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2007年11月30日 (金)

嵯峨野鉄道図書館ジオラマ(01) はじめに

0.結論
 嵯峨野鉄道図書館ジオラマを製作することにしました。台はTOMIXの規格木製ボードで600mmX900mmと小ぶりですが、いくつかの事情からこの大きさにしました。
 初めての自製ジオラマなので、両手で扱える範囲にしたのと、設置場所や移動を考えると、これ以上は難しくなるからです。
 名称は、当初嵐山か嵯峨野か、迷いました。京都市右京区の名勝地なのですが、嵯峨野トロッコ列車が現実にあるので、それにあやかりました。

 ジオラマ製作目的は、「近未来の図書館」を模型で造ることにあります。単館としての詳細よりも、「鉄道図書館」を含めた嵯峨野の景観全体を、図書館とすることにしました。
 図書館については、専門として講義しているわけですが、ジオラマ製作は別途「『昭和の鉄道模型』をつくる」キットを毎週造っている最中なので、全くの初心者です。

 おそらく、この最初の自製ジオラマでは、図書館景観設計よりも、如何にしてジオラマを製作し、その中をどうやってスムーズに鉄道図書館号を走らせるのかに、重点が移ってしまうと思います。
 
1.経緯
 2007年の秋から、講談社の週刊工作誌「『昭和の鉄道模型』をつくる」を体験しだしました。MuBlog に大体一週間に一度記事を掲載し、やっと10号まで完成しました。手元には現在11~18号(最終は50号)まで残っていますが、順次掲載予定です。
 この週刊誌には、毎回鉄道模型の鉄人紹介や、鉄道模型のイロハ記事があります。どれもこれもおもしろい内容で、いつのまにか「自製する」という気持が強くなってきたのです。

 当初は、この「昭和の鉄道模型」ジオラマに、古びた図書館建築模型を最後に一つ置いて、それで「事始め」と思っていたのですが、鉄道模型世界におけるジオラマ製作が、魅力にあふれ、そういう技能を習得すればいろいろな世界に応用できると思いました。

 私は長年授業科目で「近未来の図書館設計」を受講生に講義してきました。その学生達の造った、優れた図書館企画書や模型が保管されています。ただ、教員として、自らの図書館をまだ披瀝していなかったのです。これまでは、指導の中で、学生達の自由な発想の図書館を多数得たわけですが、今度からは、私自身も一つのコンセプトを示そうと思いました。

 私の場合は、環境、景観全体の中での図書館を設計することが主調です。個々の図書館は充分なものであると仮定した上で、その図書館がどういう世界にどんな風にあれば良いのか、という発想です。
 
 ともかく、本記事をNo.01として、製作に入ります。記事間隔は、長くなりますが、来春(2008年)には大枠が完成する予定です。その間、「『昭和の鉄道模型』をつくる」も進めていきます。

2.嵯峨野鉄道図書館・レイアウト

嵯峨野鉄道図書館・レイアウト

嵯峨野鉄道図書館・図書館(仮)
 鉄道模型の世界では「ジオラマ」という用語はあまり使わず、レイアウトと呼ぶ慣用のようです。どちらも外来カタカナ語なので原義は知りません。このことは『昭和の鉄道模型』でも編集者が最初に悩んだようなので、私は自分で決めました。
 つまり、レールだけが中心の場合に「レイアウト」と呼び、下記のように景観を含みだしたとき、あるいは景観が目的のときには「ジオラマ」と書きます。

メビウスの輪レイアウト
 さて写真のように、レイアウト(レールの配置)は簡単な「メビウスの輪」のような形式になりました。小さな面積でレール長を延ばす楽しみを得るには、高さ、つまり三次元的な処理しかないわけです。
 そしてこういう高架のレイアウトで、図書館をどこに配置するかは、まだ未定です。このままだと、図書館がレールの日陰になりそうなので、後日、図書館は高台を造ってそこに設置する予定です。

外周と内周
 外周は普通のレールセットなので、どんな列車でも走りますが、内周はミニカーブレールと言って半径が小さいので、トーマス号のような車軸間が狭いか、台車の回転角度が大きい列車しか走れません。
 『昭和の鉄道模型』もそうなので、単車(連結無し)でないと走りません。ただし、トーマス号は貨車を二つ付けてもミニカーブを高速で走ります(笑)
 来年は工夫して「図書館列車」を紙で造りたいので、その汽車だと内周も外周も自由に走ることでしょう。

意外に難しいエンドレス化
 なお、このレイアウトは一カ所だけ計算に合わない無理矢理接続をして、エンドレスにしました。どこがそうかは自分でも分からなくなりました。多分内周のレールを最後に、外周の手前のポイントに接合するところだと想像しています。レール自体が高低を持ち、微妙なカーブを持たせたので、現実の誤差に吸収されて円が閉じたと思っています。誤差は、円周全体の中に自然に分散したのでしょう。

ポイントと電源接続箇所
 レイアウトが複雑だと、ポイントの位置と電源供給の位置で、列車の走り具合が変わってきます。これは正確には理解していないし複雑なので、結論だけメモしておきます。列車の位置は、下記の「ジオラマ」写真を参考にして下さい。

 手前ポインタを1とし、向こうのポイントを2とします。1と2とを解放して外周がぐるりと通ったとき、気動車が高速で外周を走り、内周にあるトーマス号は止まったままです。同じ外周にトーマス号があると、二つは同時に走ります。しかしカトー製の気動車が速くて、大抵TOMIXのトーマス号はぶつかられて脱線します(爆)。

 1と2とを接続して内周を通したときは、内周にあるトーマス号だけがエンドレスに内周を走ります。外周の、ポイントより右側の円弧上にある気動車は動きません。ただし、左側の円弧に置くと二台が同時に走りますが、この内周では車軸間の長い気動車は、高架以外のカーブで脱線転覆します。
 実は高架レールの部分は普通のカーブなので、ここは大丈夫なのですが、内周の内周で脱線です。

3.嵯峨野鉄道図書館ジオラマ

嵯峨野鉄道図書館・図書館と気動車

嵯峨野鉄道図書館ジオラマ
 この写真から本格的にジオラマ工作に入りました。今のところ、使った物は、接着剤ボンドと、大きめのカッターナイフと、厚さ1センチの発泡スチロール板と、意外にもライターのオイルです(『昭和の鉄道模型』にヒント有り)。全部、コーナンというDIY店で揃えました。数千円でしたね。(厚さ2センチのスチロール板とか、刷毛とか、いろいろ買いましたから)。

地形は発泡スチロールを基本にしました
 山や川や地形を造る方法、手法はいくつかあるようです。その中の一つに発泡スチロールを使いこなす手法があって、私はそれを取りました。手技が切断だけになり、気楽に思えたからです。これはTOMIX系のやり方です。
 他方カトー系のやり方はもっと自由度が高いのですが、巧拙は露骨にでると思いました。板や竹その他で骨組みを作り、その中は新聞紙とかその他でふくらみを持たせ、上から下記のプラスタークロスを貼って整形する方法です。昔の言葉では「張りぼて」方式と言えますね。

 私は基本をスチロールで造っていますが、最後の仕上げはカトーが提供している「プラスタークロス」:布にプラスター(漆喰みたいな)が付いていて、これを水に浸して貼る方法。あるいは自製「水溶ボンド紙」、つまりボンドの水溶液にキッチンタオルのような紙を浸して、「水溶ボンド付き紙」をこさえ、これをべたべたと貼り付ける手法を使う予定です。粘土じゃなくて、紙か布で下地を整形する手法ですね。

 プラスターであれボンドであれ、両方とも未経験ですが、惹かれる技術です。一応、カトーの既製品プラスター巻布を一本買いました。プラスター布は固まると強度があると雑誌に載っていました。自製水溶ボンド紙も、似ているのだと思います。
 これらは後日に。

カッターナイフとライターオイル
 写真は、厚さ1センチの発泡スチロール板を大胆にボンドで貼り合わせ、2センチの板を造ります。ボンドの量がわからないので、ぼちょぼちょと、まき散らしたから「大胆に」と表現しました。細密模型部分だとそんなこと出来ません。(発泡スチロール板は80センチX50センチ程度の大きさを選びました。自動車に簡単に乗りますから)

 マーカーペンで池や川を大胆に薄書きしました。大胆なのは、Nゲージ基本の1/150に精密に縮尺して造ることは、今の私の技量では無理です。たとえば、来年作成予定の箸墓図書館ジオラマを計算したら、全長280mもありますから縮尺しても、前方後円墳だけで長さが2mにもなるのです! そんなジオラマは、豪邸に住まないと無理ですね。仁徳さんや応神天皇陵をNゲージに正確に持ち込むと、古墳だけで4m近く必要になります。
 さて、『昭和の鉄道模型』を勉強した結果、カッターナイフにライターオイルを振りかけながら切ると、音も出さずにスムーズに行くようです。さっそく真似しました。OK! ド素人の私でも、うまくいきました。

斜め切りの池
 カッターナイフの刃先を1センチ程度にして、斜めに池をくり抜いていくと、本当にうまく穴が掘れるのです。川は、渡月橋とか保津川なので、今はまだ縦切りにしましたが、これは手技が必要で、ぼろぼろと発泡スチロールが壊れる部分もありました。
 二枚重ねにしているので、必ず底が平板に得られます。もし単板スチロールで平らな底を造るとなると、平面化処理の手技が必要になりますね。

4.今後の予定
 山を造り、トンネルを通します。愛宕山は左上になるので、この辺りの処理は複雑ですね。外周の上空を走る内周レール部分(画面左)は、山の側面を走らせ、画面左全体は切り立つ絶壁で保津峡をそれらしく表現します。このために、別途サイコロのようなスチロールや、8センチ面で長さが30センチもある棒スチロールも入手しました。

 これらを貼り合わせたり、くり抜いたり、削ればなんとか京都市右京区の嵯峨野嵐山界隈の風情が出そうです。
 山ができたところで、レールを全部外して、プラスター布か水溶ボンド紙をはって凸凹をなめらかに造り、下塗りします。池や川面もそれらしく塗装します。画面の右側は低地なので民家を置くか、列車の車庫にしましょう。
 その後は、……。その時のお楽しみ。なんとかなるでしょう。
 最大の問題は、「図書館をどうする」ですね(笑)

 (えてして、目的を大きく外れるのが、現実の世界ですなぁ。ジオラマ全体が空中に浮くとか、周りを火星や月に変更するとか~)

追伸
 発泡スチロールをカッターナイフでさくさく切っていて思ったのですが、将来はメキシコ系ピラミッド図書館とか、餘部鉄橋宙づり図書館とか、近江朝琵琶湖図書館とか、夢が次々と湧いてきて、頭も胸も毎日あふれる空想で一杯になって、苦しいくらいです。

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2007年11月28日 (水)

小説木幡記:2007/11/28(水)読書と難読症(ディスレキシア)

デルファイ法ってなんだったかな?
 たしか月曜だったか、授業中に未来の予測(科目内容が、近未来の図書館)に言及したとき、手控え帳なしで「デルファイ法」による未来技術予測に言及してしまった。
 最近、京都大学でのノーベル賞クラスといわれる「再生医学」の要点ともいえる卵子によらない多機能細胞の研究が発表されて、そういうSFのような話がどうなるのか興味を持ったせいだと思い返している。

 さてしかし、授業は教科書やノートや手控え帳なしで語るのは思い違いもあって良いことではない。言ってしまってから、気になって手持ちの本や雑誌を眺めたが、どうにもはかばかしい出典がなくて、インターネットを調べてみた。すると、比較的安全な機関(笑)にデルファイ法の記事があって、内容は思った通りで安心した。

科学技術の未来をさぐる
 要するに科学技術政策研究所(NISTP)の目的である「技術予測に関する調査研究」中に分かりやすく具体的に記してあった。

ところが、難読症
 まあ、デルファイ法、それはよいのだ。
 ここで人には伝えにくい摩訶不思議な連想が余の脳を駆けめぐりだし、ついちょっとNISTPのサイト内検索に用語を入れてしまった。「難読症」と。

 なぜ、難読症と入れたかは聞かないで欲しい。つまり結局、ずっと気になっていたのだ。なにが?
 昔から、難読症という概念はあったようだ。それを知ったのは、以前司書教諭に関する学校図書館関係の教科書を眺めていたときだ。たしかに、腑に落ちる。しかし、教科書ではそういう症例があるという言及だけで、それ以上は分からなかった。

読書は特殊な技能?
 余は、読書家といえるかどうかは知らないが、比較的図書を深く読み込む性癖だった。幼少期から、あまり多くには手を出さないが何度も同じ図書を読み返して楽しんできた。それを意識したのは、自分の子供達が小学校にあがってからだった。つまり、二人の子供の読みっぷりが激しくて、なにかしら余の脳を刺激しだした。一冊の図書をざらに十回くらいは読み返す子が眼前にいた。
 で、気がついた。
 余の幼少期と同じだったのだ。

 そこから話が飛ぶ。
 余は息を吸うように読書していた時代があった。お菓子を食べるように読んでいた。大抵は同じ図書を数回づつ読んでいた。それで当たり前だった。
 しかし当時、青年時から、まったく読書しない友人も多数いた。
 で、今ははっきり気付いている。
 要するに、読書は特殊技能の一つなのだ。たまたま、余は他の能力の欠落を補うように、読書が得意だったようだ。
 なんどもいう、余にとって読書はご飯を食べたり、息するのと同じレベルだった。
 で、いよいよ結論。

本を読まないのか、読めないのか
 学生は本を読まない人が多い。
 図書館学(司書)を担当しているにもかかわらず、読まない青年がめだって多い。

 ◎読書は時間を取る。余でも新書本の精読には半日かかる。最近の長いミステリだとまるまる1日使う。
  まして専門書だと、精読の場合は日本語でも数週間から一ヶ月かかる。
  漫画でも、この前計ったら30~60分かかった(要するにしつこく読むからだろうな)。
 まず、青年はそういう時間を取ることができないようだ。学業に忙しい(笑)のか、デートなのか、アルバイトなのか?

 ◎読書は根気がいる。余でも30分とか一時間単位で意味もなくトイレに行ったり、茶を飲んだり、葛野だと研究室前の廊下を無意味に散歩する。

 ◎読書は対象世界の枠組みを知っていないと疲れる。余も必要に応じて法律や他の分野を読んだり、あるいは会議資料を読むときは、投げ出したくなる。理由は、頭にすぽんすぽんと入ってこないからである。

そして、難読症(ディスレキシア)
 余は難読症ではない。快楽読症とでもいうのだろう。古典的には活字中毒と言えば分かりやすい。
 しかし、教師だから、あまりに読書をしない学生が目立つと、注意深く考える。
 教師は一度に多数の若者を相手にするから、「この世には、本当に、いろいろな青年がおる」という、経験則が身にしみている。
 つまり、自分自身を尺度にすると、とんでもない間違いを犯す。

 だから、頭の片隅に残っていた「難読症」という単語を、科学技術政策研究所のHPをみながら、検索窓にいれてみた。もしかしたら、未来の予測話として、話題にあるかもしれないという、実に曖昧な気持からだった。
 あった! 3件あった。

[特集1]読み書きのみの学習困難 (ディスレキシア)への対応策 
ライフサイエンス・医療ユニット 石井 加代子

感想
 上記石井氏の論を読んで、感動した。
 つまり、科学というのは、余のような素人のちょっとした疑問であっても、実に深く論究するという事実と、そして、やはり、もしかしたら難読症に悩む学生が、どこの大学にもいるのかもしれない、という新たな予測に感動したのである。
 もし、もしもたった一人でもそういう学生がいるならば、「読書」という司書の根本に横たわる営為について、手当していく必要がある。

 対処法は、すぐには、余にも分からない。
 ただ、余は「読書」についても、これまで訓練として指導することが多かった。事実、慣れないと、読書は実にしんどいことなのだ。余にはそれほどしんどいことではなかった。しかしそれが多くの人には辛いことだと気がついたとき、周りが違って見えた。
 だから、それ以来ずっと「読書の練習をしないさい」と言ってきたつもりだ。

 が、まだ終わってはいなかった。この世には、まだ原因はわからないが、文字を読むことに本人の意志に関わりなく、難渋する人もいるという事実があった。
 それを今夜、石井氏の論文を読んで得心した。

 さあ、読書の秋もそろそろ12月、冬に入る。
 読書という人間の持つ能力について、いろいろ考えてみよう。

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2007年11月27日 (火)

小説木幡記:2007/11/27(火)詐欺の四方山話:海外に住むことと、自費出版

導入
 久しぶりに観たNHKクローズアップ現代で、退職者の懐をねらう詐欺二題。

本編
 一つは海外(フィリピンなどの美しい浜辺)へ隠退してから住むつもりだった人が、現地の日本人業者に2000万円払い込んで、結局土地の借地権を得られなかった話。フィリピンでは、外国人は土地を買えないので、現地の業者が買って、その借地権を事例のような日本人に譲るシステムらしい。

 その詐欺内容はいちいち書かないが、まるでミッションインポッシブルみたいに大仕掛け。住む予定の浜辺にある素晴らしいご近所介護施設に案内されて、介護士まで付けてくれるという約束だったのに、入金後現地日本人業者が消えてしまったので行ってみると、その施設は改装されて中国人が住んでいた。周りの人に聞いても、そのあたりに介護施設なんかなかった、との話。現地警察は証拠不十分で、捜査もしてくれなかったよし。

 もう一つは、自費出版。数百万円だせば、あなたの本が全国の書店に流通し、有名人の図書の横に並べられる、とのこと。

解題
 前者は、余はまず騙されないだろう。木幡を一歩も動きたくない余が、どうして見知らぬ土地で余生をおくらねばならぬのか。原始農耕タイプの余は、隣町にだって移り住もうとはおもわない。

 たしかに海外生活は日本と異なった景観や気候に恵まれ、そのうえ物価高の日本に比べれば、数分の一、数十分の一の生活費で余生を送ることができるのだから、惹かれる人も多いのだろう。

 このこと一般論として、ケチをつけるなら。
 風土病とか言葉の問題とか、文化の違いとか、治安がそれほどよくはないとか、……。どうして異国がよいのだろうか。
 余程、日本でのしっとり、じっとりした関係の複雑さに飽き飽きしているのかもしれない。
 余はこう思う。
 日本の良さをもっと味わうのがよいでしょう。暑さのなかに京の蒸し風呂、これ幸い。ハモおろしがよろしおすえ。
 寒さの中に日本の冬、これ幸い。鶏の水炊きをボンズでたべて、うまい白米たべて、日本酒で一杯。漬け物ぼりぼり。ああ、至福。

 じっとり湿った日本的関係性。そんなもの、携帯すてなさい、電話ひきちぎりなさい、手紙なんか未開封ですてなさい。寄り合いはすべて「病気」ですませなさい。親類縁者、親兄弟、縁をぶち切りなさい。さすれば、じとじとも、おしめりもない、からっとした無関係、すっきりしまっせ。本国でそれができないまま、異国へ行っても、もっと辛さはつのります。

 一般に、若くしてアフリカに消えたランボーのような人は稀なのでしょう。彼はアフリカで武器商人をしていたらしい。しかし彼も病気を患って故国フランスへ戻りました。小泉八雲なんかは、日本に来て仕事して嫁さんもらって、日本に溶け込んで、そして高給料の大部分を嫁さんの親族一統に布施なすっていた。つまり、日本人化したので、ハーンさんにとっての日本は、故国そのものになったのでしょうね。

 後者の自費出版詐欺は、うむ、気弱になったら日曜作家、引っかかるかも知れないなぁ。インターネット配信では満足できなくなり、なにがなんでも、松本清張や森博嗣や、北方謙三、村上春樹の図書の横に、余の図書を平積みしたい! と、なったらさいご、ついふらふらと、500万円くらいだす、かな? あはは。

(500万円、それだけあったら一部屋かりて、十畳くらいの鉄道ジオラマ(レイアウト)をせっせと、余生こめてつくるでしょうね。そこに1/150の縮尺でゴジラロボットを造って、暴れさせる。被破壊城をあらかじめ、十城くらい造っておく。安土城や桃山城や大坂城、千代田城に、姫路城、熊本城、松本城に、高取城、……。来客のたびにゴジロボの逆襲ちゅうか、破城されていく。たまらんなぁ、この余生の豊かさ!)

反省
 余は幼年時より、騙されやすい男だった。四六時中、のべつまくなしに騙され続けてきた。今でも学生たちに毎日最低2回は騙されておる。
 それかあらぬか、「美味しい話は、嘘」という単純な格言が知らぬ間に、心身に染み込んでしまった。しかるに、美味しくない騙しもこの世にはある。
 人は希望、期待という、一種の利で動くらしい。
 余は非利に徹することでのみ、詐欺から身を守れるのだろう。
 すると、究極は、おしゃかさまになるしかない。
 と、わけのわからないオチで、本編を騙し終わろうとしている、のかな?

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2007年11月26日 (月)

点と線/松本清張:TVで観た「新・点と線」

 土曜と日曜の夜に、二晩かけて「点と線/松本清張」が放映された。
 上下で四時間以上も録画したのだから、画面から脚本や演出、俳優さん達を確認し列挙し、メモをするのもよかろうが、今回はやめておく。

 例によって、知った俳優は、鳥飼刑事(ビートたけし)と、あと数名だけだった。
 が、そこここに脇役のような味わいで、随分著名な人達が演じていた。たとえば、香椎駅の八百屋のオジサンは、昨年大河ドラマで黒田軍師だったひと。北海道の駅員の一人は、どこかで見た名優だった。相変わらず、女優たちはみんな美しく見えた。和服姿が多いが、昔はこんなだったと、自らの幼少期を思い出していた。

 ノスタルジー。遙かな過去への郷愁。自分もそこに住んでいた、今とは異なる、別世界。
 そういうことに感動するのは、いかにも庶民的だが、庶民だからこそ、その過去の日常世界にどっぷりひたって二日観た。理屈を並べなくても、その世界に戻る気持はない。ないのだけど、クーラーも携帯電話も、新幹線もない時代に深い懐かしさを味わった。
 これだけで、このドラマは出色だ。

 東京駅の13番ホームと15番ホーム。13番ホームは、現在はたしかに新幹線が出来てから消えたはずだ(駅に行かないと実証的じゃないが)。その13番ホームから列車に妨害されずに15番線を見通すことが出来るのは、夕方の5時57分から6時1分までの4分間だけだ、という驚異的な事実が「空白の四分間」として、ドラマの核になった。
 私はミステリー好きだし、松本清張も好みなのだが、実はマニアじゃないので、こういう時刻表を実際に見たわけじゃない。当時の国鉄のダイヤ編成官に聞いたわけでもない。だから、事実なのか嘘なのか、いまだに知らない。しかし、どちらであっても、そんな風に世間を眺める視点を当時の松本清張が持ったのは、優れたことだと思った。

 全編国鉄や私鉄、つまり鉄道世界に満ちていた。電話もまともにつながらない当時、全国津々浦々にまで国鉄があったのは驚異だし、そのうえ、香椎あたりに私鉄もあって、二つの香椎駅(国鉄と西鉄)の到着時間や距離の違いが、大きな謎の土台となっていた。

 これだけのセットを造るのは、相当な資金と努力が必要だと思った。録画を精査すれば、どこまでリアルかどうかはわかるだろうが、今のところ、よくこんなに精密に違和感なく当時を再現したという思いがある。汽車や電車や自動車や、古くさいジープや、信号機や駅舎、……。

現代のJR香椎駅地図

(福岡県福岡市東区香椎駅前)

感想1:ドラマ
 TVドラマ単体で考えるとき、非常によくできた作品だと思った。
 鳥飼刑事と三原警部補との緊張や対立、融和の過程がうまく描かれていた。
 現代の風景で、宇津井健が演じる「三原」がなにかの拍子に号泣する場面があったが、これはうまく感情移入ができた。
 たけしが、捜査にのめりこんでいく姿が自然だった。とりつかれたようになり、そしてコロンボのようなひらめきをみせ、謎を解き明かしていく。最後に、博多の上司に帰還を迫られて、はっとしたような顔になって、帰りますと言ったシーンが特によかった。

感想2:解釈
 原作で一番よいと思ったのは、実は、博多東の鳥飼刑事と警視庁の三原警部補とは、今ある読後感では、二人は淡々とした間柄だった。それぞれが、それぞれに博多と東京で考えをめぐらし、手紙を往復させて、物語が進んだという印象だった(再々読すれば、別の印象があるかもしれないが)。

 その「よい」と思った部分が、最初はビートたけしの強烈な、アクのつよいキャラで消えてしまっていた。都会と田舎、秀才と兵隊あがりの叩きあげ刑事、上品さと野卑、そういう対立構造でTVドラマは進んだ。もちろん終盤でそれらの対立が融けて、気持のよい終わりを見せてくれたのだが。
 私は、ドラマはドラマとして優れた作品だと、思った。
 だが、原作の異色さを、二人の男性の距離をもった水魚の交わりに似た小説内関係性にある、と評価してきたので、そこが「別の世界だ」と思った。

感想3:まとめ
 鉄道模型もつかわれていたような気がした。東京駅の夜景はそうじゃなかろうか。ポイントが切り替わる場面が何回もあったが、よい挿入場面だった。列車の連結場面もメカニカルによく描かれていた。
 犯人の妻役の名演に感心した。最後に鳥飼刑事が訪ねたとき、徐々に汗が浮かび眼が潤み緊張していく様子が非常にリアルであった。
 被害者実家の東北の田舎の様子もよかった。
 その他、名場面で一杯だった。

 TVドラマとは、丁寧な脚本と演出、そして背景(セットとか特殊撮影)、さらに俳優女優の配置。時間とお金をかけて、意気込みがあって、それぞれにプロ意識があると、上等なドラマになるものだ、と感心した。
 よき二晩でした。

参考MuBlog
  点と線/松本清張(新潮文庫)
  時間の習俗/松本清張(新潮文庫)
  北九州の旅:松本清張記念館

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2007年11月25日 (日)

NHK風林火山(47)決戦前夜

承前:NHK風林火山(46)難攻不落の小田原城

成田長泰の忍城(おしじょう)→浮城

埼玉県行田市本丸

成田長泰
 彼は北条とは相性が良かったのか。彼の忍城は後世、1590年に秀吉が小田原攻め(つまり、北条攻め)の際にも、石田三成の水攻めをしのいだ城。
 ガクト政虎に馬上から引きずり下ろされた理由は、関東管領上杉政虎に下馬しなかったからとドラマでは描かれた。古来「下馬礼」があって、天皇・皇族・公卿に対しては礼を尽くさねばならない。が、乗馬自体が一般に武家に属することだから、朝廷の定めと武家の定めとは微妙に異なることだろう。関東管領職は、室町幕府の職制である。だから、成田長泰がどのような立場で下馬しなかったのかは、朝廷との関係、つまり官位では計れない。
 これがたとえば、天皇に供奉する騎馬武官は、行幸時、自分よりも目上の皇族に出遭っても、下馬しない。これは分かりやすい。その武官は、天皇の行列と一体化しているから、他の何物にも拝礼する必要はない。

 ところが国司とか守護とか、入り乱れた世界では、一応朝廷の定めた位が従五位あたりだから、分かりにくい。上杉謙信は生前従五位下だし、武田信玄は従四位(じゅしい)下である。もしすれ違ったなら、ガクト政虎は信玄に下馬の礼をとる必要があるが、それは信じられない。

 ドラマでは成田長泰が名門だから、下馬の拝礼をしなくてもよいとなってはいたが、こういうことは力関係なのだから、関東管領を継いだガクト政虎に下馬礼をしなかったのは、もし事実ならば、異様な風景だったに違いない。
 戦国時代は、下克上の世界だったからこそ、今、現にパワーを持った者に対する非礼は、喧嘩を売ったのと同じだと思った。有職故実、故事来歴をたたきつぶした時代が室町末期だったのだろう。だからこそ、新たな権力者に下馬をしなかった成田は、ガクト政虎に打ちすえられた。

見どころ
 ガクト政虎が太刀を左手で前にかざし、右足を後ろに引いて、檄をとばしたのはさすがに決まっていた。部下達は彼を毘沙門天と仰いでいた。戦とは、参謀や大将にとっては理屈がまさる仕事だろうが、戦う兵士にとっては理不尽で、無理強いされている所も多いから、味方の大将を神仏と拝める軍団は、それだけ強くなるのだろう。

 勘助のセリフまわしがますます老成、老獪、重厚になってきた。勘助も政虎も、敵の心はある程度読めても、身内や側近の気持ちはいまひとつ焦点をはずす。リツを香坂弾正に嫁がせる算段も、最初はリツに「旦那さま」と呼ばれて、外してしまった。だが、勘助亡き後どうなるのか、気にはなる。
 リツの実父、原さんはどこに隠れているのでしょう。

 海津城の守備はどうなっているのか、鉄壁なのかどうか、そのあたりはまだ描かれなかった。その点で、関東進出も、成田を馬から引きずり落とすこと、伊勢を人質にとること、敵の矢面に立つこと、それぞれにガクトの活躍はあった。本心なれば、小田原城の攻防を内外からもう少し精細にえがいてもらいたかったが、まあ、これでよし。

 今夜は真田も、平蔵もそれぞれ決戦前の覚悟をしていた。
 ところで葛笠村の人達は、今夜、伝さんが信玄公から「三すくい、の褒美」をもらってうはうはしていた。黄金を両手に三杯だから、数千万円ほどの報奨金だろうか。憶ではないにしても、これは嬉しい。余もわかいもんたちに、札束二掴みほど許したいものじゃ。あはは。せいぜい、チョコか柿のタネを片手一杯が限界じゃ。

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小説木幡記:2007/11/25(日)TV三昧

1.森博嗣の反語
 最近のMLA:MoriLogAcademy で、「反語が通じない」という記事に興味を持った。要するに、これまで普通に中学や高校で余が学んできた日本語が、今の若い人には殆ど外国語並にあつかわれているということだ。だから、作家なんかは、現代の若い人に通じる文章を書くのか、伝統工芸品的文章で押し通すのか、腹をくくって決めた方がよい、という筆致だった。

 余は、日曜作家兼極早朝作家なので、命がけで決心するほどのことでもないが、それでも身につまされるというか、世間の無理解(笑)に悩むことが多い。
 実情として、余の日本語は2割程度しか通じておらず、常に翻訳官、通詞が数名必要になる。

 もしかしたら高校教育が原因なのかなぁ。古文はあると思うが、漢文は無いのじゃなかろうか。漢文は日本人が漢籍を読みこなすために苦労して造った翻訳語だが、実に口調がよい。そして、反語とか比喩とか強調、針小棒大白髪三千丈、に満ちていた。否定の二重否定なんかあたりまえだな。あにはからんや、とおもうなかれ~と、かくあるとおもわざるはなし、~。あはは、実によい口調じゃありませんかぁ。これを捨てるなんて、なんの楽しみで生きていけるのか知らん、わけじゃない。

 でオチは、森博嗣先生の小説は、実はものすごい皮肉と反語だらけなのに、それが書店に平積みされているということは、ものすごい皮肉やね。賞味期限改竄どころの騒ぎや無い。ものすごいミステリィ騙し。そして、読者は、その騙しにひかれて書店に通い図書館に行く。ようするに、どれだけ激しく騙されたかで価値が変動する。余はつねひごろ記しておるが、ものすごく毎回騙されてばかりなので、よい読者なのだろう。

 ところで、年に一回程度、余が激怒して言うセリフは、若い人にはどんな風に解釈されているのだろうか。
 「君みたいな横着な人は、司書の資格がない。余程反省し、性根をあらためないと、君を通すわけにはいかん!」
 「いえ、先生。私、司書の資格が欲しいのです。今度こそ頑張ります、見ていてください!」
 なんかねぇ~、謎は深まるばかり。
 直言が通じない、そういう世界もあるんだぁ。

2.TV三昧
 三昧(ざんまい)とは仏教用語で、精神状態が空(くう)にいたる修行をともなった瞑想の状態をさす。日常語では、どっぷり、○女の深情けにはまったような、あるいは対象と心身が一体化し恍惚とした様態を示す。早い話が、「はまった」「そればっかり」で、いいようにもわるいようにも使われる。

 で、先程森先生を引き合いにだして反語なんちゃらについて書いたのは、実は、一瞬、タイトルに「三昧」という言葉を使ってしまって、迷いだしたからだ。余の用語には仏教用語も混じっていて、有名なのは「おしゃかになる」用法であった。この度は、三昧したてなので、はてこれが世間で通用するタイトルかと、迷いだした次第。

 ままよ、結論に至ろう。

3.点と線(松本清張)上下、聖徳太子がぶっとんだ、風林火山
 昨日土曜の夜に、点と線がTV(朝日系)で放映された。ビートたけし主演で、丁度犯人の東京駅空白の四分間トリックが割れて、いよいよ北海道旅行と香椎海岸の同時存在トリックくずしが、今夜になる。
 書き出すといろいろあるのだが、今夜の「下」を見てからにしよう。すでに、小説については読書感想文をMuBlog に書いておいた。

 さて今夜なのだが、午後七時から聖徳太子さまの、なかなかおもしろそうな番組がある。七時~九時までだ。聖徳太子さまについては、日出処の天子(1)/山岸凉子で読んだし、最近は「遙かなる大和/八木荘司」で太子さまの最期に涙を流した。学術的なものはおくにしても、昔、TVでモックン主演のを観て、感動した。

 今夜の太子さまは予告では、西遊記なみにぶっとんでいる。しかし観ないことにはわからない。
 ところが。
 夜の八時~九時は風林火山じゃないですか。
 さらに九時~十一時は点と線の「下」。

4.大結論
 聖徳太子さまは録画して、ご飯を食べながら、最初の一時間だけ直鑑賞。残りは後日。
 八時から風林火山を直鑑賞して、~。そこからが問題だ。
 毎週、すぐに感想文を書き出して、夜のぎりぎり睡眠前に、MuBlogに投稿する。
 だが、その九時から十一時までは、点と線。
 昨日からものすごい葛藤に襲われて、鬱になりかけ。
 第一、深夜十一時までTVを観るなんて前代未聞、まるで大晦日。
 うむ。
 解けない問題は、この世に一杯ある脳。

*.補足
 結局、風林火山の感想も書けず、一晩眠ったら、すべて忘れて、「TVを観たかなぁ」と明日の一限目の授業で、頭の片隅に疑問符が踊っていることでしょう。録画データは永遠に見付けられない、3番の500GBハードディスクの奥底に沈みこむ。

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2007年11月24日 (土)

小説木幡記:2007/11/24(土)老人性隠遁症(ディオゲネス症候群)

 ディオゲネス症候群というビョウキがあるらしい。老人性隠遁症と日本語では使われている。
 新聞の人生相談で見付けた。
 依頼者の近親者が、山のようなボロやクズを集めて、部屋一杯にため込んで、退職金で「古道具屋」とか「クズ屋」を開業する算段らしい。それで困っての相談だ。

 さて、今書きながらおもったが、古道具屋とかクズ屋とかいう言葉は、自粛されているのだろうか。言葉に罪はないが、どこかでだれかが悪く言ったのかも知れない。だから、古物商と言った方がよかろうか。不知。
 しかし、依頼者は、そういう仕事を第二の人生にえらぶ近親者を、困った顔で見ているのだろうか、あるいは未知の世界に退職金を使い込む変人近親者を心配しているのだろうか。

 実際は。
 部屋中、足の踏み場もないほどに「ゴミ(依頼者には、そう見える)」を溜め込みだして、付き合いも激減して、その上退職金を使うというのだから、依頼者が困るのも無理ないな。

 ディオゲネスは、キニコス学派(キニコスは犬のギリシャ語なのだろう)とかいうらしい。ギリシャの哲学者で、余などは「ディオゲネス学派」とか「犬儒派」と習った覚えがある。犬のような儒者という東洋風命名だな。住まいは樽(たる)の中で、自然を重んじて、常識・規則や風習や華美(文化芸術も)をけなし、犬のように生きた哲人らしい、と書いたが実際に余が会ったわけではないし、犬が聞けば怒る。
 アレキサンダー大王と同時代の人で、ともかく有名人なのだろう。

 そういう病名があって、翻訳されて「老人性隠遁症」となったようだ。
 隠遁者がそれほど小汚いとは思わないが、実際は山中やド田舎のボロ小屋に住んでいたら、風呂もシャワーもないだろうから、湯浴みとは言っても、雨に打たれるか川で水浴するしかなかろう。洗濯もしないだろうから、やはり、隠遁者というのは、汚くなるのが普通なのだろう。
 だがしかし。
 汚い汚くないは表層的だ。
 余のように、先程も朝風呂、香りのよい芳香剤に包まれて、風呂上がりにアフターシェーブローションやハッカ油で身を浄めて、清らかな筆致でMuBlogを書き出しても、つらつらおもうに、隠遁症にかかっていると自覚した。

 祝日と言っても、近所の模型屋をこっそり覗くくらいで、人にも会わず、ただぼんやりと何日も逼塞していて、仕事に行っても、だれも読まない授業のパワーポイント紙芝居を、一人で造って、ときどきトーマス号を走らせてぼんやり1時間も過ごしていて、会議にでかけても目がとろんとし、話しかけられても、「よろしきように、(勝手に)お取りはからいください」と、言ったきり。ううぅ~。

 やはり余は、ディオゲネス症候群に、もうはまっているのだろうか。
 木幡も葛野も、人がみればクズみたいな模型やPCや本や雑誌で、足の踏み場もない。
 やはり、そうなのだ。
 病名がわかって、胸のつかえがとれたので、さあ、今日の昼食は上等なところで、上海かに玉ランチにでもしよう。
 数日前には、松茸ご飯とカキ土手鍋をいただいたら、900円もかかった!

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2007年11月21日 (水)

昭和の鉄道模型をつくる(10) ミニ手動ポイント(PL140-30)

承前:昭和の鉄道模型をつくる(09) ストレートレールとカーブレール(レール三昧)

10:ここまで完成(~10号)

10:ここまで完成(~10号)

10:絶妙の外周レール
 ようやく10号までそろいました。ここまで来るとレール・レイアウトも完全になって、それらしく電車が走る雰囲気になってきました。
 ええ、もちろんこういうレイアウトは簡単にみえて、10号までの情報で組み上げるのは余程の熟達者か、数学的に空間を自在に操れる人以外は無理でしょう。
 私は、このレールを敷くのに結局、次次号12号の記事をこっそり先読みして、組み上げたのです。綺麗さっぱり、すべてのレール部品が所を得ました。余りなし!
 思えば、よくこんな微妙なレイアウトを設計なさったものですね。
 (最近、PCを利用したレイアウター・ソフトを手にしました。それを使うと、画面上で組み上げていけます。しかし、難しいことに変わりはないです。ソフトの操作じゃなくて、どんなレイアウトを想定するかという問題です)

10:部品と工作

10:ミニ手動ポイント PL140-30
10:手動ポイントの裏側
10:完成したポイント(レール分岐点)

 今回の部品はレールの分岐点、ポイントでした。次号で、これを手動から電動にする仕掛けが付いてくるようです。この手動ポイントの詳細は写真をクリックされればメモがあります。多分、現実のポイントもこういう仕掛けなんでしょう。最初の鉄道が出来た頃、よくこういう仕掛けを思いついたものですね。二本の線路を重い機関車が、さっと別の線路に移るのですから。
 想像したのですが、こういう仕組みは鉄道が生まれるまでは、人類史のどこにも無かったのではないでしょうか。ゼロから想像したのか、なにかが自然界にあって、そのアナロジーだったのか。人類はすごいものです。

10:AtoZ:レイアウトのプランニング

10:AtoZ:レイアウトのプランニング
 この世界では、線路をどのように敷くのかということを、レイアウトと呼んでいるようです。一般に、そこに景観がきっちり組み込まれるとジオラマと呼ぶようです。
 小さなNゲージ世界(例:40センチx60センチ)に、どのように線路を敷いて建物や山を組み込めば、臨場感がたかまるのか、奥行きの深い模型世界が創られるのか、そういうことの原点にレール・レイアウト設計の楽しさがある、そんな記事でした。
 初心者は、適切な参考図書を読んで、事例を知らないと、なかなか設計出来ないようです。私も、そう思いました。

10:昭和の鉄道模型を作る

10:昭和の鉄道模型を作る
 <TETSUMO(鉄模)の達人>は、ライブスチーム(エンジン)、つまり蒸気機関車だった。名古屋で鉄道模型ショップ「ケン」を開いている駒田健(60)さんが幼稚園で子供達を乗せて走っている写真があった。私が興味を持つジオラマとはおもむきが異なりますが、水を沸騰させて蒸気をため込み、細い管から吹き出させてその力で軸を回すという蒸気機関、それは夢のような世界です。燃料は伝統的に石炭が多いようですが、木炭であれアルコールであれ、プロパンガスであれ、水を湧かせればよいということになりそうです。
 実はこういう話は、私も以前から見聞きしてきました。名古屋市の北の辺りで「欠伸軽便鉄道 弁天ヶ丘線」も走っています。こうなると、オモチャとか模型とは思えません。デザインがどれだけディフォルメ、自在に変形されていて、漫画チックになっていても、蒸気で汽車が動き、電気で電気機関車が人を乗せて走るのですから、驚嘆する技術だと思います。
 <駅ものがたり>では昨年撤去され保存された「赤い三角屋根の国立駅」の話でした。立川と国分寺の間の駅だから、国立とは、当時の人も愛嬌があるというか、ふふふの世界です。作家の山口瞳さんが駅からのびる幅44メートルの「大学通り」を「日本一美しい大通り」と誉めたそうですが、その起点になる駅は今、どうなったのでしょう。
 <鉄道廃線跡>は、信越本線碓氷峠区間のラックレール使用「アプト式」坂道登坂工夫跡の記事でした。この碓氷峠(うすいとおげ)の線路は、1000メートルあたり約67メートルの高低差があって、普通では上れないようです。廃線前には2両もの電気機関車で特急「あさま」を押し上げる方式になっていたようですが、私はラック・ピニオンという歯車の方式を用いたアプト式にとても興味があります。最近、鉄道模型の知り合いにうかがったとき、Nゲージでもアプト式があると教えられて、小躍りしました。

10:未来の図書館、過去の図書館
 図書館は、郊外か、町中か。こういうテーマを考えてきました。
 ジオラマを造る場合も、このことを忘れてはなりませぬ。

 もちろん、昔の評語「ポストの数ほど図書館を」を思い出すと、郊外か町中かの論議よりも、そこら中、コンビニ並みに図書館を、が普通の考えかも知れません。
 ここでの話は、赤いポスト図書館ではなくて、郵便局で言うと本局、拠点になるような、しっかりした図書館を、予算集中型でつくるとしたら、どちらがよいかという話です。

 現在の私の想定では、嵯峨嵐山嵯峨野あたりのジオラマですから、当然図書館はおそらくJR嵯峨嵐山駅、つまりトロッコ列車の始発点あたりにくるわけです(笑)。もちろん、嵐電(京福電鉄)の嵐山駅近所でも良いわけです。そこなら天龍寺境内にでっかい駐車場もありますから便利です(ただし高額です、終日千円ですから、図書館利用者の割引無料化などを交渉しなくては)。

図書館の立地(Mu近未来図書館葛野研究所案)

(京都府京都市右京区嵯峨天龍寺車道町)

 ここで郊外図書館、町中図書館の論議を交えると若い読者が、辛気くさいと逃げ出すので、それは後日。要するに、嵯峨嵐山あたりが郊外なのか、町中なのかという論議が先にくるわけです。しかしそれも後日。まだまだこのシリーズは終わらないのです。

 過去の「情報図書館学」での設計仕様には、コンセプトとして「鉄道列車図書館」「観光地図書館」「歴史図書館」「温泉図書館」などがいつも人気を博しているので、当研究所でも、これらの複合図書館を目指しています。すると、全国くまなくさがしても、この嵯峨嵐山ほど最適な土地はないのじゃないかと、私はひそかにほくそ笑んでいるのです。もう、コンピュータの、webの、インターネット、ディジタルテキストなどと古くさい概念は捨てましょう。図書館は、生涯をゆたかにする公共機関でなければならないのです。マシンそのものでは、人生を救えないのです、諸君! インターネットなんかは、図書館に電気がついてトイレがあるくらいのノリで設計しましょう。
 (つまり、ウリになるのは、温泉湯煙足湯図書館! それこそ大切なのです。嵐山には本当の温泉があるって、諸君、知ってるかぁ?)

 館内地下ホームからトロッコ列車にのって、ガッタンゴットン、ゴトゴト走る列車で惨劇のミステリー読書、ふと目を外に向けると、おお、謎の保津峡・川下り船が迫ってくるぅ~。
 「Mu近未来の図書館ジオラマ」、ますます、現実性が高まってまいりました(爆)。

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2007年11月20日 (火)

小説木幡記:2007/11/20(火)日記

 秋は大好きな季節だが、それにしても昨日そして今朝は寒い。大晦日とおなじくらいの様子らしい。あたたかくしているが、ときどきクシャミをしたり、ぶるぶると身体が震える。
 格好のよい話ではないが、夜間の防寒は、毛糸のナイトキャップをかぶり、首にタオルをまいて首筋の冷気をさけて、靴下をはいて眠る。特に最後の靴下は、「なんて、格好悪い」と思う人も多かろうが、まあ、やってみなさい。身体の芯まで温まる。
 昼間は背中にぺったんカイロを一枚貼っている。すると終日ぽかぽかする。木幡書斎では別に、電気座布団を椅子に敷いているが、これが「熱い」。だから、スイッチをいれて数分経つと消している。別にこわれているわけじゃなくて、余の尻の皮が薄いだけだろう。

 木幡研には、実は暖房らしい暖房はない。なにか知らぬ間に家訓のようなものがあって、こたつなんかをつかうと終日寝てしまうから、部屋はいつも冷蔵庫状態に保っている。そして、ガス暖房、石油暖房はこの数十年使ったことがない。わずかに、クーラーが冬は温風をだす仕掛けだが、それは余の書斎だけ20度程度に設定しているだけだ。
 ところが、そうそう、便器。これはすでに温度設定を31度くらいにしてある。冷たくはないが、温かいわけでもない。さらに風呂の湯温はようやく先週から42度にした。

 と、記していると、なんとなく贅沢している気分になってくる。
 遠隔地学生が10/11人という倶楽部の者達の話をそれとなく聞くと、まったく暖房を使わない人もいるようだ。多分、オーバーを着て勉強しているのだろう、と想像。京都に4年間も遊学するのはお金がかかるから、孝女たちは切り詰めている。
 で、余の研究室や屯所は、28度cくらいにはすぐになるが、屯所は大抵25度か、あるいは暖房が入っていない。多分、遠隔地学生達は鍛錬のために大学でも寒冷にしておくのだろう。すばらしい若者達だ!

 と、寒いの暑いのは浮き世のこと。夏は京都盆地の蒸し風呂を楽しみ、冬は嵯峨野の愛宕おろしを肌で味わう。これが四季にめぐまれた日本の過ごし方なのだ。

 と、さらにいろいろ書こうとしたが、どうにも空腹なので、筆を収める。
 そうだ、秋だから。最近は三食頂いても、それでも空腹になる。もちろん各食の量は、人様の半分程度だから食べ過ぎにはならないが。
 今日は、たっぷりした鴨なんばを昼に食する予定だ。
 葛野仕事はますます緻密に長時間かかるようになってきているので、せめて鴨なんばで英気をやしなおう。

 よく眠り、よく食べて、よく一人笑いしている。欠けた物は、あとはお金だけだね。
 人の幸も不幸も考えようによっては、どうにでも思えることが多い。
 ともかく、宿題が苦しく、そしてほにゃらと楽しい毎日だ。
 うむ。
 宿題がない世界はどこにあるのだろう。常夏のマリネラ王国か、それともペンギン村か。
 宿題のない近未来の図書館、これだね、決まった!

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2007年11月19日 (月)

小説木幡記:2007/11/19(月)加齢の賜

 今朝は4時に起床。最近はイチゴジャムが食卓にのっているので、朝が快適。つまり、イチゴ一個一個が原形を保っているので食べ応えがある。さすがに、林檎ジャムともなると、スライスしたものになるが、西欧の賜、ジャムは好みだ。

 最近木幡漫画博士から、立て続けに古い「美味しんぼ」を読むように言われた。彼は、余の心身を見計らって、ちょうどよい漫画を「これ、どうぞ」と言ってくれる。二週間ほど前には、ブラックラグーンの最新号だった。これは謎々してきてよかった。
 「ヨルムンガンドは、まだかね」
 「ええ、買っておりません」
 つまり、ブラックラグーンは、今の余に似合っているが、ヨルムンガンドは今は読まなくてもよい、というご託宣だな。(こういうセリフは、一定年代の、一定マニア専用)

 先日の美味しんぼは、総菜料理の極みだった。なかなか、ウンチクが深くてたのしめた。
 少なくとも、この20年近くの余の漫画世界は、木幡漫画博士と江戸のエドルン君がレファレンス・ライブラリアンだった。ここ数年の、浦沢直樹世界は葛野漫画博士の手引きもあった。
 ともに、記して感謝するところなり。

 それで、華麗の、いや、鰈の、そうじゃなくて、加齢の賜(たまもの)話。
 ひとにもよろうが、余は加齢と共に落ち着いてきた(失笑:つまり、昔をしらない君たち、昔はこんなもんじゃなかった!)。
 日々安定し、よく睡れるし、怒りが爆発しても、「失せろ、辞めろ、消えろ!」の3言程度で、意識を別のレールに載せるようになった。たまに激怒、憎悪するようなことに出くわしても、相手をみて「ふん、こいつも、すぐにオシャカになるよ。馬鹿め」と、思えば、すっと気持がおさまった。
 ↑まだまだ、だね。こういう内奥の嵐が、瞬間でも吹き荒れるのは。
  でも、十年、二十年前に比べると、凪のような心(水)面だ。

 もちろん、自分よりも若い、特に学生達には、そういう言葉もでてこない、まるでマタリンにかまれた程度のことだよね。孫やひ孫を相手に喧嘩もできないよ。

 さて、そこで。
 昨日、近所の模型屋にでかけて、いろいろ見てきた。結局一万円弱を使ったのだが。その一万円の感覚を、今記しておこうと思った。なにを買ったかはあえて記さない。

 少なくとも、30歳ころまでは、そういう買い物は気楽に出来なかった。そのころには子孫が二人もいたから、金銭的な困窮は激しかった。自分のほしい物は、すべて遠い世界に輝いていた。もちろんそんな時に、なんの役にたつかわからないPCを当時50万円もの分割払いで買ったのは、現在なら、ベンツとは言わないが、小さくて家族も乗せられない俊足のスポーツカーを買うような思い切りだった。

 で、加齢の賜は。
 現在だと、一万円弱で、ほしい物は買えるということ。その一万円を使っても、あんまり悲壮な思いにおそわれないということだ。手頃な店でのフレンチとかイタリアン程度だな。ガソリン代の一ヶ月分だな。携帯電話の二ヶ月分。広辞苑二冊分。教授会忘年会の会費だね(なんと、お安い!)
 豊かになったとも言えるし、お金を使う場が極端に少なくなったということだろう。

 そりゃそうだ。
 電話も手紙も年に数回。木幡と葛野ルートを外れるのは、小一時間の近江ドライブ程度。
 一体、余はどんな日々を過ごしているのか。
 交際費がゼロに近い。
 金のかからない仕事して(接待とかないからね)、昼寝して、夜寝して、そこそこのお総菜をいただいて、ときどき読書して、ときどき模型を造って、ときどき考える。

 これも加齢のおかげじゃ~。
 若ければ、……。想像すると厭になる。
 若さを売り物にする人は、それでよいのだが、二度と繰り返したくないこれまでの道のりだ。おわりよければすべてよし(爆)。
 そして、また、今、若い人達の将来を思うと、なぁ~。大変だろうね、しっかり生きれば、やがて極楽往生できますよ。

格言
 若さは輝いているが、決してよいことばかりじゃない。
 加齢はくすんでくるが、決して悪いことばかりじゃない。
 それぞれの生を、味わい深く、楽しみましょう、ぞ。

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2007年11月18日 (日)

NHK風林火山(46)難攻不落の小田原城

承前:NHK風林火山(45)桶狭間の謎:勘助の謀略

 今夜の副題は、「鉄壁の小田原城に散ったガクトの恋」とでもなろうか。

その小田原城

神奈川県小田原市城内

1.武田信玄の戦仕立ての僧形
 今宵の一番の見どころは亀さん信玄に軍配が上がった。白装束の襟のあたりが首にまとわりついて、亀が首をすくめたようなお姿だった。それが実に似合っていた。いいようもないほど斬新な着付けだった。
 もちろん信玄公の姿を後世のわれらはそのように、どこかで植え付けているから、余計にぴったりおさまったのだろう。

2.勘助と香坂虎綱:牧城と海津城
 ところは牧城。香坂は、次の川中島の戦で、諏訪勝頼の初陣を心待ちにする勘助を諫める。すなわち、次の戦で武田が必勝とは言えない事情をるる語り、武田の血を絶やさぬ為に勝頼の、八幡原(川中島)の城から出陣することは止めるべきだと進言した。これは武田家の血筋が絶えるほどの戦闘を予測した発言だった。

 武田はこれまで謀略によって長尾景虎と戦ってきた。その根底には、景虎が武田領国を占領する意志を持たないという、勘助の見極めによって成功してきた。もしも、まともに戦ったなら、負けていたはずだった、と香坂弾正虎綱はかつての師匠の勘助に言う。
 勘助は憮然とした。しかし、痛いところを突かれて、香坂の叡智を再確認したはずだ。

 八幡原に海津城が出来たとき、そこの城代になる香坂は、勘助に城の造りの巧みさと、完成を祝っていた。しかし勘助は、この城が守りの城ではなく、景虎に勝つための城だとさとす。そして、香坂が34で独身であると確認し、彼に山本の家に訪ねるようにいう。勘助は香坂に渡したいものがあるようだ。それはおそらく、兵法とそして武田の今後の策であろうか、いや、それとは違うかも知れない。

3.ガクト政虎と驕(おご)り
 名前が次々と変わるので、ガクトにしておこう。鎌倉で正式に上杉の後を継ぎ、関東管領となって、長尾景虎は今後上杉政虎となる。

 さて。
 ドラマでは、ガクトの驕りの帰結として、関東武士の成田が下馬しなかったのを怒り、ガクトは彼を引きずり下ろし打擲(ちょうちゃく)した。
 なぜそうなったのか。
 ガクトは成田の妻を人質として、小田原城攻撃に連れてきている。三日で城を落とすと言ったが、無理だった。長引く包囲戦に、ガクトもいらだったが、成田も同じなのだろう。
 人質は「伊勢」と名乗り、京都から成田に輿入れした。ガクトの亡き母にそっくりだと、周りの武将達は囁いていた。
 そこで。
 伊勢にそれとなく「あなたは神仏ではありません」と諫められたガクトは、単身小田原城門の50m程前まで行き、弓矢や鉄砲が雨のように注ぐ中で、どっかり座り込み持参の酒を飲む。もう、そこでガクトは普通ではなかった(笑)。
 要するに伊勢の美貌に惹かれ、彼女に恋してしまったガクトは、プライドを保つために無理をした。城が落ちぬのに、鎌倉の鶴岡八幡宮で上杉家相続の式もあげた。
 場面では、その帰り道に、成田が馬上のままガクトの輿を見物していた、となる。当然だが、伊勢は成田の妻である。
 ややこしい話だな。
 この間、宇佐美はガクトの増長に苦虫をつぶしている。「危ない」と、感じている。さて、どうなる。

*.疑問点
 自分で調べればよいことだが。このころすでに今川義元は信長に殺され、今川としては三国同盟の建前から、北条や武田の支援を仰ぎ、信長を討つのが自然だが、話は一気に関東と小田原に飛んでいる。
 北条氏康は、武田の援軍一万は飾りと分かっていても、上杉への備えとして良しとしている。一方、今川に対しては今川当主の援軍(来なかった)よりも、(今川家人質だった)松平元康が駆けつけてこないことを、一瞬だが、気にかけた。
 今夜も、風林火山、なかなか芸が細かいなぁ。

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2007年11月17日 (土)

昭和の鉄道模型をつくる(09) ストレートレールとカーブレール(レール三昧)

承前:昭和の鉄道模型をつくる(08) ストレートレール S140、S72.5

09:ここまで完成(~9号)

09:ここまで完成(~9号)
 いつものちゃんとした写真じゃなくて、雑然とほったらかしのレールが散乱しています。うまく行かなかったので、駅舎やホームは菓子箱にいれたままです。
 一体どうしたことでしょう。
 ここ数回はレールばかりで、工作の楽しみがなくなっていたので、こっそり次号(10)のミニ手動ポイントを先取りしてレールを敷いてみようとしたのが、この有様でした。
 なんというか、このキットは相当に高度なレイアウト、つまりはジオラマを設定してあるようで、いつもの雑誌本体に写っている写真は、単純なものじゃなくて、ものすごく奥が深かったのです。
 ここで、そこの忙しい貴兄に、はっきり、手短に(笑)申しましょう。
 このキットは、レールだけ集めても、それを全部使ってエンドレスにするのは、無理です! もとにつながらないのです。カーブが合わない、レールがあまるのですぅ~。
 さて、どうする、あなた。
 貴兄の机上も余ったレールで混乱しているのじゃないでしょうか。

09:部品と工作

09:ストレートレールとカーブレール
 部品と言ってもちいさいレールが合計で6本、全部単体で言うと完成品ですね。見ていて、18.5ミリの微妙な長さの二つが気になりました。二つ合わせて3センチ7ミリですね。どういう都合でこういう規格が生まれたのか、はたまたどこにこの二つを使うのか、謎は深まるばかりです。
 さて。
 Nゲージというのは線路幅が9ミリです。
 携帯電話と比べて下さい。実に小さいです。
 しかし、ここのところが難しくて、ある鉄道マニアの方にうかがったのです。その方もてっきりNゲージを手がけたことがあると思っていたのです。だから、同好のよしみと思って尋ねたのです。
 「9mmナローというと、Nゲージを作られた経験があるのですね?」
 「いえいえ、Nゲージなんて知りませんよぉ」
 「はあ? 9mmナローって、書いておられますよ」
 「それは、そうじゃなくて、スケールとゲージは違うわけです」
 「というと?」Muの目がとろんとしてきた、分からなくなったのだろう。
 「Nゲージという場合、Nスケールの9mmゲージのことです」明晰な答だった。
 なるほど、しかし。
 その人は日頃「9mmナロー」と話されているので、てっきりMuはNゲージ関係者かと思っていたら、「絶対にNゲージを手がけたことはない」とおっしゃるので、混乱してしまった。ナローというのは「狭い」だから、狭軌であって、その狭軌とは、普通のJRの線路幅よりも狭くて、森林鉄道のような特殊な車両で、しかし9mmナローはNゲージじゃない~、ああ、また分からなくなった、スケールとは車体縮尺のことなんだろうけど、ううう、全てはミステリィ。
 まあよかろう。分からなくても、そのうち電車は走る(笑)。

09:AtoZ:運転のトラブル対策

09:AtoZ:運転のトラブル対策
 まず、そう、まずです。
 いつもこの記事AtoZで勉強して賢くなってきたのですが、今回は冒頭に嘘というか、叙述トリックというか、編集と工作の食い違いがでてきた、と思いました。
 「本シリーズの2~8巻の解説通りにレールを組み、コントローラを正しく接続すれば、車両は問題なく動くはず。」
 これ、嘘でしょう。車両にモーターはないし、コントローラは25巻まで買って、応募券送って、やっと手にはいるのですからね。今はまだ9号。電気もモーターも無しで電車が走ったら、世界中が大騒ぎになる。嘘つき!
 レールも、この元・工作少年Muですら、組めないじゃないのぉ。
 と、もしかしたら文章のトリックじゃなかろうか(呪術じゃなくて、叙述トリック)、と冷静なMuは考えた。
 ~
 わかりました。
 珍しく、ミステリィの正解に気がついたのです。
 おそらく先頭の「本シリーズ」とは、本誌全体を指すのじゃなくて、AtoZコーナー記事だけを指しているの邪郎。
 ところで、肝心の「運転トラブル」対策ですが、ようは、注意深く扱えば動く、マメに掃除しなさい、レールは丁寧に接続しなさい、ということでしょうね、編集長!

09:昭和の鉄道模型を作る

09:昭和の鉄道模型を作る
 <TETSUMO(鉄模)の達人>は、9ミリ・ナローじゃなくて、HOゲージです(Muは、まだ分かっていないようです)。疋田潤(ひきた)さん47歳、ひさしぶりにお若い方です。40代で若いというのだから、この世界は年季が必要なんでしょうね(笑)。
 掲載写真はドイツの風景と、ドッグボーン式の単線エンドレスという、またしても、Muが立ち往生しそうな線路形式でした。これは、もう、鉄道模型世界は精密な学問世界そのものですなぁ。鬼道とか舶載鏡とか陪冢(ばいちょう)とか「造り出し」世界以上のものです。相当に学ばないと全貌を理解できないままに、おさらばする危険もありますね。
 「部屋の壁面を利用し再現したドイツの田舎町はすでに人口600人。基盤はプロに注文し工作や運転に集中した」と、惹句にありました。その通りの記事でしたよ。
 この方は、背丈が二センチに満たない人形600体に、虫眼鏡で見ながら彩色されたのだと思います。気が遠くなりそうですね。でも、ヨーロッパ調の汽車とか町並みに、人形がとても似合っておりました。

09:未来の図書館、過去の図書館
 さてこの間、ジオラマ記事をネットで眺めたり、過去にマニアの人の家で写した秘蔵の鉄道模型ビデオを見たり、そして大津市の博物館に行って模型の建物や町並みをみたり、あるいは江戸東京博物館の厖大な模型写真を見返したりしていたのですが、結論として、図書館模型、建築模型、景観模型、つまりジオラマを自作するのは相当な根気が必要ですね。
 ジオラマ図書館はできるのでしょうか?

 しかしながら、この世にありそうで無い近未来の図書館を造らないことには、私の目的は果たせません。
 レトロ志向で行くなら、木の家、紙の障子、青畳に寺子屋風の机、広い座敷机。
 図書だけは、粘土板もやめて、パピルスも使わず、巻物じゃなくて、和装本じゃなくて、現代の洋装本にするとして。
 書庫はどうする。
 国会図書館関西間のように、全自動集密ロボット(?)書架にするのか。
 さりげなく、山積みしておくのか(笑)。
 目録は、昔の紙カードも部分使用はよいが、かさばりすぎる。そこは、OPACで行くしかない。
 う~ん、駄目だ。
 まとまらない。
 まあよかろう、あと41回も記事を書くのだから、そのうちに。

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応神天皇陵と二ツ塚古墳の関係

応神天皇陵 東側の外濠、外堤跡確認
 昨日朝(2007.11.16)の産経新聞に、応神天皇陵古墳のニュースがあった。
 記事の主調は古墳をとりまく二重濠がはっきりするような外濠と外堤が東側にも見つかったという点にある。これで応神天皇陵の規模がさらに拡大したことになる。
 記事では周濠の年代については言及がなかったが、以前に森浩一は「古墳の周濠は、~略~農耕用の溜め池」(参考1)の可能性があるから注意深く考えよ、と述べていた。つまり後世、近辺の農家が濠や堤に手を入れたかもしれないという注意である。
 可能性として全くの周濠新造もあり得ようが、この応神天皇陵の場合は知らない。むしろ濠を埋めて田畑にしていたというのが実情なのかもしれない。
 その上で。

 もう一つ注目すべきことが記事にあった。東側に隣接する陪墳(ばいふん)の「二ツ塚古墳」の特殊性を、白石太一郎(奈良大学教授)の解説を交えて指摘していたのだ。応神天皇陵および周濠・堤が、全長110メートルほどの前方後円墳(応神天皇陵よりも30~50年早く築造?)二ツ塚の位置を相当に配慮して築造された可能性を示唆していた。
 飛鳥の石舞台(多分蘇我馬子の墓)の周りには潰された古墳がいくつかある。普通は、後の古墳を作る人達は、じゃまな小墳は破壊するようだ。それが、この場合には、応神天皇陵全体が二ツ塚古墳を避けて、湾曲しているのが明瞭だという話だった。

 私はさっそく白石教授の図書を広げて見たのだが、残念ながら一般書(参考2)のせいか、誉田御廟山(応神天皇陵)の詳細や陪塚の二ツ塚古墳に関する箇所は見付けられなかった。

 ところで応神天皇陵の被葬者は応神天皇であると、安本美典(参考3)が書いていたので、私もそう思っておく。
 応神天皇時代に、応神天皇ないし後継者(仁徳天皇?)が応神天皇との関係をおもんぱかって、110メートルの古墳を潰さずに、応神天皇陵を湾曲させた被葬者はだれなのだろう?

 女性なのか男性なのか。有名人なのか無名の人なのか? 無関係なのか。
 考え出すと謎が深く、重くのしかかって来た。
 文献的には記紀を詳細に読んだり、伝説をさがしてみたら、分かるのかも知れない。
 大王の権威を曲げて作られた陪塚、二ツ塚古墳の被葬者、また新しい謎が気になりだした。

参考1:古代日本と古墳文化/森浩一 講談社学術文庫966
参考2:近畿の古墳と古代史/白石太一郎 学生社、2007.5
参考3:巨大古墳の主がわかった/安本美典 JICC(ジック)、1991.10

応神天皇陵東側の二ツ塚古墳:Googleの地図(写真)

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2007年11月16日 (金)

近江大津宮錦織遺跡(おうみ おおつのみや にしこおり いせき) 第1号地点 <現地篇>

近江大津宮錦織遺跡の景観 (おうみ おおつのみや にしこおり いせき)

近江大津宮錦織遺跡の景観 (おうみ おおつのみや にしこおり いせき)
 この日、11月の土曜日だった。三井寺のすぐ北にある大津市歴史博物館を見た後、宇治市木幡にはもどらず大通りまで出て北に向かった。近江神宮のあたりから比叡山を通る「山越え」道があって、そこから京都にすぐに入れるからだ。下りたところが左京区の北白川で京都大学がそばにあるから、便利だ。わざわざ南に下って1号線から逢坂を越えるのは気分的に遠く感じる。
 大通りをしばらく北行している途中、右手に標柱が見えた。
 不意だった。
 そのまま通り過ぎれば、すぐに近江神宮前の通りを比叡山に入る分岐点があるはずだった。 

史跡近江大津宮錦織遺跡 第1地点 (標柱)

史跡近江大津宮錦織遺跡 第1地点 (標柱)

史跡 近江大津宮錦織遺跡第一地点 (簡略案内板)
 いつのまにか道が細くなっていて行き違いが難しいところだったが、止めてバックして、車窓から標柱を眺めた。
 すると。
 大津宮という文字がやけに大きく目にはいた。そこは思った通り、長年「行ってみたい、しかし車で行けるかな、電車に乗って下りて歩いて迷うだろうな」とじくじく考えていた史跡大津宮錦織遺跡だった。しかも第1号地点と書いてあった。
 大津宮はぼんやりと高校生ころから想像していた。日本史を学んだことで、壬申の乱には興味を持っていた。京都からすぐ近くの滋賀県に都があったことも、その時から意識していた。しかしその頃から数えても長年、大津宮はまだ明確に遺跡が発見されていなかった。
 この第1号地点が発掘されたのが昭和49年で、さらにそれが確定的になったのは、昭和54年と記してあった。時間がかかるものだ。

詳細・案内板

史跡近江大津宮錦織遺跡 (案内板)
 国指定史跡になった頃に行けばよかったのだが、相変わらず日々判で押したような生活だったから、放念していた。その間、「ハレの日」には名神高速とか湖西、湖東の大きな道は何度も通って遠方へ出かけているのだから、多分、まだ頭の中の近江朝廷は蜃気楼のようなものだったのだろう。
 それが、不意に眼前に現れた。あわててハザードランプを点灯して、車をおりて、歴史博物館で使ったディジタルビデオを鞄からとりだして、外にでた。

大津宮中枢部

大津宮中枢部復元図

第1地点 遺構平面図 (大津宮錦織遺跡)

SB001(東から) 発掘中の大津宮錦織遺跡

SA001(北から) 発掘中の大津宮錦織遺跡

 もう少し、私自身の近江朝廷(大津宮)への由来を記しておく。
 つまり、いろいろな事情でこの数年、やけに近江関係の図書をよみだした。勿論、大津宮発掘関係もそこに入っている。しかし、読書というのは、目で活字をおって弱い脳で消化するだけでは、実体感がとぼしいというのか、相変わらず近江の都は幻だった。
 行きたい!
 発掘関係図書を読んでいても、読んだその時は残るのだが、会議や授業を終えたあとはどこかに溶けて消えてしまう。その繰り返しの中で、行くことを一番阻害した要因は実に単純だった。
 大津宮跡は、民家密集地の中にあって、なんとなくモニュメントらしき物もなくて、自動車だと駐車場がなくて、電車だと方向が混乱して、結局歩き疲れて帰る羽目になるのじゃなかろうか、という実に稚拙なほどの思考が渦巻いていたに過ぎない。
 これがでっかい寺社なら、飛鳥のように十分に整備されていたなら、……。と、別に滋賀県の悪口じゃなくて、まだ滋賀県も大津宮で糊口をしのぐほどには、遺跡を意識されていないような雰囲気なので、つまりは行きそびれていた。
 今日のところは、現地篇というところで、まずは行ってみた、幻(私だけの事情だが)の大津宮、その錦織二丁目近辺の写真を掲載しておく。解説篇はビデオたっぷりで、また後日にでも。

地図

滋賀県大津市錦織二丁目付近

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2007年11月15日 (木)

小説葛野記:2007/11/15(木)戦いすんで日が暮れて

 今日も一日、戦(いくさ)があったわけでもないが、ごく平穏な一日だったが、こうして日が暮れてくると「今日の戦が終わった」という感慨が身内を満たしてくる。

 朝は二つ授業があって、共同演習の「中間発表」という行事だった。発表が終わると各班や、助勤二人、そして余が、どれかの班に札入れする。プレゼンテーションの優劣を判定する班や助勤もいるし、完成を見越しての先行投資もあるし、内容を理解した上で札入れする場合もある。

 現実の図書館の活動は、理論家が理屈で言ったとおりにもならないし、かつまた衆愚政治でもあるまいし「たのしい、うれしい」だけのサービスで評価されるわけでもない。いつもゆれがあって、ほどよい所におちつくものだ。共同演習で各班ががんばっているプロジェクトも、余ひとりが「これこそ、理論にそった、すばらしい作品」と、言ったところで、利用者でもある司書卵学生がそっぽをむくかもしれない。現実の評価とは時間によっても変化する。今日のよいサービスが明日もよいとは限らない。

 午後は重い会議が二つあった。ひとつは委員長。まずまず、終えた。 
 もう一つは、報告拝聴がほとんどだった。が、難しい問題が多い。
 答えが出そうにない懸案事項がいっぱいある。

 すべて終わった今、ぐったりしている。
 そういうものなんだろう。
 自分自身のこととしても、悪手をうたず、眺める・見つめる、客観視するという秘策をねるのだが、見えてこないことも多い。情報不足というよりも、やはり、近未来といえども、未来は見えないものだ。こうすれば、こうなると予測はたてても、そうはならず、思いもよらない道に迷ってしまう。

 大学とは、何であるのか。教員とはどうあるべきなのか。
 そういう原理原則を考えるいとまもなく、世間が動き、組織が動き、自分が動く。
 ふむふむ、生きている限り、確信を持った生を歩むのは、難しいな。

 ともかく、ここらで一眠りしましょう。

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2007年11月14日 (水)

四十五万アクセス(45万/全体76.7万):MuBlogの分析

承前:四十四万アクセス(44万/全体74.6万):MuBlogの分析 (前回:2007.10.27)

本日観測日→ 2007/11/14(水)16:30 
MuBlog単独 累計アクセス数: 450,373 創設以来一日平均: 336.85
  MuBlog 記事数:1,235 コメント数:3,755 トラックバック:938
サイト全体 累計アクセス数: 767,657  創設以来一日平均: 574.16

↓以下、解析対象期間: 2007年10月15日(月) ~ 2007年11月13日(火)

(1)ページ別アクセス数:1ヶ月分:MuBlog のみ

アクセス数: 18,419
訪問者数: 13,500
解析ページ 訪問者 アクセス
1 トップページ 1,034 1,922 7.7% 10.4%
2 小説木幡記:2007/10/24(水)茶々・和央ようか・伏見桃山城 534 774 4.0% 4.2%
3 NHK風林火山(41)さよなら由布姫・柴本幸 325 455 2.4% 2.5%
4 NHK風林火山(42)なぜ高野山?勘助と景虎 299 410 2.2% 2.2%
5 涼夏2007PCの自作 (3)マザーボード(GA-G33M-DS2R GIGABYTE社) 263 358 1.9% 1.9%
6 NHK風林火山(43)関東管領上杉謙信・信濃守護武田信玄 242 337 1.8% 1.8%
7 昭和の鉄道模型をつくる(04) ホーム 236 336 1.7% 1.8%
8 NHK風林火山(39)第一次川中島の景虎と晴信 193 303 1.4% 1.6%
9 昭和の鉄道模型をつくる(03) 駅舎(面影橋駅) 189 265 1.4% 1.4%
10 小説葛野記:2007/10/25(木)食の好みと世間の好み 179 259 1.3% 1.4%
11 NHK風林火山(24)晴信の妄念とガクトの妖艶 192 246 1.4% 1.3%
11 涼夏2007PCの自作 (8)RAID設定(WindowsXP)とグラフィックスボード 142 246 1.1% 1.3%
13 涼夏2007PCの自作 (1)アクリルケースとファン、電源 172 245 1.3% 1.3%
14 地図の風景 204 223 1.5% 1.2%
15 涼夏2007PCの自作 (7)配線とアクリルケース 113 207 0.8% 1.1%
16 ノート・パソコンのハードディスク交換、取り扱い処方 130 201 1.0% 1.1%
17 涼夏2007PCの自作 (4)グラフィックスボード(EN8600GT SILENT/HTDP/256M)ASUS 120 188 0.9% 1.0%
18 昭和の鉄道模型をつくる(05) 交番・詰め所・公衆便所 120 184 0.9% 1.0%
19 室町和久傳(むろまち・わくでん) 117 181 0.9% 1.0%
20 昭和の鉄道模型をつくる(02) エンドレールと直線レール 120 168 0.9% 0.9%
21 昭和の鉄道模型をつくる(06) カーブレールC140(180°セット) 116 158 0.9% 0.9%
22 涼夏2007PCの自作 (6)CPU:Intel Core2 Duo Processor E6600 85 157 0.6% 0.9%
23 NHK風林火山(40)三国同盟よりも由布姫の去就 109 151 0.8% 0.8%
24 CPU空冷装置・換装のお勧め・SAMURAI-Z 76 148 0.6% 0.8%
24 涼夏2007PCの自作 (5)メモリ:A-Data社 DDR2 SDRAM PC2-6400 ADATA 1GB & Heat sink 111 148 0.8% 0.8%
26 浦沢直樹の「20世紀少年」は「21世紀少年」で終わったのか 113 145 0.8% 0.8%
27 Prius(日立製ノートパソコン)のハードディスク交換 117 138 0.9% 0.7%
27 みたかのもりじぶり:三鷹の森ジブリ美術館 125 138 0.9% 0.7%
29 NHK風林火山(17)由布姫の慟哭 113 137 0.8% 0.7%
30 NHK風林火山(44)影武者が必要な武田信玄(晴信) 100 131 0.7% 0.7%
31 自作鉄道模型 99 129 0.7% 0.7%
32 NHK風林火山 93 128 0.7% 0.7%
33 ti voglio bene : t.v.b (リストランテ ティ・ボリオ・ベーネ) 94 126 0.7% 0.7%
34 NHK風林火山(45)桶狭間の謎:勘助の謀略 96 120 0.7% 0.7%
35 昭和の鉄道模型をつくる(01) 車両 モ1031 81 115 0.6% 0.6%
35 私の京都:四条大橋と三条大橋の美味しいところ 90 115 0.7% 0.6%
37 NHK風林火山(32)山本勘助:景虎と宇佐美の思惑 89 108 0.7% 0.6%
38 涼夏2007PCの自作:目次とまとめ 76 106 0.6% 0.6%
39 じょうしょうこうじ:常照皇寺 78 101 0.6% 0.5%
40 CPU空冷装置・掃除のお勧め 62 98 0.5% 0.5%
41 自作PC 62 96 0.5% 0.5%
42 NHK風林火山(18)由布姫の決意 66 94 0.5% 0.5%
42 さくらだ:桜田 76 94 0.6% 0.5%
44 京都の書店 76 91 0.6% 0.5%
45 昭和の鉄道模型をつくる(07) カーブレールC140(180°セット)その2回目 70 90 0.5% 0.5%
46 読書余香 76 85 0.6% 0.5%
47 枝魯枝魯(ぎろぎろ)の一夜 72 80 0.5% 0.4%
48 涼夏2007PCの自作 (2)ハードディスクとDVDのセット 54 74 0.4% 0.4%
49 ふしみももやまじょう:伏見桃山城 47 71 0.3% 0.4%
49 【少しずつ進める癖/森博嗣】への共鳴感 64 71 0.5% 0.4%
51 昭和の鉄道模型をつくる(08) ストレートレール S140、S72.5 49 70 0.4% 0.4%
52 HD(ハードディスク)の直付け増設のお勧め 62 69 0.5% 0.4%
53 NHK風林火山(26)殺戮とガクト 52 67 0.4% 0.4%
53 甘樫丘東麓遺跡(あまかしのおか・とうろくいせき)と蘇我入鹿邸跡 43 67 0.3% 0.4%
55 ノート・パソコンのハードディスク保守(シャープのメビウス・ノート) 53 62 0.4% 0.3%
56 NHK風林火山(30)海と鉄砲 40 61 0.3% 0.3%
56 NHK風林火山(31)真田幸隆の謀略 50 61 0.4% 0.3%
58 古いノートパソコン・再生のお勧め:SONY-Vaio(2000年)に外付けハードディスク 56 60 0.4% 0.3%
58 NHK風林火山(38)村上義清の妻・玉ノ井 46 60 0.3% 0.3%
60 私の京都:ブックファースト京都河原町店 39 57 0.3% 0.3%
61 Blogメモ 54 55 0.4% 0.3%
61 美味しいところ 49 55 0.4% 0.3%
63 NHK風林火山(37)上杉謙信その前夜 46 53 0.3% 0.3%
64 NHK風林火山(20)勘助の心、由布姫の心 37 50 0.3% 0.3%
64 卑弥呼の墓(003)邪馬台国への道/安本美典 35 50 0.3% 0.3%
64 小説葛野記:2007/11/01(木)秋ですね 36 50 0.3% 0.3%
67 最古の前方後円墳(邪馬台国?)東田大塚古墳、矢塚古墳 32 49 0.2% 0.3%
67 卑弥呼の墓(006) 邪馬台国がみえてきた/武光誠 41 49 0.3% 0.3%
67 姑獲鳥の夏:うぶめのなつ(映画) 38 49 0.3% 0.3%
70 ミホミュージアムの秋 38 48 0.3% 0.3%
70 酒船石遺跡(さかふねいし・いせき)のベニバナ 31 48 0.2% 0.3%
72 図書館司書採用試験問題概説:県立図書館・関西・200702 43 47 0.3% 0.3%
72 少年司書ロボ0号(04) プチロボXの両足(お笑い短足・扁平足) 34 47 0.3% 0.3%
72 少年司書ロボ0号(05) プチロボXの胸と頭 35 47 0.3% 0.3%
75 ヴァンパイア・レスタト/アン・ライス 41 46 0.3% 0.2%
76 小説木幡記:2007/10/27(土)ただの話です 35 45 0.3% 0.2%
77 NHK風林火山(33)道安(内野・勘助)絶体絶命 35 44 0.3% 0.2%
78 辨慶うどん 31 42 0.2% 0.2%
78 ながればし:流れ橋(上津屋橋) 25 42 0.2% 0.2%
80 勤王志士・古高俊太郎邸跡と、しる幸:私の京都・河原町通{四条→三条} 34 41 0.3% 0.2%
80 イナイxイナイ:Peekaboo/森博嗣 (X1) <感想文:真空管一本> 36 41 0.3% 0.2%
80 ふしみぶぎょうしょ:伏見奉行所跡と魚三楼 28 41 0.2% 0.2%
80 Santa Monica Beach : サンタモニカ・ビーチ 38 41 0.3% 0.2%
84 オーパーツ大全 : 失われた文明の遺産/クラウス・ドナ、ラインハルト・ハベック共著 32 40 0.2% 0.2%
84 スマート珈琲店(京都・寺町)のホットケーキ 32 40 0.2% 0.2%
86 NHK風林火山(19)笛を吹く由布姫 28 38 0.2% 0.2%
87 四十四万アクセス(44万/全体74.6万):MuBlogの分析 27 37 0.2% 0.2%
88 注文の多い料理店 (アニメ)/宮澤賢治 原作、岡本忠成 脚本・演出 27 36 0.2% 0.2%
88 北方謙三『水滸伝』一「曙光の章」 30 36 0.2% 0.2%
88 要塞飛鳥と蘇我入鹿:甘樫丘東麓遺跡 21 36 0.2% 0.2%
88 NHK風林火山(36)小山田の横死と美瑠姫の自死 33 36 0.2% 0.2%
88 小説木幡記:2007/11/11(日)休日の夕方 26 36 0.2% 0.2%
93 卑弥呼の墓(005) 邪馬台国は古代大和を征服した/奥野正男 31 35 0.2% 0.2%
94 前方後円墳の航空写真 21 34 0.2% 0.2%
94 MuBlogへのご招待 30 34 0.2% 0.2%
94 もりしょう:そうめん処・森正 21 34 0.2% 0.2%
94 ベニバナ(紅花)と邪馬台国 26 34 0.2% 0.2%
94 JO記事『クエ料理 九絵家(大阪)』のこと 29 34 0.2% 0.2%
94 北方謙三『水滸伝』十八「乾坤の章」 28 34 0.2% 0.2%
94 邪馬台国 27 34 0.2% 0.2%
94 自作ロボット 31 34 0.2% 0.2%
102 『蛇神祭祀』(はむかみさいし)の連載 14 33 0.1% 0.2%
102 登喜和(ときわ)のステーキと春の京北周山町 18 33 0.1% 0.2%
102 NHK風林火山(35)由布姫の懊悩と誇り 28 33 0.2% 0.2%
102 桜の森:佐野藤右衛門邸の桜 26 33 0.2% 0.2%

(2)ワード・フレーズ:1ヶ月分:MuBlogのみ

(以下、G(google),Y(yahoo),M(MS) 以外の、

「検索ワード」自体へのリンクは管理用ですので、利用できません)

集計対象アクセス数:9,992
検索ワード/フレーズ 割合
1 GA-G33M-D S2R  G Y M 175 1.8%
2 昭和の鉄道模型をつくる  G Y M 139 1.4%
3 風林火山 ガクト  G Y M 121 1.2%
4 昭和の鉄道模型  G Y M 120 1.2%
5 由布姫  G Y M 104 1.0%
6 和央ようか  G Y M 100 1.0%
7 じぶり  G Y M 94 0.9%
8 昭和の鉄道模型を作る  G Y M 92 0.9%
9 和央ようか 茶々  G Y M 55 0.6%
10 常照皇寺  G Y M 49 0.5%
11 鉄道模型を作る  G Y M 47 0.5%
12 桜田 京都  G Y M 45 0.5%
13 伏見桃山城  G Y M 41 0.4%
13 甘樫丘  G Y M 41 0.4%
15 柴本幸  G Y M 36 0.4%
15 ミホミュージアム  G Y M 36 0.4%
17 伏見桃山城 和央ようか  G Y M 33 0.3%
17 gackt 浅茅原  G Y M 33 0.3%
19 和央  G Y M 32 0.3%
20 伏見桃山城 和央  G Y M 31 0.3%
20 うぶめのなつ  G Y M 31 0.3%
22 プチロボX  G Y M 30 0.3%
22 ガクト 風林火山  G Y M 30 0.3%
24 じょうしょうこうじ  G Y M 28 0.3%
25 CPU 掃除  G Y M 27 0.3%
25 風林火山 姫の死  G Y M 27 0.3%
25 わくでん  G Y M 27 0.3%
25 高橋志保 写真  G Y M 27 0.3%
25 伏見桃山城 茶々  G Y M 27 0.3%
30 和央 茶々  G Y M 25 0.3%
30 昭和の「鉄道模型」をつくる  G Y M 25 0.3%
30 ぎろぎろ  G Y M 25 0.3%
30 森博嗣 名古屋大学  G Y M 25 0.3%
34 京都 書店  G Y M 24 0.2%
35 ぎろぎろ 京都  G Y M 23 0.2%
35 女優 柴本 幸  G Y M 23 0.2%
37 真田幸隆  G Y M 22 0.2%
37 和央ようか 撮影  G Y M 22 0.2%
39 佐野藤右衛門  G Y M 21 0.2%
40 森博嗣 名古屋大学 退職  G Y M 20 0.2%
40 昭和の鉄道  G Y M 20 0.2%
42 京都 桜田  G Y M 19 0.2%
42 京都 大型書店  G Y M 19 0.2%
42 和央 撮影  G Y M 19 0.2%
42 楊令  G Y M 19 0.2%
42 九絵家  G Y M 19 0.2%
47 レスタト  G Y M 18 0.2%
47 山本勘助 由布姫  G Y M 18 0.2%
47 ガクト  G Y M 18 0.2%
47 ノートPC VAIO 修理  G Y M 18 0.2%
47 鉄道模型をつくる  G Y M 18 0.2%
47 アクリル PCケース  G Y M 18 0.2%
53 GA-G33M-D S2R   G Y M 17 0.2%
53 ηなのに夢のよう  G Y M 17 0.2%
55 GA-G33-DS2R  G Y M 16 0.2%
55 上津屋橋  G Y M 16 0.2%
55 秘花  G Y M 16 0.2%
58 茶々 和央ようか  G Y M 15 0.2%
58 京都の書店  G Y M 15 0.2%
60 内野聖陽  G Y M 14 0.1%
60 京都 ぎろぎろ  G Y M 14 0.1%
60 小川コーヒー  G Y M 14 0.1%
60 スマート珈琲  G Y M 14 0.1%
60 ga-g33m-d s2r  G Y M 14 0.1%
60 和央ようか 伏見  G Y M 14 0.1%
66 長尾真  G Y M 13 0.1%
66 ガクト 景虎  G Y M 13 0.1%
66 プルート 浦沢  G Y M 13 0.1%
66 ガクト 上杉謙信  G Y M 13 0.1%
66 SAMURAI Z  G Y M 13 0.1%
66 プチロボ  G Y M 13 0.1%
66 東映 茶々  G Y M 13 0.1%
66 風林火山 由布姫  G Y M 13 0.1%
66 NHK 風林火山  G Y M 13 0.1%
75 HD 増設  G Y M 12 0.1%
75 北方水滸伝  G Y M 12 0.1%
75 十三の冥府  G Y M 12 0.1%
75 リストランテ ティ・ボリオ・ベーネ  G Y M 12 0.1%
75 モ1031  G Y M 12 0.1%
75 しる幸 京都  G Y M 12 0.1%
75 椿井大塚山古墳  G Y M 12 0.1%
75 魚三郎  G Y M 12 0.1%
75 石塔寺  G Y M 12 0.1%
75 キラレ×キラレ  G Y M 12 0.1%
75 高野山 勘助  G Y M 12 0.1%
86 風林火山  G Y M 11 0.1%
86 貝多羅経  G Y M 11 0.1%
86 弁慶うどん  G Y M 11 0.1%
86 PCケース アクリル 自作  G Y M 11 0.1%
86 京都 しる幸  G Y M 11 0.1%
86 美瑠姫  G Y M 11 0.1%
86 平城京 地図  G Y M 11 0.1%
86 緒方拳 宇佐美定満  G Y M 11 0.1%
86 東映 和央ようか  G Y M 11 0.1%
86 安本美典  G Y M 11 0.1%
86 室町和久傳  G Y M 11 0.1%
97 水滸伝 site:http://asajihara.air-nifty.com/mu/  G Y M 10 0.1%
97 猫町 京都  G Y M 10 0.1%
97 あまかしのおか  G Y M 10 0.1%
97 t.v.b 京都  G Y M 10 0.1%

(3)アクセス地域1ヶ月分:MuBlogのみ

集計対象アクセス数:4,434
都道府県 割合
1 東京 1,072 24.2%
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22 滋賀 34 0.8%
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30 沖縄 23 0.5%
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33 富山 20 0.5%
33 岩手 20 0.5%
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36 和歌山 18 0.4%
36 山口 18 0.4%
39 熊本 17 0.4%
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40 徳島 15 0.3%
42 長崎 14 0.3%
43 青森 12 0.3%
44 鳥取 11 0.2%
45 宮崎 10 0.2%
46 高知 8 0.2%
47 佐賀 4 0.1%

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2007年11月13日 (火)

小説葛野記:2007/11/13(火)ほっとした夕方の葛野研

 五時を過ぎてようやくほっとしたところで、鉄道模型記事を記そうとしたのだが、さすがに極早朝から種々手をうごかしてきたので、いまやぐったり、ほっとしよう。

 しかし、明日も明後日も授業と会議、しかも強烈に重い会議が重なるので、鉄道模型も少年司書ロボも卑弥呼の墓も、近江宮跡も渡来人も、読書感想文も、書けないねぇ。そうそう、それにMuBlog アクセスも今夜あたりキリになりそうだし、……。なかなかに、貧乏暇なし。

 というわけで、ふたたび、ほっとしよう。次々と、次の予定をロボット的にこなすのは、しんどい。頭も目も肩も手も、そして神経も、疲れる。
 有能な人とか、成功した人は、きっと襲いかかる懸案を、つぎつぎとちぎっては投げ、投げてはちぎって、こなしていくのだろう。

 余は、これでよかろう。
 と、ふぅ~と意識が遠のいていくような、実に安楽というか、気持ちがよい。この、ぼんやりがなければ、どれほど人生が辛かったろう。いやいや、辛いけど、お金もないし暇もないし脳もないし、でも生きておる。だから、この意識消える直前のようなあえやかな心象風景を大事にしよう、ぞ。

 ところで。
 今日は、だいぶ仕事がはかどった。二科目の来週用の講義資料も完成した。だんだん、あっさりしたものになってきていると自画自賛(それでぇ~ですか、センセ!)。おお、そうだよ。大切なことだけを、ちゃんと伝えればそれでよし。と、思ったのだが。授業は生き物。どんな風になるのか、楽しみだ。ふふふ。
 (いや、ごく普通の授業です。それを近頃めざしているのです。淡々と)

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2007年11月12日 (月)

少年司書ロボ1号(1) タンサーボーグの組立

 最近ロボットについて考えていたところ、バンダイロボット研究所が一昨年あたりに出したタンサーボーグ(TansorBorg)という、一見玩具のような虫型のロボットに気がつき、内容を十分に考えた上で入手した。
 実は、このキットは、ネットタンサー(NetTonsor)という無線LANを使った相当に複雑というか高度な機能を持ったセットの一部である。虫型だけを独立して入手することもできるが、まとめて手にした。
 全てを話し込むと、複雑になるので、今回はその虫型部分(タンサーボーグ)の概要について記しておく。

タンサーボーグのテスト走行
Testtsbavi
動画1(Mac&WIn)ダウンロード testTSB.mp4 (3755.7K)
動画2(Windows)ダウンロード testTSB.wmv (3318.0K)

タンサーボーグ(TansorBorg)のセンサー群

タンサーボーグ(TansorBorg)のセンサー
 タンサーボーグの特徴は「センサー」にある。つまり人間にたとえるならば、目や耳や触のことである。
 そのことは、自律型ロボットの原型を意味する。
 そしてキット全体の「ネットタンサー」まで含めると、簡単な視覚まで持っていて、それが無線LANで操作できるのだから高機能ぶりがうかがえる。
 自律型ロボットの要素として、現在の主流「人型二足歩行ロボット」の場合は、ジャイロセンサーというのを用いて、安定した姿勢を保つ、そういう機能が普及している。軍用にさえ転用される高度なヘリコプターの自律制御の原型である。
 タンサーボーグの場合には、そういった運動機能を向上させるよりも、純粋に五官の一部をシミュレートする方向に力を注いでいる。
 具体的には、赤外線を照射し、その反射によって前方障害物を感知し、あらかじめ組まれたプログラムに従って、回避(後退、右折、左折、停止など)することができる。他にもサウンドなど様々なセンサーが組み込まれている(写真をクリックされたし)。

タンサーボーグ:TansorBorgの部品一式

タンサーボーグ:TansorBorgの部品一式

動力本体部と制御基盤
 タンサーボーグは組立キットだが、組立自体は少年司書ロボ0号での「プチロボX」組み立て(参考1)のような妙味はない。つまり、工作に重点は置かれず、次号あたりで掲載予定の「センサー情報を処理するプログラミング」に目的がある。
 このあたりにこのキット、そして視力を備えた「ネットタンサー」まで含めたセットの大きな目的があると言ってよい。バトルなど運動機能の華麗さをロボットで実現するのではなくて、自律型ロボットの原型を確認することに目的がある。だから、複雑な工作は二の次で、「自律ロボット・プログラミング」の実習をするために、生まれたと言って過言ではない。見ていて、私はそう思った。
 (ここでの自律型ロボットとは、センサーによって多様な外界情報を受け取り、それを疑似AIシステムによってどのように処理すれば、あたかも意志あるごとく振る舞うのか、という意味で使っている)

センサーであふれたタンサーボーグ

タンサーボーグの側面

タンサーボーグの正面

側面(右側)の明暗センサー

ラインセンサー:床下の明暗感知

 写真のような様々なセンサーを実際にプログラミングする場合、この「タンサーボーグ」単体では、画面上にフローチャート(流れ図)を書き、そこに分岐を多様に組み込み、もしもセンサーAがこの値ならば、左右車輪を高速で回し、30センチ前進させる。
 あるいは、一定レベルの音を感知した場合には、右車輪を前転させ、左車輪を後転させ、その場で信地転回をせよと命令する。
 このような、様々なセンサー受容器からの信号量を計り、分岐を多用することで自律走行、自律行動を可能としている。それらが、グラフィカルに流れ図を描くことで、プログラミングできる。
 この点については、次号で掲載予定。

参考1
 少年司書ロボ0号(01) プチロボXの概略(MuBlog)

追補
 少年司書ロボ0号(プチロボX)と、今回の少年司書ロボ1号(タンサーボーグ:ネットタンサー)とは並立したものです。
 0号では、人型二足歩行ロボットという、複雑な多数サーボモータの連携操作を実際にシミュレートし、この1号では多様なセンサーからの情報を処理することで、自律型ロボットの外界情報連携操作をシミュレートするものです。
 両者はいずれ、統合されるものですが、現在はそれぞれが黎明期なので、それぞれの要素を個別に実体験するほうが、実り豊かだと考えました。

 0号の歩行や運動についても、メーカーがサンプルとして提供するスクリプト以上のものを作るにはそれなりの経験が必要です。また、この1号のシステムはプログラミングについては比較的分かりやすいものですが、センサーを見かけ上並列して処理する体験はまだ私にはないので、これもある程度基礎を体験する必要があります。

 この点で、虫型・タンサーボーグ単体ではなく、無線LANを操るネットタンサーまで同時に扱うことも考えましたが、これは人知れず(笑)、とてつもなく高度な機能を持っているので、基礎を固めておかないと、メーカー提供のサンプル実行だけに終わる危険性さえあります。
 基本的にしっかりしたシステムを、設計思想以上に多様に使いこなすには、やはり、(能力・年齢的にも)年季が必要だと考えた次第です。
 今後、じっくりMuBlogロボット記事をお楽しみください。

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2007年11月11日 (日)

NHK風林火山(45)桶狭間の謎:勘助の謀略

承前:NHK風林火山(44)影武者が必要な武田信玄(晴信)

桶狭間がどこにあるのか

桶狭間古戦場伝説地 (愛知県豊明市栄町南舘11)

 今川義元(谷原章介)と山本勘助(内野聖陽)とは最初から、勘助が仕官を探している頃から、犬猿の仲だった。義元が勘助を異様に毛嫌いしていた記憶が多々ある。大抵は義元の母・寿桂尼や雪斎の仲立ちで勘助は救われてきた。そして、実は義元にとって、母や雪斎は自分をいつまでも子供扱いする、重石のようなものだった。

 今夜の勘助の謀略は謀略と言い切れない微妙なところがあった。
 1.今川義元の娘は、武田信玄の嫡男の嫁。
 2.その息子の婚儀よりずっと前から、義元のところへは信玄の姉が嫁いでいた。
 3.北条、今川、武田は三国同盟を結んでいる。

 以上の三点だけからみても、表面上、勘助が今川の不利益になるようなことを、表だってするはずがない。そういう背景のなかで、勘助は織田の立場にたって、織田がどのような行動をするかのシミュレーションを行った。その結果として、織田は寡兵だから清洲城に籠城することはあり得ない。織田は今川義元へ奇襲をかける以外にはない。奇襲となれば、場所の選定が難しい。平野のど真ん中でよりも、山間僻地、道がせまい桶狭間あたりになる。信長は盛んに斥候兵を桶狭間に使わして調査をしていた。
「だから、着いたらすぐに清洲城を攻めなさい。途中うろうろと桶狭間辺りで休憩しなさんな」という意味の忠言をした。

 この勘助の想像は、後智慧にはなるが、現代人にも納得の行く結論だった。
 その、状況全体を勘助は寅王丸の後始末をたずさえて、義元に会い言上する。雪斎ならば、その言をよしとするだろう。しかし、義元は違った。義元は、断じて勘助の意見を取り入れる大将ではなかった。理由は、最初から勘助を「見苦しい、汚い」と意味もなくさげすんできた延長線上にあった。まして、せっかく取れた重石の雪斎までを勘助が引き合いにだして、自説をのべるものだから、もうそこで運命が決まったようなものだった。

 桶狭間の戦いは多くの物語にあるので、どなたのフィクションかはしらないが、信長は、あるいはその関係者は、桶狭間付近の百姓・村長たちを抱き込んで、彼らに酒や肴を大量に用意し、彼らの口から義元に休憩を勧めたという話もあった。大軍の驕りもあって、そこに酒食が重なれば、あっけなく2千程度の兵に本陣まで踏み込まれたのも、あり得る話であろう。

 ここで、ドラマの中では聞き損じたが、義元の首だけが駿河に戻った。まあ、それはよかろう。
 松平元康(後の家康)は、さっさと本貫地の岡崎城にもどってしまった。

 今夜の心理戦は、ドラマが初期段階から、義元の勘助に対する独特の反応の仕方を克明に描いてきたので、勘助がああいえば、こうなるのは火を見るより明らかなことだった。
 だから。
 このドラマの脚本は、良くできていると思った。

コラム・桶狭間の戦い
 時は永禄三年五月十九日。といえば、1560年ですから、関ヶ原の戦い(1600)の丁度40年前の話。
 所は愛知県の豊明市となっていますが、地図の南西800m(名古屋市緑区桶狭間北)にも桶狭間古戦場公園があって、ちと分かりにくいです。しかしこのあたり一帯が「桶狭間」なのでしょう(笑)。正確に言うと桶狭間の中の「田楽狭間」となるのですが、これがまた遠隔地の者にはよくわからない。
 なんとなく、本家争いになりそうな歴史模様です。
 実際に立ち寄って、Muが眺めれば、ぱっと霊感「ここや、ここに金印がある!」となるのでしょうが、そうする気力がありません。

 信長軍は2~3千くらいで、今川軍は2万5千の兵を擁したようです。今川が兵十倍だったわけです。本拠地駿河(静岡)、遠江(浜松)、三河(岡崎)からの兵だから、後日徳川家康の本貫地だったところを、今川義元は全部占有していたのでしょう。

 今夜のドラマでは、今川義元が上洛のために、尾張の城を取りながら西進したとなっていますが、事実はいろいろ説があって、有力なものでは、義元は尾張という旧領を失地回復するために駿河を出たに過ぎないというものもありました。

 ただ。昔からフィクション、映画や小説で今川義元が京風好み、公家文化好みという印象が強いので、Muは結局「上洛したかったのだろう」と思っております。母親の寿桂尼も京都の女だし、やむにやまれぬ心のうずきのようなものです。駿河に居る限り、権勢を誇り、文化を嗜んでも、それらが京都や権力象徴のまがい物であるという心の影は、消しようがありません。

 逆にだからこそ、その昔、源頼朝は京から離れた鎌倉に幕府を開いたのでしょう。頼朝は京都を自分から突き放すことで、武家の統領として、都風から独立したのだと考えています。

 歴史をいろいろ細密に掘り起こすことは学問として大切なことですが、大きな流れの中で、一人一人の個性によって、流れがひっくり返ることはあると思っています。あらゆる古文書や証拠品で歴史を固めるのは絶対に必要なことですが、人の突拍子もない願望や潜在意識は、なにも残さずに、激しい行動を引き起こすこともあるでしょう。そのあたりのことは、フィクションに頼るよりしかたないです。

 そう言えば、信長さんに関する記録は、今で言うフィクションとノンフィクションの混合のようです。
 そう言えば、土方歳三さんと沖田総司さんは同じ新選組に居たのは歴史でしょうが、二人が仲良しだったのは司馬遼太郎さんのフィクションらしいです(笑)。しかしなお、仲良しでなければ、あんな危険な毎日を幹部として顔つきあわせるのはしんどいことだし、早々とどっちらかが粛正されていたかもしれませんなぁ。

 それにしても、神仏を信じず敬わぬことが後世の悪名ともなった信長さんは、桶狭間へ飛び出す途中、熱田神宮で戦勝祈願をしています。人の心は、多分、本人にもようわからぬものなんでしょう。歴史。

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小説木幡記:2007/11/11(日)休日の夕方

 今日はめずらしく好い休日になりました。
 やってみたことは、ぼんやり、山積みのダイレクトメールをゴミ袋に、散乱している技術系図書のカバーを全部ゴミ箱へ、未開封雑誌の封切り数十冊(笑):一種のダイレクトメール様式が多いな、そしてぼんやり、そろそろ夕風呂。

 そうそう、昼は「好きやねんラーメン」を鍋にいれて、卵もいれて、長ネギを手でちぎって、ラーメン鉢には味の素少々に醤油をたらたら程度(ちょっと和風味が欲しかったので)、できあがりにとろろこんぶひとつかみ、うまかったな。

 これまでずっと日曜は、読書したりblog書いたりしていたので、いい加減に飽きたし、一番疲れるのが日曜日なんだと、この数週間気がついてきたので、上の仕儀。おおそうか、余は日曜作家だったから、こんなに疲れる休日だったのだろう。しかし、日曜作家を止めると、今度は極早朝作家になるなぁ。まあ、その方が部屋も片づく、身体も休まる。しばらくは極早朝にシフトして、日曜はぼんやりと、掃除に励もう。

 作家の森博嗣先生(先生というのは嫌みじゃなくて、あの方は本当に先生なのです(謎))がいつぞやblogで「平日作家」と自称されていた。余も極早朝作家と名刺に書くと、人によっては平日作家と思う人がでてくるかもしれない。困ったな。この、平日と極早朝との間には越えられない溝というか、海峡があって、名刺に一行ではよく伝わらない可能性もある。ふぅ、困ったことだ。しかし名刺裏面にながながと、その違いを書くのも面妖なことよのう。
 ちなみに、ジェームス・ジョイスは、高校の先生をしていたはずだから、多分極早朝作家だったのだろう?

 ところで。
 日曜の仕儀はかくあいなったのだが、今度は土曜がこまったことになった。先々週と昨日土曜日、余はRSのハンドルを握って近江へ行った。もちろんビデオやカメラや眼鏡や餓死せぬほどのパンやお茶やをもって出掛けるわけだ。昨日は大津の歴史資料館へ行ってばしばし撮影した。そして意外にも、まず自動車では見付けられない、行けないだろうと数年前から考えていた近江宮旧跡を、なんの因縁か、見てしまった。いやつまり、走っていたら見つかったのだ。そこへ行こうとしていたのではない(市街地の真ん中だから、徒歩じゃないと行けないだろうと諦めがあったから)、そうではなくて、向こうから目にとびこんできたのだ。「ここ、近江宮跡です、見てください!」とな。

 いや、これほどの奇遇はまたとない。
 いや? そうでもない。若年時から稀にはあった。図書でも人でも、プロジェクトでも、こういう遺跡でも、長年そのことを考えていると、向こうからパッと現れる。そう言うときは、あとあとまでそれが良い結果をもたらす。自分で意識して熱心に追跡したものは、大抵どっかへ飛んでいってしまう。なかば無意識、無念無想状態の時に良きものが手に入る。
 うむ。

 それで。
 要するに、土曜日の近江行きだと、近くだから、大抵は昼を京都でとって、午後早くに葛野に到着する。もちろん、昨日は葛野で山なす宿題と、これも奇縁、たまたま知り合いが講演会にでていたので、拝聴。約1時間だったが、数年分の感性とか知識をえた。まさにラッキ~、だった。

 土曜日には近江へ行こう、という良い習慣だが、これ気をつけないと、やれ木之元、敦賀、ついでに福井とか、結局ものすごく疲れた土曜日になりそうなので、今から注意しよう。
 予定では湖東と湖西、最北は彦根・長浜、高島を限界にしましょう。それなら、名神高速道の利用で、午後には葛野か木幡に帰還する。
 ガソリン、高いな。木幡→近江八幡→葛野、これで130キロある。10リットルで、1500円にもなるぞ。高速道路代もかかる。昨日のように大津市あたり、三井寺、近江神宮近辺だと、少し楽だ。だから昼は北白川の茂平で天蕎麦定食をはりこんだ。だし巻き付き! 開店の11時で客は余一人。大津が木幡や京都とどれくらいに近いかがよく分かる脳。

 と、つらつらと、想念を書いていると疲れがでてきたので、夕風呂。
 おあとは、赤ワインとラムの塩焼き、そして勘助の謀略、桶狭間の謎。ところで、本当に山本勘助が桶狭間の戦いに一口かんだのだろうか、ちょっとね。おもしろすぎるドラマ展開だな。

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2007年11月 9日 (金)

小説木幡記:2007/11/09(金)女達と男達の誤解・MuBlogの休載日

 今朝MuBlogの投稿カレンダーをみてみたら、水木と二日間もお休みしていた。先月は31日間全部書き尽くしたので、二日も休むと20日間も休んだ気分になってきました。
 なんとなく休んだわけですが、今朝起きたら、なにか投稿しておいたほうが良いな、と思うようになって、ついふらふらとキーボードに向かいました。

 小説木幡記も葛野記も、鉄道模型も、ロボットも、卑弥呼の墓も、職場のことも、読書感想文も、脳が飽和状態になっているのでしょう。
 これはよいテスト状況だと思っています。
 多くの方は、職場のことやお付き合いや、家庭のことでときどき飽和状態になって、気持がぷっつんと途切れて、くしゃくしゃとその場にたおれこんでしまうのでしょうね(笑)
 ロボット君は電源をいれておくとシャッキリと立っているのですが、切ると、へなへなと崩れ落ちるのですよ。そういうイメージを今、思ったのです。

 最近はオクラというぬるりとした野菜に、なにかしら甘みのある醤油たれをかけて毎晩食べています。これは美味しいですね。新発見。
 毎日、コンビニで野菜ジュースを買って飲んでいます。100円前後ですが、6種類くらいあって、色ががいろいろです。黄色、緑、紫、まざったの~。毎日、どれを選ぶかが楽しみです。紫のが好きですが、公平にまんべんなくお付き合いしております(笑)

 昔読んだ心理学系なのか、精神分析学系なのか、忘れたのですが、学術教養書で、「男性は断ち切る、女性は包み込む」という例え話を思い出しました。象徴話なんですが、父親は母(妻)と子供の間柄をバッサリ断ち切る。母は出来のよい子も悪い子も風呂敷みたいな気持で、包み込む。穴が空いていたら、せっせとふさぐ、~。そんな話でしたな。

 そこから話が飛んで、地図を読めない女達、話を聞かない男達、と想念が進んでいきました。前者は数名の学生(女性)達がまとめてよってかかって、余に立ちふさがって攻めてきたわけです。

 自分でもうっすらとは分かっていたのですが、学生達の考えや言い分を聞いていると、「これほど、長きにわたり、余は学生達(おんな達)を、理解していなかったのかぁ」という驚きでした。
 そしてさらに聞いてみました。
 「じゃ、君らは、余の申すことがわからなかったのか?」
 「はい、センセの理屈を理解できる学生は、多分ほんのちょっと、でしょうね」
 そこで、爆笑がおきた。
 みんな「そうだ、そうだ」という顔つきでしたなぁ。

 要するに、余は長きにわたり、1+1は2であることを、授業で教えることに専念してきた。
 しかるに。
 おお、恐ろしい、学生達は、それがもし、1+1が5の方が快適な日には、あっさり、きまえよく「1+1=5」の世界を取る。そしてお互いに、そういうアバウトな感じがわかっているから、理屈では他の女達の論理をけなしたふりするが、「しょうがないな、あの子は、いま「1+1=-6」の世界にいるんだから、しかたないよね」と、内心うなずく。お互いに。

 これは衝撃的な、事実でした。
 どれほど、衝撃的だったかは、筆にすることもできません。

 逆にいうと、この20年弱、余が教壇で言っていた屁理屈を、毎年毎年、秀才学生達は「しかたないよね、センセはそういう考えなんだからさ」と、包み込んできたというのか、諦めてきたというのか、そういう実情に、この歳になって確然と、悟らされた昨日午後だったのです。ショック。

 男も女も、「人間」と認められています。その違いは、女に男性ホルモンが沢山ふりかけられて男性になった程度の違いかもしれません。しかし、その後、20年もすぎると、育てられたのか、育ったのか、男も女も実は異なる人間になっていたのかも知れません。

 そう言えば。
 最近、夕食時にTVで「月のクレータ」を眺めていて、余が感動のあまり箸をおとしかけたら、となりから「やはり、Muと私は、違うね。確かに感動するけど、私は、なんかごろごろ石があるね程度だけど、Muは人生の深淵に落ち込むほど、感動するんだね」という会話が、何の気無しに、無意識にあった。

 個々の違い、そして男性・女性の違い、文化の違い。
 そうなんだ。違いがあるから、おもしろく、豊で、人生が楽しい。
 違いを大切にしよう。

 しかし、余が30年以上あたためてきた、RDBMSにおけるインデックス・インバーテッド、1対1関係、唯一性保持コード、という基本的な考えが、「それはセンセの屁理屈だ」、という考えの違いを、受け入れるのは、なんかね、ものすごシンドイことだな。

 一方、学生達も数年後、オジキの世界、わけのわからん組織論理、どうしょうもない世間に船出していくんだ。どっちもどっち、しんどいことだ。

 だから、これからは余も違いを楽しむ技を身につけよう。
 そして、学生達(おんなたち)にも、違いを楽しく味わう教育をしよう(と、また屁理屈がはじまった!)。

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2007年11月 6日 (火)

昭和の鉄道模型をつくる(08) ストレートレール S140、S72.5

承前:昭和の鉄道模型をつくる(07) カーブレールC140(180°セット)その2回目

08:ここまで完成(~8号)

08:ここまで完成(~8号)
 近頃はレールばかりなので、先回は写真を休みました。今回は真円レールや直線レール、それにホームと列車を写してみました。奥の方にあるのは菓子箱入りの駅舎や交番です。なにしろ完成は来年ですから、小箱にでも入れておかないと無くなりそうです。
 こうして眺めていると鉄道模型における線路は重要だと感じました。当たり前なのですが、これがトロリーバスだと線路が無くて、たしか架線だけ一本あって、景観が引き締まりません。
 「線路」という言葉には、このレールどこまで続く日本中とか言うように、あるいは貨車一杯のいいわけとか、ともかくウチの村に線路を敷いてくれ、とか意味が深くて広いです。
 昔の米国西部劇だと、線路と蒸気機関車と、ネイティブと、騎兵隊と開拓民で物語りが成り立っておりました。

08:部品と工作

08:ストレートレール S140、S72.5

08:望遠で写したホームとレール
 部品のレールは直線が長短2セットありました。今後、カーブとストレートと分岐ポイントなどを組み合わせて、小さな空間にエンドレス線路を将来敷くことになるのです。その部品が着々と集まってきているのです。すばらしい(笑)。
 さっき、ディジタルビデオの修理が終わって戻ってきたので、その3Mピクセル静止画機能を使ってみました。SONYのビデオ関係はなんとなく「暗い」雰囲気なのですが、今回の鉄道模型にはレトロな画質で似合っているかもしれません。右側の写真が、少し離れて光学10倍のズームアップで撮った物です。このにじみ具合がたまりませんね。

08:AtoZ:レイアウトを始める前に

08:AtoZ:レイアウトを始める前に
 今週の話題は二つありました。
 一つは、プラスとマイナスを持ったレールが、円だけなら、相互にショートは起こさないが、ポイントその他複雑なレイアウトを目指すと、必ず+部分と-部分とがぶつかって、ショートしてしまう。写真の左上は青と赤のペンで線路を描いた場合、+-がぶつかるのがよくわかる。これをさけるために「ギャップ」というものを設定する。つまり、ある部分を絶縁してしまうわけです。
 もう一つは、ここが今後一番私の気になるところですが、ジオラマ作りの基本、レイアウトボードの話でした。一枚板(ベニヤ板が多い)の上に、線路を敷いたり、山や川を作る。後者の山などの起伏の基本が、発砲スチロールらしい。私の古い記憶では、紙粘土といって、新聞紙を細かく刻んでノリでぐつぐつ煮詰めたものを使ったことがありますが、現代はそういう方法ではないようです。
 なお、板は小振り(40x60程度かな?)の物を使って、それをモジュールとして、何枚か組み合わせる方法もありますね。

08:昭和の鉄道模型を作る

08:昭和の鉄道模型を作る
 <TETSUMO(鉄模)の達人>は、これまでのところ私がもっとも惹かれた作品でした。というか、こういうものを作られるようになったなら本望だという意味です。私も、それなりに趣味趣向傾向がありますからね(笑)。 
 達人は横浜市の市川利勝(66)という方です。お仕事はなんらかの「編集事務所」らしいです。遠い横浜のことは知りませんが、馬車道とかいう地名は知っているので、もしそのあたりなら「探偵さんだ」と勝手に想像しました。(読者は怖いですね。なにを想像するかわかりませんもの)
 記事の惹句を引いておきますと「風景写真のセンスがジオラマに姿を変える。その色にこだわる草木のスペシャリスト」。この惹句を本誌掲載写真を見ながら読んだとき、うおーっと雄叫びを上げたのです。こ、こういうのがジオラマで実在するのかぁ~。ちょっと、衝撃の映像でした。
 本誌写真の題材は「枝垂れ桜」でした。中央本線の長坂-小渕沢間にあるとのことです。桜も絶景ですが、それに見とれる7人ほどの人形も絶妙でした。うむむのジオラマですよ。そうそう、そばにローカル特急がちゃんと走っておりました。
 なお記事を良く読むと、市川さんはジオラマ教室の先生でもあるようです。
 作品にはA3とかB4サイズの小型ジオラマが多く、それをつなげていく「セクション・レイアウト」と言う方式のようです。私は上述で「モジュール」としましたが、この世界では「セクション」と言うようですね。
 うん。
 このジオラマを見ると、京都市右京区の嵐山や渡月橋や天竜寺や嵯峨野や愛宕山や大覚寺や広沢池や、そして嵐電(京福電鉄)やJR嵯峨野線やトロッコ列車や、そしてそして愛宕山ケーブルの復元や、……、ついでに前方後円墳や、巨大図書館や、桜に紅葉。なんだか、頭がパンクしそうになってしまいました。
 この「枝垂れ桜」ジオラマ、これって、私の運命(さでめ)なんでしょうか。

08:未来の図書館、過去の図書館
 先回の07では、形ある図書館や紙の図書を残すために、手で「文字」を書くことに重ねてその意味を説き明かそうとしましたが、そのまま論を進めるとおそらく、誰も読まない難解ねじれた、ある種のファンダメンタリズムに陥るので、一旦止めておきます。
 論立てとは、特定の人であっても読んでいただかないと、無駄なことですからね。
 原理原則を細かく記していくと、大抵は、読む気力のなくなる記事になるものです。
 で、今は。
 言葉で残すよりも、今後は「形で残そう」そういう魅力ある図書館を作ってみよう! という実に単純な気持ちがこれまでになくふくらんできたのです。転機は、多分今回の「枝垂れ桜ジオラマ」なのでしょう。
 とは言っても。
 こういうジオラマを作る自信はまったくないのですが、想念の中に明瞭に形をなしてきたのです。
 未来なのか過去なのか、それすら今は明確ではないのですが、場所は嵐山・嵯峨野にします。それを、葛野図書倶楽部2001が存続する2011年までかけて、作ってみたいですね。
 怖ろしいことに、倶楽部員のたむろする屯所は、毎年図書スペースを片隅に追いやられ、嵯峨野ジオラマに陣取りされていくことでしょう。
 そうして、毎年少しずつ月曜1限目の情報図書館学「近未来の図書館を作ろう」でお披露目していくのです。と、夢と希望がふくらんで参りました。 
 さきほど、さっそく。
 初代以来の葛野図書倶楽部2001「ご隠居データベース」を眺めていたのですが、おりました。一人、超精密ミニチュア作成の天才(笑)が。二番隊長2003。強そうです。佐野藤右衛門邸の枝垂れ桜を再現する力量があるご隠居です。メールを送ることにしました。
 さて、……。
 倶楽部を作っておいてよかったです(爆笑)。

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2007年11月 5日 (月)

小説木幡記:2007/11/05(月)雨でした

 今日は午後遅くに雨になりました。夜雨になったので、秋雨という風情はなかったのですが、ますます秋らしくなってきました。

 今日は午前中二つの授業をしました。頃合いの出来具合でした。日頃充分準備はしていくのですが、大抵はその通りになりません。機器の不具合とか、喉のかすれとか、学生達の意外な反応とか、ほんとうに現実世界は生き物です。でも、頃合いでよかったです。マズッタ、と思った日は、終日胃痛がします。本当です。

 午後は、以前から発注していた図書の入荷がありました。と、そう書けば終わりなのですが、それほど急いではいないが確実に欲しかった図書が午後すぐに着いたと知らされて、半分喜び、後の半分は「もっと、急いでいるのは! まだなのか~」と、無関係な秘書さん達に当たり散らしました。「早く、電話してください!」と言ったのです。

 そう書けば、秘書さん達を勝手に使役するひどい教授とおもうでしょうね? そうとられてもしかたないのですが。実は、あはは、電話かける勇気がない、つまりまったくめったに電話しないから、恐怖。さらに、人様にクレームをぶつけるなんて、そんな野蛮なことはしたことがない。だから、慣れた人に頼んだわけです。

 ところが。
 まさに、秘書Aさんが電話をかけようとなさったとき、別の秘書Bさんが曇ガラスの人影をみて、「あら!」。まさしく、あら、でした。担当の方がわざわざ図書を持参してくれたのです(営業日ではなかったのです)。狂喜。

 そのあと、落ち着いて授業の準備に入りました。それも一週間先の今日の授業科目でした。物事が発生した時点で、たたきつぶす! これが人生の極意なのです。さすれば、後は寝て過ごせるのです。あははは。長生きしそう。

 そんなこんなで、いつもの時間、いつものように木幡に帰り、いつものようにワインを飲んで夕食でした。
 もう、寝ようとおもったのですが、助勤の一人から水曜日授業の細かなスケジュルがメルで届いたので、それをあれこれ眺めてから、白河夜船状態にはいるつもりです。

 と、秋の夜長の読書~などもよいのですが。
 残念ながら、四季をとおして、夜はすぐに眠ります。
ではまた明日。

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2007年11月 4日 (日)

NHK風林火山(44)影武者が必要な武田信玄(晴信)

承前:NHK風林火山(43)関東管領上杉謙信・信濃守護武田信玄

1.軍師・宇佐美の謀略
 勘助が主人公なのだ。だから、主人公の勘助がどのように陰惨な謀略を用いても、見ている者はその陰惨さや悲劇から身をそらしてしまう。もしもそうでなければ、ドラマ自体があまりに暗いものとなり、暗いまま毎週毎週日曜の夜を通夜のまま過ごし、胃を痛める一年間となってしまう。そのようなドラマなら、年間50回も、だれも見なくなるだろう。

 しかし、宇佐美が平蔵を刺客(凶器は寅王丸)に仕立てたからには、そういう陰惨さや悲劇を、脇役だからこそ、正攻法として描いてしまう。それが今夜の信玄暗殺だった。
 セリフ中、信玄の嫡男義信が勘助を面罵したのが、事の背景を思い出させて気を重くした。

 「元はと言えば、山本勘助、そちがこの者(寅王丸)の姉(由布姫)にたぶらかされ、斯様な始末になったのじゃ」
 たしかに、そのように見えるであろう。ドラマの事実としては、由布姫は弟が駿河へ出家させられたのを知るのは後日になる。しかし、事の本質は、実は義信が言った通りだとMuは思った。

 勘助は、なにがなんでも由布姫を守ることにあった。だから、寅王丸の父、諏訪頼重との約束も、由布姫が自分の息子四郎を、寅王丸の頼りになる側近として育てたいという意志も、すべて投げ捨てて、当時の信玄と謀議を計った結果が、眼前にいる「事実を知って恨みに燃える」寅王丸を招いたわけなのだから。

 由布姫に勘助はたぶらかされた。外部の目にはそう写る。
 「たぶらかす」という言葉は難しい、由布姫もまた、勘助以外頼る者がなかったのだから、心の奥の奥の半分を、無意識に勘助に見せてしまっていた。勘助はそれに応じた。
 分かりやすく言うと、勘助・由布姫の共同謀議の結果が悲劇を招いた。
 そして、深いところで、それが事の真相だった。義信は、一見馬鹿若様に見えて、だからこそ勘助の痛いところ、急所中の急所を無意識に突いてしまった。

 今夜の謀略は人の心を操る本当の陰惨な謀略だった。だから、事の顛末を箇条書きにしてまとめておく。微妙な所を記すのは、筆が重くなる。

 ガクト・景虎:上京中留守
   軍師緒形・宇佐美
      ↓武田信玄謀殺の策を与える
     平蔵
      ↓そそのかす
     寅王丸(由布姫の腹違弟)
       駿河で出家「長笈」、諏訪家遺児
         諏訪頼重は晴信に切腹させられた。
         姉の由布姫は晴信から見捨てられ、諏訪に押し込められて死んだ。
      ↓
     寅王丸&平蔵←壽桂尼は甲斐への暗殺行を黙認
      ↓暗殺の機会
   寅王丸は(物語)僧として信玄側室のもとに出入り
   内野・勘助は平蔵を問いただす
   寅王丸、事件を起こす
 勘助は寅王丸を操った壽桂尼を憎悪

2.見どころ
 信玄、勘助、二人の坊主頭は違和感なく、以前からこのような姿だったと思わせるくらいに似合っていた。亀さん・信玄のぎょろりとした目、もみあげ、実在の武田信玄その人に感じられた。そして内野さんは、普通の時は、つるんとしたお顔だから、余計に隻眼・僧形が似合っていた。

 さて。壽桂尼さん。藤村志保さん。流れるように、人の心理のかゆいところと言うか、押すべきツボを、手際よく言葉で指圧していく、そういう老獪(ろうかい)さがひしひしと胸に伝わった。こういうことを真似をする爺婆をこれまで現実世界でいくたりか見てきたが、下手だね、底意や我意が丸見え。やはり素人は玄人俳優に及ばない。

 さりながら。ドラマ最後の、勘助の目だけを大写しした、壽桂尼への怒りについて一言。
 たしかに赤子の手をねじるように、寅王丸にあることないことそれらしく、ツボを押さえながら吹き込んだのは、壽桂尼だった。しかし、どうにも壽桂尼は嘘をついていない。解釈を微妙に今川側に偏向させたのはよく分かるが、嘘八百を吹き込んだのではない。

 だから。
 これは勘助と信玄の油断だったわけだ。今川の寅王丸を失念していたと言って良かろう。そこに越後の宇佐美が目を付けた。宇佐美は平蔵の出現によって、謀略を思いついたわけである。もっとも、ガクト・景虎(謙信)が側にいたなら、ここまで人の心を操る無惨な策略は出せなかったろうが。

 結論。
 勘助も信玄も勝つために敵への謀略の限りを尽くしてきた。ならば、身内から生じる謀略にもう少しガードを固めておくべきだった。怒った勘助が悪いとはいわないが、自業自得であろう。策士は策に溺れる、遠い時を越えて。
(今夜の謎は、寅王丸は一体誰の紹介で信玄の側室の元へ寄れたのだろうか? Muが見過ごしたのだろうか)

3.影武者
 戦国時代は、御大将あっての領国経営、戦だったから、その身に不都合があると大変なことになる。選挙で次点の者がすぐ後を継ぐような世界ではない。信玄とか上杉謙信クラスになると、お屋形さまあっての、甲斐であり越後である。だから、大抵は身代わりとなる、「影武者」がいたようだ。

 武田信玄の場合には、黒澤明監督の「影武者」が非常に有名だが、これは信玄死後の話。つまり、死後三年間も信玄の死は極々少数の側近しか知らなかったらしい。その間、信玄そっくりさんが居たという想定。信玄がいるのといないのとでは、周りの戦国大名の甲斐を見る目が天地の差ほどに大きく異なる。

 今夜のドラマを見ていて、武田信玄もそろそろ、影武者を育てないと危ないと思った。川中島の戦いでは、一部史料に信玄や謙信の影武者(替え玉)が活躍した記録も残っているようだ。 
   

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2007年11月 3日 (土)

私の京都:ブックファースト京都河原町店

承前:私の京都:四条大橋と三条大橋の美味しいところ

コトクロス阪急河原町(ビル)ブックファースト3~6階

 京都近辺に住んでいる人で、阪急河原町(四条河原町)をご存じない方はいないと思うが、先週「葛野図書倶楽部2001」の面々と話していたら、「南座」をご存じない学生が多数おってな。倶楽部には遠隔地の遊学者が多く、秋田、千葉、静岡、新潟、福井、岡山、鳥取、愛媛、滋賀、京都と多様なのだ。仕方ないので、四条河原町の地図をまず冒頭に掲げたが、さて、地図を読めない「女子」は多いらしいので、無駄無駄しい親心かも。

ブックファーストの風景

ブックファースト3階:アプローチ・接近遭遇

コトクロス阪急河原町:ブックファーストのあるビル
 ことの「起こり」は先月10月20日の一通のメルにあった。「起こり」と書くとつい、池波さんの仕掛け人を思い出すが、そうではない。
 ブックファースト(Book 1st)が京都にできたという、新情報だった。京都の大型書店に興味はあるが、書店評論家の看板を掲げているわけではなく、こういう情報がMuあてに来たことに、少し不審だった。しかし差出人は、一種の図書館マニア、書店マニアの趣き濃い人なので、素直に受け取った。
 場所としては丁度良いところだった。往き帰り道だから。実は、この近辺の高島屋にもそれなりの書店はあるのだが、そこには何人かのマニアチックな見知りの人が勤めているので、気恥ずかしくて立ち寄れない、シャイなMuであった。
 そんなところで、清純女優の写真集なんか買えないじゃない脳(嘘です)。
 そういえば、余があまり図書館通いしないのは、そこここで見知りの司書からチェックをされそうな強迫観念に包まれて、立ちすくむのじゃろう。あはは。

ブックファーストの結構

平積みじゃなくて、縦積みでしょうか

ブックファースト京都のミステリ
 新装なったブックファーストは、ビルの3階から6階まであって、エスカレータを使った。これはBALのジュンク堂と似ている。
 一通り全階を見て回ったが、やはり京都に再度進出するだけあって、小さな工夫が一杯見えた。もちろん書店評論家じゃないので、「そんなこと、今時、当たり前」かも知れないが。
 まず明るい、しかも軽薄じゃない、書店とか書店員の細かな設計の表れが感じられた。明るさの中に「書店」という重厚感、プライドが見え隠れした。「バカ本でも、売れればよい」という昨今常識をカバーしながらも、「こっそり、良い本、一杯ありますよ」というプライド、それがありましたね。必要な図書はすぐに買えたし、関連図書も一杯ありましたなぁ。(Muの求める本は大抵、図書館にも、大型書店にも、ありませえん)
 要するに、気に入った!
 目だったところでは、「コーナー」というか分野ごとの小空間が、まるで小部屋のようにそこここに配置されていることだ。大抵そこには椅子が数脚あって、丁度、書庫の片隅の空間、もしもキャレル(ちょっとした椅子と机)があれば、現代図書館と変わらない。
 そうなのだ。
 限られた空間を書庫的に造作しておるね。その、多少の狭隘間が肌にせまってきて、包み込まれたような味わいがありましたよ。
 それと。
 近頃の書店は、「趣味」「ホビー」に重点がある。これを最初に感じたのは、三条・新京極の紀伊國屋でしたが、ブックファーストも実に丁寧に趣味本・雑誌を収集しておりました。Muは、稀な図書を入手して狂喜したあとは、ミステリと、そしてこの「趣味」コーナーを動きませんでした。「時計、懐中時計」は、男性のファッション部門にあったのですが、これは知りませんでした。

 このブックファースト、末永く京都に居て欲しいと思いましたよ。
 伝統ある「丸善」大書店の跡ビルは、おお、真っ昼間から茶髪鼻ピアス青少年のたむろするカラオケビルなんだ。そういうファッションも現代なら、新装なったブックファーストも現代。ただし、Muは前者がなくても痛みはないが、後者の現代が消えると、悄然とする。

河原町の古民カフェ:インパルス

インパルスの店頭(古民カフェ?)
インパルスの店内(古民カフェ?)
 ここでまた「古民カフェ」、この言葉の意味は未だにわからないのだが、ともかく、河原町の西側に立って、道を挟んだ東をみたら、右正面にハーゲンダッツでしょうかアイスクリーム、そして左側離れた所に「ジュンク堂」と大きな垂れ幕を垂らしたBALビルがあった。
 このインパルスは繁華街のど真ん中にある洒落た珈琲店で、これまで何度か入った。京都らしく間口は狭くても奥までずっと深くて、落ち着く。
 店の由来は知らないが、ブックファーストの上階にある喫茶部に後ろ髪引かれながらも、結局伝統的古民カフェまで足を伸ばした、わけ。餅は餅屋と言うが、本は本、茶は茶と、Muは無意識に区別しておるようだ。

 この後は三条まで歩いて、幕末史跡石碑や美味しい所の写真をとって、三条京阪から特急に乗って帰りました。先週日曜日の午後のことでした。

盛りだくさんのMuBlog過去記事
  承前:古民カフェ:私の京都・河原町通{四条→三条}
  承前:京都の書店
  承前:新装のジュンク堂BAL店:私の京都・河原町通{四条→三条}

外部参考HP
  ブックファースト京都店(BOOK 1st)
  コトクロス阪急河原町(ビル)

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2007年11月 2日 (金)

昭和の鉄道模型をつくる(07) カーブレールC140(180°セット)その2回目

承前:昭和の鉄道模型をつくる(06) カーブレールC140(180°セット)

07:ここまで完成(~7号) →同じレール(6号と同一)がまた増えました。
 先回の6号と同じレール・パターンでした。6,7号分を合わせて真円になるのですが、このシリーズでは真円にはしないので、そのまま置いてあります。

07:部品と工作
 部品は先号と全く同一。工作はありません。

07:AtoZ:卓上運転を楽しむ:ローカル線・路面電車編

07:AtoZ:卓上運転を楽しむ:ローカル線・路面電車編
 このシリーズで作っているレイアウト(注)は、ミニカーブレールという卓上用の特殊なレールを使っています。その説明が見開きでありました。
 これまで作ってきたジオラマは、完成しても縦45センチ、横60センチですから、机上にきっちり載ります。そういう小さなシステムの基本になるレールが、「ミニカーブレール」と呼ばれているわけです。(最小セットだと一周面積が32x46cm)
 他方、標準的なNゲージの場合だと、縦60センチ、横120センチほどのレール面積を使います。周辺をいろいろ組み込むと、畳一枚の大きさになって、趣味室を持った人以外は設置しにくいことでしょう。
 逆に、ミニカーブレールの間ならいつでも鉄道模型世界から逃げられるが、標準ジオラマを作ったが最後、この世界から足を抜けなくなる、そういう怖さもありますね。
 ただし、ミニカーブレールには独特の風情(超精密な、凝縮感)と、技術的制約(カーブがキツイから脱線しやすい)を切り抜けることに快感を持つ上級者も多いようです。
 うむうむ、なんとなくワクワクしてきますねぇ~。
(注)一般にレイアウトは模型電車や汽車が動くものを指し、ジオラマは静的な景観模型をさすようですが、このシリーズでは、ジオラマという言葉を、動く鉄道模型を含めたものとして使っています。しかし、時々区別して、鉄道模型本来の「レイアウト」という用語も使われます。

07:昭和の鉄道模型を作る

07:昭和の鉄道模型を作る
 <TETSUMO(鉄模)の達人>は、朝野浩之(63)さんという方で、「アルコール貨車を集め、いつしか600両!! 飲んで眺めて楽しむ国際アルコール列車」と惹句がありました。現在のところジオラマを作って、列車を走らせたりするのじゃなくて、飾って眺めて手にとって楽しんでおられるようです。

 一説にコレクターには男性が多いと聞きますが、こういう方の実例を見るとうなずけますね。特徴としては、実際の列車は少なくて、大抵は諸外国の酒造関係者が洒落で、贈り物や記念品用に少数作っているようです。だから、この世にはない独自デザインの世界です。
 そこで気がついたのは、こういう諸外国の作品を集めるのは余程の執心がなければ出来ないこと。
 そして、諸外国では、こういう模型列車のモデルをお客さんに配布するほどに、おそらく、鉄道模型が日本以上に普及している国が多いだろう、という推測ですね。

 今週の<ヒット商品博物館>は、昭和32年発売の、ダイハツ「ミゼット」という小型三輪車の写真や解説でした。このころの仕様が、空冷2サイクル249cc、8馬力エンジン! 時速60キロで、300キロ積載とのこと。私は、このバタバタ・ミゼットは、TV「やりくりアパート」で、大村崑(こん)さんのミゼット連呼で、よく覚えております。ダイハツは今も、たしかトヨタ系として、よい車をだしていますね。
 このことは、畏友ふうてんさんの過去記事を参照願います。
 ミゼット(1957年タイプ)、そして現代の超小型スポーツカー(原題は、ふうてん老人日記:2007・10・21 cooper? coper? それとも?? 篇)

↓以下は、図書好き、司書マニア、図書館マニア用ですので、一般の鉄道模型愛好者には、おすすめできません(笑)

07:未来の図書館、過去の図書館
 私は、この自作シリーズを終えたなら、近未来に造るジオラマ、その景観模型の中心に、「図書館」を設置するつもりです。
 それは。
 未来、ないし近未来の図書館という言葉に私の気持ちを、こめたつもりなのです。つまり将来も「図書館」はある、という考えです。
 ある意味で伝統継承の思考に近いです。
 言葉を記すことによって、実体を保証しようと意図しているわけです。
 そして近未来、ジオラマに図書館風景を溶け込ませることで、図書館の継承を意図しようとしているわけです。

 もちろん一方で、無くてもよいものは消えるに任せる。時代の趨勢に合わなくなった考えや物や基盤は無くなっても当然、という考え方があります。人類史の中では、ある時期当然の状態だった「奴隷制」や「人権抑圧」は、少なくなってきているし、「消えるのが当たり前」ではないでしょうか。また、蒸気機関車など、石炭を燃料とした動力機関は見かけられなくなってきています。石炭は昔の鉄道、船などの主流だったようですが。極端な性差別も、人類史の中では消えていくでしょう。
 
 「電子図書館」を考え、研究者達・N先生と電子図書館モデルを造っていたとき、常に上記の後者の「考え」も考えていました。

 最近考え込んだ身近な事例として、「書道」というもの、さらに「ペン習字」、「筆記」というもの、それを参考にしてみますと、どうでしょうか。必要があるからこれらは残っているし、また教育の中に組み込まれてもいるし、社会でも必要なこととしての「価値」をまだ持っています。

 しかし、コンピュータ、ワープロ、PCが日常になっている現代と、それが無かった時代、過去の生活での様子とを比較してみると、手で字を書くという古典的なスタイルは昔ほどの「力」を持ってはいません。

 意識的に私の1日を調べたところ、文字に囲まれた教育・研究者生活であるにも関わらず、ボールペンで出席簿に○×をつける、原稿校正にわずかな量の赤線や赤字を書く。ほんの稀に、黒板に自分の名前や、キーワードを書き殴る、ごく稀に会議文書に締切日を書き入れる。年間スケジュール表に稀な追加修正(一行)を手書きする。来客予定日が数週間先の場合、カレンダー手帳に相手の姓を書き込む。

 手書きテガミ、手書き文書をほとんど書かなくなって確実に20年を経過しています。
 これが実情です。
 今の私に、筆硯、大量のインクと万年筆、数十本の鉛筆など、筆記具そして筆写素材(紙や粘土、竹や板など)、そして「文字の書き方練習」は必須でしょうか? 
 ここに「未来の図書館」の課題や問題がイメージされてくるのです。

追伸
 論途中なので、もし若い人達に誤解を生じさせると困るので、以下明言しておきます。
 私は、建物・景観としての実体ある図書館、そして紙に書かれた図書、これらの存続を期待し、擁護する意味で書いています。
 「小説」の付かないMuBlog本文は、いたずらに興味をひかせようとするレトリックや、一般的文章トリックや、虚実皮膜の曖昧さや、虚飾や、嘘を書かないようにしているのです。
 逆に「小説」とタイトルにあると、その記事内容のほぼ全部が、作話、つまり嘘です。

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2007年11月 1日 (木)

小説葛野記:2007/11/01(木)秋ですね

 忙しいの、息がつまるの、あこがいたいここが痛いの、お金がないの、鬱じゃ脳といいながらも、平成19年も秋になってしまった。
 よくまあ、いままで生きてきた事よ、とあらためて今朝思った。

1.一杯MuBlog
 blog記事は一杯ネタがあるのだけど、一日に数記事かく筆力もあるのだけど、どうにもねぇ。何を書いても風林火山や和央ようかさんの影にかくれてしまいそうで、複雑な心境。
 Muの実在を巨大ディジタルメディア世界に投影するのじゃと、心中息巻いても、ときどき「結局、世間様の人気に便乗してるのやな」と、がっくり首を垂れる今日この頃の、Muであった。
 おお、そうか、もしかしたらMuが「世間様」なのかもしれない、と思ったら、すこし気楽になった。

2.本日定食
 朝ふたつ。前期の個人課題の成績を返す。おくれているようだが、そこは重厚な考えの末(笑)。ちょうど後期共同演習の中間発表が来週から始まる。もう後半戦にはいるわけ。
 班単位での成績になるから、この時点で過去の各個人持ち点という「現実」を知ってもらうことで、各人各様の戦略をたてていただく、という深淵な謀略じゃなくて、親心なり。

 情報サービスという、一番難しい課題の方が点がよかった。100点が二名もでた。よしよし。
 資料組織主題は、二年生も多いので仕方ない面もあるが、ずぶずぶ。主題とか分析、分類という概念は、あれほど丁寧にこの春から初夏まで、毎回紙芝居で説明しても、……。

 それでも100点が1名、近似点が1名。両者とも、二年生だった! 
 まあ、よしとしようか(と、ここで現実妥協!)
 しかたなかろう、みなみなが司書になるわけでもないし、情報図書館学大教授をめざしているわけでもないからねぇ。

3.そろそろ充電
 いいかげんに、授業も、職務もblogも倶楽部も、約束も、ぜんぶ捨て去って、充電しないと来年身がもたなくなるな。
 とは申しても、好きなカニ玉を食べ過ぎる(食の充電)と、同僚教授からも揶揄される。
 「Mu先生、そんなぁ、カニ玉みたいな贅沢するから、あこが痛い、ここが痛いとなるんです。これからは、Mu先生がしんどうそうな顔して教授会、委員会にでてきても、絶対に同情しませんで。自業自得でっせ」

 というわけで、ちょっと大部な読書でもしましょう。何を読むかはまだ未定。
 自然科学系がよろしいかな。しかし機械工学ロボット部門の専門書は、気持ちが余計に乱れるから歿。
 人類の進化でもよむか。
 それとも長大な終わりのないミステリでもさがすか。
 どっかの司書にレファレンスをたのんでみよう。

 「あのう、すみません、一ヶ月ほど楽しめる、Muに見合った本はないでしょうか?」
 「……」
 「さがしていただけませんか、司書さん?」
 「そんなん、ご自分で探してください。それって、センセの専門でしょう?」
 「ええ。ええ、医師は自分の病気を治しにくいものでしてね」
 「知りません、他の客で忙しいのです」
 「はあ」と、悄然とするMuであった。

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