小説木幡記:2007/12/04(火)師走前半のMuBlog動向
今日の「人気記事ランキング」をみていて、MuBlogや統計のことを考えた。下記のリストは毎日MuBlogの右サイドバーで更新されている。先日までの7日間を切り取って、記事アクセスを計っているものだ。余がこういう仕組みを作ったわけじゃなく、@nifty「ココログblog」サービスの一つを選んで、使っている。大体夜中から極早朝にむけて更新されるようだ(経験則)。
まず統計、その範囲。
最近46万アクセス統計記事を載せたので、それと比較するとよくわかるが、ランキングのような「統計」は、データをどの範囲で採取するかで、まったく違った結果を見せるという、当たり前の初歩的な現象に、驚いている。
右サイドバー(下記リストは今日:12月4日の複写)のランキングは「一週間分」、そして前述引用の46万アクセス記事は「一ヶ月分」である。たとえば、一ヶ月分リストで堂々二位(笑)の「風林火山(45)桶狭間」は、下記リストに姿も現していない。
下記リスト、つまり先日までの一週間分統計で2位の「TVで観た点と線」は、一ヶ月分で観ると6位である。
至極あたりまえのことだが、余は統計というものに、うっすらとした怖さを今朝味わった。世の中では、こういう「嘘」ではないが、なにかしら人を迷わせることがあるのじゃなかろうか、という想像。
人気記事ランキング
(2007.12.4(火曜)の記録)- 1位:NHK風林火山(48)川中島・山本勘助の最期(1)
2位:点と線/松本清張:TVで観た「新・点と線」
3位:NHK風林火山(47)決戦前夜
4位:涼夏2007PCの自作 (3)マザーボード(GA-G33M-DS2R GIGABYTE社)
5位:涼夏2007PCの自作 (8)RAID設定(WindowsXP)とグラフィックスボード
6位:昭和の鉄道模型をつくる(10) ミニ手動ポイント(PL140-30)
7位:時間の習俗/松本清張(新潮文庫)
8位:涼夏2007PCの自作 (7)配線とアクリルケース
9位:NHK風林火山(46)難攻不落の小田原城
10位:涼夏2007PCの自作 (1)アクリルケースとファン、電源
そして、MuBlog動向
10位までのうち、「風林火山」(ドラマ)が3件。松本清張(文藝)が2件。涼夏マシン(自作PC)が4件。そして『昭和の鉄道模型』(自作鉄道模型)が1件。
これを、順位を得点化して(1位を10点)ならべてみると、
風林火山→10+8+2→20点
涼夏マシン→7+6+3+1→17点
松本清張→9+4→13点
鉄道模型→5点
となる。つまり最近のMuBlog は依然としてドラマとPCが読者の好み。実際の余は、ひたすら鉄道模型に明け暮れているのに。
そこにズレが生じている。このズレがどういうものなのかは、まだ余にも分明ではない。しかしこういうことは、いろいろな所で起きている現象だと思った。
各タイトルでメモをしておくと、風林火山(48)は@niftyの目にとまって、MuBlogだけのアクセスが一日で1162件あって、過去4ヶ月では最高だった。(サイト全体だと昨日1731件で、以前にはこれ以上もあった:2007/9/11に1753)。平均して最近のMuBlog単独アクセスは500前後なので、昨日は2倍になる。
こういうことはニフティというメディアと、そしてNHKの大河ドラマの影響力の大きさを痛切に味わうところである。余のMuBlog実像・創造性とは離れたところにインターネットは存在しているという、面白さ、怖さ、もろもろを味わった。
それにしても涼夏マシン、これは賞味期限が長いようだ。今年の7月ころの記事だから、5ヶ月経過、正常世界だと7倍して35ヶ月、3年前の記事と考えて良い。いまどき、3年も賞味が続くのは、あはは、凄い!(と、自画自賛なり) 一体どんな保存剤が効いたのでしょうか。
松本清張や昭和の鉄道模型は、おそらく同年代の人達が観てくれているのだろう。つまるところ、同期の桜、世代の溝が少ない我ら団塊世代の感性、それがレトロなセピア色世界としてインターネットの片隅に引っかかったのだろう。
まとめ
blog発信は、個人の日々をまとめていくためのツールなのだろう。日記帳。しかし一般にただ人の日記は誰も読まない。読まれるとしたら、そのメモの中に各々が心惹かれるテーマに触れた部分があった時だと考える。
大河ドラマは百年後の平成日本文化史に残るだろう。今回の風林火山などは、その中でも典型として事例に上がる予感がする。松本清張は昭和の風景として、すでに残ってしまっている。
自作PCや鉄道模型は、一般に趣味の世界として必ず一定割合のマニアが今後も存在するのだと思う。
余は、そのような「人様の努力の結実」について思うところを組織的にまとめてきたが、これは数少ない世間との関わりであり、どう関わっているかによって、自らの生を幾度も幾度も考えることとなろう。そして、趣味というものは必然的に自家製作につながり、修練とともに創造性が最もそこに表れると思う。PCの自作が自作かどうかは意見が分かれるが、どのような組み合わせを選択するかに、これまでと違った自作の意味がうまれている、と思う。
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