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2007年12月27日 (木)

小説木幡記:2007/12/27(木)そろそろ平成19年も〆の頃:大利と小利

 なんとなく12月も終わりに近づいてきたが、余自身はいっかな締めくくりができない状態で、まだまだ大晦日まで、というか来年までひきずり責務が一杯溜まっている。気持が本当に落ち着くのは2月末から3月だが、これも三月の卒業式ころになると、そろそろ桜狂が始まって、また入学式の、◎長訓辞の、新学期のとせわしない。
 一方、心中の一部では、やはり「まとめがあって、新年がくる」という強い潜在意識がうごめいていて、そうそうMuBlogがあったのだから、そこにメモでも残しましょうと、今朝思った。

1.大学論
 大学に勤めているのだから、その社会的な責任や、あるいは意義を常に見つめていかないと駄目だし、その上で自分の属する大学が充実して行かないと、中にいる学生諸君や、関係者が辛いことになる。
 一般に大学組織の場合、入学学生が少なくなって定員を満たさないことになると、経営も難しくなり、士気もおとろえ、やがて組織として枯渇していく。
 日本各地で、そういう状況が数年前からあって、特に地方の短期大学や、小さな大学はその波にあらわれ、すでに津波にさらわれてしまった同業もある。

 葛野のわが大学は、自分でも長年気に入っている。
 山紫水明・京都市内にあるし、昨日今日建学したわけでもないし、校風も穏やかだし、施設も清潔で、同僚達もおもしろい先生が多くて、学生達も天才や超秀才は少ないが、それなりの変人や生真面目な者や、秀才や、性格のよさそうなのが多い。まあ、だから葛野図書倶楽部2001なんか作って、いろいろやってこれたんだわさぁ。これがヒドイ学生ばかりたむろする大学ならば、とうの昔に心中サイナラしてしまっておる。

 しかし、現代の大学は日本中、いろいろな苦しみにあえいでいる面もあってな、その一部を余もうすうす味わってきておる。
 学内でも、ここ何年も将来の少子化に備えて、いろいろな委員会で論議されてきた。それらが実行されもしてきたし、さらに強力な改善案がいくつか出てきた。もちろん構成員は多様だから、危機感の高低、志向する方角、それぞれ異なる。

 帰属意識も、異なって当たり前なのだ。
 余のように日々笑顔で教授職を「ああ、おもろい、たのしい。給料もらって研究・教育できるなんて、極楽だなぁ。」と、思う馬鹿教授もおるし。
 研究とか教育を心底考え込むと、その難しさに気付く聡明な先生なら、鬱になる。
 教育研究と、簡単にいうが、億単位の金をとってきて大規模プロジェクトを推進する再先端分野の研究者と、余のように資金なしでひたすら瞑想し、なかば古代ギリシャのディオゲネスのような状態を、教育研究の最良状態と思う者とでは、世界観が異なる、人間哲学の基本が異なる。一律には言えないのじゃ。

 そういう多様さを含む世界が、大学という世界だと思ってきた。
 そうでなければ、卒業生は全員組織中枢幹部か、先端世界企業従事者か、グローバル世界で生きる人か、株式投資にすぐれた人か、金儲けのできる人生か、目に見える役立つ人間にならないと、「人間、辞めなさい」という、イビツな世界になってしまう。そんなことは、愚劣極まる考えだと、耳を澄ませて、心を落ち着かせてみれば、三歳の童にもわかる事実、現実なのだ。

 社会にでる一歩前の若者達に、人生は、そして世界は多様である、と充分納得させるのが真のうるわしい大学の姿だと考える。えがたいモラトリアム時代を、山紫水明の、千年の古都で、四年間じっくり遊学していただきたい、そうすれば、どのような会社に入っても、どのような結婚をしても、その麗しき記憶によって、事を誤らず、正しい判断と行動の出来る、あっぱれな大人になることが、できますよ。そういう四年間を保証する、よき環境を提供する、それこそがわが葛野の女子大学の使命と思っておる。

 葛野は、旧帝國大學ではないし、芋を洗うような大工場じみたマンモス大学でもない。卒業しても東証一部上場企業にばかばかと入社できるわけでもないし、国家キャリア官僚、上級公務員試験にするすると受かる為の大学でもない。ただ、四年間をおっとりと豊かにくらし、読書し、生真面目に授業に出、しらぬまに良きとも達との相互薫陶を得て、卒業時には一皮も二皮もむけた、いいレイディになっていた、そういう女子大学なのだ。

 そういう美風がなければ、世界中、亭主の出世に尻を叩き、子弟の大学入試に鬼になり、定年になったら年金を強奪する、ものすご~い、女性でこの世は埋め尽くされてしまう。おお、地獄じゃ。そういう地獄生産若者促成栽培工場は、どっかの大学におまかせすればよい。もちろんそういう機能が必要なのも、この世の理(ことわり)よ、脳。そんなことは知っておる。ただ、それはそう言う老舗工場がやることや。

 そんな朝の瞑想の中で、余は余の中間結論を出しておこう。

2.小さな利と大きな利: 全ての学友諸君にMu告ぐ!
 学生運動の話じゃない。
 「利」論というてもな、なにもね、古典哲学の話をしようとおもっているんじゃない。そうじゃなくて、普通の生活での、心のありようをまとめておきたいのだよ。
 本来なら仏教説話の中から探してきて、ありがたいお話をすればよいのだが、その世界はあいにく付け焼き刃。さてつまり、世の中には、ついても良い嘘と、絶対嘘ついてはならないことがあってな、「利」については嘘をついてはならぬと思っておる。だから、「利」の真実を今、解き明かそう。

 昔のリアリストが言ったらしい。「人は利でしか動かない!」と。
 この至言は、単純にいうと、「人は、将来や、札束や名誉付与をちらつかせれば、なんとでもなる」となるね。
 ただ、そのリアリストがだれかは忘れたが、名言として古典的に残る言葉だから、それほど単純な話じゃないと思う。
 多分、小利で動く者はつまずき、大利を人に示した時に、それを理解する者は正しく動く、そういう隠れた意味があると思ったよ。

 一般に昨今の社会は小利に拘泥し過ぎている。(いや、人類史を通して、各時代そうなんだろう)
 もちろん立場や状況によって、看過してもよい場合もある。たとえば、遊び人の若旦那に「大学を無事卒業できたら、家督をゆずる」とでも、小利をちらつかせるのは生きる知恵。弱小予備校が半分嘘を交えて「有力国立大学入学、県下一!」、こういう嘘も悲しみながら許せるよ。この化粧品使うと綺麗になります。うむ、これくらいなら笑って許せるな。

 しかしもし、多くの人達が、この世はよい大学に入って、よい企業に就職し(高給だね)、いい男かいい女と一緒になって、お金持ちになるのが幸せと、本気の本気で考え出したら、これほどの小利嘘はない、と断言できる。
 それはな、60数年前に大東亜戦争に完全勝利したアメリカこそが「幸せ」、その考え方や、国民こそが人類の幸せ、というようなもんじゃ。馬鹿もいいかげんにせーよ、と言いたくなる。

 悲しくも惨いことでもあるが、現実の人生はそう言った小利の積み重ねなしでは生きていけないほどに辛いことも多い。だから、人は(小)利でやすやすと動くのじゃろう。しかし、本当の人生はその背後に大利があって、それに気付かないことこそが、まったくもって、悲惨極まる人生だということじゃ。
 そして気付かせる最良の環境こそ、大学だと思っておる。

 その大利とはなにか。
 余の心中には明白にそれはあるし、余の人生の十の思いや行動で、小利ですらたった一つ、しかしたった一つの小利で満足できるのは、うしろに九つ分の大利がちらちら見えるからじゃ。

 重ねて、その大利とはなにか。余は自分の中では、だいたいわかっておる。
 で、諸君、君らの大利とはなにか、若い頭で考えてみましょう。
 見事解いた者には、科目第一席の優良学生と、華々しく評価しますよ(これって、小利だね)。

以上が、今年のまとめ、その一つ也。

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