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2007年12月 6日 (木)

小説木幡記:2007/12/06(木)晩秋の退職挨拶状

 師走上旬を晩秋と呼べるかどうか考えるところだが、筆の勢いもあって晩秋とした。
 今、午前二時深夜極早朝といってよい時間帯だ。
 先程定例の日曜作家、今朝の原稿を数度推敲したうえで掲載し、ほっとした。そして手元の退職挨拶をながめた。

 昨夜は葛野文学部教授会の忘年会だった。四条烏丸近くのホテルが会場で、空間が豊かで、色調も落ち着いていた。二階なのか、ロビーに人も少なく、しばらくソファにぼんやりして会場にはいった。食事や教授達の挨拶・話題も、幹事秘書達の立ち居振る舞いも、すべて良き一夜だった。さらに帰宅したのは九時前だったから、熱い茶を一杯飲んで、なにもかも快かった。
 部屋に入ると、葉書が一葉あった。古い友人の半年おくれの退職挨拶だった。

 仮にオー氏としておく。オー氏に出会ったのは余がまだ三十代の頃だった。当時の文部本省から、余が在職していた京都の職場に、非常に若い管理職として赴任してまなしの会議の席だった。年齢はよく分からなかったが、余よりも若く見えた。その年齢で管理職というのは、「秀才なんだなぁ」と思った。
 それからずっとつかず離れずの仕事縁が続いた。というよりも、オー氏はなにかと余に場を提供してくれたと、今では思っている。余も葛野に入ってからすでに十六年くらいはたっているから、本当ならそこで縁が切れていてもおかしくはない。

 途中何度か困難な仕事も提供された。
 当時のオー氏にも困難そうだったから、白羽の矢を射ってくれたなぁ、と密かに思いもした。もちろん快諾し受けてたったが、さすがに随分困難だった。だがおもしろかった。

 仕事の打ち合わせ場所は市内だが、年に数回出張になった。葛野・木幡ラインを一歩も外さない毎日だったから、出掛ける前は軽鬱になった。つまり判で押したような日々に亀裂が入るからだ。だから実は余にとっては、わずか30ほどの距離を出張する、それだけで大仕事なのだ(笑)。だから、なまなかな人の誘いには乗らない。
 出掛けるだけで仕事した気分になる。
 ところが彼専用の管理職室に入るとと、すっと汗が引いた。つまり、なにかしら安心感が生まれ、居心地がよくて、気分が軽くなった。その理由は、たぶん「同世代人」一種の「同じ釜の飯を食うたあいだがら」にあったと思う。

 この春退職したと耳にした。梅雨時だったか、金沢のこれも同期に近い友人と、三人でハモおろしを食べた。そこで、各人各様の日々を話していた。オー氏は「十一月頃までは京都でのんびりするよ」と言っていた。だから退職挨拶の葉書もなかった。それを昨夜、目にした。

 余は自分の学生時代を思いだし、その時の自分になって現在の余をながめることがよくある。日頃接しているのが20前後の学生達だから、客観視を保とうとしてのことだ。性別も異なるし、自分の年齢だけでも引き下げて見ないと、学生達の思考が全く分からなくなる。だから、無理矢理余を20代にもどして考えることで、少し理解できるようになる。

 20代の頃いろいろ味わった。その一つが寂しさだった。存在の寂しさというか、なにか意味不明の寂しさだった。人間は生まれるのも死ぬのも一人きりと思えばわかりやすかろう。その誕生と死の間にいろいろな人と知り合う。そしてそのころこう思っていた。「ぼくも、もう少し年をとったら、大人になって、こういうわけの分からない寂しさなんかを味わわない、充実した気持になるんだろうな」と、思っていた。

 往時いろんな不安が渦巻いていた。就職できるのだろうか、仕事を毎日八時間も続けられるのだろうか、喧嘩ばかりするのじゃなかろうか、結婚できるのだろうか、子供を育てられるのだろうか、親が死んだら喰うて行けるのだろうか、……。気質にも依ろうが、余はそういう深層、表層とりまぜて、一杯の不安に包まれていた。
 そして、そういう不安は、すべて加齢で減少すると思っていた。大人達はみんなしっかりして泰然自若として、お金ももっていて、巌(いわお)のような存在に見えていた。

 それで、今はどうか。
 友人、知人、同期の桜たちがみんな一線を退き、第二の人生に入っていく、そういう時期にまで来てしまった、その今はどうなのだろうか。

 余人は知らず。
 余の一身のこととしては、相変わらずである。20歳のころの心象風景とあまり変わらない。毎日が不安で一杯だ。かといって変化が無かったわけではない。不安さえ忘れることも多くなった。不安を制御する術も多少は身についてきた。しかし、さまざまな不安が心に存在するということだけは、変わらない。

 そして。オー氏の退職挨拶状。
 余が20歳の時も今も味わっている不安のニュアンスがまったく見つからない。
 葉書一面に書かれた文章で、充分に氏の内奥を披瀝し、第二の人生への「明るさ」がある。基調は「ゆっくりする」というキーワードにあった。読んでいる余までも「そうだ、ゆっくり、のんびり過ごそう」とつり込まれるような快適な文面だった。

 気質の違いがあるのだろうか。
 あるいはオー氏は余の何倍も大人で、したたかだから、加齢の不安を押し殺しているのだろうか。それは分からない。言えることは、同期の桜の退職挨拶を読んで「よく、生きなすった、仕事なすった、どうぞじっくり、ゆっくりして下さい」と、20代の余にもどって、余は大人の氏の葉書を言祝いだということだ。
 20歳の青年の目で、オー氏の挨拶状を読んだ。
 そのことを今朝記録しておきたかった。

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