カテゴリー「桜2007」の12件の記事

2007年5月16日 (水)

自薦・Mu桜2007年 (京都の桜)

承前:桜狩り(目次)
承前:都の春・桜花ベスト3:平成十七年自薦柳桜写心

 平成19年春(2007)は、いろいろあったなかで、47枚の桜を残すことができました。それらは「2007桜」にまとめました。どれも気に入っているのですが、それなりに、桜三選、ということで選んでみました。ご笑覧ください。
 振り返ってみると、選んだ桜はすべて、それぞれの親記事で冒頭に掲載した写真でした。記事を書く時点で心に深く刻みつけられたのかも知れません。

第一席

佐野邸枝垂れ桜20070403-12

佐野邸枝垂れ桜20070403-12

 これを一席にしたMuの目を意外に思われる方も多いことでしょう。一般に言われている枝垂れ桜の特徴がみられません。桜というよりも、墨絵のように味わってきました。桜木で墨絵を描いた、そんな気分になれたのです。桜木は濃い墨で、花は薄墨で、空は刷毛でさっと水を流しただけ。そういう風に感じています。

親記事:佐野藤右衛門邸の桜:20070403
親記事参考:佐野藤右衛門邸の桜:20070330

第二席

広沢池の絵桜20070403

広沢池の絵桜20070403

 タイトルにわざわざ「絵桜」とつけました。写真というより、好きなタイプの「」ですね。大沢池(大覚寺)から少し離れていますが、Muはこちらの広沢池の方が馴染み深いのです。水面が淡々しく光っています。岸に自然な曲線はありますが、それでも水平です。その上に頼りなげな桜木が数本。あとは全部山。これは染井吉野のはずですが、随分とおとなしい風景でした。

親記事:大沢池(大覚寺)の桜:20070403

第三席

地蔵禅院20070330(地蔵院)

地蔵禅院20070330(地蔵院)

 右に邪魔な枝もあって、これこそ「何故?」と思われるでしょうね。まず桜の形が飾り傘のように見えて惹かれました。なんと言っても、南山城の開放感が後ろに控えています。それが何物にも代え難い美点でした。ただ、好きな桜なのですが、大きく写っている割には、手前の桜花が影になってしまって、そこが寂しい所です。

親記事:京桜たより:20070330
親記事参考:地蔵院(京都府・井手町)のシダレザクラ:20070330

番外1

天神川桜20070404-29

天神川桜20070404-29

 桜経験が少なくて、あるいは見る目がなくて、こういった朝日に匂う川面桜は、初めてだったのです。どうしても本居宣長の「敷島の、やまと心を、人とはば。朝日に匂ふ、山桜花。」と、朝日に匂ふ、が頭にこびりついて、天神川の桜が山桜に見えたのです。

親記事:天神川五条下がるの桜:20070404

番外2

木幡桜20070406-36

木幡桜20070406-36

 木幡研のそばの、ただの桜ですが、空の色がくっきりと目を射たので、おもわずしらず引き寄せられて、番外篇にそっと割り込ませておきました。これこそ自薦の妙味と思いました。つまり、Muにとってどうだったのか、そこが大事。けれど、なんとなく席に入れるのは気が引ける。しかし捨てられない。公開するものは、どんなものでも、自分の好みを捨て去るところから始まるようですが、きっと、blog文化は別の道を歩むことでしょう(笑)。

親記事:木幡桜:20070406

 では来年も、Muの大活躍する「桜2008」、お楽しみに。再見

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2007年4月24日 (火)

木幡桜:20070406

承前:木幡の桜・平成18年4月
承前:目次・桜狩 (2005)   

木幡桜20070406-36

木幡桜20070406-36
 今春最後の桜が木幡桜となった。昨年が、承前の「木幡の桜・平成18年4月」写真一枚だけに終わったので、今年こそはと思って一杯計画を立てたが、四月初め大沢池の寒風にあたったせいか病に倒れ、つまるところ、身近な木幡桜で尽き果てた。

木幡桜20070406-40

木幡桜20070406-40
 人生一割打者と標榜してきたが、それでも今年桜は昨年桜にくらべて三割ほどは動いたので、満足。それに、しのごのもうしても、たちゆかなくなったとき、結局身近な天神川桜や木幡桜に慰めを得たというのは、これまた玄妙というか、現実というか、実相をあらわしちょる、脳。

 自宅に桜があったなら。そうだ、あったのだ。
 遠い昔、父は嵯峨の車折(くるまざき)近くに広い敷地をもっていた。わたしらはそこにすんでいた。どのくらいひろいかというと、南北二列で説明すると。

 北・東門→ 前庭 平屋(八畳、六畳、土間台所、六畳、六畳、八畳、廻り廊下) 後ろ庭
         東西間は広場。
 北・西門→ 前庭 三角屋根洋館(でっかい:一階は吹き抜け大ホール) 離れ(八畳、六畳、風呂台所) 後ろ庭

 いろいろな事情もあったのだが、言えることは、当時の土地代は想像を絶する気楽さだったようだ。これだけでおそらく、今の国産高級車ていどだった。父は最初借地借家だったが、工面して購入し、後日西門ラインを人に売った。だから、わたしが小学校上級生から高校くらいまでは、東門部分を自宅としていた。
 赤貧洗うがごとき中で、自宅と庭だけは、なんかぁ、お公家さんレベルだった。そういえば、森博嗣先生のVシリーズの瀬在丸紅子(せざいまる べにこ)さんも、そういう状態だったような(笑)。
 事実は小説より奇なり(ベタな表現じゃね)

 さて、その東門ラインの前庭に桜木があった。ところが、その記憶が「ああ、綺麗」じゃなくて、毛虫が一杯いて、葉っぱが虫食いだらけで、汚いと。その上、枝が細いから登るわけにもいかない。結局、満開の桜記憶がなくて、桜はきたない木としか覚えていない。前庭の北東隅にでっかい樫の木があって、わたしは小学校から中学、高校まではこの木と遊んでいた。2mほどの高さの所で、幹が二つにわかれて、そこに板きれ、縄、むしろをあげて、十年以上の長期間、遊んでいた。友を呼んだ記憶もあるが、大抵はその樹上の屋形で一人、星月を見て夢想していた。

 結論。
 わたしは幼き頃、桜の美しさに気がつかず、ただ、汚いと思っただけだった。
 その分、樫の木は頑丈で、虫もあまりいなくて、大好きだった。
 今は両方好きだ。

 これでお終い今年の桜話。又来年。
 ああ、そのうち、自薦桜2007も記してみよう。  

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2007年4月23日 (月)

天神川五条下がるの桜:20070404

承前:天神川の桜海・平成十七年(MuBlog)

朝日に匂う川面桜

天神川桜20070404-29
 4月4日の天神川五条下がるの桜だった。丁度入学式の朝まだき、7:05のタイムスタンプが入っていた。それでも朝日は温かかった。同じソメイヨシノのはずなのに五条上がるの桜はまだちらほらだった。そんなことに気付いたのは、もうこのあたりに15年通っているのに、初めてだった。つまり、天神川桜は、五条通りを挟んで、早咲き、遅咲きの違いがあって、その理由はわからない。なにかの、自然の悪戯なのだろうか。
 ところでたしかに近頃はライトアップがはやりだが、こうしてみると、朝日に匂う川面桜かな、と自然に口をついてでた。

天神川桜20070404-33, 26, 21

天神川桜20070404-33
天神川桜20070404-26
天神川桜20070404-21

未然の天神川柳桜

天神川桜20070404-15
 五条上がるとこれこのとおり。今年は残念ながら、ここが桜海になるのを観ることができなかった。一昨年の写真では、この柳桜をこき混ぜた川沿いの桜海が、どれほど豊かであるかをあらためて知る。人は、元気いっぱいもよいものだが、ちと病弱時の方が自然を切なく求めるところがある。桜が自然かどうかと、野暮はいうまい、まして染井吉野。だが、南と北を見比べて、ソメイヨシノの咲き誇りにも、既然と未然の対比を観た。

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2007年4月17日 (火)

佐野藤右衛門邸の桜:20070403

佐野邸枝垂れ桜20070403-12

佐野邸枝垂れ桜20070403-12
 この「桜空」をながめていて、以前に「霞」という表現をしたが、今夜は別のことに気付いた。佐野邸の桜は幹が細身で背が高い。そして手入れされている。いずれもその道の人には当然のことかもしれないが、私はこの数年間桜をながめてきて、何かこの桜に他とは違ったものを味わってきたのだが、その、どこがどう違うのかが分からなかった。
 だが、桜季節から徐々に遠ざかる四月半ばに、あらためて心静かに写真をながめていて、それが細身で背が高く、手入れされていると、言葉になってでてきた。
 ただ、幹が細身なのはまだ青年期だからかもしれない。霞のようなうっすらとした空は、満開ではなかったのかもしれない。
 そんな反問も出はしたが、詰まるところ、佐野藤右衛門邸の桜はこの数年間、今の私の印象だったと言える。これは平成十九年四月三日の、午後の桜だった。

20070403-11, 06

佐野邸枝垂れ桜20070403-11
佐野邸枝垂れ桜20070403-06

 近寄って写してみたが、どうにも「清楚」としか言いようがない。爛熟とは遠い位置にある清らかさなのだ。何かの要素が加われば、たとえば夜の篝火のもとならば、幽婉となるのだろうか。開けっぴろげな明るさはない。以前に用いた言葉なら、これは新古今和歌集の世界なのだろう。というと、それは洗練された桜世界と言ってもよかろう。
 佐野邸は、広い。いつも目につく背高い桜木だけでなく、庭の奥を覗くと小さな桜木が可愛らしく咲いている。遠くに人影があった。突然、異邦の風景に出くわした思いがした。いつもは気が引けて、あんな奥まではいったこともない。カメラのレンズが、奥を確認してくれていた。

20070403-04, 00

佐野邸枝垂れ桜20070403-04
佐野邸枝垂れ桜20070403-00

 この二葉の写真は、毎年撮っている角度だ。昨年は見ていなかったが、以前からカメラを構えると自然にこういう位置で撮ってしまっている。お気に入りなんだと、自覚した。
 それにしても、枝垂れ桜のその名のように、一体どの枝がどの枝につながって、どこから宙に浮いているのか分からなくなる。こういう雰囲気も佐野邸の桜の特徴なのだろう。来年も、私はきっと同じ桜を同じ角度で写しているはず、と鮮烈に思った。

承前:佐野藤右衛門邸の桜:20070330

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2007年4月13日 (金)

大沢池(大覚寺)の桜:20070403

承前:大澤池の桜平成十七年

→動画:大沢池(大覚寺)の桜と風景 20070403 (Mpeg4 8MB)
20070403osawadaikakujititle

広沢池の絵桜20070403

広沢池の絵桜20070403
 今春の大沢池(大覚寺)は、以前にも記したが、動画をMuが受け持ち、MuのIXYカメラは同行の副長2007にまかせ、他の若い二人(一番隊長、三番隊長)はのんびり桜をみて昼食あとの散歩をしていた。
 あとで仕上がった写真を木幡でみていると、Muのお好みの写真で一杯だった。中でも、この広沢池の絵桜と名付けた写真は、Muがイメージするものと合致したので、非常に気分がよくなった。
 昨年Muは、副長2007が撮ったポルトルかどこかの夜間写真をみた記憶がある。聞いたらMuのIXYより上等なカメラだった。数年後には、世界を歩き渡る副長2007から、異国の様々な写真がMuBlogに送られてくることだろう。ありがたいことだ(笑)。

大沢池桜(大覚寺)20070403-95,89,79

大沢池桜(大覚寺)20070403-95
大沢池桜(大覚寺)20070403-89
大沢池桜(大覚寺)20070403-79

大沢池桜(大覚寺)20070403-73, 71, 67

大沢池桜(大覚寺)20070403-73
大沢池桜(大覚寺)20070403-71
大沢池桜(大覚寺)20070403-67

 以上のように、今年の大沢池桜は人に撮ってもらった。このMuBlogの写真については、一昨年MuBlogを賑わした未知のDeepGといい、既知の副長2007といい、風景や桜を撮るのが好きな人は多いようだ。どれもこれもMu好みの写真になっているので、今年の大沢池は風の強さと寒気には参ったが、佳かった。

地図:大沢池(大覚寺):京都市右京区嵯峨大沢町

情報
Muimg_2486_1 大沢池と、地図の右端の広沢池とは指呼の間にあり、嵯峨野とMuは呼んでいるが、観光地とははずれた嵯峨野でしょう。Muはこのあたりが気に入っていて、昼食などひっきりなしに訪れる。この近辺の関連記事はMuBlogにいくつかあるので、御覧ください。
 アクセスには、バスで大覚寺行きが一番分かりやすい。そうだ、大覚寺のHPを掲載しておきます。
 <旧嵯峨御所 大覚寺 門跡

後日談
 桜を観た後、三人はまたしても屯所に引き籠もり作業に専念していた。そして夕方には機関誌Truthをすべて完成させた。日頃、寡黙で比較的頑強(笑)とは思っていたが、相当に疲労の色が濃かった。桜の精が乗りうつって、完成させたのかもしれない。予定ではあと、1~2日かけるようだったが、早くすませたことになる。四国の山奥、掛川の里、房総の潮風で育つと、今風とは少し違ってくるようだ。Muは当日の寒気やその後の諸行事緊張でか、その後半病人になってしまったが、三人には異常なく、昨日に至っている。

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2007年4月10日 (火)

高台寺の枝垂れ桜:20070402

承前:円山公園(京都・祇園)の枝垂れ桜:20070402

↓動画:高台寺のシダレザクラと東山・庭園全景 20070402 (Mpeg4 9MB)
Kodaijittitle

外から見た高台寺のシダレザクラ

高台寺桜20070402(22番)
 鷲峰山(じゅぶざん)高台寺(臨済宗建仁寺派)と入場案内に書いてあった。豊臣秀吉夫人の北政所ねねさんが、慶長十一(1606)年に秀吉の菩提を弔うために、開創したとあった。ここ何年かはライトアップの寺院としても評判を聞いていた。寺院神社大事典(平凡社)によると何度か火災にあい塔頭が忘失したようだが、庭が広く東山に接していて、境内が狭くなったとかいう印象は皆無だった。徳川家康は、この寺の創建、維持に相当手を尽くしたらしい。大坂城に淀君がいて、正妻のねねが出家して京都の東山山麓に籠もったのだから、家康としてはバランス感覚が働いて、援助をしたのだろうか。単純な想像では、秀吉、ねね、家康、みんな同時代を戦いぬいた仲間であって、家康としても大阪の淀君よりも、同年代のねねとの方が話しやすかったのかも知れない。旧知の老いた未亡人を助けるというのは、世間体もよかったのだろう。わからないが、想像だ。
 庭は、圧倒的だった。これは佳い。禅宗なのに、禅宗っぽいすましたところがなくて、見通しが効き、優しい気持ちになれた。

シダレザクラの三様

高台寺桜20070402(36番)
高台寺桜20070402(34番)
高台寺桜20070402(30番)

 桜のことは桜に聞けばよかろう。ライトアップの効能がわかる時間帯ではなかったが、色が変化して桜も変化する様子はわかった。ただ、庭にある照明装置が分かりにくかったが、現代的仕様で、Muはわからないのだからそれでよかろう。
 それよりも、四月四日の産経新聞朝刊「人語り:石と語る庭師:北山安夫(58)」という記事が目に入って、「そうなのかぁ~」と分かってきた。北山さんは20年間、この高台寺の庭をさわってこられたようだ。最初の頃は、この小堀遠州作庭と言われる庭も、草木が繁茂し、空も見えなかったとか。石に妙味があるのに、おそらく森の中に古びた磐座(いわくら)が苔むしたような状態だったのではなかろうか。これもMuの想像。つまり原始林。
 それを、北山さんは飽かず毎日石を眺めくらし、動かし、気がついたら20年間も経っていた、という話でなかなか興味がわいた。ところで、もともとは小堀遠州作庭としるしたが、よく考えるとこの方の名前はそこら中に現れるので、なにかしら護符のような、御利益があったのかもしれない。Muも庭をつくったら、「小堀遠州作庭」とでも記してみたくなった。
 いや、冗談がすぎた。そういうこととは関係なく、お庭の開放感がとてもよかった。京都町屋の坪庭にもおもしろみがあるが、東山をまるごと包み込むような作庭に感心したわけだ。高台寺の場合、臥龍廊(がりょうろう)という、屋根付きの長い階段が、庭の中の建物と建物とを結びつけているのがひときわ気に入った。

地図:高台寺:京都府京都市東山区下河原町

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2007年4月 8日 (日)

円山公園(京都・祇園)の枝垂れ桜:20070402

承前:祇園円山公園の夕桜平成十七年

↓動画:円山公園のシダレザクラと東山 20070402(Mpeg4:10MB)
20070402maruyamatitle

枝垂れ桜の妖精

円山界隈・枝垂れ桜の妖精
円山界隈・枝垂桜案内
円山公園桜20070402(24番)

 平成19年4月2日は激しい黄砂で空が薄黄色だった。そのせいかどうか、同夕方円山公園にたどり着き1時間ほど彷徨い写真を撮っていたが、気分は晴れなかった。カラスのせいかもしれない。ビデオにはカラスが映っている、鳴き声も入っていた。カラスが黄砂にからまって、枝垂れ桜を長年痛めつけてきた、と私は内心憤激していた。ソメイヨシノだと咲き誇る樹齢は人間の一生に等しいと以前耳にした。60年~70年程度か。しかし、円山公園の中心にある、枝垂桜は、案内板での正式名称は「一重白彼岸枝垂桜」といって、相当に長命なようだ。なのに、ここ数年のお姿は芳しいものではない。そんな風に考えながら、黄砂の中でカラスを写していた。

桜と池

円山界隈・桜と池
円山界隈・円山公園案内

 円山公園は開放感があってよい所だとおもっている。東山に連なっているような雰囲気がよい。ただ、私が利用するところは、入口の八坂神社境内と、枝垂れ桜のある中央池付近と、長楽館と、事情あって坂本龍馬像くらいのものだ。これからはこういう公園を日長ぶらぶら歩いて写真を撮りたいと思っている。
 これまでの記憶では、公園内の数カ所の料亭とか、食事どころを様々な寄り合いで使った覚えがある。味とかよりも、京阪電車までの往き帰りの徒歩が気持よかった。
 造園は小川治兵衛と記してあった。この方の当代の著書を読んだことがあるが、やはり庭造りの名人というのは、今でもおられるようだ。「借景(しゃっけい)」とかで独特の考えがあったが、今日は鎮痛剤を飲んでいるのですぐに図書を取り出せないし、なにをおっしゃったのかもぼんやりしている。円山公園を例にするなら、東山の風景を借りるのか、あるいは造園によって東山の風景を生かすのか、そういう視点の違いについてのお説だったようなぁ~。そうそう、記していていま気がついた。私は、庭が好きなようだ(笑)。 

円山界隈・芭蕉堂

円山界隈・芭蕉堂
円山界隈・芭蕉堂(案内)
狛犬(こまいぬ)と、円山界隈夜景
円山界隈・狛犬(こまいぬ)
円山界隈・夜景

 ずらずらと写真をならべたが、円山公園を南下して高台寺へ行くまでの道筋にある。途中で西行や芭蕉がでてきて、狛犬がいて、まるで東大寺の大屋根を思わせるような絵柄がここにあった。つらつら記そうともおもったが、急いで書いても良くないので、この続きは後日としておこう。高台寺については後日に記事をあげるが、それよりも円山公園やこの界隈は、いつも行き来する右京、嵐山、嵯峨野とはまた違った雰囲気なので、それなりに足繁くかよって、思うところを述べていきたい。茶房や料亭も甍を連ね、ふむふむ、よいですなぁという余録もある。京都は佳いところだ。

地図・京都市東山区円山町

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2007年4月 1日 (日)

佐野藤右衛門邸の桜:20070330

佐野藤右衛門邸(京都市右京区山越中町)地図

↓動画:佐野藤右衛門邸桜 20070330 (mpeg4 約3MB)
Sanosakuratitle20070330

佐野藤右衛門邸桜20070330:今春のおすすめ桜木

佐野藤右衛門邸桜20070330:今春のおすすめ桜木
 掲載がおくれました。平成十九年三月三十日午後の、佐野藤右衛門邸(京都市右京区)枝垂れ桜お姿です。こうだ、とは言えないのですがおそらく四月に入ってからだと、さらに桜花が空をうめることと思います。ただ、二つの事情で、夕風呂前の今夕に独立して三月末の佐野邸撮影記事を掲載することにしました。

1) 写真を今朝から眺めていたのですが、佐野さんのお桜は、世間の「染井吉野の花盛り」とは異なった風情があるということに、今更ながら気付いたのです。つまり、ソメイヨシノは川縁も山も野も、桜花で一色塗りつぶす美しさ、絢爛さなのです。しかし、佐野さんのお庭の枝垂れ桜は、紗で覆ったような淡い桜花と空との対比に特徴があると感じました。細やかなのです。花と花との隙間の余韻がよいのです。うっすらとして、淡い味わいなのです。
 過去の写真をみていると、おそらく満開になっても、その淡さがこの桜の佳さだと思いました。それで、もう一度訪れて撮ってから、まとめて公開しようと思っていたのですが、ここに三月末のお姿だけ早めに記録に留めることにしました。(四月上旬の実見掲載は未定です)

2) 日頃ならたいした事ではないのですが、MuBlogを掲載している「ココログ」が4月3日15時から4日15時までメンテナンス状態に入って、参照は出来ても記事登録などが出来なくなるのです。一応はMuも勤め人で責務もあって、近所といえども行ける日限が限られてきます。丁度メンテナンス時期が撮影可能日なので夜間に記事を整理登録もできず、ぼやぼやしていると、3月末の佐野邸記事と合わせて、週末になってしまいます。それでは、佐野桜をアクセスして下さるファンに申し訳ない(笑)という思いで一杯になって、ともかく3月末記事をここに記録に留めることにしました。
 桜狂いは、一歩間違うと「勤め人落伍者」になるかもしれませんなぁ(苦笑)。仕方ないです、短期間に、Muの事情などお構いなく、あちこちで艶姿香を数日間ふりまくのですから。ああ、これこそ「追っかけ」の心理だったのか、今初めて世間の人の気持がわかった!

 人間、説明しないだけで、行為行動にはそれぞれ複雑な事情があるのだと、Muはこの「前書き」を書きながら思ったしだいです。ほほほ。しかし、来年になるとこの記事はMu自身にも役に立つことでしょう。

 以下に、写真を数葉掲載しておきます。
 今となっては、この佐野藤右衛門邸桜について、Muがあれこれ一知半解なことを書き連ねる必要もないことです。専門家はたくさんおられるし、図書もあります。Muは、ただの観桜者として、今年も無事佐野桜をみることができて、ほっとしています。過去記事でいくつか言及しましたが、このあたりの広沢池近くは、本当に私の少年期、青年期の遊び場、散歩道だったのです。いまでも週に一、二回はこの付近をRSで通り過ぎています。

不許葷辛酒肉入山門

不許葷辛酒肉入山門 (佐野藤右衛門邸)

横への拡がり
佐野藤右衛門邸桜20070330:横への拡がり

中天への伸び
佐野藤右衛門邸桜20070330:中天への伸び

情報
 佐野藤右衛門邸は、桜木や庭を御厚意で見せてくださっているという事実を、毎年痛切に感じてきました。桜木の根本や、畑を不用意に走り回るのは、まことに人として外れた行いです。また、Muが持っていないせいかもしれませんが(笑)、大型重量級三脚を桜木の下で長時間据えて撮影にいそしむのは、これもかんばしくないことですね。少し離れた平地から望遠でとりましょう! 自分のことを棚に上げて、教師癖、一家言もうすのは心苦しいのですが、本当に毎年「申し訳なくて、しかたない」という思いがします。

 付近に駐車場やトイレは全くないです。Muが愛車RSをどうしているかはナイショです。このあたりだと地図東の山越えにバスが来ますから、そこから徒歩が最適です。
 トイレや休憩は、先週掲載した近所の「ふる里」がよろしいでしょう。そこは、オムライスとか紅茶とかスコーンがおいしそうです。

承前
  MuBlog:過去の「桜狩の目次」
  MuBlog:京桜たより:20070330 地蔵禅寺・嵐山・広沢・佐野藤右衛門邸
  MuBlog:佐野藤右衛門邸の桜平成十七年

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地蔵院(京都府・井手町)のシダレザクラ:20070330

地蔵院(京都府綴喜郡井手町)地図

↓動画:ダウンロード「地蔵院の桜」 (mpeg4 11MB)
Jizointitle20070330

鐘楼横のシダレザクラ (地蔵院20070330)

鐘楼横のシダレザクラ(地蔵院20070330)
 平成19年3月30日の午前に初めて訪れました。その時が、最良の時節だったことを味わいました。「初心者幸運」だったようです。ともかく、シダレザクラの季節限定、一年に数日という枠を越えて、その景観に目を見張りました。南山城の風景がパノラマになって気持を昂ぶらせたのです。

二本の子桜 (地蔵院20070330)

二本の子桜 (地蔵院20070330)
 日頃部屋にひそんでいるせいか、たまにこういう広い風景を目にすると気持が空を飛んで、まとめようがなくなってしまいます。この風景は、ここから少し南の「椿井大塚山古墳」を探索したときにも味わいました。その時は空が黄色でしたが(黄砂)、地蔵院からの空は青かったです。正面がおそらく生駒山です。これはビデオで頂上を望遠撮影しています。そうそう、二本のシダレザクラは、最初の桜の子供さんのようです。

桜花乱舞 (地蔵院20070330)

桜花乱舞 (地蔵院20070330)
 同じバラ科サクラ属でも、色が対比されると不思議なキャンバスを生み出すものです。絵心は無いのですが、こういう対比を桜で描いたものはあるのでしょうか。染井吉野の圧倒的な群生開花には桜海に溺れそうな幻惑を感じますが、一方独立した桜木であっても、地蔵院の桜風景は魔法のような自然の絵筆を思わせます。別の写真には春の「黄色」も手前にあるのですが、三色があまりに際立ちすぎるので、掲載を止めました(笑)。近頃は、ものごとの「程度」を思うようになったのです。

解説:地蔵院のシダレザクラ 

地蔵院のシダレザクラ (京都府・井手町)

地蔵院(井手町)のシダレザクラ

山影の地蔵院

 最初、未知の土地だったのでカーナビゲーションに頼りきりだったのですが、走っていると山裾にはっきり桜が見えてほっとしました。駐車場は広いのですが、大抵はタクシーや自家用車で来られるらしく、午前中だったのに混んでいました。トイレは自由に使えますが、庭の殷賑を眺めておられた和尚さんに頭を下げておきました。参観料は不要とも言えるのですが、ノートがあったので記帳して、大きめの硬貨を一枚だけ、小箱に入れました。境内は、可能な限り人影のないアングルで写したのですが、沢山の方が高級カメラや重量三脚を使っていました。胸にひらひらする薄いIXYで写しているのは、Muだけだったようなぁ。それにしても、眼鏡とディジタルビデオとIXYの三つを同時に操作するのは、なかなかキツイ撮影行でした。途中でこんぐらがって、眼鏡をかけるつもりで、ビデオのファインダーを覗いたり、……。手が6本ほどあればよいのに。

 桜見頃の極みは昨日31日だったと想像しています。この地蔵院は例年、三月中旬から下旬に来ればよい、とMuは頭に入れました。南山城、そこは唐突ですが、邪馬台国があってもおかしくない風景だったのです。

参考
 1) MuBlog「祇園円山公園の夕桜平成十七年」にいただいたHIROMIIさんという方のコメントで、この地蔵院桜は記憶に残っていました。
 2) 井手町ホームページ
承前
  京桜たより:20070330 地蔵禅寺・嵐山・広沢・佐野藤右衛門邸

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2007年3月31日 (土)

MuBlog千番記念記事:伏見港柳と長建寺糸桜

MuBlog1000番記念記事

伏見港界隈長建寺(京都市伏見区東柳町)地図

柳と酒蔵(京都市伏見港、平成十九年春)

柳と酒蔵(京都市伏見港、2007春)
 土曜の夕方ひと眠りして、ようやく千番記事のお題が決まった。つまるところ、月並、年並の伏見港にしたわけだ。いま書きながらもほっとしている。20代のころならこの気持は想像できなかっただろう。いつも伏見をぶらつき、今日も突然足が向いていた。そして桜の季節なのに相も変わらず伏見港の柳を撮ってしまう。その月並さに、自らがほっとする。くり返し毎年同じ事をする、こういう気持に今は自然なのだ。新奇性を求めようともしない、けれど足は動き指はシャッターを押す。華々しく、千番歌合わせのような記事趣向をとも思ったが、やはり本日土曜の午後の伏見港にとどめをさしたわけである。
 MuBlog千番合わせ記事は、かくして伏見港の柳と酒蔵に、あいなった次第(笑)。

長建寺の糸桜

長建寺の糸桜
糸桜爛漫
長建寺の糸桜爛漫
 江戸時代に、中書島の遊女たちの信仰篤かった弁才天をお祭りするこのお寺には、もう一つ有名な糸桜がある。「京の桜博士、佐野藤右衛門」と記された糸のような枝垂れ桜が境内にある。この糸桜を観ていると、桜と柳は同類なのかもしれないと、ふと今年も思ってしまう。桜木の下には句碑があって、「花人の落合ふ駅や中書島 虚子」と読めた。桜花の派手さはないが、虚子もこの寺を花の駅と考えたのだろうか。いや、昔あった中書島の遊郭、遊女たちを花と詠んだのか、想像だ。

参考
 MuBlog「ふしみこうのやなぎ:伏見港の柳
 MuBlog「ちょうけんじ:長建寺の糸桜

注記
 1000番記事の今日、2007年三月31日(土)21:50頃の、アクセス累計は以下。
 サイト全体→ 累計アクセス数: 517799 1日当たりの平均: 466.91
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 開始が2004年三月7日なので、約37ヶ月目の記録となる。

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