« 昭和の鉄道模型をつくる(12) パネルボード4枚(レール、建物配置図)  | トップページ | 昭和の鉄道模型をつくる(13) 土台の補強材(スチレンボード) »

2007年12月 9日 (日)

NHK風林火山(49)川中島・山本勘助の最期(2)

承前:NHK風林火山(48)川中島・山本勘助の最期(1)

川中島の霧
 信州から来ている学生から、授業の巡回中(共同演習中)にひとしきり話を聞いた。数年前、高校まで自転車で一時間かけて通ったそうだ。そこは、川中島だった。
 川中島の霧は京都では想像できないくらいに、濃く範囲が広いとのことだった。犀川と千曲川に挟まれているのだから、その密度がぼんやりと想像できた。

 私も「宇治の朝霧」というのに出くわすが、自動車だと危険なくらいに先が見えない。朝の六時ころに走るから、すべてのランプを点灯し、ハイビームで走り、窓はあけて「音」で対向車を確認している。宇治川一本でもそうなのだから、川中島の霧は倍の密度なんだろう。

大軍の隠密移動
 大軍であっても移動には、ある程度は音を消す技術があったはずだ。北方謙三さんの水滸伝では、必ず馬に「バイ」を噛ませるという描写がでてきた。いななきをさせなくするためだ。履き物も革のサンダルなんかに変えたかもしれない。鎧兜のがっちゃんがっちゃんはどうしたのか、油でも塗るのだろうか。

 霧は夜に等しい。
 ただ、自分の足元周辺だけは見えるから、歩ける。自然の煙幕のようなものだ。煙幕ならば敵がいると分かるが、霧だと人為でないから余計に始末が悪い。そんな中から、霧がはれてきて突然大軍が顔をだしたなら、これは、本当に腰が抜けるほどの恐怖だろう。

今夜の軍の配置
 先回は、軍の配置や兵数について多少誤りがあったかもしれない。今夜のドラマではさらに注意して観た。それによると、海津城にいた武田軍のうち1万2千が妻女山の東南から上杉軍の背後に迫った。記憶では真田、相木、香坂らの諸将だった。

 海津城から、武田の残り八千が八幡原に陣取った。信玄、信繁(信玄の弟)、諸角(昔、信繁の守り役)、勘助らが本陣にいた。これだと、海津城は空になる。そこが分かりにくかった。

 一方、上杉謙信側は、兵一万三千が、妻女山を密かに降り、八幡原・武田軍の前方に潜んだ。下山は、武田軍が妻女山の背後に迫った時と入れ替わりになる。ただ、たしか一万八千と記憶していたので、五千ほどがMuの脳から消えた。多分越後を出るときに、春日山城に残ったのかも知れない。

 武田軍本隊は鶴翼だった。啄木鳥の戦法は破れ、上杉軍は車懸かりの陣をとっていた。

武田信繁と母衣(ほろ)
 武田信繁(嘉島典俊)についてはほとんど言及してこなかった。信玄(晴信)が父親を追放の時、もっとも気にかかったのは信繁のことだった、と想像している。実直な弟は兄を諫める可能性もあった。しかし、信繁は兄に従うと誓約し、ことなきをえた。

 常に偉大な兄の影にひそみ、人前でも二人きりでも長年「兄上」と呼べなかった一抹の悲しみは、今夜二人で酒を交わし、うち解けた。兄は弟信繁に、母の衣に自ら書いた「法華経の陀羅尼」をさずけた。

 信繁は明けて、武田本軍が上杉軍の圧力に押されたとき、自ら戦況を打開するために上杉本陣へ突入した。その時、兄からさずかった陀羅尼衣を母衣(ほろ)にした。母衣とは、いろいろな話を見聞きするが、竹などで大きな籠をつくり、そこに布を張ったもので、背中からの矢を防ぐためや、旗幟(きし)つまり敵味方に対する目印ともなる。大きなもので一抱えもあるほどに膨らませたようだ。
 しかし、死を決した信繁はその、母の形見ともいえる布を敵に渡すことを潔く思わず、部下に命じて息子に届けるように命じた。
 信繁と、その若き日の守り役諸角は、ともに上杉軍によって、今夜討ち死にした。黙祷。

勘助、策に破れる
 なぜ勘助の啄木鳥の戦法は、上杉ガクト政虎に破れたのか。
 理由の一つには、宇佐美(緒方拳)軍師が上杉軍に居たことである。
 宇佐美は勘助と同じ情報源である「おふく」(緑魔子)から同じ霧・情報を得た。勘助はおふくに霧情報については銀一粒(金か銀かは知らないが)をわたした。今夜宇佐美は魔子に銀三粒をわたした。しかも、なんとなく宇佐美は魔子と知り合いのような雰囲気だった。
 要するに、敵情というよりは現地事前視察は宇佐美の方が優れていたのかも知れない。

 ところで、おふくは勘助を裏切りはしなかった。勘助の存在すら明かさなかったのだから。ただ、明朝霧が出ると、自ら出掛け、宇佐美に知らせに来た。それに対して宇佐美は厚い礼をした。

 もう一つは、これは信玄のセリフにあった。<霧は味方だけでなく、敵をも利する>と。今夜の勘助のセリフには、上杉が霧をどう使うかについて、言及がなかった。これは、軍師として失策だった。

 さらに、上杉ガクトのカンが鋭すぎた。政虎謙信は、海津城に炊事の火か煙を観て、武田軍が動くことを事前に察知した。ただし、動くと察知して、上杉軍が下山したのは、啄木鳥の戦法を見破ったからと言えるのだが、そこまで宇佐美が読めたのは何故か? 

 軍略として、武田軍内では、啄木鳥戦法が勘助から提案されたとき、信玄も武将も「これしかない」と言い切った。ということは、宇佐美ほどの軍師なら、「武田は啄木鳥で来るしかない」と断定したのかも知れない。

 総合すると、今夜のドラマを見る限り、勘助が信玄にわびたように「失策」だったと言える。なら、勘助の立場なら事前にどうしたらよかったのか?

1.炊事など極秘にする。
2.武田軍の移動が、なんとなく手持ち松明などを用いていたが、これは移動がすぐに分かる。
→ ドラマ表現として、上杉軍は「べんせいしゅくしゅく、よるかわをわたる」と後世に詠まれたのだから、静かだったと仮定する。
3.さて、Muが勘助ならどうすべきだったか(笑)
→ 先に水断ちを妻女山に仕掛ける(工兵)。長期戦の振りをして、柵を山の周囲に造作する。ただし、千曲川沿い北方だけ、気取られぬ程度に弱くする。
 以上の事前準備を充分にしておく。

 霧の出た日には、兵の三千をさき、妻女山南面から篝火鐘太鼓をうちならし、旗指物を数倍掲げ、踊りながら登山する。
 一方、兵一万七千を、速やかに千曲川沿いに布陣する。偽装渡河阻止なり。
 陣は鶴翼として、中央を弱くし、上杉軍を中央突破させる。
 千曲川で手間取る上杉軍を、左右翼が包み込む。

 以上は兵を二分するを避ける戦法。勘助が啄木鳥で一万二千を妻女山に向かわせたのは、本軍との合流時に損害が少ないことを願ってのことだった。だが12:8は二分に近い。二分は、策を破られたとき他方を壊滅に導くではないか。Muの戦法での兵三千は二分ではない。囮であり、セコである。

 ……。と、以上考えたが、やはり、上杉ガクトや宇佐美爺さんにはみやぶられていることだろう(失笑)。

まとめ
 今夜のドラマで、第四次川中島の戦いがどれほど激しい戦闘だったかを実感した。簡単に兵一千とか、一万と私は記したが、合わせて三万もの兵が平野で戦ったのだから、双方の疲弊は激しかったことだろう。
 勘助は、しかし同じ陣形を立て直し、左右翼を前進させ、本陣を固めた。混戦の中で陣形を大きく変えるのは不可能だから、元の陣形を固めたのは良策だと心から思った。
 さて、来週は。

|

« 昭和の鉄道模型をつくる(12) パネルボード4枚(レール、建物配置図)  | トップページ | 昭和の鉄道模型をつくる(13) 土台の補強材(スチレンボード) »

NHK風林火山」カテゴリの記事

コメント

いやぁ激しい戦闘でした。
とくに騎馬兵の突撃シーンは迫力ありましたね。
生涯において決定的な負け戦はしていない上杉謙信の車懸の陣形、みごとでした。
ああいう形で攻めてこられると、敵は戦いにくそうです。

NHKも、この合戦シーンにはお金をかけたのか、よく出来ていました。
ただ主要な俳優の騎馬駆けが、顔のアップの描写だったのは残念。
もっと引いて、ほんとうに駆けているところを映してほしかったです。

信繁と諸角の打ち死にシーンはよく出来ていましたね。
以前の板垣信方の派手な討ち死にシーン同様、
時間をかけて描いていたと思います。


来週、最終回は56分の拡大版。
信玄、政虎の一騎打ちは、
ガクト政虎が、あえてワンカットに拘って
危険なシーンを撮影したということですから
見ものですね~。

投稿: 伽羅 | 2007年12月 9日 (日) 23時51分

まいど、伽羅さん

 まず来週の最終回が56分あるとは知りませんでした。ガクトと亀さんの一騎打ちになるわけですね。
 それよりも、勘助。昨夜の失地回復はどうなるのでしょう。今のままではガクト&宇佐美さんに押されっぱなしですね。
 妻女山から味方の一万二千がどのタイミングで戻るか、そこが見どころでしょう。

 昨夜の名場面はいくつも浮かぶのですが、それにもまして、今年も終わりだなぁ、という何とも言えない気分です。

 新選組、義経、功名が辻、風林火山。
 この四年間、大河ドラマとともに毎週暮らしてきたような気分です(失笑)。
 来年も、ドラマがありますように。

投稿: Mu→伽羅 | 2007年12月10日 (月) 05時37分

大河ドラマが面白いと、
日曜の夜が期待感いっぱいで、サザエさん症候群を吹き消してくれるので、
その一年はパワーアップするように感じます。
案外大河ドラマというのは、モチベーションを高めて、
一週間のリズムを作る重要な要素なのかもしれません。

内野さん、亀さん、ガクトさん、本当にこの一年、
たくさんのパワーをくれました。

その意味で、来年の篤姫はどうでしょうねぇ・・・・

投稿: 伽羅 | 2007年12月10日 (月) 22時59分

どうも、伽羅さん
 師走で関西をはしりまわっておりました。
 さて。
 篤姫は、以前小説を読みまして、なかなかしっかりした幕末の女性と印象が残りました。

 NHK大河ドラマの戦国ものや、幕末ものは、アタリメというか、するめみたいなもので、なんど歯でしかしか噛んでもおいしいものです。
 きっと、来年もMuは充実した毎週をすごすと思います。そこは、伽羅さんのご意見と同じです。

 ただ、いつものことですが、来年の俳優女優については全く未知なので、どうなるのかわかりません。めったにないことですが、たまに、ドラマと分かっていても受け付けない俳優女優もおるんです(笑)

投稿: Mu→伽羅 | 2007年12月11日 (火) 19時30分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/22035/17315685

この記事へのトラックバック一覧です: NHK風林火山(49)川中島・山本勘助の最期(2):

» 風林火山 第49話 [一期一会の彩りを求めて・・・]
前回、地味な形で始まった川中島の戦い…老婆おふくの言葉ですっかり血気盛んになった勘助…   [続きを読む]

受信: 2007年12月11日 (火) 08時06分

» NHK風林火山(50)川中島・山本勘助の最期(3):最終回 [MuBlog]
承前:NHK風林火山(49)川中島・山本勘助の最期(2) 観映前のよもやま話  今夜は平成19年NHK大河ドラマ風林火山の最終回です。ここ何年も大河ドラマの最終日は気持が落ち込んでおりました。「終わり」という言葉に寂しさばかりを味わうのは、年齢というよりも、気質なのだと思っています。  ドラマを見ている普通の者でこうなのだから、参加していた人にとっても「終わり」は解放感だけじゃなくて、きっと寂しさ... [続きを読む]

受信: 2007年12月16日 (日) 10時12分

« 昭和の鉄道模型をつくる(12) パネルボード4枚(レール、建物配置図)  | トップページ | 昭和の鉄道模型をつくる(13) 土台の補強材(スチレンボード) »