82.2万):MuBlogの分析 | トップページ | NHK篤姫(01)薩摩の話:島津斉彬(なりあきら) »

小説葛野記」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 小説葛野記:2008/01/05(土)文章のこと、小説のこと、MuBlog のこと:

« 四十八万アクセス(48万/全体82.2万):MuBlogの分析 | トップページ | NHK篤姫(01)薩摩の話:島津斉彬(なりあきら) »