小説木幡記:2007/12/17(月)終わりなき日々
今日も日々なのです。
今朝は午前三時に起床した。昨夜は午後十時すぎに暗黒世界にはいったのだから、睡眠時間は長くない。しかし寝覚めはよくて、熟睡したという思いの中で煎茶と嘘珈琲を飲んだ。
今朝は発酵バターと蜂蜜をトーストに塗っていただいた。うまうま。
昨夜はNHK大河ドラマ風林火山が終わった。例年と異なり50回あった。
終わった後始末はまだ仕切っていないのだが、ともかく終わった。しばらくは風林火山世界を忘れることにしよう。一年間その世界に染まっていたので、なかなか日常に戻るのが難しい。
だが、その日常も師走になると、それも中盤だといろいろなことが、後始末状態にはいる。授業なんかは、どう工夫してやりくりしても、学生も余も、なんとなく「終わりだなぁ~」という独特の味わいが出てしまう。本当はまだ来年に数回あるのだが、気持の上では年末は一区切り、大学全体のスケジュールと、学生や教員の感覚とは異なるものだ。
部屋も葛野、木幡、双方で整理整頓大掃除をしたくなる。年間通して出力過多になりがちだから、整理整頓という基本が薄くなって、まるで戦場のような研究室と書斎だけが眼前にある。
しかしまだ今年全体を見返す余力はない。
まだまだ、やっておかないと、気持がすっきりしない。
葛野図書館鉄道会社。
昭和の鉄道模型をつくる、これは今のところ20巻まで雑誌が届いていて、記事は13号まで書いたから、そんなに慌てる必要もない。なにしろ50巻まであるのだから。
嵯峨野鉄道図書館、これはまだ公開していないが、すこしずつ愛宕山や小倉山、嵐山、保津峡の地勢が発泡スチロールから切り出され始めた。ただし、難しい。三次元立体像を、レールその他の制限の中で組み上げるのは初心者Muには「やりすぎ!」の感がある。初心の内はできるだけ単純なレイアウトという、鉄則をはずれてしまった。ままよ、このまま嵯峨野初号を切り開くしかない。
葛野ロボット軍団。
少年司書ロボは0号も1号も止まったままだ。特に一号用には無線装置も揃えたので、いつでも一気に取りかかれるのだが、両者共にプログラミングレベル(というよりも、動作台本・スクリプト作成)に入るので、他の諸々が重なって気が重い。そういう世界は日曜作家と同じで、一定レベルのエネルギーを常時そそがないと、一発勝負では終わらないから、充分スケジュールに余裕を持たせないと、うまくいかない。辛いところだ。
以前の慣習経験では、言語レベルでプログラミングするときは、間隔を3日以内にしないと、アルゴリズムが外にでてしまって、自分の書いたロジックを自分で理解するのにまた一週間ほどかかってしまう。余だけの特異な症状ではなくて、そこここみているとそのようだ。~
日曜作家。
今の「化石の村」は順調と言ってよかろう。ロボット作家のように週に早朝何回か推敲している。大体原稿用紙換算で5枚程度が一回分だが、これをああでもない、こうでもないとにらみつけて書き直すのに毎回3時間程度かかっている。前夜に一時間、二読三読し、変更したり追加削除。翌朝二時間にらみつけて定稿にする。
しかし第四作・湖底宮やシリーズ最終巻・嵯峨野篇などが一向に進まない。
書こうとすることはするのだが(笑)、プログラミングと同じ状態で、なかなかアルゴリズム(つまり、内部世界の骨組み)が身内に入ってこない。
本来、日曜作家とはそういうものなんだろう。流行作家じゃないのだから、同時期に並行して長編小説を書けるわけがない。とりあえず、湖底宮のための滋賀県巡りは何度かやってきたのだから、もう少し熟成する時間が必要だな。そうそう、なんとなく嵯峨野篇の方が書きやすい。まだ書いていないからそう思うのだろうか。それもあるが、さすがに幼少期を嵯峨野で育ったから、あのあたりの現実の風姿と、脳内の妖しい風姿とが、日々ぴたりと重なる。
葛野図書倶楽部2001
そんなこんなで、師走も中盤。そろそろ葛野図書倶楽部2001の忘年会もある。きっちりけじめを付けて新年にのぞみましょうぞ。来年は~、どうなるのでしょうか、倶楽部(笑)。なにかしら、大騒動、珍騒動が起こることを恐れながらも、来年はどんな騒ぎになるのでしょうと、密かに波風を想像するのも、現実的人生なり。
それにしても、倶楽部隊士の面々は、最近遠隔地から葛野遊京の青年で一杯だ。秋田、千葉、越後、越中、越前大野、越前武生、駿河、備中、香川、因幡、近江、山城。倶楽部もいつのまにか全国規模になった脳。
今朝の授業は、情報図書館学(来年は嵯峨野鉄道図書館世界)に、資料組織(目録)。
張り切って出掛けましょうぞ。
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