小説木幡記:2007/12/25(火)教授の仕事は実務にあり
先週の土曜日のことだった。朝から夜までせわしなく働いていた。
そこで浮かんだのは「教授の仕事は実務にあり」だった。
というよりも、経験の上で、基盤を若い人に伝えるということだろうか。そんな風に考えながら、一ダースほどの学生と、終日個々打ち合わせをしていた。
もう、キャンパスに人影もない。
1.午前5時起床、葛野着午前6:50
土曜日はねているものだが、この日は学生達による提出作品の相互評価の最終日にあたり、各班副班長が最後の責務(他班の作品評価)を果たすために、午前8時には部屋(通称:屯所)を開ける約束をしていた。
2.午前八時、副班長評価の評定
二科目個別の各班副班長は、自分の班作品以外の各々9点を所定の項目ごとに五段階評価をし、その総合結果を余と話し合わねばならない。それが完了してやっと、激務・副班長に出されるボーナス点が支給される。
余「この項目を、君は5にしているが、それは何故なんだ?」
学「ええ、なんとなく」と、疲れた目。
余「そういう曖昧な評価なら、君の副班長資格を剥奪することになる。学生が学生を評価する手法を50%取り入れているのだから、個々評価者はきっちりやってくれないと、評価方式全体が崩れる」
学「はい。……、ちょっと彼女らが異様に頑張っていたのをみてしまって」
余「馬鹿な。それじゃ私情を挟んだ評価となり、適切じゃない。あと一時間、この項目に関して、9作品全部を見直して、それぞれに、評価理由を述べて下さい」
学「わかりました」
余「ちなみに、他の評者数名は、この作品のこの項目を5にはしていない。もし、君が5にするなら、それなりの考えをきっちり欲しい。君の世界観からしてそれが妥当だと、私がみなせるなら、それを認める」
学「先生の目に、私情に写ったのは、私が話し方を間違っていました。実は、本気で5と思ったのです」
余「わかりました。ではよく考えて、一時間後に来てください」
これが最終日だったので、少なかったが半日で二科目の合計5名と評定を行った。終わったのは、8時から始まって12時半だった。人との折衝は時間を取る。残りは前日の金曜に終日かけた。
3.午後は倶楽部幹部達との打ち合わせ
◎関係者昼食会
関係者全員に自由参加と伝えたが、腹が減っていたのか合計4名が全員きた。歴代神経質な幹部も多く、余と会食したりすると発作を起こしたり、食事内容によっては、参加者が激減して財布が楽になる。
徒歩圏の{めしや、すしや、うどん、中華}を選んでもらったが、局長2008の強行突破で寿司屋になった。別の幹部の計らいであらかじめ30%割引券をもらっていたせいか、合計五人が腹一杯食して、5千円ですんだ。ただし百円回転寿司ではなくて、皆がぱかぱか食していたのは、こっそり薄目で見ていたら、一皿400円前後のものだった。余には超高級寿司に見えた。
☆14:00~14:40
倶楽部の一大イベント、総会・送別会「新誠会」幹事の打ち合わせに、幹事長・副長、一番隊長、二番隊長、そして局長と、細かく話した。
場所は伏見、参加予想人数、会費、送別式次第、往き帰り、事前参観(笑)、など一杯。
懸案事項は、日時設定だった。例年は三月の第一土曜日なのだが、ともかく遠隔地が9割を超えたので、そこここで不都合が生じるとの意見あり。
伝統慣習を守るのか、変更するのか。余も困惑した。卒業式と、年間すべての行事が終わった狭間が三月第一週なのだが、新幹部たちの考えもいろいろあって、まとまりにくい。
☆14:40~15:00
土曜日の当夜「忘年会」の最終打ち合わせを行った。幹事長・局長と一番隊長と話した。
三条大橋たもとの「ふう」だから余には目を閉じてでも行ける場所だが、参加者が13名にもなり、市内で遊行する機会の少ない遠隔地清貧学生が多いので(爆)、どういう経路で局長と一番隊長が引率するのか、頭をひねった。
(後日談では鴨川沿いを四条から歩んだのだが、雨と土曜が重なって相当難儀したようだ)
他にも、会費の精算方式など、あれこれ、あった。
☆15:00~15:30
機関誌Truthの「編集会議」を行った。副長の最大責務なので、副長と局長と話した。
機関誌の目的、内容、編集・レイアウト、制作など、問題はいつも大きい。
教材補助でもあるので、おもしろおかしい内容との整合性や、厳密なチェックや、毎年副長がやせ細る。
☆15:30~15:50
「月例会準備打ち合わせ」を行った。局長と副長とで、月一回の倶楽部例会をどう進めるかをあらかじめ話し合った。今回は新局長として初めてのことなので、念入りに詳細を考え、打ち合わせた。
二月人事や、倶楽部某重大事件の後始末など、結構シビアな内容だった。
4.倶楽部月例会 16:00~17:00
四回生の旧局長(卿)、旧総務(卿)が用務あって欠席した。機関誌用の写真をとって、総務長の司会で会議は進んだ。この日の例会には余も出席した(定例は欠席する)。
5.忘年会と二次会 18:00~
ともかく夕刻6時には、旧局長と旧総務をのぞいて全員ふうにたどりついた。雨だった。
局長の司会で、余の挨拶や旧副長(卿)の乾杯、新人一名の挨拶、会食など進んだ。約30分おくれて、二名が到着し、全員が集まった。
店は満席だった。
その後、近所の「はやしや」という和風喫茶に行って、なんだかしらないが、でっかいパフェや、いろいろてんでばらばらに食べておった。
余はそうそうに退出し、木幡帰還は9時過ぎだった。後のことは知らない。
茶を一杯のんで、ぐっすり眠った。午後も10時の深夜だった。
*.まとめ
早朝午前五時から夜の10時まで、なかなかに充実したというか、忙しいというか、疲労困憊というか、たのしいというか、複雑な土曜日だった。
日々、すぎていくのう。
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