小説木幡記:2007/12/11(火)車は敵ですか?
今朝は所用があって、終日関西の遠方へ出掛けた。なれないことだから、ややこしく感じた。自動車ならもう少しスマートなルートを選べるのだが、関西の大学は自動車を目の敵にしていて、どこの大学も交通機関を使えと強要する。交通機関? そんなもの、他人に運転を任せる電車や汽車やバスは、怖くって、乗車中ずっと「この阪急の運転手さん、大丈夫かな」と、緊張して震えていた。
名古屋の人が記しているblogでは、名古屋はトヨタの原産地かどうかはしらないが、自動車を有用なツールとして、町全体が使いやすくしているようだ。いちいち引用はしないが、市内の殆どの店では大きな駐車場を用意し、それも出入りしやすく、隣の車とドアがぶつからないようにゆったりとしたスペースをとっている。駐車場の完備していない店はすぐに潰れる。
これは余も昨年経験した。料金も妥当だし、分かりやすかった。
繁華街のど真ん中の地下駐車場だったが、使いにくさはなかった。
大学なんかも、数百台、千台規模の駐車場を用意し、学生は駐車場で大学を選ぶとか(笑:でも、本当のようだ)。
京都でもスーパーなんかは、最近レシートも不要で無料の駐車場を運営しているところが多い。そこら中に100円で20分と割高だが駐車場が増えてきた。(これは如何にも儲けが先走っているから潰れるだろうね)
今日でかけた大学は素晴らしい建物と木々と広さを誇っていた。葛野の数十倍、数百倍の規模だ。マンモス大学だな。ところがそれだけ広々としているのに、近所の至る所に学生や職員に対して、車は使うな! と、張り紙がしてあった。
分かりにくい。
理由は、ご近所迷惑になる、交通事故防止、とあって、近所から不法駐車の抗議が出ているから、破った者は学則によって停学、退学処分にすると書いてあった。脅しではないだろう。大学公式文書だから嘘は書かないはずだ。しかし、職員はどうなんだろう? 諭旨免職かな(笑)。
名古屋とは、まるで連邦制国家の別の州ように、裁定が異なるのだな。
……。
自動車通学を禁止するから不法駐車が増えるのでしょう。
交通事故は深刻な問題だが、起こしやすいまま放置してある道路も多い。
資産があるのだから、専用道路を造れば良かろう。
安全運転をその大学の社会的基礎教養として、8単位ほど単位にくみこめばよろしい。
でないと、国や都道府県の認めた運転免許制度を、その行使を、一私学が拒否、否定したことになり、実にゆゆしい問題である。
さて。
多くの国民は、表向き、自動車を公害の元凶、無駄の塊、自動車事故の親玉、などと悪く言う。だから、今日行った大学のように、田舎の坂の多い山の上にあって広々としていても、「車は敵!」という対処をしている。そして、このblogを読む人の殆ども、その大学のやり方を妥当としているのだろう。
きっと、そうに違いない。
ところが、余のように、車依存症がきつくて、ハンドルから引き離されると病気になるような人間、身体的に歩行速度がおそい人間。全身が、脳も心も身体も弱い人間。こういう余には、上述のことが「ことなかれ」処方に見えてしまう。
つまり、嘘が多い。
自転車ならば、施設の前に自転車が山積みになったなら、それを排除する前に、駐輪場を作るべきなのだ。
自動車ならば、ご近所迷惑な暴走族は警察が取り締まるのがお仕事。
朝夕交通停滞を起こすほど学生の車で道がふさがるなら、そういうマンモス大学は校舎を増設して学生を増やすよりも、「道」を付けるのが先決だ。
つまりこうだ。
社会的施設は、専用駐車場、専用道込みで設計しなければならない。車排斥の思想信条があるなら、人が集まるそういう大規模社会施設は作ってはならない。
今からでも遅くない。校舎を潰して駐車場にして学生数を減らしなさい。一方で学生囲い込み運動をしながら、車は駄目とは、なんたるわがまま!
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