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2008年1月27日 (日)

冬の黄桜:葛野図書倶楽部2001ご隠居新年会

発端
 昨年の師走、余は倶楽部の現役若手学生達を引き連れて夜の三条大橋近くを豪遊じゃなくて、豪快に歩いていた。その年の忘年会を疎漏なく執行するための下見を兼ねた遊興三昧(嘘ですよ)。
 雨が降っていた。肝心の店が予約なしだったので断られた。流行っている。本来ならこれで下見は失敗したことになり、解散すればよいものを、学生達は夕食代わりについてきたのだから、しかたなく三条木屋町の博多ラーメンでも一緒にしてお茶を濁そうと算段したわけだ。
 いやしかし、皆皆は遠隔地から京都に遊学しているので、知っているところは四条河原町程度に見受けられたので、三条大橋とか木屋町を見せておくのも悪くはないと決意した。
 と、ラーメンは一杯いくらかなぁと計算して歩いていると、向こうから見慣れたというか懐かしい顔が見えた。倶楽部の初期ご隠居さん二人が歩いて来るではないか。おお。さて、声をかけようとして引き連れた学生達とご隠居さんをみている間に、二人はすたすたと通り過ぎていった。

 この、一瞬の躊躇が、昨夜の新年会に結実した。

 師走の夜、帰還して二人にさっそくメルで「みたぞぉ~」と一行。すぐに返事があって、まだお茶しているとのことだった。と、こうしているあっというまに「新年会をひらきますよ」とあった。如才ない実務派と芸術肌の二人だから、話が合うと、とんとん拍子のようだった。
 すぐさま一期生~三期生まで連絡が行き、さすがに勤め人ばかりだから日程調整に日がかかり、結局ゆったりした昨夜の新年会にあいなった。

黄桜の宴:カッパカントリー
 黄桜と言えば、鳥せいとならんで倶楽部史を飾る店だった。華南96を含め、幾つもあったが葛野図書倶楽部2001としては、2003年次・新誠会と、2005年次・新誠会が大きなイベントだった。
 2003年次については、なんというか、余が宴半ばに失態をみせて早々と帰還するハメになったことが大きい。これ以来余は乾杯の一杯だけにしている。「脳血管破れて死ぬなぁ~」と思ったくらいに蒼白、頭痛に見舞われた。なんのことはない、ザルのごとく酒を嗜む(用法がおかしい)卒業幹部のそばにすわって、つい「センセ、この濁り酒おいしいですよぉ」にほだされて、たった一杯。それで宴をぶち壊してしまった。
 2005年次(2006年3月)については、体調もよくて最後までつきあえた。サンマルクでお茶までいっしょにできたなぁ。人数の多さと剽軽さと馬力とで、中興の年次だったと今でも思い出す。2003年次(2004年3月)でこりたものだから、余は実に丁寧に
酒や料理に臨んだ。宴会は、いつだって、余には命がけのイベントなんだなぁ(笑)。

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 写真の数々は、「葛野三大美形」や「四大美形」で埋め尽くされてしまったが、まあ、健康にあふれ笑いにあふれ、熱気に満ちた一夜であった。
 結婚するのしないのしたのきっと隠れてX1じゃないのとか、もし全員すでに隠れX1ならミステリィ、今夜は当直彼氏ののろけのなんの、仕事がどうのこうの、もうりょうのはこがきしょいの、きしょくないの、父ちゃん失業私が稼ぐ孝女話に唖然、VBがどうしたJavaはやめたの、箏曲リピータがどうした、バルーンパフォーマンスをセンセお安くいたしますよ、君まだ黒豆サプリメントあるの? ようか茶々を近所の伏見桃山城でみたとかなんとか、遺跡発見よりも近所で猟奇殺人奈良県怖いなぁと、そばにお越しの折はお立ち寄り下さいだなんてそんな言葉にだまされるもんか、どこにいても仕事が滝のように落ちてくる仕事引き寄せ局長の悲哀、数時間話がつきなかった。
 余はときどきロボットが、やれジオラマがと、合いの手を入れてみたが~あははは、ふりむかれもしなかった。宇宙人の顧問とラララ宇宙の子らが集まると、混線乱戦つきることなく、時が過ぎた。

温故知新の黄桜魂
 最年長組ご隠居さん達は、2003年の三月に卒業したのだから、指折り数えてみると、~、まだまだ若いねぇ。最年少は、えっと、2005年三月卒業だから、うむ。みんな社会に出てどないなことになることやらと、思ったこともないではないが、しっかりした目をして、様子を話していた。孝女たちだなぁと、結論した。

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 記念写真。こうして眺めてみると、沢山集まった。およそ当時の2/3が黄桜の夜につどったことになる。
 余はひきでものとして、とれたての機関誌「Truth」を配った。食い入るように読んでいた。
 「おもろいか?」「うん、うん」
 「もう、誰も知らないだろうな」「ええ」「私は、最近この子を見ました!」
 今年は8代局長の年になる。
 三期までの創成者たちにとっては、見ず知らずの後輩達から、同じ機関誌名で四季折々送られてくる冊子が、過去と現在を結ぶ太い糸なのだろう。

追記1 共同演習追憶
 初代たちは京都駅で買い物があるらしく、時間調整をかねて小一時間前に皆とあって大手筋の端の方まで降りて(京都では普通下るとは南方行だが、この伏見は山上の伏見城を中心にして緩やかな坂道が続く。大手筋は東西なので、西に歩くと坂を下ることになる)珈琲をのんだ。
 で、知らない間に昔やった共同演習談議に嵌りこんでしまった。すでに六年ほどは経過しているのに、いまだに記憶がこびり付いているようだ。各人メンバーも覚えていた。除籍とか「着手はええけど、中間発表あたりから発狂する」とか、なにか葛野用語で一杯になっていた。まず、よその人が聞いても解らない。職場なんかで時々、その長期戦、バトルについて興味をもたれるようだ。

追記2 青ナイルのビール
 黄桜カッパカントリーでは、最近生まれた古代エジプトのビールを飲んだ。開発は京都大学との提携とか噂を聞いたし、そこで新聞に写真が出ていた若々しい教授は、確か、昔「電子図書館研究会」で西へ東へご一緒したあの人だったぁような。と言うわけで、まず青ナイルちゅうのをグラスに一杯だけ飲んだ。うむむ。古代エジプトの味がした(本当)。宴も半ば伏見水ばかり飲んでいたら、となりの一番隊長(初代)さんが、白もどうぞ、と勧めてくれたので二口のんだ。うむ。ところで、青も白もビールの色がそうなっているのかと思っていたが、そんなわけじゃない。ビールの色でしたなぁ。
 ところでビール発祥の地はメソポタミアと、これまで教えてきたので、もう一度調べ直すつもりだ。

追記3 定番サンマルク→御新規モス
 当夜はグラス一杯の「青ナイル」と、二口の「白ナイル」だったせいか、心身好調だった。黄桜の庭で写真をとって(店の人がシャッターを押してくれた)、その後皆でいつものサンマルクに寄ったら、閉まっていた。夜は9時までだったのだ。で、駅前のミスドまで行ったら、ここも「もうすぐ閉店」と言われた。土曜日は10時までらしい。さて帰ろうかと思ったら、モスがあると皆が思い出して、また坂を下って店頭に立ったら、11時までだったので総勢11名で奥まで入り込んだ。
 アイス珈琲飲んで余はすぐに出たが(午後10時とは、余にとっては本当に深夜丑三つ時相当だからな)、皆はまたしても盛り上がっていた。そうそうアイス珈琲は幹事局長のオゴリだったが、悪いのでポケットの20円ばかりを礼に差し出した。少し、余は酔っていたのだろう。20円で珈琲は飲めないはずだなぁ。

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コメント

おぉ出ました
名づけて「Mu殿下と美女軍団」
流石Mu殿下ですね~。
あまたの美女を従えて記念写真に納まっておられる図は圧巻です~。華やかですw~。

機関紙を通して卒業生、後輩の縦の繋がりが
磐石なものになっていくといいですね~。

投稿: 伽羅 | 2008年1月27日 (日) 11時33分

まいど、伽羅さん
 いやぁ気恥ずかしい、年甲斐もなく娘っこたちに囲まれて老骨をさらしてしまって、まさに、伏見の名水・冷や水ですよ。
 
 一般に卒業生の横の繋がり、縦の繋がりは希薄と思っております。以前、識者と話していたところ、ごく普通の意味で、昔は特に先輩の引きで仕事に就いたりすることが良くあったようだし、また友達の引きでよい異性にめぐりあったりとか、なにか牧歌的話がよくありましたぁ。
 女性なら「兄の友達と一緒になる」って、ロマンティックな話も以前は耳にしましたが。いまなら、妹の良い人を略奪したなんての方が、世相でしょうね。

 倶楽部の繋がりは、せんじ詰めれば共通の学生時代記憶、ということでしょう。それが機関誌なんかで結ばれると良いのですが。既に宛先不明で戻る人も数名おりますしね。

 というわけで、こういう同窓会を、おりおりの世話人が元気なら、今後も楽しみにしているのです。

(余話追伸:ただ、普通の同窓会に比較するなら、やはり個性豊というか、どなたとはもうしませんが、大多数が畸人変人なので、まともなMuなんかは、常に緊張をしいられておりまする。けけけ)

投稿: Mu→伽羅 | 2008年1月27日 (日) 12時48分

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承前:冬の黄桜:葛野図書倶楽部2001ご隠居新年会 副長2003の麗姿  昨日28(土)の午後、祇園円山公園長楽館の一室で、葛野図書倶楽部2001・副長2003の華燭の宴があり、余も駆けつけた。  宴は二部構成になっており、昼の部は「披露宴というよりも、内輪の会食」と聞き、安心して顔をだした。夜の部は40歳以下の取り決めになっていたので、余は「謝絶」とのこと。ところが、着いた途端に見知りの宗教学者... [続きを読む]

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