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2007年11月16日 (金)

近江大津宮錦織遺跡(おうみ おおつのみや にしこおり いせき) 第1号地点 <現地篇>

近江大津宮錦織遺跡の景観 (おうみ おおつのみや にしこおり いせき)

近江大津宮錦織遺跡の景観 (おうみ おおつのみや にしこおり いせき)
 この日、11月の土曜日だった。三井寺のすぐ北にある大津市歴史博物館を見た後、宇治市木幡にはもどらず大通りまで出て北に向かった。近江神宮のあたりから比叡山を通る「山越え」道があって、そこから京都にすぐに入れるからだ。下りたところが左京区の北白川で京都大学がそばにあるから、便利だ。わざわざ南に下って1号線から逢坂を越えるのは気分的に遠く感じる。
 大通りをしばらく北行している途中、右手に標柱が見えた。
 不意だった。
 そのまま通り過ぎれば、すぐに近江神宮前の通りを比叡山に入る分岐点があるはずだった。 

史跡近江大津宮錦織遺跡 第1地点 (標柱)

史跡近江大津宮錦織遺跡 第1地点 (標柱)

史跡 近江大津宮錦織遺跡第一地点 (簡略案内板)
 いつのまにか道が細くなっていて行き違いが難しいところだったが、止めてバックして、車窓から標柱を眺めた。
 すると。
 大津宮という文字がやけに大きく目にはいた。そこは思った通り、長年「行ってみたい、しかし車で行けるかな、電車に乗って下りて歩いて迷うだろうな」とじくじく考えていた史跡大津宮錦織遺跡だった。しかも第1号地点と書いてあった。
 大津宮はぼんやりと高校生ころから想像していた。日本史を学んだことで、壬申の乱には興味を持っていた。京都からすぐ近くの滋賀県に都があったことも、その時から意識していた。しかしその頃から数えても長年、大津宮はまだ明確に遺跡が発見されていなかった。
 この第1号地点が発掘されたのが昭和49年で、さらにそれが確定的になったのは、昭和54年と記してあった。時間がかかるものだ。

詳細・案内板

史跡近江大津宮錦織遺跡 (案内板)
 国指定史跡になった頃に行けばよかったのだが、相変わらず日々判で押したような生活だったから、放念していた。その間、「ハレの日」には名神高速とか湖西、湖東の大きな道は何度も通って遠方へ出かけているのだから、多分、まだ頭の中の近江朝廷は蜃気楼のようなものだったのだろう。
 それが、不意に眼前に現れた。あわててハザードランプを点灯して、車をおりて、歴史博物館で使ったディジタルビデオを鞄からとりだして、外にでた。

大津宮中枢部

大津宮中枢部復元図

第1地点 遺構平面図 (大津宮錦織遺跡)

SB001(東から) 発掘中の大津宮錦織遺跡

SA001(北から) 発掘中の大津宮錦織遺跡

 もう少し、私自身の近江朝廷(大津宮)への由来を記しておく。
 つまり、いろいろな事情でこの数年、やけに近江関係の図書をよみだした。勿論、大津宮発掘関係もそこに入っている。しかし、読書というのは、目で活字をおって弱い脳で消化するだけでは、実体感がとぼしいというのか、相変わらず近江の都は幻だった。
 行きたい!
 発掘関係図書を読んでいても、読んだその時は残るのだが、会議や授業を終えたあとはどこかに溶けて消えてしまう。その繰り返しの中で、行くことを一番阻害した要因は実に単純だった。
 大津宮跡は、民家密集地の中にあって、なんとなくモニュメントらしき物もなくて、自動車だと駐車場がなくて、電車だと方向が混乱して、結局歩き疲れて帰る羽目になるのじゃなかろうか、という実に稚拙なほどの思考が渦巻いていたに過ぎない。
 これがでっかい寺社なら、飛鳥のように十分に整備されていたなら、……。と、別に滋賀県の悪口じゃなくて、まだ滋賀県も大津宮で糊口をしのぐほどには、遺跡を意識されていないような雰囲気なので、つまりは行きそびれていた。
 今日のところは、現地篇というところで、まずは行ってみた、幻(私だけの事情だが)の大津宮、その錦織二丁目近辺の写真を掲載しておく。解説篇はビデオたっぷりで、また後日にでも。

地図

滋賀県大津市錦織二丁目付近

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コメント

先日皇子ヶ丘から近江神社の前を通って、
比叡山に抜けましたから、
たぶんその近江大津宮の案内板の前も
車で通過していると思います。
気づきませんでした・・・・

浜大津から近江神社の前を通って比叡山に登り、
京都北白川へ出るルートは、私も何度も通っていますが、
湖に近い国道を走って、二本松のところで左折して
近江神社の真前に出るコースを通るので、
裏道になる近江大津宮の遺跡の方へは
なかなか行かないですね。

でも、そういうところに歴史が埋もれているんですね・・・・!

投稿: 伽羅 | 2007年11月17日 (土) 06時14分

伽羅さん、まいど
 滋賀近辺の方なら、あのあたりはMuよりもよくご存じだとは思います。そう見受けましたが、近頃は高速道路が整備されていますので、さて、岐阜か愛知か、福井の方かもしれませぬ。(知らぬが仏、Muばかりなり)

 とはいうものの。
 確かに近江神宮前を通って京都へ抜けるのに、あの裏道のような錦織遺跡前を通る人は、土地鑑のある人以外には居ないでしょうね。
 通ったとしても、道からは公園にしか見えないし、高さが腰あたりの細い標柱に気付くこともないでしょう。
 Muは、そこも霊的スポット(笑)なのだと思います。つまり、Mu霊にシンクロした大津宮霊!

 遺跡とか図書との出逢いは、若い頃の「ひらめき」と一緒で、赤い糸があらかじめ引いてあるか、あるいは、強烈な磁場がMuに照射されるのだと、確信しております。

仮題「スタンプラリーの景品皿を求めて、比叡山の霊スポットを一人歩く伽羅氏」↓
http://blog.livedoor.jp/ideamilia/archives/50719250.html

投稿: Mu→伽羅 | 2007年11月17日 (土) 07時40分

伽羅の比叡山スタンプラリーの巻を
ご紹介いただいてありがとうございます。

いえいえ、私は滋賀じゃないんです。

実は、どちらかというと
Muさんがお住まいの宇治市に
わりと近いところです。


琵琶湖や大津、比叡山へはよく行くんです。
あのあたりがとても好きなもので。

行きはたいてい京滋バイパスを使って、
いったん石山インターから
大津に出て、それから比叡山を登って、
京都・北白川に降りるというルートを通るんです。

行きも帰りも京都市内を通ると
混んでいてすごく時間がかかってしまうので。

ローカルな話題ですみません(汗)


投稿: 伽羅 | 2007年11月17日 (土) 21時48分

ほう、宇治市に近いわけですか。
灯台もと暗し。

 伽羅さんのおっしゃるコースはMuも定番です。
 自動車はすでにうん十年も乗っていますが、徒歩や電車では抜けられないコースを自在に走るのは快感ですね。
 このコースを歩いたら二日くらい歩かないと着きません。
 交通機関も難しいですからね。
 知り合いは自転車をかついで、電車にのって、行き先で走るようです。
 自動車に自転車乗せることも考えたことがありますが、ちっこい自動車なので、どこでも行けます。

 足腰丈夫なうちに、せいぜい関西を走り回ります。

投稿: Mu→伽羅 | 2007年11月17日 (土) 23時11分

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