小説木幡記:2007/12/29(土)無口なMuですよね
さっきMuBlogへのコメント返しをしていて、ふと意識が別の所へ飛びました。
実は、今日も午前11時から、葛野へでかけ、木幡へ帰還した午後8時前まで、Muは口から言葉を出さなかったのです。葛野の仕事場で、人に数行のメル返したのが、一通だけ。あとは、無音、無声、~。
単に無口なだけじゃなくて、その間「人間」を意識に昇らせなかった、いや、昇ってこなかった。
ひたすら、お仕事三昧。
いえ、実はまったく、徹頭徹尾無意味なお仕事なんですよ。
さらに恐ろしいことには、Muはその無音無声の事実を、さっき午後8時頃まで気付かなかったのです。
すご~い、人生。
明日も、今日の繰り返しだな。
ただ、明日はひさしぶりに「探検記」を記します。その前半分ですね。昨夜写真を整理して、文案を練っていたのですが、意外にてまどって、今日は掲載できませんでした。というよりも、無意味なお仕事に拘束されて身動きできなかったにすぎません。
ところで、いま、また意識が飛びました。
若い学生達と話していたときのことです。「何をしたいのかわからない」と、本気のマジメで言うのです。だから就職活動なんかも、方向が見えにくいわけです。つらいでしょうね。
Muなんかだと、やれロボット博士になりたい、こりゃあ今からでも内野・勘助さんに弟子入りして大河ドラマにでたいとか、大学キャンパス中を使ったジオラマ作りたいとか、朝から晩まで、あれしたい、これしたいだから、最初はそういう学生達の言葉に目点(耳点かな?)になったのです。
しかしよく考えてみると、「何をしたいのか?」と自問自答する人の方が、正常だと思いました。その分、じっくり生きているわけですよ。あれしたい、これしたいは、明瞭にその真因が分かるのです。つまり、後、数えるほどしか、なにかする時間や体力や精神力が保たないという、焦りなんでしょうな。
Muも、あと百年の孤独があるならば、じっくりゆっくり、昼寝します。と、さ。
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