点と線/松本清張:TVで観た「新・点と線」
土曜と日曜の夜に、二晩かけて「点と線/松本清張」が放映された。
上下で四時間以上も録画したのだから、画面から脚本や演出、俳優さん達を確認し列挙し、メモをするのもよかろうが、今回はやめておく。
例によって、知った俳優は、鳥飼刑事(ビートたけし)と、あと数名だけだった。
が、そこここに脇役のような味わいで、随分著名な人達が演じていた。たとえば、香椎駅の八百屋のオジサンは、昨年大河ドラマで黒田軍師だったひと。北海道の駅員の一人は、どこかで見た名優だった。相変わらず、女優たちはみんな美しく見えた。和服姿が多いが、昔はこんなだったと、自らの幼少期を思い出していた。
ノスタルジー。遙かな過去への郷愁。自分もそこに住んでいた、今とは異なる、別世界。
そういうことに感動するのは、いかにも庶民的だが、庶民だからこそ、その過去の日常世界にどっぷりひたって二日観た。理屈を並べなくても、その世界に戻る気持はない。ないのだけど、クーラーも携帯電話も、新幹線もない時代に深い懐かしさを味わった。
これだけで、このドラマは出色だ。
東京駅の13番ホームと15番ホーム。13番ホームは、現在はたしかに新幹線が出来てから消えたはずだ(駅に行かないと実証的じゃないが)。その13番ホームから列車に妨害されずに15番線を見通すことが出来るのは、夕方の5時57分から6時1分までの4分間だけだ、という驚異的な事実が「空白の四分間」として、ドラマの核になった。
私はミステリー好きだし、松本清張も好みなのだが、実はマニアじゃないので、こういう時刻表を実際に見たわけじゃない。当時の国鉄のダイヤ編成官に聞いたわけでもない。だから、事実なのか嘘なのか、いまだに知らない。しかし、どちらであっても、そんな風に世間を眺める視点を当時の松本清張が持ったのは、優れたことだと思った。
全編国鉄や私鉄、つまり鉄道世界に満ちていた。電話もまともにつながらない当時、全国津々浦々にまで国鉄があったのは驚異だし、そのうえ、香椎あたりに私鉄もあって、二つの香椎駅(国鉄と西鉄)の到着時間や距離の違いが、大きな謎の土台となっていた。
これだけのセットを造るのは、相当な資金と努力が必要だと思った。録画を精査すれば、どこまでリアルかどうかはわかるだろうが、今のところ、よくこんなに精密に違和感なく当時を再現したという思いがある。汽車や電車や自動車や、古くさいジープや、信号機や駅舎、……。
現代のJR香椎駅地図
(福岡県福岡市東区香椎駅前)
感想1:ドラマ
TVドラマ単体で考えるとき、非常によくできた作品だと思った。
鳥飼刑事と三原警部補との緊張や対立、融和の過程がうまく描かれていた。
現代の風景で、宇津井健が演じる「三原」がなにかの拍子に号泣する場面があったが、これはうまく感情移入ができた。
たけしが、捜査にのめりこんでいく姿が自然だった。とりつかれたようになり、そしてコロンボのようなひらめきをみせ、謎を解き明かしていく。最後に、博多の上司に帰還を迫られて、はっとしたような顔になって、帰りますと言ったシーンが特によかった。
感想2:解釈
原作で一番よいと思ったのは、実は、博多東の鳥飼刑事と警視庁の三原警部補とは、今ある読後感では、二人は淡々とした間柄だった。それぞれが、それぞれに博多と東京で考えをめぐらし、手紙を往復させて、物語が進んだという印象だった(再々読すれば、別の印象があるかもしれないが)。
その「よい」と思った部分が、最初はビートたけしの強烈な、アクのつよいキャラで消えてしまっていた。都会と田舎、秀才と兵隊あがりの叩きあげ刑事、上品さと野卑、そういう対立構造でTVドラマは進んだ。もちろん終盤でそれらの対立が融けて、気持のよい終わりを見せてくれたのだが。
私は、ドラマはドラマとして優れた作品だと、思った。
だが、原作の異色さを、二人の男性の距離をもった水魚の交わりに似た小説内関係性にある、と評価してきたので、そこが「別の世界だ」と思った。
感想3:まとめ
鉄道模型もつかわれていたような気がした。東京駅の夜景はそうじゃなかろうか。ポイントが切り替わる場面が何回もあったが、よい挿入場面だった。列車の連結場面もメカニカルによく描かれていた。
犯人の妻役の名演に感心した。最後に鳥飼刑事が訪ねたとき、徐々に汗が浮かび眼が潤み緊張していく様子が非常にリアルであった。
被害者実家の東北の田舎の様子もよかった。
その他、名場面で一杯だった。
TVドラマとは、丁寧な脚本と演出、そして背景(セットとか特殊撮影)、さらに俳優女優の配置。時間とお金をかけて、意気込みがあって、それぞれにプロ意識があると、上等なドラマになるものだ、と感心した。
よき二晩でした。
参考MuBlog
点と線/松本清張(新潮文庫)
時間の習俗/松本清張(新潮文庫)
北九州の旅:松本清張記念館
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コメント
観ましたよ!
私も記事を書きました。東京オリンピックの頃の高度経済成長時代ですね。今なら飛行機を使用するという発想は当たり前ですが、当時の庶民は高価すぎて乗れなかったのでしょうね。
けど、私が入社した昭和44年の頃には学生割引のスカイメイトで羽田から伊丹に良く帰省しました。社会人になってもスカイメイトを使用していました。
清張さんの作品は奥が深いですね~~、今でも通用するし汚職も無くなっていませんね。
投稿: jo | 2007年11月26日 (月) 10時31分
丁寧な映像づくり関心します。
香椎海岸付近で青春時代を過ごした自分にとって「国鉄香椎駅」「西鉄香椎駅」もそれらしく見えました。
若い頃清張の古い作品はかなり読んだつもりでしたが、「点と線」のストーリーは欠落していました。それにしても、昭和32年頃は高級官僚も列車を乗り継いで北海道まで出張していたのですかね?アリバイ崩しの飛行機の登場は余りに唐突で一寸不自然さを感じました。
それと青酸カリを飲ませるシーンは説明不足を感じます。折角の丁寧なドラマつくりを損なうものでした。
投稿: 三村 | 2007年11月26日 (月) 13時30分
JOさん
原作はいろいろな細工をもう少し細かく描写していました。しかしたとえ上下でもTVドラマだと、あまりに複雑な仕掛けは、些末にみえて、ドラマツルギーを欠くから、脚本は上手に処理していますね。
どうであれ、福岡と北海道に同時刻、同一人が居たという、アリバイ崩しは、難しいですね。清張さんは、頭の構造が我々とは違っていたのでしょう。
投稿: Mu→JO | 2007年11月26日 (月) 18時00分
はじめまして、三村さん
香椎宮に昨年行ってきました。
地元の人がいうのだから、ドラマの情景描写は上等だったようですね。
青酸カリの場面ですが、私は夜もおそくて、半睡状態だったので、ぼんやりしたまま、見ていました(笑)
いろいろな俳優や女優が、芝居上手だったので、それだけでも楽しめました。ドラマはミステリーと、以前からおもっていたので、この企画は十分楽しめました。
内田康夫さんとかも好きなのですが、二日かけて大作ドラマを、作ってくれれば、さらにうれしいのですが。ドラマはある程度の時間が必要ですね。
では
投稿: Mu→三村 | 2007年11月26日 (月) 18時06分
お時のアパートで母親が荷物の整理をしている場面で、お時の本の中に「恍惚の人」がありました。この本はこの年にはまだなかったはずなのですが…。セットや小道具などかなり凝ったドラマですが、スタッフは若い人が多いのでしょう。こんなところを探すのが好きなのです。すいません。伊佐山ひろ子さん久しぶりでした。
投稿: NA | 2007年11月27日 (火) 12時51分
NAさん、はじめまして
恍惚の人をネット検索したら、1972年新潮社書き下ろしですね。だから「点と線」の1950(昭和32年ころ?)年の末だと、勘定があいません。
ドラマ作りも大変だと思いました。トンデモないオーパーツが出てきますね。
しかし同夜同チャンネル(日曜日)、聖徳太子さまの正統伝記ドラマ(笑)ではコンピュータやスーツ姿がぞろぞろ出てきました。
最近は、ドラマにオーパーツを出してほくそ笑むドラマ関係者が増えてきたのでしょうか?
投稿: Mu→Na | 2007年11月27日 (火) 13時57分