小説木幡記:2007/12/19(水)ちょっと、研究でもしてみましょうか
けさMuBlogのカレンダーをのぞいて気がついた。昨日火曜日は日記も記事も載せていなかった。書くのが厭になったのじゃなくて、書くタイミングが狂ったようだ。
昨日のことを思い出すと、朝から夜まで葛野にいて、研究じゃなくて校務に励んでいた。委員会とか委員長仕事とか、授業の準備とか、いろいろあって世間の人らしくしかしかと締切原稿(仕事の)をまとめたり同僚に一斉メルだしたり、そんなこんなで10時間くらいがあっというまに過ぎて、木幡の夕食は例によってうまうまといただき、木幡研のことでいくつか話し合いをして、風呂にはいって一休みしたら、記憶もないのだが、朝になっていた。相変わらず良く食べてよく眠った。
今朝清明な脳でこう考えた。
上記を記していて、余は葛野に限定するなら、よく働く教授だと客観的に思う(笑)。
これまでいろいろなところで経験してきたのだが、おりおりに、毎日楽しげな顔をしているので、大抵はこれまでも「何を、遊んでいるのや。もっと、わしらみたいに、苦労せい」という、眼差しをそこあこで注がれてきた。どんなことも、楽しげにすると、人の恨みを買うようだ。
それに対する鬱憤は、つきないが、いまさらそんな昔のことで血圧をあげてもしかたない。ときどき苦労して縦皺をつくって、厭そうな目をして、こんなに苦労しておるんじゃ、と世間を欺くこともするが、馬鹿馬鹿しい。
で、なぜ昨日も、これまでも、にこにこしていたかというと、それは、実は謎なんてなくて、楽しいのじゃ老、仕事をするのが。特に終わった一区切りの解放感がたまらない。仕事メルを送り出した瞬間がたまらない。学内関係文書を書き終えた瞬間、授業内容に「これで、〆」と決めた瞬間に背中がぞくぞくっとする。長たらしい会議が終わった瞬間が天にも昇る気持になる。
そういう諸々の快感を思い出すと、自然に目がやにさがり、笑顔になる。
(と、書いていて、なるほど余は稀代の軽燃費人生男じゃわい、とおもう)
ああ、もちろんそういう風に世間をだまし、みずからが快感につつまれるように、数十年の戦略構想のもとにかくなしてきたのは事実だ。ときどき戦術エラーで塗炭の苦しみにもあってきたが、大抵は余に苦しみを与えた環境や人びとが、余よりもさきに破滅したり死んだり消えたりしたから、助かったという幸運もあるが脳。(実話のリストは山ほどあるよ)
で、さらに清明に考えてみた。
そういう、終日働くという苦楽が、世間には「ちゃんと働いてますな」という評価を得ても、実態は嘘でコリ固めた人生だと、清明に思い出したのだ。つまり、本筋をわすれ、苦難から逃亡し、忙しい振りして自らも世間様も騙しているだけじゃな。それは決して上等な人生戦略とはもうせぬ。
戦術的にどれほど勝利しても、「む、空しい、のう~」。(と、ガクト風細目で、呟く)
わかりやすく申すならば、この世にないものを創造する「研究」とか、誰もなしえない苦難の思考とか、そういうことが一切なくて、単にこれまでの経験則から導き出した考えをまとめたり、単に難しい授業内容をわかりやすくメディア変換したり省略したり、単に単に単に、ひとあたりよく接したり交渉したり(笑)、それだけの、頭脳や関係性の周旋、斡旋、にすぎない。
そんなこと、苦労でもなんでもない。生みの苦しみなんてない。苦しそうにしていたら、それは単に余が世間にあわせて「こんなに、苦労しとるんです」と、亀さん勘助芝居しているだけじゃわい。あははは。
研究者はマジメに考えると孤独になる。
調和して人といっしょに和気藹々なんて、そんな状況はこの世にない物を生み出す培地にはなっていない。ときどき、発狂しそうな考えやまとめや論文や話に、ごくまれに接すると、驚嘆して腰がぬけてしまう。そういうことを三歳の童でもわかるように、かみ砕いて、人びとや学生に説明するのは、これまた死ぬほどの苦痛と、同時に快感もあるよね。
というわけで、今日もせっせと授業に会議に参加して、ちょっと余った時間で「研究」らしいこともしましょうか。多分、疲れで眠ってしまうけどな。
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