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2007年12月 2日 (日)

NHK風林火山(48)川中島・山本勘助の最期(1)

承前:NHK風林火山(47)決戦前夜

 今年の大河ドラマも12月に入りました。Muはこの「風林火山」の主人公を山本勘助(内野聖陽)と考えていますので、今夜から3回にわたって「山本勘助の最期」というタイトルにしました。三夜観ることで、なぜ軍師山本勘助が上杉政虎(ガクト)や、軍師宇佐美(緒方拳)の策に討たれたのかを、ドラマとして考えてみます。そして、武田信玄(市川亀治郎)の判断がどう関わっていたのかも、ドラマの楽しみです。戦略・戦術の面で、勘助なのか信玄なのか、どちらの考えが優先したのでしょうか。それともガクト上杉が賢こすぎたのでしょうか(笑)。
 なおあらかじめ、勘助は討たれましたが、武田信玄が上杉謙信に敗れたわけではありません。

上杉政虎(ガクト)が陣取った妻女山(さいにょさん:さいじょやま)

長野県長野市松代町清野
 妻女山から千曲川を渡り、地図の北北東約3キロに「八幡原史跡公園」があります。
 地図で判断する限り、上杉は武田領に深く入り込んでいたようですね。

 戦(いくさ)というのはつくずく神経消耗戦だと味わいました。力が拮抗し、両軍が手練れで、知恵者も多数控えているとき、相互に裏の裏の裏を読み切らないと負けます。一瞬の静謐を「勝機」とみるか「罠」とみるのか。考えをめぐらすだけで、脳が酷使され疲労困憊になり、押し切られます。
 何故かというと、どのような場合にも力と力とは互いにバランスを保ち、時には「静」そのもので、そよと風も吹かない、台風の目のようなものなのです。それがなにかの拍子で片方のバランスが壊れたときに、他方の強大な力が、壊れたところをぐりぐりと押し込んでくる、破砕していく。その押す圧力は、きっと双方の大将や軍師、兵卒にいたるまではっきりと肌で感じられるのでしょう。

 バランスの崩れは、一般に「動き」「移動時」に出ると想像できます。動くということは、動くことにエネルギーを使うわけで、そこに隙が生じ、それを小さな穴とイメージできます。
 そこに他方の巨大な力がのしかかってくる。支えきれなくなり、敗走し、浮き足だち、陣形が無くなる。陣形のない大軍は烏合の衆と化し、指揮系統が切断され、個々の力量だけで動く。それでは敵の力を受け止められません。
 ゲリラ戦を含まない大軍の戦いは、個人技よりも、塊となった巨獣の恐怖を引き起こします。

 勘助は諏訪を訪れて、由布姫に戦の始まりを告げます。そして四郎勝頼の初陣を伝えるのですが、その時由布姫が魂魄となって現れ、勘助に「ならぬ」と止めまする。今度の戦は危ない、勘助も四郎の初陣も危険だ。というメッセージなのでしょう。勘助は、直後に来た四郎に、お屋形さまの下知として、初陣は一年後に伸びたと言う。これが伏線となって、四郎勝頼はこの第四次川中島の激戦を後詰めとして生き残るのでしょう。

 一方ガクト上杉は妻女山頂に陣を張り、下界をうかがいます。キーになるのは、この妻女山と海津城(後代の松代城)と、八幡原(川中島の平野)、そして千曲川、その四つをどう考えるか、なのでしょう。
 今夜の所、下記の図のようになっている、とドラマから推測しました。

            川中島    <八幡原>*
                         
      武田軍(信玄本軍)       
      ↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
             千曲川(明朝霧が出る)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    ↑↑
 ▲妻女山 ←---2km--→海津城(打って出るための城)
  『ガクト上杉』         (武田軍・香坂弾正)
    ↑↑
   武田軍

*川中島の最後の激戦地「八幡原」と、海津城はおよそ南北約3キロの距離。

 行方不明だった原虎胤(宍戸開)は妖しい老婆おふく(緑魔子)の世話になっていました。勘助はさっそく訪れますが、ふとしたことで千曲川の霧がいつ出るかを代金引換で「おふく」に聞きました。それは明朝でした。
 緑魔子の登場は、それだけで妖しいのだから、なにか大きな伏線込みかもしれません。今は分からないのです。
 上に書いた地図でわかるように武田本軍は千曲川を挟んで妻女山一万八千の上杉軍を仰ぎ見ています。川に霧がたてば何も見えなくなり、ガクト上杉の目をかすめて妻女山へ渡れる。今夜はこの辺りまで、描かれていました。


予習・戦法について
武田の啄木鳥(きつつき)の戦法
 武田が使った戦法。啄木鳥は強いくちばしで虫の隠れている木の背面をつつく。慌てて穴から飛び出した虫を回り込んで食べるらしい(見たことはない)。妻女山にいる上杉軍を武田の一軍が攻めて、武田本軍が山の下に隠れていて、上杉軍が飛び降りてくるのを待った、ようだ。しかし、どうなったのか(笑)
上杉の車懸(くるまがかり)、車返し
 上杉が使った戦法。兵を分けて、一番隊、二番隊、n番隊とし、敵に休む間もなく次々と繰り出す戦法。車が回転するように絶え間ない攻撃から、「車」という名前がついたのでしょう。

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コメント

@niftyトップページ「旬の話題ブログ」コーナーにて、
本ページの記事を紹介させて頂きました。
紹介記事については、「旬の話題ブログ」バックナンバーで
半年間、ご覧いただけます。
「風林火山」のすばらしい記事をありがとうございます。
この記事を読んで、大河ドラマを数倍楽しむ方が沢山おられることでしょう!
今後も旬な話題の記事を楽しみにしておりますので、
引き続き@niftyをご愛顧の程、よろしくお願い致します。
ありがとうございました。

        @nifty「旬の話題ブログ」スタッフ

投稿: 「旬の話題ブログ」スタッフ | 2007年12月 3日 (月) 07時33分

旬の話題さま、
 お目にとめていただいて、ありがとうございました。先ほど気がついて確認しましたら、なにかしら、異様な来客があって、喜んでおります。
 「風林火山」今年も残すところ二回となりました。これまで@niftyのブロッグで、思うところ記して参りました。来年はまた別の番組をMuBlogとして掲載していくつもりです。
 今後ともよろしくお引き立てください。
Mu

投稿: MU→「旬の話題ブログ」 | 2007年12月 3日 (月) 16時10分

2007/12/16「☆悲し!風林火山最終回」  ★LIFE・・生きる
今日でお別れね~
ガクト謙信と・・・
今までにない
カリスマ謙信公を演じたガクト様!と今夜でお別れ…
(ヨン様ブームが理解できました^-^)
今年は母見舞いで幾度故郷の土を踏んだことか・・・
ふるさとでは
ガクト様ブームのお蔭で
例年以上に賑わっていた
ふるさと姉さまからの情報によりますと
ふるさと資料館で開催されていた≪上杉謙信公企画展≫が
12月2日で終了したそうですが
11月16日、上越市役所(直江津)へ
お忍びでガクト様が再び訪問されたとか・・・
(深い謙信への思い入れに改めて脱帽と感謝!)
カリスマ謙信公役は
今までにない役どころではありましたが
(それが叉たいへん怪しげな色気があり魅力的で)
謙信公の指針は揺らぐことなく描かれ
その難役を見事に
演じたガクト様に
(いえいえガクト様ならでは演じえなかった)
ガクト謙信そのもの
でありました
ガクト様に絶賛の拍手と感謝です

嗚呼!それにしても寂しいわ(:-:)
総集編は録画しなくっちゃ!

ガクト謙信と生きた一年!仲良し姉妹は
2009年(再来年)の大河ドラマ『天地人』直江兼継で
誰が謙信役か?誰が直江兼継役か?と
待ちわびている今日この頃・・・
再びガクト謙信出演!
なんていう粋な計らいをしないかな・・・
NHK様~!って叫びたくなるよな
今日この頃か・・・(^▽^)
来年の事を言えば鬼が笑う?
再来年の事を思えば福が来る・・・?(都合の良いプラス思考)

投稿: michi | 2007年12月18日 (火) 15時29分

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受信: 2007年12月 9日 (日) 22時28分

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